第2話 異世界転移
ベッドに横たわりながら、俺は少し前の事を思い返していた。
俺は都内に住む普通の高校生だった。父親は商社に勤めるビジネスマンで去年から海外赴任をしている。母親はそれに付いていった。高校入学も決まっていた俺は日本に残ることに決めた。
一応、一通りの生活能力はあったが、家族ぐるみの付き合いのあった隣家、真田家に殆どお世話になっていた。美陽姉、美月姉は、真田家の美人姉妹で俺の一個上の幼馴染だった。
同じ学校に通っている俺たちは、ほぼ毎日一緒に登校していた。美人姉妹と行動を共にしている平凡な俺に対してやっかみも結構あって、俺は一緒に登校するのを避けようとしたのだが、悲しそうな表情をする姉妹に屈する形となった。
いや、正直に言おう、美人姉妹と一緒に登校出来るのはやっぱり嬉しいものだ。多少のやっかみなんて大したことは無い。だけど、素直にそれを認めるには少々気恥し過ぎた。なので二人に屈したという体を取っただけだ。
そんなある日、いつものように三人で登校していた時のこと。俺を中心に地面に魔法陣が現れた。次の瞬間、魔法陣が光り輝き、俺はその中へと吸い込まれていき、意識が遠のいていった。
目が覚めた時、俺は全く違う場所で寝ていた。鞄を枕にし、学生服の上着は脱がされていて毛布の様に身体に掛けられていた。
周囲を見渡すと一面の草むらだった。少し離れた場所には森のようなものも見える。まるで小さいころ遊びに行った婆ちゃんちの様だった。少なくとも近所にこんな景色の場所は無い。人影も見当たらない。どうやら俺一人らしい。
いや待て、俺一人だとすると、誰が鞄を枕にしてくれたんだ? 上着を掛けてくれたのは? 俺が疑問に思ったところで、ふいに声を掛けられた。
「おっ、大地、目が覚めたみたいだね」
「大地ちゃん、大丈夫? 痛いところは無い? 気持ち悪いとか?」
「う、うん。大丈夫、どこもおかしいところは無いよ」
「そう。良かった」
見知った顔を見つけたことで、安心したのか、少し冷静になれた気がした。そして二人に尋ねた。
「えっと、二人はどこに行ってたんだ? ここは一体?」
「うーん、私たちにも分かんない。とりあえず周囲の様子を見てきたところ」
「少なくとも、近所ではないことは確かね。それどころか日本じゃないかも」
「えっ?」
美月姉の答えに素直に驚いた俺に美月姉は言葉を続けた。
「だって、電線一本無いなんて、日本じゃ考えられないでしょ」
「そうだね、それに人っ子一人いないってのも不自然だよね」
「えっと、北海道の山奥とか?」
「北海道には行ったことないけど、少なくとも平地で全く人工物が無いところなんて無いんじゃない?」
「……そうかも」
俺も北海道には行ったことないから判断は付かないけれど、美月姉の言葉には説得力があった。
「ねえ、これってあれじゃない、今流行りの「異世界転生」ってやつ」
「生まれ変わった訳じゃないから「異世界転移」ね」
「何を馬鹿な事を……」
二人が出した答えに呆れながらも、俺はあることを思い出していた。そう、俺の周囲に現れた魔法陣だ。魔法陣なんて、俺の世界ではありえない。するとやっぱりここは異世界なのか?
でも、もし仮にあの魔法陣が召喚魔法の魔法陣だとしたら、召喚主がいるだろう。美人のお姫様だったり、美人の巫女様だったり、美人の――
そこまで考えたところで俺は大事な事を思い出した。あの魔法陣は俺を中心に現れたはずだ。という事は……
「なあ、ひょっとして、俺、美陽姉たちを巻き込んだ?」
「うーん、そうと言えばそうなのかな?」
「ううん、違うわね。正確には、私たちが大地ちゃんについていったのよ」
「そうだね。魔法陣に大地が吸い込まれそうになったから、慌てて二人で大地を掴んだんだよ。で、気が付いたらここにいたって訳」
「そう。だから巻き込まれたというよりは、私たちが自分たちでついてきたのよ」
(大地ちゃんが気にすることではない)と言外に仄めかしている事は分かっている。が、だからと言って全く気にしないなど出来るはずもない。
二人を無事に元の世界に還すことが俺の中で最大の、そして最優先の目的になった。
それから俺たちは、あてもなく歩き続けた。とりあえず何かを見つけたかった。しばらく歩くと舗装こそされていないものの、整備されている街道らしき道にたどり着いた。どうやらある程度の文明を持った存在がいるらしいことは分かった。更に街道を歩いていくと幸いな事に、街へと向かう商人たちの一行に出会えた。
とりあえずこの世界の人たちは一見する限りでは俺たちとあまり変わらない姿形をしているようだ。異世界転移の決まりでもあるのか、何故か言葉も通じた。が、文字は読めなかった。
美陽姉と美月姉は商人たちと交渉し、俺たちの着ている服や持っていた私物を水や食料、そしてこの世界のお金に換えた。当座の生活費には困らないようだ。
商人たちに同行させてもらうことになり、その間にこっちの世界の事を色々と聞くことが出来た。やっぱりここは異世界のようだった。地名は聞いたことないものばかり。移動手段も馬車だし。スマホも見たことが無いらしいし、異世界なのは間違いない。
何事もなく街に辿り着いたところで、商人の一人が声を掛けてきた。恰幅の良い一見すると人の良い感じの中年男性だ。
「既に名乗りましたが、改めて、マーロン商会の代表を務めるマーロンです。宜しければ我が家へ来ませんか?」
「ありがたいお話ですが、宜しいのですか?」
「声を掛けたのはこちらです。勿論ですよ」
