第七小節 たった一つの輝く星
合宿の最終日。
ホールでの合奏練習が始まる。
ホールには楽器が設置され観客席には吹奏楽部がお世話になる野球部、応援団、等合宿が被った運動部もちらほらいる。結構人数は多い。
幕の裏で夜宵は確認する。
「先、いくで」
黙々とトランペットのメンテナンスとチューニングを繰り返す響一は言った。
「どうぞ」
暗いホール裏。
全く緊張の様子もない響一に夜宵は少し悔しくなる。
今まで、この地位に上り詰めるまでどれほどの努力をした。まとまりのない、あの女子を引っ張るのにどれだけ骨身を砕いた。最後ぐらい。パーンと好き勝手にやったって良いだろう。
「ほんまにええんか? 同じ曲二曲や。先行の方が有利ちゃう?」
「……瀬戸内。お前は何の為にラッパを吹く」
「えー? 自分こそ何でなん?」
「これは俺の人生だ。何処だろうがトランペットが吹けるなら関係ない」
「相変わらずムカつく言い方するわ。ソロでも何処でもええと」
始めて響一は夜宵と向き合った。
「瀬戸内。お前はトランペット、好きか?」
「まあ好きやよ。花形で主旋律もソロも多いし。吹けば目立つしな」
「それは好きとは違う。初めてトランペットを持った時を思い出せ。瀬戸内、そんなこと考えたか?」
「……え?」
「いいか。お前はそんな小物の演奏者ではない。他人なんて知るか。自分の音を全力で出せ。もっと好きに奏でろ。音楽センスは一番お前が持っているんだ」
「え、ええと……ウチにアドバイスしてるん?」
響一は頷く。
「見た目、見栄え、建前、部員。全て気にするな。思いっきり、吹け。俺が合わせる」
その時、夜宵は始めて間近で響一の瞳を見る。深い濃紺にキリリとした表情。
あれれ、こんな人やったっけ?
ホールに立つと流石に緊張した。何度も見たセレスタンの指揮。
曲が始まるー。
随分、パーカスは形になった。位置が近い後方組は海の影響か良くまとまっている。
問題のトランペットは響一が伴奏部に入っただけで厚みが数倍増した。
思わず夜宵はトランペットを持ち直す。
そうか、この人、上手いのか。
音が聞こえる。理解出来る。これが合奏。アイリスは自然と響一に合わせて吹いている。お互いに音程と音の強弱を調整して。
トランペットの音が合宿前に戻った。
いいや、元々こういう演奏だったのだ。
他のパートも気が付き始める。
厚みのあるトランペットの音の正体に。
そして夜宵のトランペットソロ。
音程は合っている。しかし音が合奏に負けている。高音で音が掠れた。ロングトーンが伸びきらない。
テンポが等々、合奏部分とずれた。焦り過ぎて夜宵はセレスタンの指揮を見ていない。
途中で苦しくて苦しくて、涙が溢れた。指が震える。
曲の途中。
ガシャンと音がする。
「夜宵先輩!!」
「アホちゃうか。こんなソロええ訳ないやん」
彼女は項垂れる。
「夜宵、ツヅキ、やる?」
夜宵は首を振った。
「そ? 結構上手いじゃん」
観客席の運動部数人が言った。
「つか、曲がむずいんじゃね?」
「そうですよ! 夜宵先輩は充分うま……」
その時、やたら夜宵を擁護する結乃が夜宵にひっぱたかれた。
ホールがシンとする。
「もうオベッカはええ。そんなんやっても上手くならんよ」
「……先輩」
「ここまで来て部長の音が分からん部員は合宿後で全員補修や」
夜宵は楽器を持って立ち上がった。
響一の目の前に立ち彼を華麗な右ストレートで殴る。
「痛っ!?」
「さっきの言葉。そのまま返すわ。パーンとやってや。合わせて見せる」
響一は頷いてソロのポジションに立つ。
正直、部員も観客も地味だなぁ、とは思った。
しかしセレスタンには彼の表情が変わって見えた。
部こそ参加はしていないが彼の心境にも何かしらがあったのだろう。
「最初に言ます。俺にこの場で吹け、と言ったのはアイリスです。俺は彼女の為だけに一曲全力で吹きます。もしかしたら合奏にはならないかもしれない。けれど、全て吹きます。……えーっとA song for you.」
