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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

吸血鬼と銀の婚約指輪

 喧騒が聞こえる。 怒鳴り声、発砲音、石造りの家が抉られ崩れる音。

 閑静な住宅街であるはずの街は酷く騒がしい。 近所のやんちゃな男の子達の馬鹿騒ぎでもここまで騒ぐことはないので、異常な事態であることはすぐに分かった。


 学舎でも間抜けと評判の僕としても、何か怖いことが起こっていることは一目瞭然……いや、一目もしていないけれど瞭然で、一人暮らしの自分の身を守るために戸締りの確認をして安堵の息を吐き出した。


 いくらこの王都が治安がいいと言っても、女の我が身では気をつけるに越したことはない。 徐々に離れていく喧騒に安心してベッドに潜り込み目を閉じる。

 すぐに眠気に襲われて眠りにつく。


 日の出と共に目が覚める。 喧騒はとっくの前になくなったらしく撫でる程度の風の音が聞こえるほど静かだ。


 身支度を一通り済ませ、朝食を食べた頃に五時を知らせる鐘の音が街に鳴り、うるさいというわけではないけれど、街が少しだけ活気を帯びてくる。

 何処からともなく聞こえてくる人が生きる音と共に、読みかけの本を開いて窓辺の椅子に腰掛ける。 窓の隙間から入り込んでくる他の家の朝食の匂いに恨ましい気持ちを覚えながら本のページをめくっていく。


 騒がしさが増してきた頃、もう一度鐘の音が鳴り響き、僕は本にしおりを挟んで鞄の中に入れた。 立ち上がって服を整えてからカーテンを閉めて、鞄を手に持つ。


「いってきます」


 一人でそう頭を下げてから、ゆっくりと家から出る。 品のいい人が多いこの街は居心地は良くないけれど、住むにはこれ以上ないところだ。

 何せ治安がいい。 庇護者のいないけどお金だけはある僕のような小娘だと、色々と都合がいいところだ。 危ない目には合わないし、美味しい物は食べれる、学ぶことも出来れば安心して出歩ける。


 だからこそ、昨日の喧騒が不安である。 ガヤガヤと野次馬が集まっているところに目を向けると、魔導銃によって抉られたであろう石の壁と、まだ生々しい赤さの残る血痕が付着していた。


 少しゆっくりと歩き、話し声に耳を傾けると、どうやら吸血鬼という魔物が出たらしい。 聞き覚えのある単語に首を傾げ、後で学校で調べてみることにした。


 学校の図書館に入り、人気の少ない魔物関連の棚を見る。


「吸血鬼、吸血鬼……と、ありました」


 パラパラとめくってから、確かにそれが吸血鬼について書かれている書物であることを確認してから、図書館に備え付けられている椅子に座って読む。

 真新しい折れ線に似たような切っ掛けで開いた人がいたことと、その人なぞんざいな扱いに微妙な気分になりながら見ていくと、既に滅んだ魔物であると書かれていた。 だからすぐに棚に戻したのだろう。


 興味を失いかけたけれど、人にそっくりな姿であるという記述に好奇心を揺さぶられて本を置かずにめくっていく。


 曰く、人に似ているが鋭い牙があり、その牙により人から吸血して生きる。 人より強靭な身体、闇に隠れる特性。 しかしながら日に弱いとか香辛料が苦手とか水が苦手とか、案外弱点が多いらしい。

 それに、銀の武器によって簡単に致命傷を与えられるとか……そうやって淘汰された魔物である。 そう本に書いてあった。


 滅んだのは百年以上前らしく、もし数人生き残っていたとしても自分の敵ばかりの人里にいなければならないのだから絶滅は避けられないだろうと、他人事のように思う。


 おそらく吸血鬼の噂はガセだろう。 生き残っていられるはずがない生き物だ。

 興味を失って棚に戻そうとするが、棚の上の方に戻すのは結構大変だった。 取った時にはあったはずの台はなくなっており、指の先で本の下を引っ掛けるようにして押して、頭上でぐらりと揺れた本に嫌な予感がする。


 ごつん、と硬い装丁の本が落ちて頭にぶつかり、軽く蹲りながら本に手を伸ばす。 捲られたページは丁度特徴を記した挿絵のページであり、人と変わらない姿のそれを見ながら手を伸ばし、僕の手が届くより前に他の白い手が伸びて本に触れる。


「……吸血鬼か」


 男の人の声。 本を片付けようとして頭に落とすなんて間抜けな姿を見られてしまった、と気がついて羞恥心に顔が熱くなるのを感じる。

 まともに顔を見ることも出来ずに立ち上がりながら、パタンと本が閉じられる音を聞く。僕の頭の上に手が伸びて、本が棚に戻される。


「ありがとうございます」


 僕のお礼は聞き流されて、男の人はつまらなさそうに去っていく。

 本の匂いに紛れて薄らと感じる鉄の匂い、すぐにそれは失われて、気のせいだったかと息を吐く。


 本を拾ってくれた金髪の男の人の後ろ姿を見て小さく思う。 あの人間にしか見えない吸血鬼の挿絵で、よく吸血鬼だと判断出来たものだ。

 吸血鬼について知っているというだけでも珍しいというのに。


 ああ、本についていた真新しい折れ線は彼がつけてしまったものなのかもしれない。

 そう思いながら気になる本がないかを探しながら歩いていく。


 吸血鬼は銀に弱いらしい。 触れただけで弱ってしまうほど、だから銀製の武器や弾丸で戦ったり、夜中に判別するときも銀のものを使うとかなんとか。 もしかしたら婚約指輪には銀製のものを選ぶというのも、吸血鬼対策なのかもしれないと思い不思議な感覚がする。


 昔はいたのだろう。 人によく似た魔物が、今も文化として残っているとしたら少し面白い。 興味がぶり返してきて、さっきの本棚のところに戻る。


 首を傾げ、瞬きをする。 あれ、ない? 先ほど戻したところで、朝早くの図書館には人なんてほとんどいやしないのに、同じ本を読む人が何人もいるのは不思議だ。 あの男の人や、持って行った人も噂を聞いて興味が湧いたのだろうか。


 少しだけ感じる……鉄の匂い。


「……?」


 本の匂いに紛れていき、すぐに分からなくなるような薄い匂い。 何かの残り香であるとすれば、それは先ほどまでそこにいたのだろう。

 あの男の人だろうか。 それならわざわざ去ってから取りに戻ってくるのは少し奇妙である。


 それに一度、彼は本を開いていると思われる。 挿絵のあるぺージを一目見ただけで吸血鬼と分かったのだから、間違いないと思う。


 不思議な行動に首を傾げる。 読んでいることを知られたくなかったのだろうか。


 まあ考えても仕方ない。 首をひとしきり傾げ終えてから、他の本を探していく。

 やっぱり読みたい本が借りられていたことが気になり、他の本を読む気になれない。 うろうろと図書館を歩いていると、カタ……カタ……と小さな音が断続的に聞こえてくる。


 カタ、と一度鳴って、十秒ほどしたらまたカタ、と鳴る。 不思議に思い、音がする方を覗き込むと、先程の男の人が本を手に取ってぺージを捲り、戻しては別の本を手に取って本を捲る。


 気になって近寄ると、足音が聞こえたのか男の人が振り返り、僕の目と男の人の紅い目が合う。


「……さっきの」

「あ、えと……お恥ずかしいところを見せてしまいました。

その……何か本をお探しですか? 僕はここに来ることが多いので、本の場所なら分かりますよ?」


 警戒されているかと思ったけれど、僕が尋ねると男の人は少し驚いたような表情をしてから、小さく笑う。


「あの様子でか?」

「あれは忘れてください」


 意地悪な人だ。 ムキになって怒るのも恥ずかしいし、何より初対面だ。


「いや、いい」


 そう答えた男の人はまた本を取り出してはぺージを捲り、本棚に戻すという行為を繰り返していく。

 これでは僕が無意味に恥ずかしい思いをしただけじゃないか。 そう思って、負けず嫌いに口を動かす。


「何の本ですか? タイトルとか、ジャンルとか、何かを調べているとか」

「……魔物の生態について」


 本棚をぐるりと見回して首を傾げる。


「ここ、女の子向けの恋愛小説ばかりですよ?」

「そうか」


 男の人は背を向けて他の場所に移動する。


「そこは推理小説です。 棚の上にラベル貼ってあるのでそれを見たら、分かります」

「助かる」

「そこは料理本です」


 男の人は少し迷った様子を見せて、フラフラと動き回る。

 その様子を見て……ありえないと思いつつ、尋ねた。


「もしかして、文字……読めないんですか?」


 僕が尋ねると男の人は目を逸らし、小さく口を開く。


「……いや、まぁ……少しは読める。 自分の名ぐらいは」

「……えっと、探すの手伝いましょうか?」

「悪い。 ありがとう」


 本を読めないのに、本を探しているのか。 不思議な行動をした人だと思いながら、魔物の生態についての本を探していく。


「ところで、どの魔物の生態ですか?」

「きゅっ、ああ、いや……」

「きゅ?」

「九尾の狐……とかの本を」

「そんな珍しい上に外国の魔物の本はありませんよ……」

「なら、魔物全般の本を」

「図鑑みたいなのですか?」

「……いや、魔物は何故魔物なのか、といった」


 そんな本あっただろうか。 記憶にはなく、探してみるが見つかることはない。 ため息を吐く。

 気がつけば昼時で、そろそろ小腹も空いてきた。


「……ごめんなさい。 なかったみたいです」

「……いや、ありがとう。 助かった」


 少しがっかりしたように見える男の人に尋ねる。


「よかったら、ご飯食べますか? 学食ですけど」

「いや、いい。 ……まだ俺なりに探してみる」


 だから、なかったというのに。 男の人は気にした様子もなく本を探し始める。 ペラペラと見ていくが、挿絵だけだと限界があるだろう。

 仕方ないと、僕はため息を吐き出して諦める。

 先程見ていなかった少し外れたところに間違えて入れられていないかを見ていく。


「食事をするのではなかったか?」

「今の時間は混み合ってるでしょうから、後にすることにします」


 一人というのは目立つ。 特に僕は女の子の中でも背が低い方で、人と違うところがあると悪目立ちするものだ。 何より、女の子は群れる生き物なので一人きりでうろちょろしていたら奇異の目で見られること受け合いである。


