パルメニデスΠαρμενίδης
この季節、東京の日の出は六時半くらい。こちらも同じだ。ただし、東京から北へ500キロメートル超ではあるけれど。
五時に起き、歯ブラシとタオルとを持って、シャワー室へ向かうため、廊下に出る。
支度を終えると、学食へ。コーヒーとトースト、目玉焼きをチョイスした。学友たちの話し声が霧のように天井に響く。燭台に火が灯っていた。
「やあ」
「おはよ、予習した?」
「やった。疲れてたけど、仕方ない」
「仕方ないよね」
ヘミングウェイの黒服ギャングみたいなリフレインでしかない空疎な会話をしつつ、食事を終えた。
これが日常。
もう一度、四階の部屋に戻った。パルメニデスの著作を声に出して読む。音読が大事だった。皮革装幀の古い書籍。学校が生徒に貸すもので、代々使われている。丁寧に扱わなければ即退学。
こうして、昨晩やった予習を軽く繰り返し、暫時瞑想に耽る。
防水コートを掴んだ。フードをかぶる。
六時半に赤煉瓦造の眞神眞義塾附属高校の第二学寮を出て、ネオ・クラシック様式(新古典主義様式)の哲学棟へ向かう。積もる雪が左右に壁のように聳える路を雪曇り。少し吹雪いていた。
哲学棟は他の教科等に比べると、学寮から一番近い。哲学を第一の学としているからだ。授業は必ず一時限目にあり、テストもテスト初日の初っ端だ。
六時四十分に着くと雪を落とし、コートを畳む。吹き抜けの大エントランスを抜けて、大階段を駈け上がり、天井画のある大休憩室を横切り、講義室に入る。既に数十人がいた。全員で二百五十名だから、早い方だ。
席は決められていない。地上階の前列が最も良い席だが、桟敷席も前列なら悪くない。そう、内部はオペラ座の小型版のような形になっているのだ。僕は桟敷の前列に坐ると、リュックに大事に仕舞った皮革製本をどかっと下ろす。
ペンやノートを用意した。
正面の演台を見る。先生はまだいない。
広い壇上にはプロジェクターがあり、授業が始まれば、先生の背面に大きく映し出される。あらかじめ用意された文章や図、そして、先生がその場で手書きする文字などが。
鈴が鳴り、講義が始まった。先生の言葉を聴き、じぶんの予習ノートを見遣る。
パルメニデス(古ギリシャ語: Παρμενίδης, 紀元前520年頃〜紀元前450年頃)は、南イタリアの都市エレア出身で、エレア派の始祖とされる古代ギリシアの哲学者だ。
彼の哲学の中枢は「ト・エオン(τὸ ἐόν)」で、意味は「存在する」又は「〜である」である。
名門の家柄であり、祖国エレアのために法律を制定したとも云われる。
現存する著作はただ一つ、『自然について』(希: Περὶ Φύσεως, ペリ・ピュセオース)のみ。断片でしか残っていない。元々は800行ぐらいあったと考えられているようだが、今は160行ほどしか残っていない。
形式としては、アナクシマンドロスの弟子クセノパネスに学んだせいであろうか、ヘクサメトロス(ἑξάμετρον 六脚韻)という形式の韻文で記される。クセノパネスも詩の形式を用いて哲学を説いた。ちなみに、六脚韻とは、古代ギリシャ詩の形式の一つで、1行が6つ(ヘクサ)の韻脚からなるものをいう。ホメロス(Ὅμηρος)の『イーリアス』や『オデュッセイア』がその形式で詠われている。古代ギリシアの叙事詩では一般的な韻律であった。
なお、クセノパネスを師とした前提で語っているが、ピュタゴラス学派のアメイニアスの弟子であったっという説もある。
『自然について』というタイトルは古代ギリシャ哲学の著作の多くにつけられたタイトルだ。自然とは世界そのもので、世界宇宙の原理を探究・解明しようとすることが当時、哲学者の勤めであり、共通の目標、なすべき學であるがゆえ、古代ギリシャ哲学に普遍のテーマなのであろう。
さて、彼は哲学の中枢に「ある(ト・エオン, τὸ ἐόν, to eon)」を据えた。「ある」は、その反対概念として「あらぬ(ト・メー・エオン)」を持つ。
先生が言う、
「彼は「あるもの(有/在)はあり、あらぬもの(非有/不在)はあらぬ」とした。
そして、「あらぬ」とは、『自然について』の断片6によれば「無があることは不可能」と定義され、なぜ不可能かは断片2によれば「あらぬものを知ることもできなければ語ることもできないから」とされている。認識不可能、意識不可能、探究不可能、究明不可能、言表不可能なもので、求究すべきではないとした。
