憎しみの在り処
射場から数キロ離れた場所に、海に沈みかけたゴーストタウンが広がっていた。かつて宇宙開発の夢に沸いた技術者とその家族が暮らした街は、今や潮風に晒され、朽ちた木造の建物が波間に揺れている。海面に浮かぶように点在する小屋は、かつての居住区の名残であり、今では誰も寄りつかない水上集落の町となっていた。
人々が去った後も、海は街を飲み込まず、ただ静かに見守っていた。その一角、朽ちかけた集落の奥に、テロの実行犯たちのアジトが潜んでいた。外からは見えないよう、廃屋の下に潜るようにして設けられた隠し通路。波の音に紛れて、彼らの息遣いが聞こえる。
神崎はARK-μが示したルートを辿り、その水上集落へと向かった。夕暮れの海に、木造の家々が影絵のように浮かび上がる。彼は、軋む桟橋を渡って、アジトへと足を踏み入れた。
広間に出ると、数人の男女が古びたモニターを囲んでいた。モニターには、爆発炎上するシャトルの映像が繰り返し流されている。彼らの顔には、達成感と、それを上回る疲労と虚無が浮かんでいた。彼らもまた、夢破れ、地球に見捨てられた者たちだった。
「誰だ!」
神崎の存在に気づいた一人が、警戒の声を上げた。一斉に、錆びた工具や改造された銃口が彼に向けられる。神崎はゆっくりと両手を上げ、敵意がないことを示した。肩からかけたカバンの中には、藻類によって緑色に光る「アクア・ステラ」が収められていた。
「話がしたい」
リーダー格らしい、白髪の混じる老婆が前に進み出た。その目は、深い絶望と怒りに濁っている。
「いい度胸じゃないか。ここがどこだか分かってて来たのかい?」
「ええ。それでも、ここに来るしかなかった。あなたたちに、直接伝えたかったからです」
その声には、恐れよりも決意が滲んでいた。アヤコは目を細め、神崎を値踏みするように見つめる。
「それで、ISERCの回し者が、一体何の用だい。わしらの“成果”を祝いに来たとでも言うのかい?」
神崎は首を横に振り、肩からカバンをそっと下ろした。
「違います。私は、あなたたちの怒りも、痛みも、無視するつもりはありません。だからこそ、ここに来たんです」
彼の言葉に、周囲の空気がわずかに揺れた。銃口はまだ向けられているが、誰も引き金に指をかけていない。
「私は神崎優希。あなたたちが殺したはずの男です」
「なに!?」
その言葉に、室内の空気が凍りついた。彼らは互いに顔を見合わせ、動揺を隠せない。
老婆が、乾いた笑い声を上げた。
「ははっ、気に入ったよ。あんた、いい度胸してるじゃないか!」
「この中にあるのは、あなたたちがかつて夢見た技術の、その先です。破壊ではなく、再生のためのものです」
神崎はカバンを開き、緑色に光る球体──アクア・ステラ──をそっと取り出した。波の音が、広間の静寂に溶け込む。
「ふん……口だけなら、誰でも言えるさ」
アヤコは吐き捨てたが、その声から先ほどまでの刺々しさは少し和らいでいた。
「あなたたちの気持ちは、分かります。私も、大切なものを理不尽に奪われた。だからこそ、こんな連鎖はもう終わりにしたい」
「これは、アクア・ステラ。この小さな球体一つで、一つの生態系が完結している。食料を生み、空気を浄化する。これは、宇宙のためだけの技術じゃない。汚染され、見捨てられたこの地球を、もう一度人の住める場所に戻すための、希望なんです」
アヤコは、嘲るように鼻を鳴らした。
「希望だなんて、よく言えたもんだねぇ。私たちを置き去りにして、自分たちだけが宇宙でぬくぬく暮らすための、都合のいい言い訳じゃないか」
「違います!」
神崎は強く言い放った。
「私はこの技術を、ステーションの人間だけでなく、あなたたちのような地球に残された人々と分かち合うために来たんです。憎しみで未来を破壊するんじゃない。この技術で、私たち自身の手で、新しい未来を創るんです。あなたたちには、それを成し遂げるだけの知識と技術があるはずだ」
神崎の言葉は、彼らの胸に突き刺さった。彼らは破壊者である前に、優秀な技術者だった。忘れかけていた創造への誇りが、心の奥で疼くのを感じた。
「私は、母との約束でこの研究を始めました。でも、今は違う。これは、生き残ってしまった私の贖罪です。そして、あなたたちにとっても、破壊者で終わるか、未来の創造者になるかの分かれ道です。私と一緒に、もう一度、夢を見てはいただけませんか」
広間は静寂に包まれた。誰もが、神崎の持つ小さな「星」と、彼の瞳に宿る真摯な光を見つめていた。憎しみで固まった彼らの心が、ほんの少し、溶け始める音がした。