「悪い」

「悪いことはしてないですよ。 僕も貴方も」

「悪い」


 僕がじとりと男の人の顔を見ると、少しだけ僕を見ている彼の顔が緩む。


「……ありがとう」

「ん、期待しないでくださいね」


 しばらく探すがそんなに都合よくあるはずがない。バタバタと服の埃を落として、肩を落とす。


「ないですね」

「……ここにはないのか」

「そもそも、そういう本があるのでしょうか。 本というのは知識の伝達のためのものなので、あまり需要がない本は書かれないことも多いです。

魔物の生態全般についてとなっても、必要なのは個別の対応方法なので読む人はいないですよ。 それこそ……悪いやつだよって書いてる聖書……あっ」


 そうだ。 学術書に限らなければ聖書がある! 聖書には魔物はすごく悪い生き物だよ、神様はこう教えているよ、といったことが書かれていた気がする。 敬虔な信徒でもないのでうろ覚えだけど。


「あまり参考にならないかもですけど、聖書なら簡単なことが書いてるかもしれません。 ……どっちかといえばファンタジーですけど」

「聖書……ああ、それを読ませてくれ」


 急いでその本棚に来て、一番分かりやすく訳されている本を手に取る。 目次を見てからパラパラとめくり、男の人に渡す。


「世話をかけた。 ありがとう」

「んぅ……でも、読めないですよね。 挿絵もないですし」


 外を見る。 まだまだ夕暮れになるまでには時間があるけれど、お腹は空いた。 これ以上、何かをしてあげる義理もなければ何か利益があるわけでもない。

 これ以上世話を焼くのも嫌がられるかもしれないし、喜ばないだろう。


 手伝わない言い訳をいくつも並べて、並べて……言い訳をたくさん並べなければ手伝わないことが出来ないと気がつく。

 結局、助けたいならそれでいいんじゃないかと思い直して、短い腕を動かして棚の奥を指差す。


「あっちに座れるところがあるので、読むならそこがオススメですね。 持ち出すのは手続きとか面倒なので」

「ああ」

「文字読めないなら手続きとか出来ないので、そこでするしかないですね。 ん、読むだけなら教えれますから、行きましょうか」


 男の人は驚いたような表情をして、それでも変に嫌がることはなくついてくる。 案外、素直な人である。


 椅子に座って机に聖書をおく。 聖書というのは元々文字の教本扱いされることもあるので、そういうつもりはなかったけれど簡単な表現が多いので都合はいい。


「この国は表音文字なので簡単ですね」

「表音文字?」

「はい。 「あ」という音を『あ』って書くみたいな感じです」

「それ以外もあるのか?」

「ありますよ、表意文字とか、表語文字とか……まぁ他国なので覚える必要はあまりないです」


 聖書の文字を指差しながら、一音一音教えていく。 しばらく読んでから、男の人の顔を見ながら言う。


「この一節ですね。

『魔物とは分不相応に強欲なるものだ。自身の意思で動くことを望んだ水は、動かせる身体を得て、生命を癒す力を失い水魔(スライム)となった。 ──何物をも食らいたいと思った猿は、何をも食らえる身体を得て、正気を失い醜い猿鬼(ゴブリン)となった。 ──』

……参考になりませんよね」

「いや、充分参考になる。 ありがたい」


 なら、続きも読んでいこうか。 近くには他の人もいないので、気を使う必要もなく、つらつらと読んでいく。

 魔物についての記述についてずっと読んでいき、一通り読み終わって、喉の渇きに気がつく。 こんなに声を出したのはいつぶりだろうか。 長らく人と話していないので、産まれて初めてかもしれないぐらいだ。


 唾を飲み込んでから、男の人の方に向いて尋ねてみる。


「この本に書かれているのはこれぐらいですね。 今日はもうそろそろ夕になりますから、また明日とかに来た方がいいと思いますよ」


 首を傾げながら尋ねたけれど反応はない。 男の人の顔をジッと見るけれど返事はない。 こちらに目を向けているのに、不思議だと思っていると、彼の紅い眼が僕の首を見ていることに気がつく、何かあっただろうかと思って首筋を触りながら、もう一度声を出す。


「あの、どうかしましたか?」


 ごくり、と男の人の喉が鳴る。 すぐに男の人は首を振って、誤魔化すようにしてから口を開ける。


「ど……どうした?」

「もう遅いので、これ以上は明日にした方が……って、起きてました? 寝てましたよね、ぼーっとしてて」

「寝てはいない。 ……悪い、少し腹が空いていて」

「だから前に言ったのに。 んぅ、もう解散ですね。 明日も来ますか?」

「多分来ると思うが……」

「僕も来るので、明日も手伝いますね」


 あっ、と今更のことを思い出して口を開こうとすると、男の人が先にそれを言う。


「今更だが、君の名前は?」

「……僕も同じことを聞こうと思ってました。 ミアです。 ミア・クラーク。 よろしくお願いしますね」

「俺はアレン・ホール。 ……この礼はいつかする」

「気にしなくていいですよ」


 立ち上がって、机の上の聖書を手に取ろうとすると男の人の手が聖書に伸びる。


「まだ読んでいく。 文字を忘れる前に復習しておきたい」

「真面目ですね。 でも、お腹空いてるなら無理しない方が」

「いや、いい。 それより……まだ明るいけれど、気をつけろよ。 女一人だと、大通りでも危険だろう」

「心配してくれるんですか? ありがとうございます、でも、大丈夫です」


 椅子を戻してから、男の人に頭を下げて「さようなら」と言って外に出る。 まだまだ明るいけれど、予定よりも遅れているので少し急ぎ気味で買い物をして、食材を持って家に帰る。


 簡単な料理を作り終えたころに夕暮れ色に染まりだす。 パクパクと一人で食べて、夜になったので寝ようと思い……男の人、アレンさんのことを思い出して、ランプを点けて紙とペンとインクを取り出す。


 カリカリと紙にペンを走らせて、しばらくしてからランプを消してベッドに潜り込んだ。



◆◆◆◆◆◆◆◆


「これは……」


 男の人に昨日書いた紙を渡して、握らせる。


「文字を書いただけの紙です。順番に書いてるので、読むの楽になるかなって思いまして」


 アレンさんは呆気に取られた表情をしてから、頭を下げる。


「ありがとう」

「すぐに用意できるものなので気にしなくていいですよ」

「……何故、こんなによくしてくれる」

「暇だったからですよ」


 それに毎日あんなに声を出すのはしんどいので、少しずつでも覚えてもらった方が遥かに楽である。

 一緒に本を探してから、個別の魔物の生態について書いてある本で妥協して読み始めているアレンさんの隣で僕も他の本を読む。


 わざわざ話す必要もなく、時々尋ねられる言葉の意味を除けば会話もなく時間が過ぎていく。 僕が10ページも20ページもめくって、その間にアレンさんは1ページめくるぐらいで非常にゆっくりしたものであるけれど、確かに読むことが出来ている。 すごく賢い人だ。


 この図書館に入れるのは、結構お金がないと大変なはずだ。 そう思うとお金持ちなのだけど、その割に文字も読めないのは不思議だ。

 この人だと、少し習えば覚えられそうなものなのに……。


 身なりは……あまり綺麗ではない。 昨日と変わらない服装だ。 おかしな人だと思うけれど、悪い人でもなさそうなので聞きはしないけれど、勝手に侵入しているのではないかという疑念が出てくる。


