しゅきしゅき大しゅき
あたしたちの家の近所には、どうやって経営が成り立っているのかわからない不思議な、謎の駄菓子屋がある。
いつ行ってもお客さんはあたしたちだけで、他に人が入ってくる様子もまったくないから、黒子とふたりで「やっぱりあのお店って変だよな」とよく噂している。
それに、スマホで調べてみると、駄菓子屋自体が今ではもう貴重な存在らしい。けれど、あたしにとっては近所に普通にあるから、「本当にそうなの?」という疑問めいた気持ちにもなる。
「そういえばさ、あのお店の名前って知ってる?」
下校の途中、ふと気になって、横を歩く黒子に尋ねてみた。
「なあに? またあのお店のこと考えてたの?」
黒子は「もう、いい加減にしなさいよ」と言いながら、くすくす笑う。
「じゃあ、その様子だと名前を知ってるんでしょ?」
「知ってるわよ。西村さんから聞いたの」
「えっ、あたし店主の名前すら知らなかったのに!?」
「ふふ、そうみたいね」
黒子はころころと舌を転がすように笑い、まっすぐあたしを見つめる。
けれど、そんなことはどうでもいい。あたしは黒子の肩を思いきりむんずと掴んで、勢いよく「笑いごとじゃないわよっ!」と詰め寄った。
それでも黒子はいつも通り、あたしを宥めるように、ためらいもなくそっと唇を重ねてきた。
「少しは落ち着いた?」
「も、もういいよ! いや、やっぱりよくないっ! そ、それで、あのお店って結局なんて名前なの?」
どういうわけか、あたしの中ではそれが心底気になって仕方なかった。くだらないことなのに、黒子の返事が待ちきれないほど、胸が変にはやって落ち着かない。
「あなた、本当にあのお店のことが好きねえ」
「いいから、早く教えてよ」
「――『 』」
「え?」
「だから、『 』よ」
「なんかよく聞き取れないんだけど、さっきから何言ってるの、あんた……」
「何がよ」
「だから、『 』って何よ」
「何よって、あなた今お店の名前を言ったじゃない」
「え!?」
あたしは思わず大きな声を上げる。
「あのお店の名前って、本当に『 』?」
「そうよ。さっきから何を言ってるの、あなた?」
おかしい。どうにも腑に落ちない。けれど、確かにあたしはしっかりとお店の名前を口にしている。
それなら――『あたしは最初からお店の名前を知っていたってこと?』。
「そうなんじゃない?」
「だから、お前はいつもそうやってあたしの心の中を読むなよっ!」
「ふふふっ、まあいいじゃない。わたしたちの日常が穏やかで楽しいなら、些末なことなんてどうでもよくないかしら?」
「ま、まぁそれはそうだけど……」
まるで喉の奥に魚の骨が引っかかったみたいだ。
くだらない話かもしれないのに、それくらい変な違和感が、あたしの心にずっと残り続けていた。
「あのさ、緑子」
「なんだよ」
「ちょうど今、『 』の話が出たところだし、これから『 』に行って駄菓子を食べない?」
「べつにいいけど」
「よかったわ。じゃあ、このままの足で『 』に向かいましょう」
しばらくして、あたしたちは謎の駄菓子屋『 』を訪れた。
一応、ここでお店の外観を説明しておこう。
そこは二階建ての古い一軒家で、入口には建て付けの悪い引き戸がある。店先の壁には色あせたポスターやチラシがところどころ貼られていた。
軒先にはガラス瓶に入った美味しそうなラムネが置かれ、その横にはどんと一際大きなアイスケースが置かれていた。さらに入口の隅には、古めかしいプラスチック製のガチャガチャまで鎮座していて、それだけでもう謎のお店『 』は妙な活気に満ちていた。
そして、ここであたしはあることに気づく。このお店には、ちゃんとした古ぼけた看板が掲げられていたのだ。
『 』と書かれ、塗料が少し剥げかけているその看板は、なぜか言葉にできない妙な郷愁を呼び起こした。
(……一体なんなんだろう、この不思議な感じ)
どうしても違和感が拭えないあたしをよそに、黒子はお構いなしといった様子で『 』の引き戸を勢いよく開け放った。
その瞬間、甘い匂いとカラフルな駄菓子が、あたしたちを温かく、そして優しく出迎えてくれた。
『 』に足を踏み入れると、まず目に飛び込んできたのは、ぎゅうぎゅうに並べられた駄菓子の山だった。木の棚やプラスチックのケースには、十円や二十円の小さな駄菓子があふれるほど詰め込まれていて、思わず胸が高鳴るような圧巻の光景が広がっている。
その奥、店内の隅にはガラス扉のショーケース型冷蔵庫があり、軒先に置かれていたラムネがしっかり冷やされて並んでいた。少し青みがかったガラス瓶の中では、カラフルな飴玉が宝石のようにきらきらと瞬き、見ているだけで心が躍る。
駄菓子特有の甘い香りと揚げ菓子の香ばしさが店内いっぱいに広がっていて、あたしの頬は自然と思いきりゆるんでしまうほど心地よかった。
(――きききき。いい。やっぱり、駄菓子屋って最高だ!)
まるで子供みたいにはしゃぎながら、心の中で思いきり飛び跳ねていた。
しかし、あたしはそれを黒子に悟られないように必死で取り繕う。――だって、そんなのバレたら恥ずかしいじゃない。
「ねぇ? 決められた金額で、どれだけ相手のお気に入りを見つけられるか勝負しない?」
唐突に黒子がそんなことを言ってきた。
「敗者は、相手の言うことを一つなんでも聞かないとダメよ」
それも、心底意地悪そうに口に手を当てながら、「ぷぷぷっ」と小さく笑っている。
「そんなの、絶対にやだ」
「なんで?」
「わかってるだろ?」
まったく。幼馴染で、唯一無二のパートナーで、あたしの一番の理解者であるあんたにわからないはずがない。
(お前が選んだものを気に入らないわけないからだよ!)
