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アスタリスクを五線譜に*  作者: kisaragi
第一楽章 檸檬音階
2/27

開幕 響けばプロローグ


 

 篠宮柚姫の兄はある日突然蒸発した。


 一人の人妻を愛している、と言って駆け落ちした。


 高校生の癖に。その人の婿になると言って高校も勝手に辞めて飛び出した。


 それが篠宮柚姫の人生を狂わせた。


 柚姫の家は茶道の本家だ。だから当然兄の人生は決まっていたのだけれど高校まで好きにやらせてくれ!! と頭を下げて兄は三年間の自由を得た。


 兄はずっとトロンボーンをやっていたから、それを続けさせてくれ、という意味だとその時は思った。

 両親は渋々承諾。ただし稽古は続けること。


 それは妹、篠宮柚姫も同じ。篠宮正樹も結局同じ。家柄という檻からは出られない。


 そう思っていた。


 けれど毎日毎日同じ稽古は流石に辛く柚姫は兄を追うようにクラリネットを始めた。

 少なくとも柚姫は兄がトロンボーンを続けるからクラリネットを続けた。

 二人して、諦めつつ、両親に反逆する気分で。




 そんな兄の反逆が起こる少し前のこと。


 それは柚姫が中学生の時に起こる。


 兄は元々脱走癖があった。今回も夜中に自転車でコンビニまで飛び出して。柚姫もそれに付き合わされた。それは良くあることで。


 しかし、そこで篠宮柚姫の運命が変わる。

 とある日の夕方。

 兄がアイス食べたいとコンビニに寄って、それを手持無沙汰で待っていたその時だった。

 気か付くとコンビニでたむろしていたチンピラ数人に囲まれていたのだ。


 柚姫にしてみれば人垣の山だ。恐ろしくて声も出ない。


「見ろよ、ちょーちっさ」

「何、中学生ー? 何持ってんの?」


 怖い。けれど逃げ切れる自信はない。柚姫はクラリネットのケースをぎゅっと抱えてその不良を精一杯睨む。


「あの困ります!」


「かわいーじゃん」

「ちょっとガキ過ぎね? てか、それ何?」


 クラリネットケースが奪われる。


「あっ!! 返して!」

「何、これ楽器?」

「売れば儲かるかな?」


「お願い、返して!!」


 柚姫は精一杯叫んだ。怖い。怖すぎる。もう少しで泣きそうだった。


 その時だった。


 不良の一人が吹っ飛んだ。


「ぐぇ!?」


「……え?」


 そして柚姫を囲んだ不良も二、三人吹っ飛ぶ。

 気が付けば、柚姫の周囲は不良の生ける屍が広がっていた。


「えぇええ!!」

「この、アホ!! こんなチビ相手に喧嘩売るんじゃねー!!」


 その怒声と共に最後の不良が華麗な回し蹴りで吹っ飛び、その男の腕にすとん、とケースが着地する。


 柚姫はただ、呆然とその姿を見つめた。


 白い特効服。

 靡く赤髪。

 めっちゃ怖い。


「おら」


 けれど。


 その男にケースを渡され、柚姫はぎゅっと抱えて、その男を真正面から見つめた。


 衝撃的だった。


 めちゃくちゃ格好良い!!



 体格の良い体。

 しかし、するりとした筋肉。

 三白眼気味だが切れ目の瞳は鋭い。


 柚姫と真逆の強そうな男。

 それでも柚姫を助けてくれたのだ。多分。


 自分で思うのも変だが、こんな小さい女放っておけば良いのだ。


 バイクに向かって去っていく背中がとてつもなく格好いい。

 その時。気がついたら柚姫は叫んでいた。


「わ……」


 胸の鼓動が止まらない。


「わ?」


「わ、私と付き合って下さい!!」


 柚姫は叫ぶ。


 今まで、こんなこと無かった。

 妙に馴れ馴れしい兄のせいで男は皆ただの男。

 異性として意識したことなどない。


 柚姫の声に不良たちは戻って来る。恐らくあの男はこの集団の中で一番偉いのだろう。


「あ? この俺とタイマンしようってか?」

「違います。私と、恋人になって下さい!」

「……あ? ……恋? ……こい?」


 その男はきょとーんと柚姫を見つめる。


 この女、何て今、言った。


 ちっこい女。

 顔はまぁ、可愛い。

 しかしどう見ても中学生だ。


 そんなミジンコのような女子が北関東最強の暴走族総長に告白?