「何の本を読んでるんですか?」

「スライムから飲み水を作る方法について」

「……作る意味あります?」

「しばらく瓶に詰めていたら水に戻るらしい」

「そうですか」


 少し読んでからお昼ご飯を食べに行き、戻って来ても同じようにずっと読んでいたらしい。 ぐるる、とお腹の音が聞こえて、アレンさんに尋ねる。


「お腹空いてるんですか?」

「少し」

「お金、ないんですか?」

「いや、ある」

「食べに行かないんですか?」


 アレンさんは僕の顔をジッと見つめて、唾を飲み込む。 そんなにお腹が空いてるなら食べに行けばいいのに……薄らと思いながら、財布の中を確かめる。


「一緒に食べに行きますか?」

「行かない」

「出しますよ?」

「金ならあると言っただろう」


 ポケットから裸のままの銀貨を取り出して、僕に見せてから元に戻す。 見えかと思ってた。 なら、食べに行けばいいのにと不思議に思う。


「そういえば、吸血鬼が出たって噂で聞いたんですけど、本当なんでしょうか? いなくなってるものだと思ってました」


 アレンさんは僕の顔を見つめる。 なかなか逸れない目が気になって、身を隠すように捩りながら尋ねる。


「ど、どうしたんですか? その、ずっと見て……いくら僕が女の子っぽくなくても恥ずかしいですよ」

「いや、何でもない。 悪いな」


 不思議な態度だ。 もしかして、僕のことが好きなのだろうか、そういえば昨日もジッと見られていたし……。 すぐに首を横に振る。

 背も低くて胸もなく、女の子らしいところはないのだから、そんな好かれるはずもない。


「吸血鬼が出たのはいつ、どの辺なんだ?」

「吸血鬼って、噂なだけだから本当かは分からないですよ? 昨日の夜に北の商店街の近くですけど」

「……そうか」


 不思議な態度に首を傾げていたら、アレンさんは僕の読んでいた本を取り上げて、小さく確かに言う。


「今日はもう帰った方がいい。 帰ったら家から出るな」

「んぅ? まだお昼時ですよ?」

「いいから、言うことを聞け。 これは俺が返しておく」


 どこか必死なその態度に頷く。


「分かりました。 本を返してきてから帰ります。 ……よく分からないですけど」

「俺が返しておく」

「借りた場所分からないですよね。 すぐ近くですから自分で返してきます」


 アレンさんの手から本を取り返して、見張られながら本を元の場所に戻す。 少し目線をずらせば吸血鬼の本があったところだけど、見つからない。 アレンさんに借りられていたものかと思っていたが、そうでもないようなので他の人だろう。


 じゃあ、何でアレンさんは分かったのだろう。 そもそも一昨日とかは見たことなかったのに、吸血鬼の本を文字が読めない状態で見つけるのは不思議だ。 なら、なんでアレンさんは、挿絵を見ただけで……吸血鬼だと分かったのだろうか。


 首を傾げながら、アレンさんに図書館の入り口まで見送られて外に出る。 何がそんなに心配なのだろうか。 昨日買った材料でご飯を作って食べる。 早めに帰ってきたので、雑事を色々としてから、窓辺に座って溜息を吐き出す。


 不思議な人である、アレンさんは。 金糸のような髪は汚れてボサボサとしているのに不潔には見えず、汚いどころか紅い目は宝石のようですらあった。


 もの憂い気な表情とか、少し強引なところとか……同じ国の同じ街にいる人のはずなのに、どこか遠いところを感じてしまう。 見たことのない種類の人、そういう印象が強かった。


 そんな彼ではあるけれど、今日は無理矢理帰してどういうつもりなのだろうか。 暇つぶしに本を開くけれど、文字は滑って内容は頭に入ってこない。

 いないアレンさんのことが気になる。 純粋な好奇心とは違う興味が出てくるけれど、今から外に出て会いに行っても、帰ってしまっているかもしれないし、会っても怒られるかもしれない。


 何故、帰れと言われたのか。 なんであんなに焦っていたのか……。 ぬかるみのような思考に囚われていると、突然訪れた銃声に肩を震わせる。


 近い。 驚くべきほど近い。

 気がつけば、夕暮れ時も終わり、外は薄暗くなっている。 断続的に続く銃声と罵声、人の声と無機物の声、恐怖を煽り、音だけしかないけれど、臆病な僕を縮こませるには十分すぎるほどだ。


 この時間は……僕が買い物を済ませて帰ってくる時間であることに気がついた。 もし今日、いつも通りに帰っていたらと思うと肝が冷えるばかりで……それを見越していたようなアレンさんの発言に違和感を覚える。


 吸血鬼のうわさ。 何故か挿絵だけで分かった吸血鬼。 読めない文字。 鉄の匂い。 金髪と紅目。 今、この状況を予想したこと……。


 嫌な状況証拠ばかりが揃って……銃声。 僕は堪らずに布団を被って、逃げるように目を閉じた。



◆◆◆◆◆◆◆◆



 逃げればいいものの、馬鹿なことをしてしまうのは好奇心のせいか、あるいは自殺願望でもあるのか。

 朝早くから、図書館の中に入ってしまう。


 僕の姿を見て珍しく驚いたような表情を見せたアレンさんは、昨日よりも一層のこと血の匂いが強い。


「……おはようございます」

「ああ、おはよう」


 聞かなければ、あなたは吸血鬼なんですか? と、けれども僕の口は開けど喉は震えず、変にパクパクと動くばかりの間抜け面だ。


「昨日は……ちゃんと読めましたか? 本、僕が帰ってからも」


 そんなことを書きたいわけではない。 けれども口は誤魔化すように動いて僕の意思に反したことばかりをする。

 気まずそうに、アレンさんは口を開ける。


「大丈夫だ。 慣れてきた」


 随分早い学びである。 羨ましいという感情は緊張していても出てきて、自分の性格の悪さにほとほと呆れてしまう。

 聞こうとしながらも、聞くことは出来ず、頭で繰り返される質問の内容ばかりがより洗練されたものになっていく。


 もし、彼が本当に人を殺して血を啜る吸血鬼であったとしたら、聞いたら僕は殺されてしまうのだろう。

 なのに……僕は何故そんなことを聞きたがっているのか。 自殺願望があるわけではないと思う、思いたい。


「……今日は早く帰らなくても大丈夫なんですか?」


 皮肉めいた言葉を絞り出す。 恐怖より聞きたいという感情が少しだけ上回った。


「……今日は、大丈夫だ」


 歯切れの悪い言葉に猜疑心が強まりながら、隣に座って本を読む。

 今日もアレンさんは魔物の生態についての本を読んでいるらしく、本が捲る音だけが図書館に響く。


 居心地が悪い。 それはアレンさんも同じなのかもしれないが、その様子を見せることなく、昨日よりも慣れた様子で本を読んでいる。


 しばらくして、お昼時だ。 本を読んでいるばかりの無職でもお腹は空く、とりあえず誘うだけ誘い、ぞんざいに断られて一人でご飯を食べてきてからまた席に戻る。


「どうですか? 知りたいこととか、知れましたか?」

「少しだけだな。 核心を突いたようなことは見つからない。 そもそも、あるのかも分からない」


 大変だと他人事に思いながら、普段は見ない瓶があり、不思議に思って首をかしげる。


「その瓶、なんですか? 水筒代わりです?」

「いや、スライムを入れていた。 本にあった通りに水になったな。 流石に飲む気はしないが」


 不思議な話だと思うけれと、だから聖書でもそのように書かれたのかもしれない。 自由を奪えば元のものに戻る、ゴブリンやら他の魔物もその通りなのだろうか。


 今読んでいる本を閉じて、聖書関連の本を探してから持ってくる。

 1ページ目から順々に読んでいき、案外内容がしっかりしているというか、常識に対する理由付けみたいなことが多いことに関心を覚える。


 読み進めていると、アレンさんが零すように呟く。


「……吸血鬼は、日に弱い。 道幅が狭く、比較的背の高い建築物が密集している北側は、多少であれば日があっても気を付けながらなら活動が可能だ」


 何のつもりの言葉なのか、表情を見ることの出来ない今だと分かるはずもない。

 まるでまだ吸血鬼が普通にいるような、それも当然のことみたいな言葉はいないことが当然として生きている僕には現実味がないこととして受け取ってしまう。


 紙に垂らしたインクと、同程度にしか彼の言葉を受け取ることが出来ない。


「吸血鬼が、まだいるなんて」

「ここいらじゃ少ないな。 蒸気機関の進んだ日中でも霧で薄暗い街なら時々見かける」


 吸血鬼を見かける。 それこそ別の世界の話のようだ。

 海の向こうのことはあまり情報が伝わらないため、ここと離れた常識があっても不思議ではないが、アレンさんがそこにいたというのも不自然極まりない。

 好奇心は失せた。 死の恐怖心に勝つ恐怖心が現れて、アレンさんの言葉を遮るように口が動いた。


「どちらにせよ、関係のないことです。 僕たちには」


 なんで「たち」と付けたのか。 逃げ出すみたいな言葉、それ以上の返答を無視するように、本のページをめくった。

 慣れているはずの静寂が嫌に痛い。 どこか本から遠ざかっている身体の感触は布が覆っているようである。


 息苦しい。 そう思うなら逃げればいいものを、ムキになったのか、分からないけれど僕は動かない。


 いつもより早く捲られる本、入らない内容。 いつもより遅くまで図書館にいて、簡単な挨拶をしてから家に帰る。

 そんな日が長く続いた。


 時々、今日は早く帰れと命令されて、その意図を知りつつも尋ねることも出来ずに頷くしかない。その日はだいたい吸血鬼が暴れている。 街の中の噂も真実味を帯びてきて、存在自体は疑われることもないほどには浸透してきた。


