魔女と結晶
昔、彼女が虹色に輝く結晶を見せてくれたことがある。花を結晶に変える魔法、それは彼女が開発したものだった。昔から彼女はヘンテコな魔法を発明するのが得意だった。
「きれいでしょ?」
二人で見晴らしのいい丘の草むらに座って、角ばった結晶を手のひらでコロコロと転がした。虹色の光彩を放つこの石ころは何の役に立つのだろうと疑問に思った。
「何の役にも立たないよ」
聞くと彼女はなんてことのない風に答えた。
「魔力がこもっているわけでもない、鉱石的な価値があるでもない。なんの意味もない、ただの石ころだよ」
風がそよぐ。草むらに咲き乱れる花々が楽しそうに揺れる。結晶の原料である彼女が好きな花は、春になると王国中に咲き誇る。
「ただ、きれいなの。本当にそれだけ」
優しく微笑んで結晶を空にかざしている彼女を見て、この笑顔が見れるのなら、結晶にも価値があったなと思う。恥ずかしいから口にはださない。
思えばあの日が、彼女と最後に過ごした穏やかな時間だったのかもしれない。
それから間もなくして、彼女から一方的に別れを告げられた。彼女は、変わってしまった。
「ここもか……」
騎士レイゼルは目の前の光景についため息が漏れた。
王都の城前大通りから少し抜けた暗い路地裏で、人が固まっていた。比喩ではなく物理的に。眼前の人物は歩いている途中で時間が止まったかのように、足を開いて静止していた。体の表面は例の如く、キラキラと虹色に煌めく結晶で覆われている。透けていないので中は見えないが、顔や表情が判別できなくとも、その大きな結晶体は確かに人の形をしていた。人型を模した先鋭的な美術品のようでもあり、元々は人であることを忘れてしまいそうになる。
「ったく、これで何件目だよ」
一緒に巡回していた同僚の騎士、グリスが愚痴を吐く。不真面目な勤務態度が目立つ彼だが、今回ばかりはレイゼルも同じ意見だった。
──あまりにも多すぎる。
今回のように人が突然結晶化する事件が、最近王国では頻発していた。さらに件数も加速度的に伸びており、最初は三日おきに一人程だったのが今では一日に数件、一度に、何人、何十人と結晶になっているケースもあった。
原因は不明、犯人も不明。しかし、王国の住民たちは次々と結晶になっていく。事態を重く見た王国はレイゼルらが所属する騎士団に解決を命じ、騎士団は国外への遠征や魔物の討伐など普段の任務を放棄して、一時的に全人員をこの事件の解決と王国内の警備に割り当てていた。しかし、巡回の効果も薄く、現状、犯人の糸口もつかめていない。それどころか、最近では巡回している騎士すらも結晶化の犠牲になっている始末だ。
「こりゃあ、いよいよやばくなってきたな」
グリスはポリポリと頭を搔きながら言った。
「このままのペースだと、そう遠くないうちに全国民の三分の一が結晶化する。はやくなんとかしないと」
「つってもよぉ、レイゼル。これがなんなのか、まるでわかってないんだろう?魔法なのか、呪いなのか。自然現象なのか、人為的なものなのか。他国が関わっているのか、魔物の仕業か。ここまでされておいて未だになんの解明できてないなんて、王国お抱えの宮廷魔導士様たちはなにをやってんのかねえ」
グリスはコンコンと結晶と化した人を叩く。この結晶はとても複雑かつ高度な術式で構成されているらしく、王国の英知が集う魔導士の中の最高峰、宮廷魔導士ですらあらゆる手法、魔法を試しても、結晶化を解くどころか、その構造すら満足に解明できていない。中の人が生きているのか、無事なのかすらもわからないため、無理やり壊すこともできない。
レイゼルとしても徐々に広まる結晶化現象に焦りを感じていた。幼少期から正義感が強かったレイゼルは騎士団に入団し、自分ができうる限りの正義を尽くしてきた。それは入団から十年の経験を積んだ今でも変わらない。だからこそ、八方塞がりな今回の事件はもどかしい。
「警備を強化したって被害は広がり続けている、このままでは埒が明かないな。グリス、悪いが僕は少し単独行動をする」
「なんだよサボりかあ?」
「一人、今回の件に詳しそうな知り合いにあてがあるんだ」
「んな知り合いがいるんならもっと早く言ってくれよ…………って」
グリスはまさか、という顔をする。そう、そのまさかだ。
「おいおい、それって……あの変わり者の魔女のことかよ」
「……ああ」
彼女が魔女と呼ばれることに不快感を示すがグリスは気づかずに続けた。
「今回の件は宮廷のエリート魔導士達ですらお手上げなんだぜ?あんなドロップアウトした奴になにがわかんだ?」
