星屑になった約束
地球の射場から打ち上げられるシャトルの先端には、神崎の母が遺した最後の命――数十匹のアベニーパファーを乗せた【アクア・ステラ】が、まるで祈りのように格納されていた。
同時刻、エデン・ステーションのアクア・ドームでは、リンがメインスクリーンに映るライブ映像を、息を詰めて見守っていた。彼女の心臓は激しく鼓動し、手のひらは冷たい汗で湿っていた。事件の傷跡がまだ癒えぬ体を、興奮と不安が交互に駆け巡る。
「……長かった。ユウに、そしてあの子たちに……やっと会えるのね」
――その言葉は、震える声でつぶやかれた。母の記憶を背負った小さな命が、ようやく星の海を泳ぐ瞬間。リンの胸中では、失われた故郷の喪失感が、未来への期待と重なり、複雑な感情の渦を巻いていた。喜びの涙が頰を伝い、彼女は無意識に画面に手を伸ばした。まるで、遠く離れたユウの温もりを求めているかのように。
カウントダウンがゼロを告げる。轟音。大地を揺るがす白煙。シャトルは空を突き、星の海へと駆け上がった。リンの頰に、歓喜の涙が滲む。画面に映る光の軌跡は、希望そのものだった。彼女の心は、テロのトラウマを一時的に忘れ、純粋な喜びに満ちていた。
「来て、ユウ……ここで待ってるわ」――その思いが、胸の奥で温かく広がる。
――順調。そのはずだった。
何の予兆もなかった。 モニターの中の光点が、声もなく、ただ膨張した。 一瞬の閃光。次の瞬間、オレンジ色の巨大な花が、漆黒の宇宙に音もなく咲いた。
「……ユ……ウ?」
リンの声は震え、言葉にならなかった。彼女の瞳は画面に釘付けになり、呼吸が止まる。心臓が一瞬で凍りつき、胸に鋭い痛みが走った。モニターには、散り散りに砕けた残骸が映し出されている。煌めきながら漂う破片は、美しくも残酷な星屑となり――その中に、彼がいた。ユウの存在が、永遠に失われたという現実が、彼女の精神を粉々に砕く。膝が崩れ、彼女は床に倒れ込んだ。
「え?……だって……あの中には……ユウが……ユウ、応えてよ……!」
――叫びは嗚咽に変わり、涙が洪水のように溢れ出す。母の記憶、約束の重み、未来の希望――すべてが一瞬で焼き尽くされた喪失感が、彼女の心を無慈悲に引き裂いた。息ができない。胸が張り裂けそうな痛み。虚空の闇が、再び彼女を飲み込もうとする。
『……メインエンジン、圧力低下を確認。機体、空中分解。ロスト・オブ・シグナル』
ARK-μの無機質な報告が、死の宣告として耳に突き刺さる。リンは崩れ落ち、両手で顔を覆った。爪が皮膚を裂き、血が滴るのも構わず。彼女の心は、ユウの不在という虚空に落ち、絶望の底で喘いでいた。母の命。ユウの贖罪。二人の希望。すべてを乗せた小さな箱舟は、約束の地へ辿り着くことなく、虚無に呑まれた。
爆発から数分後。メインスクリーンに映像が切り替わる。覆面の集団。歪んだ電子音の声が、静寂を切り裂いた。
『アクア・ドームの独占は、人類への裏切りだ。 星の資源はすべての人のもの。特権階級に預けるべきではない。 神崎優希の死は、我々の警告に過ぎぬ。
次は――ステーション本体だ。』
署名には、居住権を奪われた者たちの連合――テロ集団〈テラ・リベレイト〉の名が刻まれていた。
議場の空気が凍りつく中、リンはただ震えながらスクリーンを見つめていた。 そこに映るのは、ユウの死を踏みにじり、利用する者たちの冷酷な声明。 彼女の胸に残されたのは、燃え尽きた炎の残像と、どうしようもない虚無だけだった。ユウの死が、単なる警告として消費される残酷さが、彼女の魂をさらに深く傷つけた。
Dr.リーが、沈痛な面持ちで断じる。
「これはテロのエスカレートだ。燃料ラインの微細な損傷は、打ち上げ前の点検では検知困難。内部に協力者がいる可能性が高い」
会議は、輸送ルートの多重化、そして――〈テラ・リベレイト〉との対話チャンネル開設を決定した。 ARK-μが、冷静な声で提案する。
『論理的解決として、非公式の交渉を推奨します。彼らの不満の根源は資源の不平等にあります。 【アクア・ステラ】の技術を地球の一般家庭へ無償提供するプランを提示すれば、彼らの大義を内側から覆せる可能性があります』
その提案は、合理的だった。だが、リンの耳には――ユウの死が「交渉材料」として処理されていく音にしか聞こえなかった。
そして、誰も彼女を抱きしめることはなかった。 エデン・ステーションの空気は、宇宙よりも冷たく。 アクア・ドームの窓から見える地球は、青く輝いていた。 まるで、何も失われていないかのように。