 被害も少なくない。


 怖がる声や、怒る言葉。 目の前にいるアレンさんの疑わしさは度も過ぎていて、このまま放置すれば被害は増えてしまうのかもしれないという考えが頭を過ぎる。


 二人きりで過ごす時間も慣れた。 恐怖心にも同様である。 この言葉を発するのに、何週間かかったのか。


「……なんで、吸血鬼の出る日が分かるんですか?」


 答えは返ってこない。 聞こえていないわけではなく、本を捲る音はなくなって、息遣いだけが聞こえる。


「吸血鬼に詳しい理由は、いつもお腹を空かせているのは……今、押し黙らないといけない訳は……」


 聞きたくない。 だから口は言わせないようにと、似合わないのにペラペラと動く。 絶えず言葉を吐き続けて、アレンさんが言葉を発せないように、ただ一人で話続ける。

 当然……息は切れる。


「人になりたい」


 彼はそう言ってから、本を閉じた。 紅い目が火のように揺れて僕を見る。

 泣きそうと言うには力強く、怒るとするには自信がない。


「まるで……人じゃないみたいなことを……」

「父から聞いた言い伝えがある。

『永遠を望んだ人は……永く昏き生を得て、人を想う心を失い、血を啜る鬼(ヴァンパイア)となった。』

今日はもう帰った方がいい。 ……吸血鬼が出たからな」


 悪い笑みを浮かべて、見たこともない牙を剥く。 どうにも現実味が薄く、本のページをめくって目を落とす。


「……何を言うべきなのか……。 血を飲むんですか?」

「……図太いな」

「……吸血鬼だと思いながら、ずっと過ごしていましたから」


 今更といった感想だった。 違っていてほしかったけれど、それなら仕方ない。


「血は吸う。 人の敵だ」

「僕、通報した方がいいんでしょうか」

「……した方がいい。 長いこと一緒にいたのだから、何もしなければ協力者と疑われるだろう」


 アレンさんはそう言ってから、僕の本を取り上げる。


「……自分で返しますよ。 本の場所分からないでしょ」

「もう覚えた。 今日は通報してから帰ったらいい。 俺も適当に跡を残してから消える」

「通報、しませんよ」


 アレンさんは僕の身体を見据えて、無理くりに抱き寄せる。 突然の行動に目を白黒させながらも抵抗はせずになされるまま受け入れる。


「少し、痛むぞ」


 吐息が頰を撫で、ゆっくりと首筋に落ちてくる。 鋭利なものが首に刺さる感触。 痛い、それ以上に湿気た唇の感触が恥ずかしい。

 何をされているのか理解したのは……舌で出来たばかりの傷口を舐められてからだった。


 見なくても分かる、真っ赤になってしまった顔。 恥ずかしい、穴に入りたい。 恨みがましくアレンさんを睨むと辛そうな表情をしていた。


「それがあれば、襲われたと言って信じられるだろう。 怖くて黙っていたというのも言い訳になる」

「言い訳をするつもりなんて……」


 彼は目を逸らしながら本を手にとって、小さく頭を下げる。


「……助かった。 文字を教えてくれて。 一緒に過ごしてくれたことも、俺の言葉を信じてくれたことも。 ……ありがとう」

「お礼、なんて……これで終わりみたいな」


 図書館だ。 近くに人気はなくとも、騒げばバレる。 縋り付くことは出来ない。 けれど、僕を追い出すつもりの彼は大声を出すことも出来る。


 自分の身を人質にした脅しみたいな……卑怯だ。 けれどやはり、離れられない。


「なんで君は、ミアは……俺に拘る。 ただの知り合い、それも吸血鬼だ」


 アレンさんの言葉は何もおかしくない。 ただ、一緒に本を読んでいただけの中で、会話も多くなかった。 友達というほど親しくないし、その通りでしかない。 でも、否定したい。 アレンさんが僕にとってどうでもいい人だと、認めたくなかった。


「……僕は、友達が、少ないから」


 言い訳のような言葉はアレンさんに届くことはない。 離れていく背中、追いかけられるはずもなく、噛まれた首筋が酷く痛む。

 上着を首筋を隠すように着て、僕は外に出た。


 いつものようにお店によって、買い物をして家に帰る。 ……いつも通りだ、当たり前みたいに、いつもと何も変わらない。


 味も匂いも食感も、何か薄い布を噛ませたみたいに薄く感じて……首筋の痛みだけが、苦しいほどに生々しい。

 掻き毟るみたいに傷跡を触って、指についた血を見る。 紅く、アレンさんの眼を思い出し、指を舐める。


 鉄の錆びた不味い味がする。 窓際に座って、いつの間にか暗くなった空を見て、それでも明るく見える月を眺める。


 やっと、気がつく。


 僕は失恋をしたのだ。 恋を知る前に、失恋を知るなど……おかしなことだけれど、ポカリと痛みもなく空いた胸の感触がそれを物語っていた。

 いつの間にか、いつのことだか……人ですらない彼のことを好きになってしまっていた、恋をしていた。 終わってから気がつくなんて、マヌケも過ぎる。


 自嘲する気すら起きない。 首を触って想う……あのまま吸い殺してくれた方が、幾分かマシだ。

 僕は、頭がおかしい。 そう思わなくてはならないほど、彼に会いたいと思った。



◆◆◆◆◆◆◆◆


 翌日、図書館に行った。 道はいつもと同じで、日のあたり方も何もかもほとんど同じだ。 だから、図書館に行けばいつものようにいるものだと思って、いつものように図書館に入り、棚の間をすり抜けて……いるはずのアレンさんの姿を探す。


 現実逃避だ。 分かっていた。 いつの間にか返ってきていた吸血鬼の本を開いて、現実味のないままそれを読んでいく。

 読み終われば最初から読み返して、知識を詰め込む。 意味はないと思うけれど、それでも読み返して、読み返して。 家に帰って、図書館にきてまた読んで、家に帰って、図書館にきて読んで、意味は帰って図書館にきて──。


 何日経った頃か。 初めて涙が零れおちる。ボロボロと、意識もせずに出てくる涙を服の袖で拭って、袖が濡れている。


 会いたい、会いたい。 話したいわけじゃない。 友達になりたいわけでも、ましては恋人になりたいなんて、思っていない。

 ただ、隣に彼がいて……。


 僕もアレンさんも本を読んでいる。 何か会話があるわけじゃないけれど、時々アレンさんの方に目を向けると、偶然なのか僕の方を見たアレンさんと目が合う、それで目を逸らして本に向ける。 そんないつものことで良かった。


 聞かなければ、彼との時間は続いたのだろうか。


 そんな訳はないけれど、だけど、あと数日は……今のこの時間ぐらいは……一緒にいれたのかもしれない。

 馬鹿な妄想から逃げるように、本を読む。 それも逃避だろうけど、弱い僕はそれしか出来ない。


 いつものように家に帰ってご飯を食べて、魂が抜けたようにぼうっとする。

 久々に銃声と人の怒鳴り声が聞こえて……思わず立ち上がった。 最近のこれは吸血鬼が出たからだ。 なら、会える。

 急いで外に出て、銃声のする方に走る。 不慣れな運動に息を切らせながら駆けて、怖い男の人の声に怯えながら向かって、金の髪が宙を舞ったのを見る。


「アレンさん────! えっ」


 違う。 金の髪に、紅い目。 血の付いた口元……異形を示す牙。 けれど違う。 バケモノみたいな人型の生き物。


「そこを──どけッ! ……いや、それより」


 吸血鬼の男の喉が鳴る。 舌舐めずり、恐怖に頭が塗りつぶされて、声が引きつって出ることはない。 人の声は遠い、助けはまだ来ない。 それよりも遥かに早く吸血鬼の男の人が僕を殺す方がよほど早い。


 怖いのに嫌に冷静で、あの時にアレンさんに吸われていた方が良かった、なんて変な選り好みをする。 男の人の牙が近づき、後ずさったけれど、民家の壁に追い詰められる。


 僕は死ぬ。 そう思って目を閉じた。


 ……痛みはない。 パパッと死んだら案外楽なものだったのだと思っていれば、身体が暖かくなる。 抱き締められるような……落ち着く暖かさだ。


 死後の世界を拝んでやろうと目を開ける。 暗い街中、血液がそこら中に飛び散っていて、あの世ではなく幽霊だったかと思っていたら、その血液の場所がおかしいことに気がつく。