「わからない。だが、少しでも可能性があるなら、やるべきことはやっておきたい」
理由はそれだけではないのだが、ここでそれを同僚に明かすわけにはいかなかった。
「まあ別にいいけどよぉ、どうかと思うぜ」
グリスは飽きれたように肩をすくめた。
「こんな時にフラれた元カノに会いに行くなんてな」
確かに自分はどうかしている。10年前に分かれた恋人に、今になって再び会いに行こうというのだから。
変わり者の魔女リピア。
彼女は魔導士キャリアの最高峰である宮廷魔導士であり、レイゼルの恋人だった。天才と言われた彼女は最年少で魔導士資格を取り、そのまま、あれよあれよと宮廷魔導士にまで上り詰めた。国の英知が集う宮廷魔導士の中でも、彼女の才能は突出していた。数々の新魔法の考案・開発、不治の病とまで言われた呪いの解呪方法の確立。18歳にして彼女は、王国の魔導士の頂点に君臨していたのだ。
そんな天才で、でも優しくて真っすぐなリピアのことをレイゼルは愛していた。リピアも自分のことを愛してくれていると信じていた。しかしある日、彼女は突然レイゼルに別れを告げた。フワフワとした別れの理由を告げる彼女の様子はどこかおかしかった。同日、彼女は宮廷魔導士も辞職した。理由も不明だった。友人や同僚の間では、未知の魔法にのめり込むあまり、魔法の研究に憑りつかれたのではないかとまことしやかに噂された。
要するに彼女は、華々しいキャリアと人望と恋人をある日突然捨て、一人で毎日研究に没頭している変わり者なのだ。
お互いに18の時に別れてから10年。あれからレイゼルは、リピアと一度も会っていなかった。
彼女の家は王都の校外、そのさらに外れにあった。誰も寄り付かないであろう気味の悪い鬱蒼とした森の近くに、汚れ黒ずんだ木材で出来た怪しげな家。煙突からは常に実験の副産物なのか得体のしれないモクモクとした色のついた煙が出ているため、さらに誰も寄り付かない。そこが近所の住民にもよく知られた、変わり者の魔女が住む家だった。
ドアの目の前に行くと、「キケン。研究中につき、立ち入り禁止」という立て札が取り付けられていた。立て札を無視して「ごめんくださーい」とドアをノックをする。
「……」
返事はない。しかし、中からは物音がするし、煙突からは煙が出ている。誰かがいることは間違いない。続けてコンコンとドアを叩く。またもや返事はない。またノックをする、待つ、ノックをする、待つ、ノック、ノックノック、ノックノックノック……
次の瞬間バアンッと勢いよくドアが開かれ、中から不機嫌そうな顔の女性が出てきた。何か言いたげにこちらを睨んで口を開きかけたが、レイゼルの顔を見るとその空いた口が塞がった。
「…………レイゼル」
彼女のあまりの変わりように、レイゼルはしばらく固まってしまった。高く透き通るような声は10年前となにも変わっていない。レイゼルが驚いたのは彼女の外見だった。
美麗な顔立ちは今も変わらないが、連日徹夜で研究に没頭しているのかサラサラとしていた黄金色の髪は痛んでボサボサ。肌荒れも目立ち、目にはクマが色濃く刻まれていた。年齢のせいだけではないのだろう。在りし日の凛とした姿はそこにはなく、魔女と呼ばれるにふさわしい陰鬱とした女性がそこにはいた。
「やあ、久しぶり。リピア」
しばらくかつての恋人の変貌ぶりに目を奪われていたレイゼルだったが、あわてて言葉を返す。
「……入って」
そう言ってリピアは表情を変えることなく、ローブを翻して家の中に消えていった。お許しが出たので中に足を踏み入れる。
家の中は物が散乱していた。開いた読みかけの本や、よくわからない調合品の素材で溢れている。レイゼルが知るかつてのリピアは綺麗好きで、以前住んでいた家では本こそ大量にあったものの、それらすべてが種類ごとに本棚に整頓されていたし、床に何かが散らかっているところなんて見たことがなかった。この10年で、彼女も変わったということなのだろうか。
「どうしたの?」
声を掛けられてハッとする。
「いやあ、昔と部屋の雰囲気か違うなと」
「ハッ、そりゃあアナタと付き合って頃はいい子ちゃんだったからね」
「今は違うのかい?」
「このなりを見れば分かるでしょう?人気のない場所に住んで魔法の研究に没頭する変わり者の魔女。それのどこがいい子ちゃんなのよ」
こんな風に自虐的な笑みを浮かべるリピアを、レイゼルは見たことがなかった。彼の思い出の中では、いつも彼女は胸を張って堂々としていた。