美陽姉たちが行くと決めた以上、俺に否は無い。判断能力は二人の方が優れているのは確かだ。
マーロン商会の馬車に揺られて着いた先は、それなりに大きい家だった。門には門番らしき人も立っている。馬車から降りて家の中へと案内された。応接室らしき部屋でお茶まで出してもらうほど歓待された。
「なあ、なんか逆に怪しくないか?」
流石に訝しんだ俺は美陽姉たちに話しかけた。
「うーん、大丈夫じゃないかな。悪い人じゃなさそうだし」
「そうね、それに大きい商会を営んでいるってことは機を見るに敏って事なんでしょうね」
「そうだね」
「えっ、それってどういう――」
疑問に思って尋ねようとしたところで、扉が開いた。旅装から着替えてきたマーロンさんだ。
「お待たせして申し訳ございません。如何ですか? お寛ぎいただけてますでしょうか?」
「ええ、お茶も美味しいですし、雰囲気の良いお部屋ですね」
こういったよそ行きの対応は美月姉の十八番だ。任せるに限る。
「さて、早速ですが、皆さまのこれからについてご相談があるのですが」
「ちょっと待ってください」
話を遮るように声を掛けてしまった。本来なら俺より頭の良い美陽姉たちに任せるべきなんだろうけど、どうしても気になってしまった。
「何で、見ず知らずの俺たちにこんなに親切にして下さるんですか?」
我ながら馬鹿な質問をしたと思う。聞いたところで正直に答えてくれる保証もないというのに。
マーロンさんは俺の目をじっと見つめてきた。流石に大商会を束ねる大人物だ。俺のような若僧の考えていることなど全て見抜かれているような気がする。
浮かべた笑みを絶やさずマーロンさんは俺の問いに答えてくれた。
「ダイチさんでしたな。簡単な事ですよ。貴方たちに商機を感じたからです。差し支えあれば答えて下さらなくても結構ですが、お三方は異世界の方ではありませんか?」
マーロンさんの指摘に俺は動揺を隠せなかった。美陽姉たちを窺ってみれば俺とは違って落ち着いていた。まるでマーロンさんの質問を初めから分かっていたようだった。
「慌てずとも大丈夫ですよ。実はあまり大っぴらにはなってはいませんが、以前にも異世界から来た人がいたんですよ」
マーロンさんの言葉にかなりの衝撃を受けた。俺たちの他にも異世界から来た人がいる!
「驚きましたかな? ですが、そちらのお二人はあまり驚いてはいらっしゃらないようですね」
「何となくそんな気がしてました」
「そうね。マーロンさんの対応からそうじゃないかと思ってましたわ」
「えっ!?」
美陽姉たちの言葉に驚く俺。えっ、何で?
俺の疑問に答えるように美月姉が理由を話す。
「私たちの服や私物を見て、何か思い当たるものが合ったご様子でした。それに対価としてもこちらの想定以上の値で取引してくださいました。多分、以前にも同様の事を経験したか、あるいは知っていた。そう判断しました」
美陽姉も同意するように頷いている。全然分からなかった。
「お見事です。ここだけの話にしてもらいたいのですが、実は父の代に似たようなものが取引されているのを見た事があるのです」
「やはりそうですか。で、その時の異世界の人というのは?」
「残念ながら、そこまでの事は存じ上げないのです。取引されている商品を見た事があるのと、それを異世界から来た人が売りに来た。という事しか知らないのです」
マーロンさんが嘘をついているようには思えなかった。美陽姉たちも同じように思っているようだった。
「そういうわけで、是非、皆さんとお取引がしたいと、こうしてご招待した次第です」
「ですが、私たちには、もう売れるものは殆どありませんよ」
ここに来るまでに、殆どの物は水と食事とお金に換えている。それはマーロンさんも承知していると思ったのだが……
「いえ、私が欲しているのは、あなたたちの知識です。すでに売っていただいた服や鞄ですが、素材は何で出来ているか想像もつかない。更には縫製技術もとても素晴らしい物でした。とても人間業とは思えない。恐らくあなたたちのいた世界はこちらよりもはるかに技術が進んだ世界だと判断しました。その技術の一端でもお教えいただければ、かなりの商売になる」
そう言って微笑むマーロンさんの顔は確かに大商会の代表という感じであった。
「お話は分かりました。ですが、即答は控えさせていただきます」
「まあ、そうなるでしょうな。より良い返事を期待しております。とりあえず、これから住むところ
などのお世話など致しましょうか?」
「そうですね。右も左も分からない状況ですので、お言葉に甘えようと思います」
それから、マーロンさんのご厚意で商会が持つ貸家の一つを格安で借りられることになった。生活に必要な日用品や家具も揃えてくれるらしい。向こうにも利があるという事なのだろう。
「それと一つお尋ねしたいのですが、この世界には冒険者という職業があるんですよね?」
「はい。この街にも冒険者ギルドがございます。もし、登録されるのであれば、先に神殿に行ってみてはいかがですか?」
「神殿ですか?」
「はい。冒険者の中には神から与えられた能力『ギフト』を持つものがいます。神殿ではその『ギフト』の有無、そしてどんな能力なのかを調べる事が出来るそうです」
ギフトか…… ラノベなんかによくあるスキルみたいなものか。なんか楽しそうだ。
「分かりました。せっかくですので神殿に行ってみようと思います」
「そうですか。では案内の者を付けますので、しばらくお待ちください」
こうして俺たちはマーロンさんのお屋敷を後にした。