「スゲー口説き文句」
流石の朝倉もぽかんとする。
「どうしちゃったんスか? 蓮華先輩」
「何があったのか、根暗の根が抜けたな」
セレスタンは神妙な面持ちで頷き曲が始まるー。
何故だろう。夜宵が壊した空気が一辺する。
姿勢が良く、背の高い男が持つ銀色のトランペットが照明で輝き美しい模様が光る。
華やかさがある訳ではない。
なのに空気はピシッと締まり部員たちは楽器を持ち直した。
そしてトランペットのソロが響く。
正直に言うと圧倒的だったのだ。
序盤のパーカスまでは曲になった。
そこからの蓮華響一のソロにセレスタンは指揮棒を落とす。
確かな音量。優しく、少し哀愁があり、伸びやかで。強弱があるのに音量は違う。
全て曲を理解した構成力。
艶やかな高音はどこか優美に。
これは当然だが曲だった。
まだ一ヶ月ほどしか経過していないとは思えない深さ。
宗滴には懐かしい音だ。響一の音。
「そう……出すことにしたんだな」
セレスタンの言わんとしている部分は細やかに汲み取り美しいロングトーンは何処までも伸びる。
観客は全員黙る。
伴奏していた楽器が次第に下に降りる。
レベルが圧倒的に違う。夜宵は涙が止まらずアイリスはこの一曲と合奏出来ることを幸福に思った。
どんどん楽器が落ちる。
フルートのパートリーダーは泣き出し数人のトランペットは吹く気にもならない。
恥ずかしく、悔しく、あんな風に奏でられたらどんなに素敵だろうと思う。
そんな中で圧倒的な演奏は終わる。
アイリスは最後まで涙を流さず響一の伴奏に徹した。
曲は優しく、圧倒的に、それでも終わる。ほぼトランペットソロを奏でたようなものだ。それでも曲になるのだ。
曲が終わるとセレスタンが呟く。
「一人が巧くても合奏は出来ない。ですが、私はこの曲が吹きたいのです。合奏がしたいのです。響一、君の音も少し変わった。優しくなった。明るくなった。ホールがトランペット一つでハーモニーに包まれた。これが合奏です、これがソロです」
「ありがとうございます」
ホールからまばらに拍手がした。皆、圧倒され過ぎて何も言えないのだ。
セレスタンは再び部員たちと向き合う。
「で、誰がソロを吹きましょう。夜宵のレベルでも響一がいれば合奏は可能ですが支部は厳しい。気楽で楽しい女子クラブ。響一をソロにするなら全国は狙えます。ただハードモードですよ。皆さんがこのソロに合わせて下さい」
部員は全員黙る。
「最後の選択です。楽しい部活で終わらせるのか。下克上を狙うのか」
「……たい」
その言葉は意外にも夜宵だった。
「全国、行きたい! ほんま、ウチ悔しい。確かに部長はめっさ上手い。そんな部長が埋もれているこの状況が難いんや。頭可笑しいで。ええか、上手くないならその場でチョンパやん!」
「瀬戸内先輩……」
「ウチも悪かった。全然部長の意味も音も分からなかった。地位やら立場で続けてたんや当然やわ。琴に引っ張られて腹式呼吸なんてろくすっぽ出来ん。いい加減、目冷ませや! ウチが同好会作ったのは保険や! 下手くそでも良いポジ出来るかな、ちゅう小賢しい小細工やわ。ウチの特技嘘泣きやで」
ホールは別の意味で静まる。
「……蓮華先輩、いや。部長。アイリスちゃんだけやない。皆、全員に音楽教えて下さい!! その音、全国に響かせて下さい!」
「それは全員の意見か?」
「今までの無礼、非礼。謹んでお詫び致します。私が音楽をやる理由、思い出したんや。もっと好きな曲、皆と奏でたい」
瀬戸内夜宵の土下座は華麗な土下座だった。そこに嘘、偽りの言葉はない。
全員、頷く。
「トランペット、好きか?」
涙目の夜宵は頷く。
「合奏、するんだな?」
皆、同意した。あんな音を聴いて、思うところなんて全員ある。ただ一つ。あんな風に曲を奏でたい。
「……分かった。俺は厳しいけど」
「え、ワタシより?」
セレスタンの言葉に響一は頷く。静まるホールの中で、響一はマイクを持って中央に立つ。
全員がポカーンと響一を見つめる。
あれ? こんな人だったっけ?
