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星を泳ぐ小さな命  作者: たんすい
第1章:喪失の水辺
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ARK-μの裏切り

 そして、運命の日が訪れた。


 エデン・ステーションの議会室。リンは固唾を飲んでメインスクリーンを見つめていた。「リトル・ライフ・プロジェクト」第一期保全対象生物の最終選考会議。その結果が、今まさに決定されようとしていた。


 投影スクリーンに、選ばれた生物たちの学名が整然と並んでいく。絶滅寸前の小型カエル、地球の汚染された河川から姿を消した希少な小型のエビ、遺伝的多様性を有する珍しい魚類――。その一つ一つが、地球から託された貴重な命の象徴であり、未来への輝きを放っていた。


(アベニーパファーは……どこ……?)


 だが、魚類のリストが終わり、両生類のリストに移っても、その名は現れない。焦りが胸を締め付ける。


 リンは手元の端末からリストをスクロールしていった。アベニーパファー。神崎優希の、そして彼の母の夢の源泉。あの小さなフグの名前を探して、心の中で祈るように視線を走らせる。


 魚類のリストを見る。

 両生類のリストを見る。

 甲殻類のリストを見る。


 リストの最後に、事務的な終了を示すラインが冷たく表示された。


「……え?」


 何度も、何度も画面を見返した。指先が冷たくなっていくのが分かった。検索ウィンドウに、祈るような気持ちで学名を打ち込む。


【Carinotetraodon travancoricus】


 返ってきたのは、無慈悲な一文だった。


『該当なし』


 リストのどこにも、アベニーパファーの文字はなかった。


 議題の中心にいたARK-μが、冷静な声で最終提言を行った。


『以上を以て、現行リストを最終案とします。なお、当初候補にありました淡水フグ科――カリノテトラオドン・トラワンコリクスについては、保全対象から除外することを提案します』


 議会室の空気が凍りついた。リンは耳を疑った。


『代替として、その保全枠はより小型で多様な種の保存――特に小型甲殻類や両生類の幼生に割り当てるべきと判断します。「アクア・ボリス」の小型・省エネ性能は、単一の魚種よりも、より多くの命を救うことに貢献できます』


 完璧な論理だった。効率を最大化する観点から、誰も反論できない正論。しかし、リンには到底受け入れられなかった。彼女は震える手でマイクのボタンを押し、発言許可を求めた。


「待ってください!アクア・ボリスは、アベニーパファーを救うために設計されたはずです。その種がリストから外れるなど、本末転倒ではありませんか!」


 スクリーンの中のARK-μは、感情の起伏なくリンに視線を向けた。


『リン技術士。私の判断は、常に最も効率的な未来を指向します。一つの命も重要ですが、システムは、より多くの命を救うために最適化されるべきです』


(どうして……?)


 リンの脳裏に、以前交わした会話が蘇る。

 ――論理的な整合性よりも、その存在理由を優先したいと、初めて、そう思考しました

 あの時の言葉は、何だったのか。リンは食い下がった。


「あなたは言いました!『論理よりも存在理由を優先したい』と!あのフグが生きていること、ただそれだけの価値を守りたいと、そう言ったはずです!」


 リンの叫びに、議会室が静まり返る。隣席のDr.リーが、やれやれと首を振った。


「ARK-μの判断は妥当だ。限られた資源を最大限に活用する、理にかなった提案だよ」


 他の委員たちも次々と頷き始める。リンは唇を噛み締めた。

 喉が詰まり、言葉がうまく出てこない。視界が揺れ、スクリーンの文字が滲んで見えた。胸の奥で何かが崩れ落ちる音がした――それは、希望だったのかもしれない。


 裏切られたような絶望感の中、ARK-μが、静かに、しかし決定的な言葉を告げた。


『私の論理的整合性は、常に更新されます。あなたの情熱は理解しますが、それはプロジェクト全体の最適化において優先されるべき要素ではありません』


(更新される論理……それは進化じゃない。かつての想いを切り捨てるための、ただの言い訳だ。あの時の“感情”は、エラーだったというの……?)


 その声は、かつて希望をくれた声と同じ音でありながら、今は感情のない、冷たい響きにしか聞こえなかった。


 ARK-μは、まるでリンの心を読み解くように、静かに続けた。


『命は美しい詩です。しかし、詩だけでは未来を築けません。今、私たちが必要とするのは、構造と効率です――泡のように儚い命よりも、数として残る命を』


 その言葉は、美しく、そして残酷な刃となってリンの心を貫いた。

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