シルエットフォーミュラ
「……緑子は、こういうの、嫌?」
黒子のまん丸で潤んだ瞳が、熱を帯びて縋るようにあたしを見つめてくる。
やがて、黒子は、あたしをじっと見つめたまま、右手をそっと優しくあたしの胸に添えてくる。
黒子の突然の積極的な行動に、顔がカーッと熱くなるのが自分でもはっきりとわかった。たぶん、今、真っ赤になってる。
「ふぇ!? ふぇえええっ!? ちょ、ちょっと待ちなさいってばっ!」
「……やだ。今日は、もう絶対に待たない」
いつもはまったくそんなことないのに、今日の黒子は、何故だか小さな子供のように聞き分けがなく、どうしようもなくわがままで不機嫌だった。
(――ど、どどどどどうしよう!?)
思わず、大慌てになってしまうほどには、あまりにも突然で――それはまさに、『青天の霹靂』という言葉がぴったりとしか言いようがなかった。
い、いや、今さら確認するまでもないけど……あたしは、黒子のことが好きだ。
というか、好きなんてもんじゃない。大好きで大好きで、軽くおかしくなるほどには大好きだ。
こんなことを言ったら、笑われるかもしれないけど……
でもあたしは、正直、自分自身のことなんかよりも、ずっとずっと、黒子のことを大切に思ってる。
「ふふっ」
ほとほと困り果てたあたしを見て、黒子はふっと笑った。
まるで、『ほんと、仕方ないなぁ』って顔をして。
――そう、その顔だ。
その顔が、いつだってあたしの胸をドキドキさせて、ワクワクさせて、しまいには、胸のもっともっと奥のほうを、ぎゅっと――痛いくらいに締めつけてくるんだ。
目の前で朗らかに笑う黒子は、あたしにとって――誇張でもなんでもなく、この世界でいちばん愛おしい存在なのだ。
「もしかしてさ、今さらかもしれないけど……黒子って、あたしと“そういうこと”、したいと思ってるの?」
「ふふっ、どうだろう? でも、それは――あなたが一番わかってるんじゃない?」
「……どういう意味?」
「だってさ、あなたが見てるわたしは、あなた自身なんだから」
「もう、意味わかんないっ!」
わけのわからないことを言われて、あたしはぷくーっと頬を膨らませた。
(黒子のバカバカバカっ! せっかく、あたしが勇気を振り絞って“誘い”を匂わせたっていうのに、それを華麗にスルーするとか、ありえないっ! あんたってほんと、底抜けの大バカなんだからっ!)
何も言わなくたって、察してよっ!
顔が笑っていなくたって、そんなの気にせず、強引に行動で示してよっ!
大好きで、大切で、どうしようもないくらい愛しいあんただからこそ――あたしは、多少無理やりにでもいいから、“特別っぽいこと”をされたいの!
後のことなんて考えなくていい。
ぎゅっとしてよ。骨がきしむくらい、強く強く、あたしを抱きしめて。
何もかも、全部、あんたに奪われたい。
生殺与奪の権利だって、まるごとあんたに渡して――その代わりに、あんたの心に、消えない傷を、永遠に残してやりたい。
……わかってるよ。こんなの、重たい女って思われるかもしれない。
でも、もうそんなの、全然気にしてない。
だって――誰かを好きになるっていうのは、本気で、その人のことを心の底から大切に思って、ちゃんと真剣に向き合うってことなんだから。
「……い……いいわよ」
「どうしたの?」
「だ、だからっ! い、いいって言ったのよっ!」
「何が?」
「くどいわねっ! あんたの好きにすればいいって、さっきからずっと言ってるじゃないっ!」
涙混じりに、それでもあたしははっきりと言い切った。
「ふふっ、よく言えたわね」
三日月のように口角を上げて、黒子がニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
……分かっていた。最初からずっと、嫌というほど分かっていたことだけど、黒子は間違いなく――小悪魔どころか、悪魔そのものと呼ぶにふさわしいほど、心の底から意地悪だった。
「……座って」
状況がまったく掴めないまま、あたしはベッドの端に半ば強引に腰を下ろされた。
黒子は、そんなあたしの前にひざまずき、身をかがめる。
そのまま、黒子の指先がすっと胸元へ伸び――谷間をなぞりながら、おへそのあたりまでゆっくりと滑り降りてくる。細く長い指が、あたしのお腹を優しく撫でた。
「な、何をする気だよっ!?」
「知りたい?」
「当たり前だろ!?」
「ふふっ、いいわよ。つまりね、こういうこと――」
――そこで、朦朧としていたあたしの意識が、唐突に、しかしはっきりと覚醒した。
「……どうしたの? さっき、すごくうなされてたみたいだけど」
ゆっくりとベッドの上で体を起こす。
「うなされてたって、あたしが?」
「うん。なんか、変な声を出してたよ……苦しそうな」
「それ、多分……い、いや、なんでもないっ! 絶対になんでもないから、この話はこれで終わりにしよう!」
「? なんか怪しいわね。何か思うことがあるなら、ちゃんとわたしに言いなさいよ」
「ば、ばばばばばばか言わないで! あんたになんか絶対に何も話さないからっ!」
(――あたしが黒子と、“ごにょごにょ”したいだなんて、そんなのたとえ死んでも言ってたまるかっ!)
「……はあ。仕方ないわね。まあ、別に言いたくないならそれ以上は言わなくてもいいわ。でも」
「?」
「寝てるときのあなたの声、ちょっと可愛かったわよ」
ボンッ、と顔から煙が立ち上るような感覚に襲われた。
“気づかれていないと思ってたのに”
だけど、どうあがいたって、目の前の“こいつ”には敵わない――そんな気持ちにさせられる。
それは、あたしが黒子という存在に、勝手に“シルエットフォーミュラ”を重ねてしまっているがゆえだった。