チュウチュウアタック
暑い。ただひたすら、どうしようもなく暑い。
真夏でもないというのに、今日の気温は三十八度を優に超えている。
あたしたちは今、家から少し離れた河原で涼をとっていた。並んで体育座りをして、足元の小石を拾っては、ぽちゃん、と川に投げ込む。それをただ、繰り返す。無言のまま、少し先の澄んだ水面をぼんやりと眺めながら。
何とも言えない虚無の時間。傍から見れば、ただの無駄なひとときに思えるかもしれない。けれど、それはあたしたちにとって、本当にかけがえのない時間で、他の何にも替えがたい時間で――。
(あわわわ! こ、これ以上はもう何も考えられないよぉっ!)
「心頭滅却すれば火もまた涼し! 心頭滅却すれば炎もまた涼し!」
混乱のあまり、自分でも何を言っているのか分からない、支離滅裂な言動を繰り返すあたし。
そして、
「あ、あじゅい~! なんかもう、アイスクリームみたいにこの場でとろけちゃいそうだ~!」
勢いに任せて、華麗に話を逸らした。
「? ほんとね。今日の暑さは、人をちょっとおかしくしちゃうレベルだわ」
「でしょ~?」
合間に交わされる、どうでもいい会話。それが、あたしたちには、なんとも心地よかった。
人気のまったくない、涼しげな河原の岩場の隅っこで。
「~でさ」
「ふふっ、そうね」
あたしたちは水着姿のまま、互いに手を繋ぎながら、のんびりと取り留めのない会話を交わし続けている。
愛しい黒子と過ごす、穏やかで優しい時間。
その大半は、こんなどうでもいいような、力の抜けたやり取りで満ちている。
(やっぱり、黒子と話していると、心が落ち着くなぁ)
あたしは、火照った瞳で、隣の黒子の横顔をそっと盗み見た。
そして、自然とその視線は、彼女の体の方へと流れていく。
(……それにしても)
華奢で艶やかな肢体。
その白百合のように可憐でたおやかな美しさは、あたしの中に潜む抑えきれない劣情を、そっと、静かに、じわりと煽り立てた。
(黒子に、いたずらがしたい……)
あらかじめ言っておくけど、あたしがこんな気持ちになっちゃったのは、ぜんぶ、ぜーんぶ黒子のせいだからね。
黒子の肌を伝う汗がきれいだから。
黒子の風に流れる髪がかわいいから。
黒子のすべてが尊くて仕方ないから、あたしは今、こんなにも、すっごく胸がドキドキしてるんだ。
あたしは悪くない。まったく、一向に悪くない。
「なぁに?」
不思議そうに首をかしげながら、あたしの顔を見て黒子がふんわりとほほ笑む。
「べ、べべべべつにっ!」
黒子の、その天使のような愛らしい笑顔に、あたしは何も言葉が出なくなってしまう。
そして、
「――ごめん。あたし、熱中症になったかも……」
きっと今、あたしの顔は真っ赤になっているに違いない。
それを悟られないように、あたしはそっと黒子の身体にぴたりと身を寄せた。
……もう、回りくどい言い方はやめよう。
抱きつきました。はい、正直に言うと、あたしは黒子に抱きつきました。
(も、もももももうっ! ここまできたら、いっそ全部いっちゃえっ!)
すらりと伸びた黒子の首筋に、まるで口づけを交わすかのように、そっとやさしく手を伸ばす。
そしてそのまま、あたしはさらに大胆な行動に出た。
黒子の首のうしろに、両手を回してしまった。
――そんなの、普段のあたしじゃ絶対にできないようなことなのに。
「ちょっと、大丈夫なの? 熱で脱水症状でも起こしてるんじゃ……?」
「そ、そうだよっ! 暑さにやられたのっ! か、身体が火照ってフラフラだから、少しこのままでいさせろっ!」
あたしは、とっさに思いついた大ウソをまくしたてる。
黒子に何も言わせない。疑う隙なんて、これっぽっちも与えない。
口を挟む余地? そんなもん、絶対に持たせてやるもんか。
(だ、だって仕方ないじゃん! 本当のことなんて言えるわけないっ! 黒子ともっとくっついて、溶け合って、混ざり合って、ぐちゃぐちゃになりたい――なんて、そんなの、絶対に言ってたまるかあっ!)
