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アスタリスクを五線譜に*  作者: kisaragi
第一楽章 檸檬音階
3/27

開幕 もう一つのプロローグ

 

 所変わって同時刻。

 場所はフランスの田舎町。


 日本についての知識としては極東にある文化的に進んだ島国。


 それがフランスのマルティニー(Martinique)に住む少女アイリス・クリスティーヌ( Iris・Christine)はある日衝撃を受ける。


 その日も家の近くの高台でトランペットを吹き家に帰ればいつも朝食を食べに来るセレスタン・ラガルド( Célestin・Lagarde)は嬉しそうにアイリスに飛び付いた。


 父の仕事仲間。オーケストラの指揮者のセレスタンとトランペット奏者の父は親友だ。

 やれやれ朝食もそこそこにセレスタンは父、ダヌマルク(Danemark)と楽しそうに食卓の上、スマホを二人で楽しそうに眺めている。


 アイリスには興味がないので黙々とベーコンエッグを食べていると父はアイリスにそのスマホを手渡す。


「聴いてみなさい。すごいぞ」


 聴いてみなさい?

 アイリスは首を傾げる。プロのトランペット奏者の画像だろうか。仕方なくアイリスは画像を再生する。


 その瞬間。アイリスはぽろりとフォークを食卓の上に落とす。


「……え?」


 父の曲だった。

 昔。父が奏でセレスタンが指揮をした曲だ。

 しかしそのトランペットの奏者は一人、主旋律を奏でている。


「何、CD?」


 アイリスの問いにセレスタンは答える。


「いいや。Instagramから回って来たんだ。再生回数もすごい」

「ああ。まるで奏でているようだ。美しいし、包容力も音量もある。正直ここまで苦もなく高音を出されると妬くね」


 父の言葉にアイリスは頷いた。


「これ誰? プロ?」

「いや、学生だってさ」

「……はぁ!?」


 嘘だ。

 そんな訳ない。


「うん、いい音だ。決めた。私は日本に行くよ」


 と、セレスタンは何でもないように言う。


『は!?』


 アイリスと父は同時に叫ぶ。

 食後のお茶を準備していた母は思わずスッ転び、父とアイリスで食器をキャッチ。


「この高校の指揮者をやりたいんだ」

「本気ですか!? 聞いたこともない高校ですよ!! しかも……日本? あんな遠くて小さな島国に?」


 父は叫ぶ。アイリスが言いたいことは大体父が言ってしまった。


「理由が知りたいのさ。これだけのソリストがいる高校なのに何故無名なのか」


 セレスタンのこの瞳は本気の目だ。


 アイリスはショックだった。

 アイリスの師でもあるセレスタンが日本の高校生男子ごときに興味を持つなんて。


 確かに巧い。


 憎いぐらい巧かった。



 その晩アイリスは自分の部屋であの演奏を何度も聞きながら考えた。


 遠い昔。父に憧れて始めたトランペット。

 最初は掠れた音しか出なくて今は父に楽譜の読み込みが足りないと怒られセレスタンには表現力が薄いと苦笑され。


 しかし、この男はその全てを持っている。

 調和する音。広がるハーモニー。


 気が付けばアイリスの頬には涙が伝っていた。

 自分は特別だと思っていた。

 師のセレスタンに可愛がられトランペットさえやっていればアイリスは誰よりも特別だった。


 いつか父を越えてセレスタンの指揮でソリストとして演奏するのがずっとアイリスの夢だった。


 その前に倒せばならぬ男が出来た。


 画像は後ろ姿で服装も制服。なので誰かは知らないが絶対に倒してやる、とアイリスは誓う。



 次の朝。今度はアイリスが爆弾を投下する。


「何、アイリスも藤堂に行くだって!?」


 父は叫ぶ。


「当然。師匠が行くんだ。私も行く」


「あら、でもこの高校。交換留学が出来るのね。寮もあるみたいだし」


 母はこの騒動にもう慣れたのか、のほほんと言った。


「そ、そんな~私だってお前と一緒にトランペットを……」

「いい加減にしろ。親父は倒すべき敵なの!!」


 こうしてアイリス・クリスティーヌは日本の高校、藤堂高校に通うことになる。


 元々、このまま地元で過ごす気は無かった。愛するトランペットを吹き続けても父の代わりにしかなれない。人は皆、アイリスならば吹けて当然だろうと言う。それだけならば苦労などしない。


 当然なんかではない。


 それだけ血の滲むような努力をして来た。

 親の七光りではい。

 誰にでも出来る、特殊でもない、平凡な演奏者ではなく。アイリスはたった一つの輝く星になりたかった。


 そうすれば……セレスタンにも振り向いてもらえるかもしれない。


 春。その一歩を踏み出す。


 そう思いを馳せながらアイリスは藤堂高校の門を目の前に見た。

 出迎えるような桜の花弁。

 どこもかしこも桜の花弁が舞い。

 アイリスはフランス人だ。それなのに何故か懐かしさを感じる校舎だ。


「しっかし人が多いな」


 日本の制服には少し憧れていたので、ちょっと嬉しい。

 ほとんど木造だが比較的綺麗な校舎で桜が舞っていた。

 校舎までの道には多くの学生が部活の勧誘をしていた。


 サッカー、バスケ、テニス、野球に陸上。まるでお祭りのようだ。


 きょろきょろとアイリスは吹奏楽部を探す。


「さー新入部員を確保するぞぉー!!」


 おー、という緩い返事をした集団の前でアイリスは止まる。

 中央の……おそらく上級生が持っているのは指揮棒だ。


「……あった!」


 その人数の少なさと部員が女子ばかりな光景にアイリスは首を傾げる。楽器も足りていない。


 中央の少し大人びた金髪を横に束ねた上級生が指揮棒を……おそらく振った。


 その音の酷さにアイリスは愕然とする。セレスタンは無名の高校だと言っていたから期待などしていなかった。


「……せめてチューニングはしようぜ……」


 アイリスはしばらく何の曲なのか分からず首を傾げる。


 その時だった。


「ルパン三世のテーマ……年代までは分からん」


 突然、背の高い男子生徒に声をかけられアイリスはびくっと震える。


「あ、頭に桜、付いてるぜ」


 その男子生徒はアイリスの上に乗った桜の花弁を吹き飛ばした。


 ふー、と一気に垂直に。


 しかし桜の花弁は風向きに反って遠くまで舞う。

 しばらくアイリスは呆然としていた。


「じゃ」


 男子生徒はさっさと校舎に向かって行った。

 集団の中でもそのつんとした黒髪の頭だけひょっこり出る上級生。肩には通学鞄とは別に肩紐が付いた皮製の鞄が揺れている。


「あれって……楽器か?」


 ならば何故あの集団の中にいないのか。


 桜の花弁が今頃くるくるとアイリスの手元に落ちる。

 何か悔しくてアイリスは自分でふーっと一息で吹き飛ばす。


 しかし追い風で桜の花弁はアイリスの掌にくるくると回って落ちた。

 あの青年の時とは距離も高さもまるで違う。


 それはまるで楽器の演奏を示唆されているようでなんだか腹が立った。


「そんな訳、無いか。きっと別の花弁が混じったんだなぁ」


 自分に言い聞かせても拳は震えていた。


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