「それで、この変わり者の魔女になんの用?まさか復縁を迫りにきたんじゃないでしょうね」
「違う。緊急で君に話を聞きたいことがあるんだ。それとその"魔女"という言葉はあまり好きじゃないんだ。止めてくれないか」
本当は事件の相談にかこつけてあわよくば……という思いもなくはないが、事件の原因解明が一刻を争うため今は伏せておく。そういう話は事が解決してからでも遅くはないはずだ。
「呆れた。いちいち冗談を真に受けるところはちっとも変わっていないのね」
ため息をこぼすリピアに昔の姿を重ねながら、レイゼルは今、王国内で起きている結晶化現象のことを説明した。国民の多くが被害に合い、未だに拡大し続けていること。原因は未だ解明できず、犯人どころか手法すら不明ということ、捜査になんの進展もなく、リピアの力を借りたいことを。
全てを話終えるとリピアは少し俯いた。
「この結晶化現象、僕は今回の事件が起こるずっと以前に、一度だけ見たことがある」
目の前のリピアを見据えて言った。
「君が、見せてくれた魔法だ」
そう、確か彼女にフラれる少し前。いつものように新しい魔法を開発したと言ってリピアは綺麗な花を結晶に変えて見せた。二人で草むらに寝っ転がってそれをコロコロと手のひらで転がしていたことを、その時のそよ風の感触すらも、今でも昨日のことのようにレイゼルは覚えている。
「まさか、私のこと疑っているの?」
「疑っているわけじゃない。宮廷魔導士すらお手上げなこの状況では、現状君しか手がかりがないんだ。でももし、君が犯人だというなら」
レイゼルは腰の剣柄に手を添えた。
「僕は君を止めなければならない」
「………………」
緊張と沈黙が場に走る。柄を握る手に汗がにじむ。やがて、こらえきれなくなったかのように、リピアがクスクスと笑い出した。
「ふふっ、本当に呆れたわ。馬鹿らしい正義感も相変わらずみたいね」
「君じゃないのか?」
リピアはひとしきり楽しげに笑ってようやく言葉を返した。
「違うわよ。私はただ研究に没頭したいだけなのに、なんでそんな面倒くさいことしなきゃならないのよ」
「信じていいんだね」
「私が嘘をついたこと、あったかしら」
在りし日々を思い出す。確かに彼女はいつだって真っすぐで、誠実だった。レイゼルは肩の力を抜いて、剣から手を離す。
「……わかった、君のことを信じる。なら、この結晶化現象の解決に協力して欲しい」
「げ、めんどくさーい。……って言いたいけど、このまま私が疑われっぱなしなのも面倒だし、いいわ。分かる限りのことについては教えてあげる」
そう言って彼女は散らかっているテーブルの向かい側に座った。レイゼルも反対側に腰掛ける。
「まず、今回発生している人間の結晶化と君が魔法で作った結晶は同質の物なのか?」
「同じよ。私もつい先日、近所で結晶になった人がいると聞いて調査しに行ったわ。分析の結果、憎たらしいことに私の作った結晶とまったく同じ物質だった」
「結晶化事件のこと、僕が来る前から知っていたのか」
「いくら引きこもりっていっても、情報ぐらいは入ってくるわよ」
「話をもどそう。君の魔法と同じ物質のものなら、この結晶化は魔法によって引き起こされた事件の可能性が高そうだ。そもそも僕たちは、結晶化現象の原因すらわかっていないんだ。自然災害や魔物の仕業なんてことも考えられる。君はどう思う?」
「まず間違いなく人為的に起こされたものね」
「なぜ?」
「結晶化魔法は扱う術式、構成、魔力強度共に高度な技術が必要とされるの。だから扱える人は限られている。とても複雑な魔法だから自然現象ではまず起こり得ないし、魔物の低能な脳みそで発動できるほど単純な構成ではない。人、それも相当な実力を持った魔導士にしかできないことだわ」
なるほど、と納得すると共に、その高度な魔法を18歳の時に作り出したリピアの才能に改めて戦慄する。
「ということは、犯人は高度な魔法を使うことができる魔導士に絞られる、と?」
「宮廷魔導士あたりなんて特に怪しいでしょうね。原因が解明できないってのも、そいつら自身が犯人ならどうとでも言えるでしょうよ」
「動機は?」
「そんなの知らないわよ。今の地位が不満だとか、魔導士の権力を拡大しろとか、そういう脅迫のつもりなのかしらね」
確かに宮廷魔導士達の中にはそういう声を上げる輩もいる。魔法を使える魔導士は人の上に立つ種族だと、彼らは日々訴えている。その理想を実現するために今回の結晶化現象を引き起こしたとすれば、動機としては十分にあり得る話だ。
