第26話 病
転送魔法での生き物の移動に関しては、相変わらず上手くいっていないらしい。しかし、美陽姉には以前のような思い詰めた様子は無かった。花火やらなにやらが良い気分転換になったんだと思う。俺もその一役を担っていたのならいいなぁ。
そんなある日、とある依頼を終わらせた俺たちがギルドへ報告に行こうとしたところで、見知った人物を見かけた。
「美陽姉、あの人って」
「セディさんだね、薬師の」
そうだ。俺が初めて猪モドキと戦った時の依頼主でもある薬師の女の子だ。あの後も何度か依頼を受けたこともある。
「また薬草採取の護衛の依頼かな」
「それにしては様子が……」
セディさんは急いだ様子でギルドへと入っていった。その顔には気の所為か焦りの表情が浮かんでいるようだった。
とりあえず俺たちもセディさんに続くようにギルドへと入っていった。
ギルドへ入るとセディさんは受付にいた。やはり依頼の申請なのだろうか。丁度俺たちも報告に行くため受付へと向かった。
「セディさん、申し訳ありませんが、この依頼はお受けできません」
「どうしてですか!!」
なにやら様子がおかしい。薬草採取の護衛の依頼ではないのだろうか?
「どうしたんですか? フローネさん」
美陽姉が二人の間に割って入っていく。こういうところは美陽姉は本当に凄い。
「あっ、ミハルさん。それが……」
受付のフローネさんが困った顔でセディさんの方をちらりと見る。
「そうだ、ミハルさん、この依頼、受けて貰えませんか!」
あろうことかセディさんはギルドを無視する形で美陽姉に直接依頼をお願いしようとしていた。勿論ギルドを通さずに依頼を受けることは違法ではないが、ギルド内でそれをやるのは少し憚られるところだ。しかしセディさんは全く気にした様子も無く美陽姉に詰め寄っている。やはり何か変だ。
美陽姉はセディさんから依頼の申込書を受け取って、内容を確認している。俺も横目で見てみる。未だこっちの世界の文字は覚えている最中ではあるが、薬草採取は何度か受けているので字面で判断出来た。どうやら今回も薬草採取の護衛の依頼のようだ。ならばなぜギルドは受付られないというのだろう?
「これは……」
美陽姉も何か困惑している表情を浮かべている。美陽姉から紙を受け取った美月姉も同様だった。
「セディさん、これは私たちでも受けられないわ」
「何で!?」
「先日、この場所でブラッディベアの目撃情報が入ってきたの」
「!」
セディさんの表情が一瞬で曇る。ブラッディベア。俺も美陽姉から教えてもらった。熊が瘴気を取り込んで魔物化したやつだ。外見は普通の熊と殆ど変わらないが、一点だけはっきりと違う部分がある。体毛が赤黒く変色していて、まるで獲物の返り血を浴びたような姿からその名が付いたとか。性質は狂暴そのもの。普通の熊なら熊鈴などで逃げていくこともあるが、こいつは逆に襲い掛かってくるらしい。近距離で出会ってしまったら、高ランクの冒険者パーティーや訓練された兵士たちでもなければ死を覚悟しなければならないほどだとか。
「でも、それなら冒険者に依頼すれば――」
勿論お金は用意する、とセディさんは言葉を続けたが、美陽姉が首を横に振ってセディさんの言葉を否定する。
「ブラッディベアはもう退治されたわ」
幸い、今回発見された場所は近くに村や集落などないらしいが、それでも近隣の村にいつ被害が及ぶか分からないと判断した王国が兵士を派遣し、ギルドと高ランクの冒険者と協力して、なんとかブラッディベアを退治したらしい。
「じゃあなんで!」
「退治したとはいえ、まだ現場は他の個体がいないか確認している状態で立ち入り禁止になっているわ。それより問題なのは、この時の戦闘で冒険者パーティーの魔法使いがこの辺りを焼け野原にしてしまったということよ」
俺も少しだけそのあたりの話を聞いた。幸い死者こそ出なかったものの、何人もの負傷者を出す厳しい戦いだったらしい。その中で魔法使いの炎系の魔法はブラッディベアにかなりのダメージを与えたらしい。その魔法使いの活躍が無ければ死者が出ていたどころか、下手をすれば全滅の可能性もあったとか。
その代償というのか、辺りの草木はほぼ燃やし尽くされてしまったという話だった。当然、セディさんが求める薬草も灰になってしまっているだろう。
「そんな…………」
セディさんの顔が絶望の色に染まり膝から崩れ落ちた。余程ショックだったようだ。だけど、薬草が手に入らなくなっただけで、ここまで悲嘆するものだろうか?