「あーっ、もう気持ち悪い~! めちゃくちゃクラクラするー! あたし、もうこのまま立てないかもー!」
――そう、悪いのはぜんぶ、この暑さのせい。
あたしが黒子のことを、愛おしくて愛おしくてたまらなくなったのも、何もかも、みーんな、この暑さが悪いんだから。
だから、ほんとに、ほんとーに、あたしは悪くないっ。
(うん、やっぱり、あたしは悪くないっ! 絶対に、間違いなく、どう考えても、あたしは悪くないっ!)
暑さって、人の正常な判断力を容赦なく奪っていく。
あたしは心の中で、大慌てになりながらも、必死になって、言い訳めいたことをつらつらと並べ立てていく。
そして、黒子の華奢な首に、そっと、でもしっかりと腕を絡める。
逃げられないように、離れられないように――まるで鍵をかけるように、黒子の首元をやさしくロックした。
あたしの胸と黒子の胸が、むにゅりと押し合って、ちょっと変な形になる。
(だ、大丈夫かなっ!? あたしの心臓の音、黒子に聞こえてないよねっ!?)
「……緑子」
「ふぇっ!? な、なななななによっ!?」
「気づいてないかもしれないけど……」
「?」
「ビキニのトップ、外れてるわよ?」
「えっ!?」
思わず声に出して驚き、慌てて黒子から離れる。
その瞬間、ビキニのトップがひらりと落ちていく。
あたしの胸があらわになった――と思いきや、すんでのところで再び黒子に抱きつき、それを回避する。
「にししし、ごめんね~。ビキニのトップ外しちゃった♡」
意地悪そうに、黒子の声が耳元でささやかれる。
「わあああん! なんてことすんだよー! ばかばかばかっ! 黒子のばかーっ!」
あたしは泣きべそをかきながら、黒子の頭を両手でポカポカと叩きまくる。
叩いたせいで、お世辞にも可愛いとは言えない、たわわな胸があらわになってしまったが、そんなことはお構いなしに黒子を叩きまくる。
「ふふふっ、いいの? 丸出しのままで」
「いいんだよっ! あんたにはもう、何もかも『丸出し』だからっ!」
「そうなの?」
「あ、当たり前でしょ。もしかして、あ、あんたは違うの?」
黒子は顎に手を当てて、少し考え込むような仕草を見せた。
「な、なによ、その態度……。あんたにとって、あたしは……」
思わず、しんみりとした声が漏れてしまう。
しかも、目にはうっすらと涙まで浮かんでしまっているので、悔しいやら、恥ずかしいやら、だ。
いつだって、黒子を大切で愛おしいと思う気持ちは変わらない。
でも、黒子はあたしに対して、そんなふうに思ってくれてはいないのかな……。
そして、あたしはその先の言葉を、寂しげに、悲しげに、静かにぽつりと続けようとする。
しかし、
「ふふっ、違う違う。あたしが考えたのはね」
「ふぇ……?」
『わたしも“熱中症”ってこと』
「えっ!? そ、それって、つまり、あれだよね……?」
「そのままよ、それ以上でもそれ以下でもないわ」
先ほどの言葉には、あたしと黒子の関係そのものが込められていた。
普段は素直になれないあたしだけど、黒子に心から真剣に大切に思われている。
ただただ、一途に――そんなふうに感じる“とびっきりの大きな愛”が、あの一言で全てあたしに伝わってきた。
(――嬉しい! やっぱり、黒子もあたしとまったく同じ気持ちだった!)
あたしの気分は最高潮になってしまい、胸の中がじんわりと熱くなるのを感じていた。
「きききき。じゃあさ、もう、皆まで言わずとも分かってるでしょ?」
あたしは、いたずらっぽく口元をゆがめながら、悪そうな含み笑いを浮かべた。
「無粋ね。あたしたちの気持ちに、言葉なんてもう野暮ってもんでしょ」
黒子も同じように、口元に意地悪な笑みをにじませながら、『ほら、早くしなさいよ』とばかりに、あたしの首のうしろへそっと両手をまわしてくる。
――気がつけば、あたしのおでこと黒子のおでこは、ぴったりとこっつんこしていた。
そして、ふたりで静かに視線を交わし合うと、どちらからともなく笑みをこぼし、そっと息を吹きかけるように言った。
『ねっ、ちゅう、しよ♡』