レイゼルは立ち上がった。急いで調べる必要がある。この仮説が当たっていれば、犯人は王国内部に潜んでいることになる。
「ありがとう、リピア。その線で調べてみる」
「もう帰るの?お茶くらい飲んでいきなさいよ」
「悪いけど、事態は一刻を争うんだ。それに、」
「それに?」
「研究の邪魔になるだろう?」
レイゼルの言葉にリピアはフッと薄く笑った。
「いらない気遣いをするところも変わってないわね」
「……さっきから君は僕が変わってないと言うけれど、本当は君も変わってないだろう?」
「変わってない?私が?」
レイゼルの言葉にリピアは首を傾げる。
「外見や態度は変わっても、中身は僕が知るリピアのままだと今日話して感じた。皆、君が変わってしまったと言うけれど、中身はきっと──」
「口説き文句としては微妙ね」
「い、いや……そんなつもりじゃなかったんだけど……、とにかくもう行くよ」
なんだか居心地が悪くなって玄関に向かう。外にでる直前に、最後に彼女に振り返った。
「リピア。宮廷魔導士に帰ってくる気はないかい?今回の事件が解決すれば国も君の功績を認めるだろうし、なにより君ほどの才能があればこんな辺鄙なとこにいなくても」
「冗談、あんな窮屈なところに戻るつもりなんてないわ」
そうは言うが、宮廷魔導士時代の彼女はとても生き生きとしていた。間近で見ていたのだから間違いない。
「僕には毎日楽しそうに見えていたけど」
「……でしょうね」
少し悲しそうに目を落とすリピアに、なにか声を掛けてやりたいと思うが、もう行かないければならない。外に出て別れを告げる。
「会えてよかった。また進展があったら来るよ」
数歩進んだ辺りで、彼女の声が聞こえた気がした。
「さようなら、レイ」
久し振りに呼ばれた愛称に振り返ると、ドアはもう閉まっていた。
リピアの助言をもとに、レイゼルはすぐさま宮廷魔導士達の調査を開始した。すると、一人の魔導士の持ち物の中から、例の結晶と同じらしき物質がはいった小瓶が見つかった。現状、結晶はいかなる方法を持っても消し去ることができないという。では、その一部を持っているこの魔導士は、犯人ではないのか。
問い詰められた魔導士は知らない、自分の物じゃないの一点張りだった。レイゼルにはその目が本気で怯えているように見えた。次の日、その魔導士は牢獄の中で結晶になっていた。
「ありゃあ誰かに隠れ蓑にされたかな」
同僚のグリスが言う。
「かもしれない」
「それにしてもよくあの変わり者の魔女が協力してくれたな」
確かにそうだ。断られることも覚悟で訪問したのだが、彼女は意外にも協力してくれた。国を守りたいという思いは彼女の中にもあるのだろうか。
「にしても、これで解決だと思ったんだがなあ」
結晶化は想像をはるかに超えるペースで進行していた。
既に国民の半数以上が結晶になり、今では道端を歩けば当然のように結晶化が起きる。人々は外出することを恐れて家に籠るようになってしまったが、それで結晶化を防げるわけでもなし、家の中でも結晶化が多数発生しているため、もはや正確な数は把握できなくなっていた。さらに、国を治めるの大臣らにもその魔の手は伸び、誰がいつ何時結晶になるのかわからない、というのが現状である。国王にも、いつかその時が来るかもしれない。
「とりあえず、リピアに今回のことを報告してくる。」
今や彼女だけが希望だった。
「お熱いねえ、けど」
おちゃらけていたグリスの目が鋭くなる。この不真面目な男も一応、腐っても騎士だ。
「警戒は怠るなよ。結晶化魔法を使える以上、あの女だって犯人候補の一人だぜ」
「大丈夫だと、僕は思う」
「惚れた男は絶対そう言うんだよ」
そう言ってグリスは「気をつけろよ」とレイゼルの肩を叩いた。
二度目の訪問でも彼女は簡単に出てこなかった。最初の時と同じようにノックを何回も重ねるが、反応はない。「僕だ。レイゼルだ」そう問いかけても、応答はない。
外出中だろうか。デリカシーがないのは理解しているが、時間に余裕がないので、勝手にドアを開ける。ドアノブを捻ると、鍵はかかっていなかった。嫌な予感がした。
「……っ!」
散らかった部屋の中の光景に、驚愕のあまり目を見開いた。
前回彼女と話したテーブルの奥、簡素なソファの上に、一つの結晶が横たわっていた。仮眠をとっていたのか、両手は腹の上に置いてある。
「そんな……」
リピア、君も。
少しでもリピアを疑った自分を恥じる、彼女は自分のために協力して、そして犠牲になってしまった。
──さようなら、レイ