「じゃあアレックは、アレックはどうすれば……」
セディさんが譫言の様に呟く。アレック? 誰だ?
「アレックはセディさんの恋人よ。婚約者と言っても良いかも」
美陽姉が俺にそっと耳打ちしてくる。
「アレックさんがどうしたんですか?」
美月姉がセディさんに尋ねる。セディさんがこれだけ動揺しているということはひょっとして……。
「アレックが今朝倒れて、お医者様の見立てではヤーノ病だと……」
ヤーノ病? 聞いたことがないな。美陽姉を見ても首を横に振っている。美陽姉も知らないのか。
「ヤーノ病はこの季節に時々罹る人がいる病気です。高熱と疲労感に襲われてしまいます。薬があればすぐに治るんですが、無い場合は……」
フローネさんが俺たちに分かるように説明してくれたけど、その続きは、まさか。
「熱が出てから二日くらいで、そのまま亡くなってしまうわ」
セディさんがフローネさんの言葉の続きを発した。でも薬があればすぐに治るんだよな。
「薬が無いの?」
「薬の材料となる薬草が一種類だけ在庫が無いんです。その薬草を採りに行こうと依頼をしにきたんです」
それで断られたという事か。
「他の薬師さんのところは?」
「この街の薬師のところはみんな在庫が無いんです」
「どうしてそんなことに? 珍しい薬草なの?」
「生育地は少ないですけど、それほど珍しくは無いんです。ただ、その薬草を別の薬に使ってしまったんです」
それだけ聞いて美陽姉と美月姉は合点がいったようだった。どういうことだ?
「つい最近、この街の東地区の方で大きな流行病が起きたのよ。多分その治療に使うためにたくさんの薬が必要だったんだわ」
美陽姉の言葉を聞いてセディさんが声も無く首肯した。どうやらその通りらしい。
「他の生育地は?」
「一番近いところで山向こうなんです。馬車でも往復に二日はかかってしまいます」
美月姉がフローネさんから地図を借りてきた。セディさんが生育地を指し示す。
「直線距離でも八十キロってところか。山越えとなると……、どうしても往復で二日はかかるわね」
すでに発症から半日は経っているから、それでは間に合わない。
俺はそっと美陽姉に小声で聞いてみた。
「美陽姉の治癒魔法でなんとかならないの?」
「無理よ。せめて薬があれば、それを解析して魔法を作れるかもしれないけれど、どんな病気かも分からない状況では治療出来る魔法は作れないわ」
駄目か。ゲームのようには都合良くいかないということか。
「他の街はどうだ?」
「厳しいわね。馬を潰すつもりで飛ばしたとしても、着く頃には街の門は閉ざされているわ。朝になって門が開いてから薬草を調達して新しい馬も調達してとなると……」
駄目か。何か良い方法は無いのか? こうしている間にも時間はどんどん過ぎていってしまうのに。
ふと美月姉と目が合った。俺には分かった。いや俺だけにしか分からないだろう。美月姉には何か考えがある。でも、それを言う事が出来ないでいる。そんな顔をしていた。
何だ? 美月姉は何を躊躇しているんだ。多分問い詰めても答えてはくれないだろう。答えられないから、今この状況でも何も言わないんだから。
…………ああ、そうか。そういう事か。美月姉が考えていたことが分かった。確かに美月姉は言い出せないだろう。
なら、俺が泥を被れば良いだけの話だ。いや被ることはないだろうと確信している。
俺は未だ項垂れているセディさんに近づいていく。
「セディさん、俺に考えがある。聞いてもらえないだろうか?」
続きは明日、更新する予定です。