 そんな馬鹿な。


「俺は北関東をシめる総長、九条寺 海だ。ま、また襲われでもしたらその名ぐれぇなら名乗って良いぜ」


 ただの気紛れだろう。その必死さを見ればからかっている、という訳でも無さそうなので海は適当に流す事にした。

 ぼんやり光る、コンビニの電灯。


 そのまま去ろうとする男を柚姫は必死で捕まえた。


 長く靡く髪。靡く白い特効服を。


「違うんです! 私、舎弟じゃなくて恋人になりたいんです」

「悪いが、ウチの鉄則は女とクスリは厳禁なんだよ! 失せろ!!」


 一応、凄んで見る。

 何せ相手はちっこい女子だ。

 やり過ぎれば警察沙汰になる。


「じゃあ、私の為にヤンキー止めて下さい!」

「……はぁ?」


 この女、今何と言ったのか。


「私の全て、捧げます。だから、私の恋人になって下さい!」


 柚姫にとって、それは正しく一目惚れだった。


 夕方のオレンジにも負けない赤色で靡く髪は美しく。


 確かに目付きは少し悪い。

 しかし言葉はストレートで嘘はなく。柚姫の告白にたじろく姿を見れば根はいい人だと直ぐに分かった。

 何せ柚姫の人生とも言えるクラリネットを救出してくれたのだ。


「……お前、もしかして俺に告ってる?」


 まさか? ミジンコ女子がヤンキーに?


「はい!」

「……北関東の暴走族の総長に? 怖くねーの?」

「はい! とっても格好良かったです」


 その瞳は綺麗に輝き。嘘ではないのだろう。


「あー、あのさ……」


 告白。九条寺 海の人生に置いて、初めてされた告白。

 そして柚姫の人生に置いて初めてした告白。



「大丈夫です。私は絶対に貴方の側を離れません」


 その言葉に九条寺 海は豪快に笑った。


「あはははは!! マジかよ! 怖くねーの! しかも、媚びてる訳でもねーの?」


 笑うしかない。

 身長差で既に14cm以上はある。確かに海は基本的には硬派なヤンキーだ。

 ただ喧嘩とバイクが好きだった。それだけだ。……まぁ、他の悪事も少々やったが。大勢で特攻なんてダサいことはしないし自分より弱い奴には興味すらない。


「無いです。私は貴方と人生を変えたい。私は弱虫で、ちっぽけで、非力で。自分で何も出来なくて。貴方は私の持たないものを全部持っている。今、楽しいですか?」


 少女は言う。その言葉に海は少し考えた。


「ふーん。まー、暇っちゃ暇だわな。かれこれ族のトップ数年。やることは対して変わらねぇし」


 今では誰も海に対してタイマンで喧嘩を売ってくるような奴すらいない。


 柚姫は九条寺 海の手を握った。節々に瘤があって男らしい手だった。

 そんな唐突な行動に海も驚く。

 こんな傷だらけな手を。



「今の先輩も素敵です。でも私と新しいことしませんか!!」


 これが柚姫の精一杯の告白だった。



 必死過ぎて最早何も考えてはいなかったのだが、どうしても柚姫にはその男が輝いて見えたのだ。しかしどこかつまらなそうで。その理由が分かった。誰にもこの人に喧嘩で勝てないのだ。