 パタリと呆気なく倒れる音がする。 吸血鬼の男の人、僕を殺そうとしたその人は……倒れていた。 人であれば、いや、例え吸血鬼であっても間違いなく致死量の出血。


 何が起こったのか、理解するより前に肩を何者かに掴まれて痛みに顔をしかめた。


「馬鹿がッ! 何故こんなところにいる!!」


 初めて聞く焦った声、恐怖と喜びと安堵と悲しみと、色々と混ざり切った感情が溢れ返って、喉から溢れてくる。


「アレンさ……ん……」

「ッッ! 逃げるぞ!」


 抱き抱えられて、感じたこともないような風が吹く、いや、僕が動いているらしい。 屋根から屋根へ……翼が生えているように夜の空を飛んでいく。


 常識というものが失われていくようだ。 本で読んだ吸血鬼の能力を遥かに超えているようにすら感じる。


 涙が出てきて、アレンさんは僕の顔を胸に埋めさせながら抱き締める。 嬉しい、などと言えるほど余裕はないけれど、会えたことは……ただ嬉しい。


「馬鹿が……馬鹿がッッッ!! 死ぬところだったッッ!!」

「あ……そ、その……」

「何を考えている! 巻き込まれたぞ! 俺が助けたところも、お前の顔も見られた! これからどうやって生きるつもりだ! 街を歩くことすら……!」


 男の人の怒る声は怖い、でも僕のためにと思えば不思議と愛おしさすら感じる。

 落ちないように抱き着くと、乱雑に抱き締められながら……夜の街を跳んだ。


 身を隠すために現地から遠く離れた路地裏に入り込み。 壁に追い詰められるように詰め寄られる。 アレンさんの手が壁に伸びて、僕が逃げられないようにしてから、見下ろすようにしながら言葉を吐きちらす。


「何のつもりだ。 吸血鬼が出ると、散々言っただろう」


 少し落ち着いたらしいアレンさんだけど、苛立った様子はそのままで僕を睨みつける。


「あ……と……そ、その、吸血鬼が出たらしいから……アレンさんに、会えると、思って……」

「俺があんなマヌケなことをすると思ったのか。 ……殺すまで人の血を飲んだりはしない。 適当な動物とかで誤魔化していて、あとはそれ用の売人がいるからそいつから買ってる」

「……す、すみません」


 謝るけれど、溜息を吐き出したアレンさんは怒ったままだ。


「荷造りしろ。 吸血鬼に助けられたところを見られている、仲間だと思われているだろう」

「荷造りって……」

「仕方ないから、今から出るしかない」


 やっと、布が取り払われたように感覚が戻ってくる。 抱き締められた熱や、恐怖心が戻って腰が抜けて壁にもたれながらズルズルと身体が落ちる。


 アレンさんに手を握られて、仕方ないといった様子で持ち上げられる。


「家、あそこの近くですけど……」

「荷造りは諦めろ。 今から出るぞ」


 闇雲に隠れたわけではなかったのか、物陰から荷物のようなものを取り出して、それと僕を両手に抱えて道を跳ねる。


「今まで通りの生活は出来ると思うな」


 頷いた。 好きだと言いたい。 なのに死ぬ勇気はあっても振られる勇気はないのか、頷いた姿のまま俯いた。 今までの生活を全て捨てるのに……後悔は出てこなかった。 嬉しい、会えて嬉しい。 そればかりだ。


 色々考えていた、あるいは何も考えていなかった。 抱き締められた感触に浸り、羞恥の熱に浮かされていた。 そうしている内に街から離れており、魔物と呼ぶのに相応しい速さで道を駆け抜ける。


 本当に吸血鬼なのだと、遅らせながら実感する。 それからやっと、全てを失ったことに思い至り、冷や汗が頰に浮かぶ。


 人から追われるようになって、吸血鬼に誘拐されている。 絶望的な状況だとやっと気が付き、遅すぎることを思う。

 僕はどうかしていた、と。


 恋など知らなかったから、加減が分からなかった。 どれほど身を任せられる感情なのか、分かっていなかった。


「……悪い巻き込んで」


 違う。 僕が会いにいったからである。 否定しようにも、溢れるような感情が邪魔をして口に出来ない。


「……ごめんなさい」


 代わりに出たのは情けない謝罪の言葉だった。


 小屋を見つけたのか、それともそこにあることを元々知っていたのか、アレンさんはそこに入り込んでカーテンを閉めて扉などの施錠をしっかりとしてから、乱雑に身体を床に座り込ませる。

 結構な時間を走ったはずなのに汗や息切れの一つもない。

 人間離れしている、と当然のように思った。


 また怒られると覚悟していたけれど怒鳴るような声はなく、落ち着いた声で、ポケットから赤い瓶を取り出し、ちびちびとそれを口に含んでいく。


「……それ、血ですか?」

「そうだな。 色々と処理を施されているものだが」

「加工するんですね……」

「生でも良いが、日持ちはしないからな」


 てっきり血を飲まれるものだと思っていたので少し安心する。

 前のように首元を舐められるのなど、恋心に気がついた今だと恥ずかしさで死んでしまえる。 ……汗とか大丈夫だっただろうか。


「……なんであんなところにいた?」

「……会えるかと、思って……アレンさんに」

「迷惑かけていただけだろう」

「そうかも、しれないですけど」


 でも、彼が隣にいてくれることが心地よかったのだ。 一人きりの本を読むだけの世界に、話もほとんどしないけれど、毎日会って挨拶をして……隣に座って本を読む。


「血を吸う鬼に対する迫害は強い。

今までは細々と暮らしていたけれど、霧の国から来た吸血鬼は気性が荒く、数も多い。

あの街の連日の騒ぎでもそうだったように、生存が知れ渡った以上は人から狙われるだろうな」

「……そう、ですか。 その、アレンさんは元々いた吸血鬼なんですか……?」

「そうだな。割と古くからあの街にいた。 ……あの吸血鬼を咄嗟に殺したからな霧の国から来た吸血鬼が襲ってくるだろうな」


 血濡れの光景を思い出し、身体に少しそれが付いていることに気持ちが悪くなる。 スプラッタは苦手だ。


「襲ってくるって……」

「あの街に元々いた吸血鬼は俺だけだ。 人に簡単に殺されるような生き物でもない。 すぐに俺がやったと知り復讐をしにくるだろう。

霧の奴等は仲間意識が強いからな」


 僕のせいで……だった。 あの現場は、僕があそこにいたから起こったことで……。 ぐるぐると頭の中で考えが巡っていると、アレンさんの手が僕の頭に伸びる。


「……ああ、なんというか……その、あれだ。 気にしなくていい」

「気になりますよ。 だって、僕のせいで人からも吸血鬼からも……」

「遅かれ早かれ……人からは見つけられていただろう、霧の奴等とも争いになっていただろう。 どうせ少ない牌の取り合いだ、早い内に一人仕留められたと思えば都合もいい」


 分からなかった。 人、それも金銭的に恵まれていたから、足りないことを知らなかった僕にはよく理解の出来ない話だ。


「同じ吸血鬼同士……とか」

「人も、パンが一つしかなければ奪い合うだろう。 元々同族に似た人間を襲う生き物だ。 同族殺しの忌避感は薄い」

「……そうですか」

「それに俺は人が割と好きだからな。 食物としてではなく。 吸い尽くして殺すというのも不快だった」

「……すみません」

「謝らなくていい。 霧の奴等を殺せば済む話だ」


 物騒にもほどがある。 そう思うけれど、種族の差であると言われてしまえばそれ以上何かを言うことは出来ず、押し黙る。


 少し日が出てきたのか、カーテンの隙間から灯りが溢れ、アレンさんは少し不快そうに表情を歪めた。


「……悪い。 そこ、何かで塞いでくれ」

「あっ、はい……。 灰になったりしちゃうんですか?」

「よほど長いこと出ていなければ灰にはならない。 まあ、動けないほど傷を負うのはすぐだが」

「気をつけないとですね。 ……寝るんですか?」

「……悪い。 少し……眠いな」


 そう言いながらアレンさんはベッドの下の隙間に入り込む。


「ベッドで寝ないんですか?」

「暗くないと落ち着かない。 ……上で寝ればいい」


 いや、ベッドの下に男の人がいたら寝られるはずがないだろう。 襲われたりしないのは分かっているけど……恐怖である。

 椅子に座ったまま、首を横に振る。


「僕は夜に寝ます。 人がくるかもしれませんし、夜はどうせ背負われるだけでしょうから」


 また「悪い」と謝られて、謝られてばかりだな……とカーテンを物で抑えながら思う。

 イビキは聞こえないけれど、もう寝たのだろうか。


「おやすみなさい」


 一応それだけ言うと、小さく返事がくる。

 勢いでここまで来てしまい取り返しもつかないけれど……。 先への不安はある。 思えば今日のご飯もない。


 後悔は不思議とないけれど、話し相手も読む本もない昼間はどうしても退屈で嫌なことばかり考えてしまう。


 人になりたいと、別れる前に彼は言っていた。 本当に人ではないのかと、見ても分からないから現実味が薄い。 単純に吸血鬼……魔物に恋をしてしまったと思いたくないから現実逃避をしているだけかもしれない。


