地球の夜明け
対話は、夜を徹して続いた。
神崎は、アクア・ステラの設計思想からその拡張性、そして地球環境を再生させるための具体的なロードマップまで、淀みなく説いた。それは絵空事の理想論ではない。技術者である彼らの心に直接響く、科学的根拠に裏打ちされた実現可能な未来だった。
最初は懐疑的だった彼らも、神崎の情熱と知識の深さに次第に引き込まれていく。いつしか錆びた工具は床に置かれ、モニターにはアクア・ステラの設計図が映し出されていた。
「この循環システム、エネルギー効率が異常だ。触媒は何を使っている?」
「微細藻類の選定基準は? 高CO2環境下でも安定する種でなければ意味がないぞ」
それはもはや、テロリストと標的の対峙ではなかった。錆びついたアジトの空気を熱が満たしていく。彼らは再び、夢を語る技術者の顔に戻っていた。
白髪のリーダー、アヤコ――かつて射場で推進システムを担当した老練な女性エンジニア――は、黙って議論の輪を見つめていたが、やがてぽつりと呟いた。
「……我々は、間違っていたのかもしれないな」
彼女の静かな声に、誰もが口を噤む。
「我々は、エデン(楽園)を奪われた怒りで、地球を地獄にすることしか考えていなかった。だが……この手で、この地球をエデンに変えることもできたのかもしれないのに……」
その言葉は、全員の懺悔を代弁していた。憎しみは彼らの視野を狭め、何より大切な創造者としての誇りさえも奪っていたのだ。
夜が明けた。地下のアジトに一条の朝日が差し込む頃、アヤコは決然と立ち上がった。彼女は通信機の前に座ると、エデン・ステーションのカガトへと繋がる暗号化回線を開く。
『アヤコか。次のシャトルの情報は掴めたか』
モニターの向こうで、カガトが苛立った声で言った。
アヤコは、揺るぎない眼差しでモニターを見据え、はっきりと告げた。
「カガト。我々は、あんた達との共闘関係を、これにて破棄する」
『……何だと?』
「我々は、破壊者であることをやめる。私たちは、この地球で、私たちの未来を創ることにしたんだ。もう、あんた達の歪んだ復讐劇に、私たちの技術は使わせない」
通信の向こうでカガトが激昂する声が響いたが、アヤコは一方的に回線を切断した。これで脅威は一つ消えた。カガトは地球からの支援という最大の武器を失い、ステーション内で孤立する。
アヤコは通信室を出ると、桟橋に立ち、変わり果てた海から昇る朝日を浴びていた。
追ってきた神崎が、静かに隣に立つ。
アヤコは神崎に向き直り、深く、深く頭を下げた。
「神崎君。君は、私たちに憎しみ以外の道を示してくれた。未来を見るための目を、開かせてくれた。心から感謝する」
神崎もまた、彼女に深く頭を下げ返した。
「礼を言うのは俺の方です、アヤコさん。皆さんの力を貸してください。この地球を、俺たちの手で再生するために」
こうして、憎しみに沈んだ水上集落に、新たな希望の船が生まれた。地球環境再生チーム『プロジェクト・ガイア』。彼らは破壊の槌を置き、再び創造のためのコンパスをその手に取ったのだ 。
まさにその時だった。憎しみの連鎖が断ち切られ、新たな希望の光が差し込んだ、その瞬間に。
ピピッ、と静かな電子音が鳴り、ユウが腕にはめていた腕時計型の端末が淡く光った。ディスプレイには、ARK-μからの着信が示されていた。
『神崎博士、交渉成功おめでとうございます。あなただからこそ成し得たのだと、私は評価します』
「ああ、ありがとう。ARK-μ君の助けがなければ、僕はとうに死んでいた。それに、ここまで来れなかった」
ユウが素直に感謝を述べると、ARK-μは間を置かずに、まるで次のタスクを告げるかのように、淡々と続けた。
『それでは、宇宙に上る前に最後のプロジェクトです。アクア・ステラに入ったアベニーパファーを回収に向かいましょう』
ユウの思考が、凍りついた。
シャトルと共に爆散し、星屑となったはずの命。母が遺した、最後の希望。
それを回収する? ARK-μは、一体何を言っているんだ……?
夜明けの光の中で、彼の背筋を冷たい悪寒が駆け上った。