「新しいこと、ね……悪くはねぇ。何」


 海は唐突過ぎる柚姫に興味を持ったのか視線を合わせて柚姫に尋ねた。


「……え……えっと、楽器とか……どうでしょう?」

「俺は楽譜読めん」

「先輩は絶対、ドラムに向いています! 楽しいですよ! だって簡単じゃない。先輩はそういうことを求めているのではないですか?」


 柚姫の言葉に、海はぽかんとしてしばらく考える。


「簡単じゃない……新しいこと」

「はい!!」

「お前と?」

「はい!」


「……ま、悪くはねぇ」

「本当ですか?」

「正し。族の鉄則は絶対。女作るなら俺は族を辞める」


「そ、総長!? 冗談ですよね!?」

「俺が冗談言った事あったか?」


 その言葉に子分達は落胆した。



 柚姫は呆然とその姿を見つめる。

 そんな柚姫を見て海は白い特攻服を柚姫に向かって投げ渡す。

 柚姫は慌てながらもキャッチした。


『あーーーー!!』


 舎弟たちが今にも発狂しそうな勢いで叫ぶ。


 それは先程まで海が羽織っていた特攻服で柚姫が広げると袖が地面に付く。そんな柚姫を見て海はカラカラ笑った。


「良いんだな」

「はい!」

「今度からテメェも狙われるんだぞ。族にもサツにも」

「大丈夫です! 子分さんからは貴方が守ってくれる。警察からは私が守る」

「あー、もう。分かった、分かったよ。名前」


 彼女は瞳をキラキラさせながらその特効服を握り締める。


「柚姫です。貴方は?」

「海」

「素敵ですねー!」

「まさか。DQNネームにならなかっただけマシさ」


 そんな風に言えてしまうということは、この人はやはり根も根性もヤンキーな訳ではないのだと確信する。


「待って~! その特効服は~!」


 屍たちが必死に叫んでいる。


「……あの、これは……」

「あー? オヤジの前々……代から続く伝統の特効服だとよ」

「そんな大切な物を私に!?」

「大切って……つか、今お前にやれそうなもんがそれしかねぇ」


 そんなタイミングで兄はコンビニから戻って来たのだ。


「あーーー! 俺の妹に何をーーーー!」

「この人は私の彼氏! それにお兄ちゃんじゃ絶対に勝てないからーーーー!!」


 海は呆然と何だ、この兄妹は、と見つめていた。


「その白いのは何だぁー!」

「貰ったの!!」


 そこまで見ていた兄は大袈裟に閃いた! と叫ぶ。


「ソイツ悪いヤツじゃねぇな。柚姫プレゼントだってさ」


『それはちがう!!』


 海は叫んだ。


「あ、でも違わないかも」

「んな、ボロで良い訳」

「はい!」


 それが柚姫の恋人、九条寺 海だ。

 年は一つ上。兄の一つ下。


 吹奏楽部に人数が足りないから、と兄はなんとコンビニに屯っていたヤクザ数人(生ける屍)に向かって言った。


「誰か一緒に音楽やろうぜ!!」


 確かに兄はずっとやっていた。

 音楽やろうぜ! という脅迫染みた勧誘を。


 当然、各自各々に特攻服を着たヤンキー達は凄むので柚姫は海の後ろに必死に隠れた。


「あぁ? 何だ。あの車に乗ってねぇのに暴走車みたいな野郎は」


 海はぽかんとその男を見つめる。


「……あれ、私の兄です」


 一人。一番偉そうで強そうな海が正樹の前に立ち凄む。

 立つと兄より背が高い。


 しかし兄が怯る訳もなく笑顔で言った。


「暇だからそんな所にいるんだろ? 音楽やろうぜ!」


 全く妹と同じことを言うとは流石は兄妹。


「……んだ、てめぇ!! 総長に何してくれてんだぁあ!!」


 全然関係無い男が突然、突っ込んで来たが海は拳でそのヤンキーを裏拳で視線も向けず吹っ飛ばす。


「おっ、スゲー!!」

「コイツは俺に用があるんだ。スッ込んでろ」

『すんませんでしたぁああ!!』


 男共はすごすごと去って行った。