 好きになった理由も定かではなく、不確かなものに身を任せてしまったという感覚が強い。

 時間が馬鹿みたいに余っていたら変に考えてしまう。


「まぁ……いいか」


 本を読むだけの人生でも良かったけれど、このまま何かしらで死んでもいい気もする。

 ベッドの下を覗き込んでみると、どうやら少しの太陽の光も嫌らしく、こちらに背を向けて奥で蹲っていた。


 ここまで警戒されていないのは信頼されているからと考えていいのだろうか。 少し眺めてから溜息を吐く。 ……そんなに好かれていると思いたいのか、僕はバカだ。


 これでもマトモな教養はあるはずだから、魔物と分かっていながらも好きなままなのは……まぁ頭がおかしいのだろう。


 うとうととしながらも何とか意識を失わずにいれば、カーテンの奥の光が赤くなっていて、部屋の中も若干暗くなっていく。


 ガサゴソ。 ベッドの下から這い出るようにアレンさんが現れて気持ち悪そうに溜息を吐き出す。


「あ、おはようございます。 ……早くはないですけど。 調子悪そうですけど……大丈夫ですか?」

「最近、昼夜がおかしくなっていたからな。 寝すぎて気持ち悪いだけだ」


 僕が恋やら魔物やらで気まずい気分ながら尋ねると、気だるそうに答えて瓶に入った血をチビチビと飲む。


「血って、もっと飲むものだと思っていました」

「高いからな。 獣の血で十倍ほどに薄めたりと工夫はしているが……」

「人によって、飲む量が違うんですか?」

「体が大きい方が飲むな」


 それは普通である。 名残惜しそうに栓をしたアレンさんは僕の首元をジッと見つめてから溜息を吐いた。


「ようは我慢出来るかどうかだ。 基本的に人の血はなくても生きられるが、吸わなければ飢餓感がある。 身体が大きいほど飢餓感を覚えやすく量もいる。 飢餓に耐えられない奴ほどよく飲む」

「……じゃあ、あの人は?」

「人では、ないな。 あれは特に我慢が効かないやつだ。 ほとんど思うままに好き放題飲んでいたらしい」


 アレンさんは嘲るように「だから霧の国から追い出されたのだろうな」と言い放って、血の瓶を布で包んで懐にしまい、唇に少し残った血を舐める。


「アレンさんは……?」

「俺は……あまりだ」

「あまり?」

「……あまり我慢強くない。 それに、直接人の血を啜りたがる趣味だから、近寄らず距離をおけ」

「……背負われるんですよね?」

「……そのときだけだ」


 そういえば、頻繁に首とかを見つめられていたのはそういうことなのだろう。

 少し頭を傾けて首を見せて尋ねる。


「……飲みます?」

「…………」


 アレンさんは無言で僕の首を見つめて喉を鳴らす。 少し僕に近づいてから、首を横に振る。


「……飲まない」

「でも、血を飲んだ方が楽になるんですよね。 十倍に薄めれるぐらいなら、瓶十分の一の量で済みますし、それぐらいだったら、僕に被害はありませんけど……」

「ミアは食い物ではない」


 自分に言い聞かせるようにそう言って、僕にマントを投げ渡す。

 半ば強引にそれを被らされて、戸棚を漁り、乾パンのようなものを取り出す。


「飯食ってないだろ。 人がどれぐらいいるのかは知らないが、これで足りるか?」


 手渡されたのは小さな乾パンが一切れで、どう考えても足りない。 その僕の表情を見たのか、アレンさんは小さく頭を下げる。


「悪い、それだけしかない。 多少金の蓄えもあるから街に行けば……」

「……その、すみません」

「いや、俺が巻き込んだ」


 乾パンを齧る。 あまり美味しくないし、一日近く水を飲めていないので酷く喉が乾く。 我儘も言っていられない、街に着けば水は手に入るだろうと、アレンさんに連れられて外に出る。 すっかりもう暗くなっていて、夜目も効かない僕にはあまり景色は見えない。


「乗れ」


 しゃがんだアレンさんの背に乗ると、脚に手が回されておんぶされる。 動き出すと身体が後ろに持っていかれそうになり、必死にしがみついて落ちないようにする。


 少しすると安定して、溜息を吐く。 横の景色が滑るように消えていき、とんでもない速度で走っていることを知る。


「家とか、あるんですか?」

「ある。 吸血鬼は発見されてほとぼりが冷めるまで隠れるために別の街に家を置くことが多い」

「お金持ちなんですね」

「人より金をかけるものが少なく、人より強靭な身体は金を稼ぎやすい」


 まあそれもそうかと頷き、眠気も限界がきて、一つ声を掛けてから目を閉じる。

 喉も渇いて、お腹も空いているけれど、眠いものは眠い。 フラフラとした頭で、強く支えられていることに安心感を覚えながら意識を失った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 肩が痛い。 そう思って目を開けると、見開いた紅目と視線がぶつかり、驚くと紅い目が跳ねるように遠のいていく。


 背中の上ではなく、ベッドに転がされていることに気がつき、喉の渇きに気持ち悪さを感じる。


「……あ、えと……」

「悪い。 起きなかったから心配で……覗き込んだ」

「あ、いえ、おはようございます」

「おはよう」


 食べ物の匂い。 見回すと、窓がない以上には特徴のない部屋で、机の上に大量の料理が置かれていた。


「あれを食べればいい」

「すみません、用意させて……」

「あれなら足りるか?」

「……すみません、食べきれそうにないです」

「多かったか」


 じっと見つめられて、気まずさを覚えながら、期待されているようだったので椅子に座って……フォークもスプーンもないことに気がつく。


「あの、フォークとか、スプーンとか……」

「……あ、忘れていた。 そうだな。 ちょっと待ってくれ。 確か、以前に売りつけられて……っと、あった。

他に足りないものはないか?」

「……お水があれば……助かります」

「ああ、待っていてくれ」


 急いで別の部屋に取りに行き、コップと共にスプーンとフォークが置かれる。

 長く見つめられながら食べるのは気まずいけれど、僕もアレンさんが血を飲むのが物珍しく見つめていたので、何かを言うことが出来ず、コップに手を伸ばして口につける。


 空いたお腹に入っていく感覚が少し気持ち悪く、長く飲まず食わずでいすぎたらしい。

 興味がそんなにあるのか、じっと見つめられながら、スープに手を伸ばして、出来る限り行儀よく食べる。


「汁っぽいのが好きなのか?」

「いえ、ちょっと食べていなかったので、いきなり色々入れたら、気持ち悪くなるんです」

「なるほど」


 パン、お肉、お魚、と食べる。 アレンさんはじっと僕を見つめる。


「あの、どうかしましたか?」


 耐えきれずに尋ねると、アレンさんは小さく謝ってから理由を話す。


「美味いか?」

「え、あ……はい。 とても」


 とても……ではないけれど、好きな人に見つめられながら食べるご飯の味が分かるほど図太くはない。

 多分、ちょっとしょっぱい。


 珍しく笑ったアレンさんを見て、なんとなく口角が上がってしまう。

 いつもは……とは言っても、吸血鬼としての彼を見たのは少しで、ほとんどは図書館でゆっくりと過ごしていただけだけど、あまり笑う人ではない。


 嬉しくなって、ニコニコとしてみれば、彼は目を逸らしてご飯を勧めてくる。 変な顔をしてしまっただろうか。


 行儀よく、綺麗に、と気を張りながら食べるけれど、量が多すぎて食べきれない。 どうしよう。


「食べきれないなら捨てるからいい」

「もったいないですし……」

「人は無理すると苦しんで死ぬんだろ。 生きるための行為で苦しむ必要はない」


 日持ちしなさそうなものから順に出来る限りたくさん食べて、後にでも食べることにする。


「そういえば、今は……」

「日が出ている時間だ」

「朝ですか? 昼ですか?」

「さっき明けたところだから、朝だな」


 じゃあ、もうアレンさんも寝るのだろうか。棺桶とかだろうかと思っていると、彼は眠たそうにしながらクローゼットから布を引っ張り出してそれに包まってベッドに転がる。


「棺桶じゃないんですね」

「家の中に入られたらすぐにバレるだろ、そんなの。 ……家の中は好きに使ってくれていい。 悪い寝る」


 それはそうである。 ……それにしても、あまりに活動時間が違いすぎていて、あまり話すことも出来ない。 おそらく彼の家だろうけど、土地が分からないのは少し不安だ。 けれど、起こすのは忍びないので仕方なく黙る。