逆に、「ある」は時間を超えて不生不滅(生じることも滅することもない。始まりも終わりもなく、最初も最後もない。永劫の過去から永劫の未来まで同様にあり続け、不動の一者であり、部分がなく、分かつことができない全体)とされている。
なぜ、「ある」を、生じもせず、滅することもないと考えたのか」
古義斗くんが手を挙げた。
「はい、先生」
「言い給え、天平古義斗くん」
この里に天平姓は多い。フルネームでなければ誰だかわからない。
「では、答えます」
古義斗は地上階にいた。マイクを取って、いつもどおり気取って語り出す。
「一般大衆の世間に融通するとおり、「在」と「無」とは違います。だから、「無」から「在」が生じるはずがない。これは常識感覚でも納得が逝くことです。
では、生じるとはどういうことでしょうか。
鳥は卵から生じますが、最初はどうだったのでしょうか。何かが生じるには最初がなければならず、最初は無から生じたと言わざるを得なくなる。だが、そんなことがあるでしょうか、兼好法師の父親が”「問ひつめられて、え答へずなり侍りつ」と、諸人に語りて興じき。”とならざるを得なかった所以です」
「なるほど」
関心したように先生が諾う。
古義斗くんは自信を持って発言を続け、
「純粋に論理・理性に従う限り、「ある」は生じることがないもの(不生)でなければならない。また、「あらぬ」はあらぬのであり、それは考えることすら能わぬ不可知・非知と、パルメニデスは結論づけました。
ならば、「ある」以外があるわけがない(何だか改めて言うと、言うまでもない、当たり前なことになってしまいますが)。この世にあるものは「ある」でしかない。無は存在しない。(まぢで当たり前だ)」
「結構、続け給え」
「はい。
だから、不生で、全体で、全体ゆえに部分がない。生ずるものは滅ぶというが生じてないし、部分がないので、部分的消滅はなく、全体消滅しかないけれども、「ある」が「あらぬ」になることもない。なぜなら、「あらぬ」はあらぬからです。トートロージーのオンパレードです。理性からすればそういうことになります」
先生が補足した。
「ちなみに、ト・エオン(τὸ ἐόν)は「存在する」又は「〜である」という意味だが、別物として扱われることが多いこの二つの概念は、実際、同一だと私は考える。
花瓶である(花瓶というものである)とは、実在であれ、想念上であれ、花瓶という存在ということとイコールではないか。つまり、「ある」の定義は「〜である」にも通ずると考える」
「そう思います」
頷く古義斗くん。
先生は彼を称賛し、
「素晴らしい発表だった。では、次へ進もう。十九ページを開いて。
さて、次はパルメニデスによる感覚(経験)の否定についてだ。
なぜ、彼は否定したのか。
なぜならば、感覚上はものが生じたり滅したりするように見えたり聞こえたり感じたりするからである。生じたり滅したりするということは、「ある」であったり、「あらぬ」であったりすることである。
パルメニデスは 「多様と変化を容認する、あり(有/在)、かつ、あらぬ(非有/不在)と感覚に映る物理現象は、感覚による「ドクサ(臆見)の道」で、誤謬である」とした。非理性的な感覚に拠らず、経験を超えて、理性により判断せよと言ったのだ。
彼は「ある」と「あらぬ」の交わりを否定した。中間中立中庸を否定した。排中律的な考えは、理性的・論理的に基づくもので、知覚できる変動的な物理現象を解脱し、超越的に感覚では捉えられない「唯一、かつ、不動不変」である本質存在を、恐らくは言表した最初の哲学者であると思われる。
彼は運動や変化を否定し、経験・感覚に反する理性を信奉した」
先生は言葉を止めた。
「さあ、どうかな、諸君。どう思うかね。
こう思わぬか。しかし、それは矛盾ではないか、と。「ある」が「あらぬ」と異なる根拠は何か。それは措定された定義であり、その措定の由来、措定の基礎は体験に基づく感覚ではないのか、とね」
皆黙って聴いていた。
誰も何も言えない。
先生は続けた、
「そもそも、理性の源泉は何か。理性の正体は何か、論理は、なぜ、正しさを証明できるのか、なぜ、証明は正しさの保証となるか、どうやって?」
さらに沈黙。
僕は手を挙げた。
「先生、それは僕らにはわかっておらず、ただ、僕らドクサの海に沈没するだけです。それしかありません」
先生は微笑した。拈華微笑のような微笑だった。深海のような深淵だった。
それは、まるで、「あらぬ」。素の存在。無機質で、無表情な、中性で、無性質・無特性、ニュートラルな、何者でもない、無ですらもない真の透明。