別れ際の言葉を思い出す。もしかしたら、彼女は知っていたのかもしれない。こうなることを予期してあんなことを言ったのかもしれない。
わなわなと震える手で、頬にそっと触れる。結晶化が発生したのが眠っている時だったのがせめてもの救いか。結晶に覆われて、もうその表情は見えない。ただキラキラと輝く表面をなぞる。彼女は最期にどんな顔をしていたのだろう。
もう一度、彼女に会いたい。もう一度、彼女の声を聴きたい。
レイゼルは結晶から手を離して立ち上がった。
絶対に犯人を捕まえる。
きっと僕が、君を救ってみせる。
自身の胸の内に固く、心に誓った。
それからも結晶化現象の加速度的に広まりは止まらなかった。道行く人々は次々と結晶になり始め、それを目撃した人が逃げようと距離をとるも途中で固まっていく、まるで集団感染のように結晶化は広まり、遂には国民のほとんどが結晶になってしまった。
今、王国は驚くほどに静寂で包まれている。騎士団には西の方角に異常な量の魔力が検知されたという報告もあったが、もはやそんなことに関心を払う余裕はなかった。
「ここが犯人と思しき者が潜伏している建物だ」
地図を指してレイゼルらが所属する騎士団の長、騎士団長は厳格に言った。
レイゼルは回りを見回す、自分の他に未だ生き残っている団員は、ごく少数だった。
「わかっているとは思うが、今回犯人を取り逃せば、もはや王国に未来はない。全員、死力を尽くして確保にあたれ」
言われなくてもわかっている。それがリピアに立てた誓いだ。
レイゼルはあれから3週間、ほとんど休みなしで調査を続けた。結局、魔導士の中に怪しい者は見つからなかった。
地道な巡回や警備も収穫はなく、焦りが募るばかりであったが、魔力観測所から今まで検知されなかった波長の魔力が市街地から検出されたという報告を受けたときは3日寝ていない体を引きずって話を聞きに行った。
どうやら結晶から検出された成分と似通った魔力がある家屋から発生しているようだ。
国民のほとんどが結晶になったことで犯人がミスをしたのかもしれないし、団員数も残り少なくなって既に半壊している騎士団を全滅させるための罠かもしれない。どちらにせよ、飛びつかないわけにはいかなかった。犯人を捕らえ、魔法を解除させなければ、王国に未来はない。
作戦会議が終わり出撃前に装備品の点検をしていると、グリスが神妙な面持ちでやってきた。悪運強く、彼も生き残った数少ないメンバーだった。
「よぉ。お互い、最後まで残っちまったねえ」
「君は、国王の護衛だったか」
グリスは大柄な上背に巨大な盾を身に着けている。これまた運よく生き残った国王を、誰かが守らねばならない。犯人確保のためには削っていい人員など一人もいないのだが、国王を放置しておくわけにもいかない。城の兵士達はとっくに結晶になっている。ならば、騎士団随一の堅固な守備力を持つグリスはそれにふさわしい。といっても今回の場合、魔法相手にその盾がどこまで役立つのか、不安ではあるが。
「守りは頼んだぞ、王の命は君にかかっている」
「あいよ」
グリスは立ち去らなかった。まだなにか言いたげな様子だ。
「どうした?」
「いや、変なこと聞くけどよ……お前、犯人は憎いか?」
彼らしからぬ繊細な質問に首を傾げる。
「私情を職務に持ち込むわけにはいかないが、それでも恨みがないかと言えばウソになる。」
レイゼルは両親も妹も、そしてリピアも失った。その元凶である犯人をどうして許せようか。
「……だよな」
「君は、違うのか?」
そう聞くとグリスは首を振って否定した。しかし、その動きもどこか弱々しい。
「いや、勿論俺だって許せねえ、女房もガキも、訳の分からねえ魔法の餌食になっちまったんだ。見つけたら殺すまでぶん殴ってやりてぇよ。でもよ、」
「でも?」
「変な話だけどよ、なんか、自分があーゆ風に、固まって動かなくなっちまっても、不思議と受け入れられるような気がすんだ」
そう語る彼の目をは穏やかで、ともすれば重い病を背負った死を受け入れる患者のようにも見えた。
「楽になれると……?」
「さあな、そこまではわからねえ」
「気をつけろよ」といつものように肩をポンポンと叩き、グリスは去っていった。
彼の背を見ながらレイゼルは考える。恐らくグリスが感じていることを生き残った皆も少なからず思っているのだろう。国民が次々と結晶になっていく異常事態。次から次へと、周りの人達が自分を残して結晶となっていく。次は自分の番なのか、いつ自分は犠牲になるのだろう。そんな恐怖に疲れ切った人々は、終焉を前にしてそれを受け入れるために、本能的に心の準備をしているのかもしれない。