「やるからには、俺は何事もきっちりやる。部長をやると言うのならば、そして部の方向性があるのなら目指すのは当然だ。先に言っておく事がある……と言うかずっと言いたかった事がある」
流石に宗滴もポカンとする。
「こほん。では言わせて頂く」
こっそり、海は蓮華先輩が覚醒した……と呟いた。
「特に高音二年以上女子! 全員下手くそだ! いい加減、チューニングとピッチとテンポ合わせて楽譜と指揮者見ろ! 指揮者の持ち腐れだ!」
うわー、言ったぁ、と全員が思った。
「ちょ、私経験者だけど!」
「じゃあ初心者に教えろ、ボケナス!」
キーン、とマイクの音が響く。
「なんで私が初心者にレベル合わせんの!?」
「じゃあ、吹奏楽部辞めてジャズサークルにでも入れ!!」
「……うぐ」
「それと練習メニュー成しただけで練習してるオーラ出すな! 練習とは日々の鍛練。自慢するもんじゃーよ!!」
全員の胸にグサグサ刺さる刃だ。ホールにいた運動部も含め。
「下手でも楽しんでるならいい。オシャレで吹奏楽部やんじゃねーよ! 邪魔だ馬鹿! 少しは楽しそうに協調性持て、それで上級生か! 多少下手でも下級生に合わせた方が合奏になるわ! 威厳なんて後でどうにかしろ! 学園カースト? 知るか! 関係ねぇ!!」
最早、部員は何も言えない。夏前なのに強烈なブリザードを喰らった。
「曲は全部で、全楽器があって一曲なんだよ! その意味を理解しろ! 篠宮、自由曲、何度聴いた?」
突然尋ねられ柚姫は立ち上がる。
「えっと、覚えていないぐらいたくさんです!!」
「九条寺は?」
「あー、俺も覚えてねぇっす。楽譜読むの得意じゃないんで、一回先生に指揮のデータ貰って曲を聴きまくって調整します」
「これぐらいが基準だ。今はスマホからダウンロード出来るだろうが!! 楽譜持って、二、三度で理解した気になるな!! レコードぐらい借りに来い!! 昼休み、菓子食っただけで音楽室のスペース使うな、邪魔だっつーの!! もっと自分の音を理解しろ。音程合わせただけで曲になるか阿呆!!」
ここまで響一が大きな声で叫ぶのも珍しいし、怒気を含んだ怒鳴り声なんて誰しも初めて聞いた。
「それから、最後に。アイリスがどうの、ソロが誰だ、俺がどうの。瀬戸内がどうの。うるせーよ!! んな他人の噂話する暇があったら楽器の練習しろー!!」
目がマジだ。いつも穏やかな響一とは思えない鋭さだ。この人、本当は切れ目のイケメンだったのか、とアイリスは場違いな事を思う。
返事も出来ない部員。
響一は最後はマイクをぶん投げた。
ガシャン! ゴン、キーーーンという高音がホールを包む。
この事件。後に仏のように優しい蓮華部長ガチギレ事件として吹奏楽部の密かな伝説となる。
普段、優しい人がマジでキレると怖いという教訓になった。
そのまま響一は楽器を持ってホールから去った。アイリスは必死で追い駆ける。
ホールの外は晴天だった。
「先輩!」
「うん?」
振り向いた響一は普段通り穏やかだった。別にアイリスに文句があった訳ではない。アイリスも少しほっとする。
「……素敵な音でした」
「……ああ。合奏にはならなかったが」
「でも、やっぱり先輩の音は凄い。あれで曲が完成すれば確かに全国は狙えます」
「……そうか。ああは言ったが部のレベルは格段に上がったぞ。まだ完成という合奏ではないのだが」
「そうですか?」
「ああ。元々曲が少し難しい。音量よりはテクニカルな部分が多い。個々がしっかりしないと合奏にはならない。そういう意味ではいい課題曲だ」
響一は頷く。
「やっぱり、あの部で吹くの、嫌ですか?」
「いいや。アイリス、お前は合わせてくれる。お前の音は聴こえる。一人で吹くより楽しいと教えてくれたのも思い出さしてくれたのもお前だ。お前の為に吹くのは悪くなかったよ」
と、こんと今度は頭の上に手を置いた。そのまま撫でられる。これが異常に気持ち良い。
「私……の為だけに? 夜宵先輩は……」
「好きに吹けとアドバイスしただけさ」
響一はそのまま去ろうとして何かを思い出したように戻って来た。
「そうだあの曲がおおよそ完成した」
「うわ、はや!!」
「おい、くそ難しいじゃないか」
「合奏は?」
「いつでも」
アイリスはあの時のハンカチを握り締める。
「……じゃあ、あの、聞いたんですけど今度河原で花火大会があるって」
「ああ、あるな。毎年あるからあまり気にして無かった」
「あのですね! 日本の大玉花火って凄い有名ですよ! 見たいです!!」
「友達と行かないのか?」
「……だって柚姫……最近ずーっと一人か女友達です。デートぐらいしたいと思います」
「ふむ……」
「梓は恒例家族と行くそうです。クレープの屋台出すんですって」
「えーと……これ、……俺は誘われているのか?」
アイリスは照れた顔で頷く。
「楽器の吹ける穴場、知ってますか?」
響一は頷く。
「あっ、朝倉先輩は……」
「イベント参加で謎のお経と巨大写経をやるそうだ。参観は出来るぞ」
「ほえー……」
「……えっと、俺は誘われているんだよな?」
アイリスは真っ赤な顔で響一のトランペットのハードケースを引っ張り何度も頷く。
「じゃあ、軽装で良いし財布もいいぞ」
「……え?」
「商店街で買券が出ているから」
「……えっと、良いんですか?」
「九条寺にくれてやろうかと思ったが日本の花火大会初体験ならば良いだろう」
「楽器、忘れないで下さいね!!」
アイリスの照れ隠しの言葉に響一は苦笑する。