 ……部屋の掃除でもしておこう。 暇だし、しばらく空けていたからか埃が溜まっている。


 起きないように別の部屋から音を立てないように埃を集めて捨てていく。


「褒められたりしますでしょうか」


 頭を撫でられる想像をしてみるけれど、申し訳なさそうに頭を下げるだろうな、と小さく笑う。 それも彼らしいので嫌ではない。

 そんなことを思っていたらそう広くもない掃除はすぐに終わってしまい、仕方なく元の部屋に戻ってアレンさんが包まっている布を見る。


 一人だと暇だ。この前まで文字を読めなかったので当然だけど、本もないので暇を潰せない。


 ずっと僕が寝たらアレンさんが起きて、アレンさんが寝たら僕が起きて、と繰り返していたらほとんど話せないことに気が付き、今のうちに寝た方がいいような気がしてくる。


 でも、ベッドは一つしかないし、代わりになるようなものもない。 アレンさんが使っているし……うん、家のものは好きに使っていいって言っていました。

 いやでも……男の人と同じベッドで寝るというのは……。


 結局、そんな勇気はなかったのでちょっとの埃もないように家をピカピカにする作業に移る。


 それも終わって暇をしていると、昼間なのにアレンさんが目を覚まして、布から出てくる。


「……夜は、少し知り合いに会いにいく」

「え、あ、はい」

「……顔ぐらいは合わせておいた方がいいかもしれない。 今のうちに寝ていた方がいい」


 それで起きたのか、アレンさんはベッドから降りて布に包まり始める。


「吸血鬼の方ですか?」

「いや、人間だ。血を融通してもらっている」

「お金はあるんですよね? その方が売ってくれるなら……」

「量に制限がある。 幾ら積んでも、そいつが危険な橋を渡ることはないから意味がない」


 ……それって、霧の国の吸血鬼さんが会っていたら買えないってことなのではないだろうか。 ……少し不安に思う。


「ベッド、アレンさんが使ってくださいよ」

「人ほど柔くはない」

「……恩人を下に寝られませんよ」

「恩人だと思ってるなら使ってくれ。 ……ただでさえ昼には寝にくいだろ」


 その言い方はズルい。 諦めてベッドに入り、掛け布団を被る。 長いこと寝ていたので、まだ眠気はない。 頑張って寝ないと。 必死に目を閉じるけれど、寝たり起きたり繰り返す羽目になってしまった。


 アレンさんが起きて、僕も起こされて二人で食事をする。 アレンさんは瓶の血を飲むぐらいだけど、一緒にしたことが重要なのだ。 僕にとっては。


 夜の街。 窓の外を覗くことはあったけれど、危ないということもあるので、実際に歩いたのは初めてだ。

 一応気にしてくれているのか、アレンさんは歩幅は小さく歩調はゆっくりとしていて、僕を庇うように一歩前を歩いている。

 暗い道で段差があると軽く手を持ってくれ、お姫様扱いか、それとも子供扱いかは判別出来ないけれど、それでも嬉しい。


「……今更だ。 今更ではあるが、何故俺に会おうとしたんだ」


 街の中でも目的の場所は遠いのか、彼は僕を休ませるためにベンチで立ち止まって、尋ねる。

 答えは単純だけれど、それを言ってもいいのか……分からない。

 種族が違うから、気持ち悪がられるかもしれない。 けれど、他に良い言い訳が思いつかなかった。


「……貴方が、好きだから……です」


 暗い中、彼の顔は見えない。 気まずさばかりが募って、言わなければ良かったという後悔が溢れてくる。

 苦いようなアレンさんの声が、夜に解けるように聞こえた。


「俺は人ではない」

「……はい」

「……文字を教えてもらった。 隣にいてくれた。 魔物と知っても、ただ隣にいてくれた。

それだけで十分だ。 俺の人生は、それで報われた」


 分からない。 良いという返事なのか、断りの言葉なのか。

 多分、断られたのだろう。 嫌がられたのか、気を使われたのか……。

 泣きたい。 けれど、やっぱりという気持ちが強く……気持ち悪がられなかっただけ、幾分かマシだ。


「……ごめんなさい。 変なことを言って」

「……いや、悪い」

「アレンさんが謝ることでは……」

「俺が人であれば良かった」


 人だったら、添い遂げてくれたのだろうか。 そんな言い草だけれど……人であれば良かったなどと僕が思うのは、残酷だ。


「……僕が吸血鬼なら、良かったのですか?」

「たらればの話など意味がないだろ」

「……ごめんなさい」

「何にせよ……。 もう遅い、巻き込むつもりもない」


 それはどういう意味で……と思っていると、アレンさんの手が伸びて、僕の首を掴む。 何をしているのだろうか、抵抗すら出来ないほどの力の差、すぐに意識が刈り取られた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 目が覚める。 どうにもはっきりしていない意識で、アレンさんに意識を奪われたことを思い出す。 ……生きてる?

 てっきり食べられるものだとばかり思っていたから、少し不思議だ。


 身体のどこも痛みがなく、数少ない貴重品……死ぬ間際に父母から貰っていた指輪も無事である。 分かりきっていたけど、強盗紛いのことをされたわけではない。


「あ、目が覚めた? ごめんね、ごはん作るけど、ちょっと待っててね」

「えっ……あ、いえ……」


 知らない女の人。 それに知らない部屋だ。

 アレンさんはおらず、時間も日の出ている時間。


「あの、ここは……それに、あなたは……?」

「アレンくんから頼まれたの、ほとぼりが冷めるまで預かっていてくれって」

「……ほとぼり?」

「あれ、聞いてないの? 吸血鬼に襲われたり、人に捕まるかもしれないから、事態が収まったら無事に帰れるように匿ってるの」


 ……確かに吸血鬼の話がなくなれば、街に戻ることは出来るだろう。 もともと人と関わらなかったし、終わった事件のことを探りにくることもないだろう。


 他の吸血鬼にしても、事態が何かに収束したら、仲間が殺された直接の原因ではない狙うことはなくなるだろう。


 どれぐらい時間がかかるのかは、少し分からないけれど。


「……アレンさんは? アレンさんは……直接、殺めたのだから……ほとぼりなんて冷めませんよね。 人から追われているのも変わらないと思うのですが……」


 女の人は、残念そうに首を横に振る。


「あれはもう助からないよ。 吸血鬼なのに、吸血鬼を殺したら、四面楚歌も当たり前だからね。

どこの誰も狙ってるから、助からないし、長くはないね」


 言葉を聞き終わる前に立ち上がろうとして、女の人の手に押しとどめられる。


「離してくださいっ! アレンさんが危ないんでしょう!」

「行って何か意味があるの? 吸血鬼を殺せるの? 人を説得出来る? 捕まるか、殺されるか、足を引っ張るか……」

「でも! 僕のせいなのに!」

「それでまたその「僕のせい」を重ねるの?」


 冷たい言葉に、黙り込む。 行っても何も出来ない。

 そもそも、僕の現在地も、アレンさんのいる場所も分からない。 走り回れば解決するものでもない。


 暖かいスープが目の前に置かれて、飲むように言われる。


「こんなことを、してる場合じゃ……」

「お腹空いたら、すぐに倒れるよ? それとも、アレンくんが死ぬまで断食でもするの? 今、襲われてるわけでもないだろうし、食べてる場合だよ」

「……でも」


 食べたい気分ではない。 好きな人が、僕のせいで危ないのだ。 物を食べて味わうような気持ちにはならない。

 そんな僕が気持ちは無視されて、女の人にスプーンを口に突っ込まれる。


「ミアちゃん。 私はアレンくんから頼まれたの。 だから……意味なく死ぬようなことはさせれないかな」

「……どういう関係ですか?」

「お客さんだよ。 お金貰って、ミアちゃんを預かってるの。 ……安心した?」

「いえ……別に」


 フラれたことには変わりないのだ。 安心も何もない。


「まぁ、ほら、あれだよね? もしかしたら霧の国の吸血鬼を全員倒して無事とかあるかもだしさ」

「……あるんですか?」

「まぁ、ないけど」


 期待させられた。 一瞬で倒していたから、もしかしたらと思っていたけれど、そんな都合がいいはずがない。


「実力自体は高いけど、吸血鬼同士がやり合えばすぐに人がやってくるし、そうしたらまた敵が増える。 アレンくんは人を殺したがらないから一方的なことになるだろうから、まず間違いなく死んじゃうね」


 死んじゃう。 なんて……軽く口にしていい言葉ではないだろう。

 そう思って自分の服の裾を握ると、彼女は溜息を吐きながら僕に向けて言う。


「……勘違いしてるかもしれないけど、私は貴方みたいにおかしくないから、吸血鬼に同情とかしないからね。

客だから物は売るし、お金がもらえたら頼みも聞くけど、それ以上はしないよ。 勿論小銭のために危ない橋を渡ることもしないから」


 女の人はそう行ってから、部屋を出て行く。 スープ……飲む気がしない。

 でも、塞がっていても何も出来ない。 無理矢理お腹に書き込んで、部屋を見回す。 カーテンを開けて窓を見て、時間を把握する。

 まだ昼だ。 正直なところ、僕の出来ることは極端に少ない、普段から本を読むことしかせずに過ごしていたせいで体力はなく、知識はあっても体験はないので知恵としても不十分。