それを知っていて犯人は、わざと自分達を追い込んでいるのだろうか。そもそも、なぜ自分達騎士団の生き残りと国王だけは結晶化を免れているのだろうか。犯人の目的は間違いなく全国民の結晶化だろう。だとすればなぜ、一気に全ての人間を結晶にしないのだ。疑問はどんどん湧き上がってくるが、その答えはもうすぐ嫌でも分かる。犯人に直接聞けるのだから。
その建物はあろうことか王都の中心部からかなり近い場所にあった。城へと続く大通りを小道に曲がり、少し歩くと見えてくる小さな噴水のある四角い広場、その右隅の建物が目的の場所だった。かつて、子供達が走り回っていたはずの広場にはもう誰もいない。ただ結晶がぽつぽつとあるだけだった。
「ここだ」
騎士団長が足を止めた。
ドアの前でしゃがみこんで様子を伺う。窓から様子を除いたが、人影や物音の気配はなかった。
「合図をしたら突入するぞ」
生き残った最後の騎士達はうなずく。先頭に新米のニル、二番目にレイゼル、三、四番目と続き最後尾に騎士団長の列だった。
「行けっ」
合図とともにニルが勢いよく扉を蹴破る。木製の扉はバリバリと砕け、5人の小隊は怒涛の勢いでなだれ込んだ。
室内には誰もいなかった。長年使われていないのか家具や床は埃にまみれていた。
「クソっはずれか……!」
そう言って悪態をついたニルの足元に急に魔法陣が発生し、次の瞬間、ニルは結晶になってしまった。
「ニル!くそっ全員固まれ、背中を預け──」
言い終わる前に魔法陣が立て続けに2つ発動し、新たに二人が結晶になる。
罠だ。
やはり犯人は狡猾にも、自分達を一掃するために、ここへ招いたというのか。
そう考えている間にも魔法陣が自分の足元に発生した。もはやこれまでか、と思った次の瞬間。すごい勢いでレイゼルは投げ飛ばされた。窓ガラスをぶち破り、外へと転がる。顔を上げると団長と、足元には魔法陣が──。
「レイゼル!城へ戻れ!犯人の狙いは我々の一掃と、警備が手薄になったこくお──」
団長が完全に結晶化する前にレイゼルは走り出していた。そうか。魔法はどうやら遠隔では使えない。犯人は直接国王の元に出向き、結晶化させるつもりなのだ。
間に合うか。鎧を揺らしながらレイゼルは城へ急いだ。もはや街中に彼以外の住民は存在しなかった。
大通りを駆け王城に向かう。途中で魔導士の男がこっちに走って来た。
「あいつが、あいつが犯人だった!あ、あいつが!」
「落ち着け、誰だ!」
答えを言う前に男は結晶となった。
城は静かだった。もはや動いている人間などいない。人型の結晶が乱雑に鎮座しているだけだ。
階段を駆け上がり、大広間を抜け、王のいる玉座の扉を開けると、そこには玉座に座った王であろう結晶と、その前に立つ人物一人。
「グリス」
よく見知った後ろ姿に呼びかける。
「よう、レイゼル」
同僚の騎士が背中越しに、返事をする。
「はやく、逃げろ……」
そう言ってグリスの周りをゆっくりと結晶が覆っていった。
訳が分からず呆然としていると、どこからか、カツンカツンというヒールの音が玉座の間に響き、暗闇から人影が出てきた。
「みーんな結晶になっちゃったわね」
その場にそぐわない嫌に明るい声で、リピアがそう言った。まるで本物の魔女のように邪悪な笑みを浮かべながら。
「君だったのか……」
「騙して悪かったわね」
「家にあったあの結晶は、もしかして、」
「そ、別人よ。チープなトリックだけど、意外と騙されちゃうものでしょ?」
確かに結晶になってしまうとその中身は見ることができない。しかし、変わり者の魔女として偏見の目で見られていた彼女の家に、別の人物がいるとは思いもよらなかった。まんまと騙されたわけだ。
気づけば剣を抜いていた。かつて愛した者にその切っ先を向けるなんて、思いもしなかった。
「どこまでも正義感が強いのね。そういうとこ好きよ」
「教えてくれ、君がなんでこんなことをしたのか」
「嫌気がさしたのよ」
魔女は静かに語った。
「誰も私を正当に評価してくれない。誰も私を認めてくれない。最高峰の魔導士が集まる宮廷魔導士すらも、やってることは私から見れば子供が文字を覚えるような児戯にしか見えなかったわ。そんなやつらに私の才能を理解できるわけがない。うんざりだったのよ。私に優しくないこの国に、この国の人々にね」
「そんなことのために……!」
