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プロローグ


中2の夏、俺は田舎にある祖父母の家に預けられた。

「里帰り」なんてまともな理由じゃない。

ひきこもりの俺と疲弊した両親を見かねた祖父母が「しばらく孫を預かる」と申し出たのだ。

両親は無言で肯定した。

俺は外に出るのが堪らなく嫌だったけれど、祖父と両親に対する拒否権などあるはずもない。

これで状況が好転するなんて誰も思っちゃいないだろう。

ただ今を凌ぐので精一杯。そんな感じだった。

今までと何も変わらない。俺もそう思っていた。

この部屋で、あの少女と出会うまでは―――。




●●●●●●●●●●●




その部屋は、日中にも関わらず薄暗かった。

閉め切られたカーテン。当然、灯りも点いていない。

窓はもう何日も開けておらず、澱んだ空気が漂う。

飲みかけの飲料水や衣類が程度散らかっていて、とても清潔な部屋とは言い難い。


これが少年の世界だった。


眠くもないのに、ベッドに横たわる。全身がだるくて力が入らない。どこまでも空虚な気持ちが広がる。


そこに居るのに、居ないような。

ここではない、どこかを見ているような…。


マットレスの外に放り出した手から、スマホが滑り落ちそうになる。

イヤホンから漏れ出る音も現実の喧騒を遮断するには不十分だ。


扉など意味もなさない大きな声が聞こえてきた。


「あなたが甘やかすからこんなことになったんでしょう!?」

「無理に引きずり出しても何の解決にもならないと言ってるんだ!」

「じゃあどうしろってのよ!?子供のことは全部私に任せっぱなしでロクに関わりもしないくせに!」

「俺だってどうにかしようと努力してるんだ!」


毎日毎日、この家には男女の言い争いが響く。


原因は少年の存在だ。


中学に入った頃から少年はクラスで浮いた存在だった。

ほとんど口を開かず、友達を作ろうともしない。決して自分から人に話しかけたり前に出るタイプではない。言ってしまえば「地味」だった。

それがクラスメイトには面白かったのか、はたまた不快だったのか。前触れもなく不遇な扱いを受ける日々が始まる。

容赦なく浴びせられる暴言と、からかい半分で振るわれる暴力。

尊厳を踏みにじられ、自己肯定ができなくなった少年のアイデンティティーは壊れていった。自分という存在があやふやになり、気づけば精神まで病む始末。

苦痛から逃れる手段として選んだのが、自分で命を絶つ行為だった。決行を試みたのは中学1年生の時。夏も終わりにさしかかろうとした頃である。

結果から言うと失敗した。線路に飛び降りるつもりだったのに、後一歩が踏み出せなかったのである。

その拍子に今までまで張り詰めていた糸がプツンと切れてしまったのだろう。全てがどうでもよくなって、不登校になるのにさほど時間はかからなかった。


こうして少年は、現在進行形でひきこもっている。


学校という場所は彼にとって逃げ場のない地獄でしかない。あの掃き溜めに行かなければ楽になれる…はずだった。しかし思い通りにならないのが現実である。


人生のレールを外れてしまった焦り。

世間の嘲笑と冷たい目。

親の気持ちを踏みにじる罪悪感。

自分で他人を拒絶したにも関わらず感じてしまう孤独。


「ひきこもる」という選択をした少年を襲ったのは、強烈な自己嫌悪の感情だった。


自業自得とも言える状況に、だからといって少年は現状を変えようとはしない。

今の状況でも、あの掃き溜めよりは数百倍マシだと思ったから。だから引きこもっている。

外に出るのが辛い。人と関わるのが、どうしようもなく怖い。


そんな気持ちを理解してくれる人は、少年の周りに誰ひとりとしていなかった。


親に言われて強制的にカウンセリングも受けたが、精神状態を悪化させただけのようにも思う。

「カウンセリング」と称した行いにより、少年は「触れられたくない部分」をほじくり返された。


「あなたのことを教えてちょうだい。自分のお部屋で一日何をしているの?」


《何もしてません。》


「学校には行きたくない?どうして?」


《………なんとなく。》


「お友達も心配しているんじゃないかしら?きっとあなたを待ってるわよ」


《……………そうですね。》


「なにか得意なことは?それが自信になるのよ」


《得意なこと?………無い、かな。》


「好きなことはある?」


《特には。》


「じゃあ嫌いなことは?」


《…別に、無いです。》


無意味に思える質問だが、相手は一応専門家だ。確かな意図があるのだろう。しかしその作業はあまりに事務的で、馴れ馴れしくて。少年には不快極まりないものだった。


カウンセラーは必要だと判断した分だけ、俺の言葉をファイルに書き留めていく。まとめられた紙の一枚一枚に、患者の情報が記録されているようだ。


少年はようやく気づいた。カウンセラーにとって自分がその紙の一枚に過ぎない、仕事相手のひとりに過ぎない存在なのだ、と。彼らはあくまで仕事をしているのだ。仕事だから、嫌々カウンセリングをしているに過ぎない。


(こいつらは自分が病める人を救った、という自己満足感を得たいだけなんじゃないのか?何がカウンセラーだ。俺はそんな肩書きに騙されたりしない。)


それ以降、少年がカウンセラーのお世話になることはなかった。

対人関係のトラウマがもたらした、明らかな人間不信であった。


小さな変化が訪れたのは、それから1年経った頃である。


「ねぇ、あきら君。お爺ちゃんとお婆ちゃんの家にいらっしゃいな。」


遠路はるばる田舎からやってきた老人の男女は、少年―――”あきら”の目をまっすぐ見て語りかけた。


つまるところ、孫を預かる、と申し出たのだ。

少年の汚部屋を見ても特に顔をしかめたりという反応は無い。躊躇なく入ってくるあたり、事情は少年の両親から聞いているらしい。


祖父母の申し出に、父と母は何も言わなかった。断らない、というのはつまり無言の肯定を意味している。

祖父母と両親が決めた事だ。とやかく意見を申し立てる立場ではないとひきこもりの少年は思う。


(まぁ、ずっとここに居るよりは静かでマシかもしれないな…。)


己にそう言い聞かせた。部屋から出るのは堪らなく嫌だったが、ひきこもりに拒否権などあるはずないのだから。


それから約1週間後、少年は祖父母の家に居候することになる。

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