「それに俺は今から総長を辞めるってさっきも言っただろうが!!」

『えぇえええええ!?!! そんな!! マジで言ってるんすか!?』


 ヤンキー達は一度に頭を下げる。

 辞めないでくれ、と号泣する者まで。


「だから失せろって」

「せめて次の総長ぐらい……」

「それぐれぇ自分でやれ!!」


 海はそんな舎弟を引き剥がし真正面から兄を睨んで言った。


「おれぁ楽譜なんて読めねぇ」

「そっか、じゃあ、ドラムにしようぜ! ドラムなら棒でとんとん。知ってるだろ?」


 周囲のヤンキー達は段々理解した。

 この男、頭おかしい、と。


 そう、そうなのだ。


 兄は頭がおかしい。

 しかし。

 何故、妹と同じことを言うのだ。


 どう見てもヤンキー。どう見ても不良。

 そして特効服が無くとも。

 どう見ても暴走族の、しかも一番偉そうで強そうな男に。

 まるで世間話をするかのように笑顔で話し掛けている。



「……音楽ね。楽しいか?」


 海は柚姫に聞いた。


「はい! 楽しいです!」

「……つか。その男誰?」

「いやいや。それは俺の台詞だぁああああ!!」


 ようやく兄は『元』暴走族総長、九条寺 海と向き合う。

 柚姫は堂々と宣言した。


「私の彼氏!!」

「……はぁああああ!?!?!」



 こうして最強の総長、九条寺 海はすっぱりと暴走族を辞めた。

 現、元ヤンキーと言うべきか。



 そして柚姫の彼氏で中二からパーカスとドラムを趣味としている現在高校一年生。来年には高校二年生になる。


 そこまで来ると元ヤンのヤンを隠すのも上手くなり。目付きは多少悪いが短い髪と伊達眼鏡と着崩さない制服で上手くやっている。


 そんな時にあの兄は蒸発した。


 高校では有名で一年丸々部活動は全て緊急停止。


 故に一年丸々ぽちゃん事件と呼ばれる黒歴史だ。


 海の家は代々暴走族一家らしく凄まじい家だが柚姫はもう慣れている。

 因みに彼の両親は不在である場合がほとんどで、そのお陰か彼は生活力が飛び抜けているし、家事、料理全般はお手の物。海はドラムとパーカスは趣味で続けていた。


 ちゃぶ台の上で黙々と勉強をしている海の真横に座り柚姫は取って置きのパンフレットを取り出す。


「じゃーん!! 受かりました!! 藤堂高校に!!」


 その様子を見て海はやれやれ、と伊達眼鏡の位置を直す。


 ラフな黒いシャツが彼らしくそのパンフレットを凄んで柚姫を見つめる。


「はぁ? お前ならもっと上狙えるだろ。ちっこいけど頭は良いもんな」

「だって海君と同じ高校が良かったの!! ちっこいは余計です!」

「吹奏楽部は?」

「入るよ」

「柚……お前の兄は……」


 その藤堂高校きっての問題児なのだ。


「分かってる。私のお兄ちゃんのせいで一年丸々おじゃんになったって。でも、罪滅ぼしじゃない」

「じゃあ、何」

「知りたいの。どうしてお兄ちゃんが勝手に逃げたのか。確かに、お兄ちゃんはどうしようもない。すぐ逃げる。でも悪い人じゃない。海君なら分かるでしょ?」

「まーな。俺に根気よくドラム教えたのアイツだし」


 海はペンをくるくると回しながら答える。


「覚悟は決まってるの」

「相応のようだな」


 柚姫は頷いた。


「守ってやるよ。好きにしな」

「……海君?」

「それだけ」


 ぼそぼそ呟いて海はくるりと勉強に戻った。


「やっぱり、海君、大好き!!」


 柚姫はその背中に飛び付いた。


「あー、はいはい」


 と、慣れた様子の海を前に柚姫はそのシャツを引っ張る。


「……だから、していいよ」

「中学生の分際で何を……」

「もうすぐ高校生だもん!」


 ぷいっと顔を膨らませる柚姫の頬を海はつついた。


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