「町中を火の海にしてやることもできたわ。でもそれじゃあつまらない。せっかくだから綺麗なものにしたかったの。私が虹色の結晶が好きだったの、知ってたでしょ?」
「結晶になった人たちは生きているのか」
「ええ、意識はないけど、ちゃーんと生きてはいるわよ。結晶を砕いたりしない限りね」
レイゼルは切りかかろうとした、しかし、その足はもう動かなかった。足先が虹色の結晶で覆われていた。
「そんな……」
「さようなら、元恋人のよしみであなたは最後にしてあげたのよ、感謝してよね」
パキパキとひざ元まで結晶が迫ってくる。
「この後はどうするつもりだ……独りになった世界で、君はどうする」
リピアは答えなかった。
もう喉元まで結晶は迫っていた。最後に彼女を止めるために何か言うべきだと理解していたが、出てきたのは突拍子もない一言だった。
「リピア、愛してる」
彼女は少し驚いた顔をした後、にっこりと昔にもどったような優しい笑顔を浮かべて、既に結晶になったレイゼルの頬にやさしく触れた。それが、レイゼルの見た最後の景色だった。意識が闇に包まれた。
「お休みなさい、レイ」
そんな声がどこかで聞こえたきがした。
時は流れ、昼と夜が何百回も繰り返された。そして、固まった王国に何度目かの春が訪れた時、今までびくともしなかった結晶がポロポロと崩れ始めた。
人々は砕けた結晶の中から這い出て空を見上げる。何年も経っているというのに体は元のまま、意識も寝ていたように一瞬だった。
親しい者達の無事に喜び合う人々をしり目に、目覚めたレイゼルは、リピアを探す。春の花が咲き乱れる王国のどこにも、彼女の姿はなかった。
彼女は今、どこにいるのだろうか。
「お休みなさい、レイ」
10年前に彼と別離したあの日と同じように、精一杯の優しい声で、最愛の人に別れを告げる。
まだだ、まだ笑顔を絶やしてはいけない。結晶となったレイゼルを撫でて、リピアは泣き崩れそうになる自分を叱咤する。やがて、結晶が完全に彼の体を覆いつくして、ようやく解放されたように、リピアは床にへなへなと座り込んだ。やった、自分はやり遂げたんだ。
玉座の間には結晶となった人間が3つ、そこに、いや国中に残った動けるも人間は、もはやリピア一人だけだった。
ごめんなさい国王様。ごめんなさいグリスさん。ごめんなさいレイゼル。
心の内で彼らに詫びる。この計画は、自分一人でやり通さなければならなかった。自分だけが悪者にならなければならなかった。
よろよろと立ち上がり、玉座を出る。城の外に出て、青く澄み渡った青空を見上げた。静かな風がそよぐ、静寂な、本当に静寂な空気。
西の空を向くと、青空を飲み込むように、禍々しい巨大な黒い渦が迫ってきていた。あれはどす黒い魔力の奔流。魔と呪いと汚染された空気が混ざり合ってできた、魔界から流れてきた闇の渦巻く強大なエネルギーの塊。あれに巻き込まれれば、人間は間違いなく死に至る。
その存在を、リピアは知っていた。リピアだけが知っていた。
未来視魔法。
それは10年前、彼女が新たに作り出した魔法だった。彼女は順調に宮廷魔導士としてのキャリアを積み重ね、恋人のレイゼルと共にあった。当時、18歳という若さでリピアは既に王国随一の魔導士として名が知られていた。解呪不能と呼ばれた呪いを解呪し、いくつもの新魔法を開発した。誰も、同じ地位に在籍する他の宮廷魔導士たちですら、彼女の理論を理解することができなかった。王国誕生以来最高の魔導士とすら呼ばれていた。
そんな彼女にとって、未来視魔法は自分が新たに作り出した、数ある魔法の一つに過ぎなかった。だが……。
そこで彼女は見た。10年後に迫りくる災厄を、街は闇に呑まれ、人々は死に絶え、国は滅びる。終末の訪れを。
だが同時に、希望も見た。未来視魔法はあらゆる可能性を持つ未来を映し出す。何百、何千という未来の中で唯一、国中の人々全員を救い出せる方法。それが結晶化魔法による凍結化だった。
それもただの結晶ではない。彼女の作った花の成分を利用して培養するその魔法だけが、迫りくる闇の瘴気に耐え得る。
それを知ったとき、リピアは嬉しかった。なんの価値もない綺麗なだけの石ころが役に立てる、皆を守れるのだ、と。
しかし、現実はそう簡単ではなかった。未来視魔法はその結果に至るまでの道程をも映し出す。