「ふふっ、じゃあ、こうしない?」
やっぱり、すべてお見通しだったらしく、黒子はこんなことを提案してきた。
「わたしたちってさ、お互いのことをほとんど知ってるじゃない? だから――“お互いの苦手なお菓子を当てられるか選手権”。」
(ふう、やっぱり黒子には全部見透かされてるか)
「……でも、お菓子なんてみんな美味しいじゃん」
「だから、“うーん、自分にとってはいまいち!”ってやつよ」
なるほど。それなら、もしかしたら、あたしにもちゃんと勝機があるかもしれない。
「わかった。そういうことなら、あんたの誘いに乗ってあげるわ。今回の勝負、逆に面白そうだしね」
「でしょ? じゃあ制限時間は三十分。縛りは駄菓子限定ね」
「それと、一応百円以内の縛りも追加するわよ。覚えておきなさいよねっ」
「了解。じゃあ、今度こそ始めるわよ――よーい、始め!」
それから、あたしたちは大きなリアクションを取りながら、いくつかのやり取りを交わした。
黒子に与えられた駄菓子は、どれもこれもあたしの好みにドンピシャで、みんな美味しい――そう思われた。
が、その中に一つだけ、なんというか、どうにも食感がいまいちなものがあった。はっきり言ってしまえば、もう自分でも「これはいまいちだ」と気づいてしまっている。
けれど、その駄菓子を食べているうちに、一瞬……いや、絶対に黒子には気づかれたくない、という想いが生まれてしまった。
だからあたしは素知らぬ顔をして、「黒子が選んでくれた駄菓子はどれも美味しかったよ」と笑顔で口にした。
「……嘘ね」
けれど、あたしと黒子の関係に、そんな隠し事が通じるはずもない。
……だって、あたしだって黒子のことなら、何から何までお見通しなのだから。
こうして、今回の勝者は黒子に決まってしまった。
「くそー。やっぱり今回の勝負もあたしの負けかあ……。なんとなく、こうなる気はしてたよ。あたし、勝負事であんたに勝ったためしがないもんねえ……」
悔しい。とても、とても悔しい。
でも、負けたからには一つ、黒子の言うことを聞かないわけにはいかない。
「それじゃ、わたしの言うこと、一つだけ聞いてもらうわよ」
「……わかったよ。それで、あんたはあたしに何のお願いをしたいわけ?」
だるーっと大きな声を出したあと、観念したように全力で項垂れた。それでも単刀直入に、黒子へ「早く言いなさいよ」と問いかける。
「緑子が今一番食べたいものって何?」
「は?」
「ふふ、今回は“苦手なもの選手権”だったでしょ? だからさ、今度は緑子に好きなものを食べてほしいなって思ったの」
そう言った黒子の表情は満面の笑顔で、もはや完全に意地悪めいた小悪魔そのものだった。
「ねぇ、あんた……それってさ」
『単純に、あたしに“美味しいものを奢りたい”って思っただけじゃないの?』
「ふふふっ、さあ? どうかしらね」
黒子はミステリアスに笑ったつもりかもしれない。けれど、あんたがあたしのことをすべてお見通しなように、あたしもあんたのことは全部お見通しなんだからっ。
「まわりくどいよ! それならそうと言えばいいのに。本当にあんたは素直じゃないよねぇ……」
「緑子ほどではないわよ」
「はあ、もういいよ。今日はあたしも奢るから、『 』で一番高くて、見ても美味しそうな駄菓子を食べよ」
「いいわよ。じゃあ、西村店長を呼ぼうかしら」
そう言って、黒子は店の奥にいる西村店長を呼んだ。
「……おや、黒子ちゃん、いらっしゃいだにゃー」
――ん?
「西村店長、緑子とこのお店で一番美味しい駄菓子を食べたいんです。どれだか教えてくれますか?」
「にゃっはっは。キミたちも本当に駄菓子が好きだにぇー。どれどれ、お姉さんが見繕ってあげるにゃー」
「……ねえ、黒子」
あたしは黒子の横腹を肘で何度も突き、そのとてつもない違和感を確かめる。
「なあに?」
「西村店長ってさ……」
「うん」
「――もしかして、大きな猫じゃね?」
「あっはははは! なに変なこと言ってるのよ、あなた! 西村店長が、“ムービー店長”がそんなわけないじゃない!」
「あ、あんた、今なんか“名前”を言わなかった!?」
「ムービー店長は、いつも本当に“毛並み”がきれいですねえ」
けれど、黒子はあたしの質問には一切答えず、西村店長とじゃれ合うように大きく笑い合った。
(なんなんだよっ!)
冷静に「まるで飼い主と飼い猫みたいだな」とは思いながらも、心の中では激しいツッコミを入れまくるあたし。
そして、仲睦まじい二人の様子をぽかんと口を開けて眺めていたあたしは、たとえようのない大きな嘆息を「はあ」と吐いた。
その日は結局、西村店長の正体は一切掴めず――というか、なぜだか西村店長のことを考えると頭に靄がかかって――すべてがうやむやなまま、静かに幕を下ろした。
最後に、今回のお話でわかったこと。西村店長は『毛並みがきれい』。
以上、緑子レポートはここで終わります。