それは、長く、辛い道のりだった。結晶化魔法を人体に作用させ、なおかつ中の人間を保護して時間経過と共に解凍させる。群を抜いた天才であるリピアにとってもそれは、現代の魔法技術の水準においては不可能のように思えた。これから、あの暗雲が国に衝突する10年後までに、自分は全てを捨てて研究に打ち込まなければならない。寝食を忘れるほどに研究に没頭しなければならない。自由な時間を捨て、宮廷魔導士という華々しいキャリアを捨て、友人との時間を捨て、恋人と過ごす温かな時を捨てる。文字通り研究以外の全てを捨てて、魔法の完成は災厄の到達前にぎりぎり間に合う。
もっと早くにこの魔法を開発できていたら。彼女は少し後悔した。それならば、自分がこんな犠牲を払う必要はないだろうにと。
今までの自分の人生を振り返る。何一つ不自由はなく、全ては満たされていた。その幸福に満ち満ちた空間を自らの足で出ていかねばならない。
迷ったのはほんの数秒だった。リピアは己の人生を捨て、迫りくる暗黒の災害に立ち向かう決心をした。
自分だけが知っている迫りくる不幸を前に、見て見ぬふりなどできない。それになにより、リピアは綺麗なものが好きだった。自分をここまで育ててくれたきれいな王国、見守ってくれた優しい人々、愛する恋人を守りたかった。もはや彼女の目にそれは選択ですらなかったのだ。
彼女の行動は早かった。まず、自分を愛してくれたレイゼル別れを告げた。胸が痛んだが、涙がこぼれないよう精一杯明るく務めた。
さようならレイ。大好きな愛しい人。
呆然とする彼の前から足早に去った彼女は、家に帰ると大粒の涙を流した。それが、彼女が最後に泣いた日だった。
翌日、すぐさま宮廷魔導士の職を辞め、王都に近かった家を引き払い、誰にも邪魔されないよう人気のない場所に引っ越した。それからはただひたすらに研究に没頭した。
そして10年の歳月を文字通り研究に費やし、ようやく、魔法は実用化の域までこぎつけた。
この十年でリピアの容姿は大きく変わっていた。髪は手入れなどせずに伸びっぱなし、目には大きな隈が刻まれ、最低限の栄養摂取以外はしなかったため、顔はやせ細っていた。人の目を惹いていた美貌は変わり者の魔女という噂そのままに近寄りがたいオーラを放っていた。それでも、中身はあの時と少しも変わっていない。
リピアは久々に鏡で自身の姿を見た。18歳の若き才女は妙齢の女性へと変じていた。同世代のかつての友人達はきっと家庭を持っていることだろう。そして、レイゼルもきっと。
胸に宿る後悔を無理やり振り払う。これでよかったのだ。自分が犠牲になることで、国は救われる。その覚悟を貫いて、努力を重ねてきたのだから。
そして今、遂に計画は完遂した。あとは黒い瘴気が王国を取りすぎれば、時間差で人々は結晶から元に戻る。いつもの日常が返ってくる。
風が吹き荒れ、漆黒の渦巻く闇が町に近づいてくる。徐々に生気が薄れていく。
結晶化魔法唯一の欠点。それは自分自身は魔法の効果対象に選べないこと。
最初から分かっていたことだった。自分の命がここまでだということは。
だからあえて悪者を演じた。真実をしった皆が、罪悪感を持たなくていいように、レイゼルが、自分を忘れて前に進んでくれるように。
寒くもないのに手がかじかんできた。闇の根源はもう、すぐそこまで来ていた。視界が真っ黒な瘴気で覆われていく。それでもリピアは微笑んでいた。
この選択に後悔はない。でも、でもね、レイ。
最後の彼女は思う。
最初にあなたを振ったことだけは、ちょっとだけ後悔しているのよ?
やがて闇が王国中を飲み込んだ。リピアは微笑みながら闇の奔流に姿を消していった。一筋の透明な筋が最後の彼女の目元から流れた。
この事件からその後数百年、彼女の功績が理解されることはなかった。
未来視魔法や結晶化魔法など、当時の魔法技術水準では到底不可能であった魔法を彼女はたった一人で開発していた。これらの魔法は、現在におけるまで、未だ再現するに至っていない。
天才と呼ばれた彼女はたった一人で国を滅ぼし得る災厄と戦い勝利した。しかし、その代償として彼女は命を落とし、結晶化から復活した人々はあの魔女にやられたと彼女を糾弾した。
命を失ってなお、彼女は国を滅ぼしかけ、まんまと失敗した大罪人として歴史に汚名を残した。ただ一人の騎士が意義を唱えていたようだったが、結局世論が覆ることはなかった。
未来を知った一人の魔導士は、その結末を知ってなお、己の人生を捨てて、全てを欺き、国を救ったのだ。
彼女が愛した綺麗な王国は、今もその美しさを変えずに、繁栄を続けている。春にはまた、結晶の原料となった花が国中に咲き誇るだろう。
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