 戦うなんて以ての外で、下手に治安の悪いところに行ったらそれで人攫いにあっても抵抗すら出来ない。


「考えないと」


 幸いなことに、時間はある。 情報が伝わるまでに幾らかの時間はあるだようし、それから見つかるまでの時間も……である。


 問題は如何ともしがたい、あまりにも違いすぎる戦力差だ。 人を相手にしても、吸血鬼を相手にしても、どちらにせよ挟撃になってしまう。

 こちらの人数がすくないのだから、戦うなんてこともほとんど出来ずに負けることは間違いない。


 遠くに逃げる。 なんてことを考えるけど、どこまで遠くに……他国に行くには海を渡らないとならないけれど、日中外に出れないアレンさんが小舟で海を渡れるはずもない。


 逃げられない。 ……いっそ、山の中とかなら……僕に必要なご飯とか水はアレンさんと協力したら手に入るだろうし、僕の血があれば、アレンさんも大丈夫だ。


 あとは、アレンさんを見つけて説得したら……きっと、死ななくて済む。 一緒にいれる。 悲しいことを言わせなくて、済むはずだ。

 近くの森は……と考えるけれど、この辺りは開発されて動物が減っているので難しいだろう。


 何にせよ、近くではないけれどそんな森は幾らでもある。 会って説得出来たらいいのだ。


 立ち上がって、女の人を探す。 あの人なら知っているかもしれないし、何にせよ聞くしかない。 そう思って廊下を歩いて部屋を開けて閉めてと探していき、お茶を飲んでる女の人を見つける。


「あのっ」

「ん、アレンくんの場所なら知らないよ」

「えっ……」


 出鼻を挫かれて、思わず口ごもる。


「そりゃ、君から離れるために私へ預けたんだし、私経由で居場所がバレたら意味ないじゃん」

「……でも、以前から親交があったなら、おおよその見当とか……」

「いや、わざわざ深入りしないよ、お客さんになんて」


 当てが外れた。

 とりあえず、動かなくてはだめだ。 街を歩かないことには土地勘もないのでどうしようもないと考えて、歩くついでに高い場所に行こうと思う。


「……少し、外歩いてきますね」

「んー、ここら辺は治安いいけど、一応路地とか、人気のないところにはいかないようにね? 早めに帰ってきなよ」

「……分かりました」


 女の我が身は不便なものだ。 そんなことを思いながら外に出て、キョロキョロと見回す。 見た目は普通の一軒家のようなので、場所を忘れないようにしっかりと覚えないとダメだ。 道や家を頭に入れたあと、とりあえず土地勘のために大きい道を歩いてみることにする。


 もしかしたら近くに、と考えるけれど道幅は広く、家と家にも隙間があって暗い道が続いている場所はない。 以前、アレンさんの言っていた吸血鬼のいやすい環境とは景観が離れている。


 ここにはいない。 建物の密集した地域となると、ここより幾分か治安が悪そうな場所になるようだ。 とりあえず、そちらが本命ではあるけれど、先に行くべきなのは、ここら辺で一番遠くを見れそうな、教会の鐘のところだろうか。

 あそこなら、近くの地理を一望出来そうだ。 今日はそこまで行こうと脚を運び、頼み込んで登らせてもらう。


 高いと言えどしれているので街を一望とはいかないけれど、近くの地理は少し分かる。 お礼と巡拝だけして、教会を去ると少し日が傾いてきた。 早足で女の人の家にまで戻ると、ご飯が用意されていた。


「食費ももらってるから、気にしなくていいよ」

「……ご馳走になります」


 また、探さないといけないけれど、夜の間は寝ることしか出来ない。 彼が辛く寂しい思いをしていると思うと泣きそうになるけれど、必死に涙を抑えて眠る。


 目を覚ましてはご飯を食べて歩き回り、家に戻ってご飯を食べて、また歩き回ってご飯を食べて寝る。 そんなことを繰り返しているうちに、焦燥していくが……見つかる手掛かりは、回収されきらなかったらしい銀の弾丸が一つと、噂話ばかりだ。

 灰になった人がいて吸血鬼だったとか、なんとか、もしかしたらアレンさんは……もう……。


 いやな想像を頭から振り払い、女の人の家に戻り、扉を開けようとしたところで勝手に扉が開く。

 身体の大きな男の人が何人も出てきて、怪訝そうに僕を見つめる。


「……これが言っていた預かっている姪か。 ……吸血鬼の特徴はないな」

「え、あ……あの、どうかされましたか」

「いや、何でもない。 ……街中でも魔物が見られている。 一人では立ち歩かない方がいい」


 それだけ言って、男の人達は去っていき、僕はそれを見送ってから家にまで入る。


 扉を閉めて、バクバクと鳴る心臓を抑えながらへたり込んだ。


「……何でバレて」


 ただの個人の家に数人で取り調べなど、滅多なことではない。 何事もなく引き下がったように見えたけれど余程の確信があってきたのだろう。


 ここも安全な場所だとは思えない。 ……少ししてから立ち上がって女の人のところにまでいく、そう言えばまだ名前を知らない。


 落ち着いてお茶を飲んでいるように見える彼女の前に行き、机越しに正面の椅子に座る。


「入るときに、男の人に会いました。 吸血鬼について調べているみたいですね」

「……最近、騒がしいからね」

「商人というのに、僕が来てから売ったりしてるところは見たことないです」

「まぁ、閑散期もあるよ」

「商売相手は増えてるのにですか?」


 不愉快そうに女の人の眉が顰められる。


「……どうしたの? いつもはおどおどしてるのにさ」

「それを言うなら……いつもとお茶の匂いが違いますね。 ぼーっとしながら淹れていたみたいですね」

「……それがなに?」

「結構、危ないんじゃないですか? 吸血鬼を相手に商売をしていることが、バレそうで」


 女の人は苦々しそうに口を歪める。


「……私を脅しても、分からないものは分からないよ」

「でも、例えば……貴女が捕まれば、心配してアレンさんがここに来るかもしれません」

「それなら私もあなたが姦淫しているって言うけどね」

「捕まったとしても、今のままより会える可能性は高いですから、問題はないですね」

「それなら、さっきに報告してたんじゃないの?」


 ピリピリとした慣れない雰囲気に気まずく思いながら、引くことは出来ないと続ける。


「……僕は、アレンさんと会いたいだけです。 だから、助けに来るようなことで、目立てば何でもいいんです」


 女の人は眉をひそめたまま僕の言葉を聞く。


「……お金はあります。 しばらく隠れるのも、隣町の僕の家を使えばいいですから」

「何をするつもり?」

「この家を焼きます。 木造ですし、この時期の夜なら燃えますし、目立つはずです」

「……本気?」


 僕は頷いて、彼女を見る。


「吸血鬼は遺体が残らないので、工夫すれば焼け死んだってことに出来ます。 そのあと逃げれば足取りは掴みにくいはずです」

「……で、お金も保証されるのか。 悪くはないけど、リスクも大きいね」

「絶対に捕まるのよりかは幾分かマシではないですか?」


 女の人はばたりと机に伏せて、大きな溜息を吐き出す。


「……愛ってすごいね」

「アレンさんが少しでも生きられる可能性が上がるなら、僕は何でもします」


 状況的な整合性を取るために調理をする過程で火事になってしまったように物を並べて、絨毯や本などを濡らして人型に丸めて置いたのを一つ用意する。 これで、焼けのこり方に人型に近い跡がついてそれっぽく見えるだろう。 料理時になり、家の場所を示した地図と家の鍵を女の人に渡し、家に火をつける。


 すぐに火が燃え広がり、轟々と音を立てるのを聞きながらその場を離れて、野次馬に紛れて遠くから見つめる。


 火事なんて、余程あるものではない。 幾ら噂話に疎いアレンさんでも、すぐに気がついてやってくるだろう。 火事の噂は、他のどんなことよりも早く伝わっていく。


 焼けていく家を見ながら、時が経つのを待つ、日が暮れ始めて吸血鬼がやっと活動出来る時間になる。 まだ来ない……。

 死んでしまったのかと、いやな想像ばかりが頭に巡って泣きそうになる。


 徐々に追い詰められて、へたり込みながら火を見つめたところで……黒い線が、焼け落ちていく火に入り込み、家が焼け崩れる音が聞こえる。


 今の、線は……幻覚かもしれない。 けれど、でも、と縋らずにはいられず僕は飛び出して焼け落ちていく家に飛び込む。


 喉が焼ける、一瞬で目が乾き、目を閉じながら祈るように叫ぶ。


「アレンさん!」

「ッ! ミアッ!」


 返事は一瞬だった。 抱き締められて、そのまま焼けている家から引き摺りだされ、多くの人に見られながら、アレンさんは僕を抱えて駆け出す。


「無事、だった」


 そういうアレンさんは少しの火傷と、血だらけの全身。 傷まみれの身体と……あまりにも、満身創痍といった様子だった。 駆けている途中で口から血が漏れ出て、風に運ばれて僕の頰に当たり、アレンさんは倒れ込む。


「……人に追われている。 吸血鬼と、バレた。 逃げているが、逃げ切れない。 その途中に家事と聞いて駆けた」

「……すみません。 あれ、自分で燃やしました」

「……悪い。 また、巻き込んだ。 ……ミアだけでも、逃げてくれ」


 そんなことが出来るわけがない。 僕が危ないと思って、自分が死にそうなのに火の中に飛び込んできてくれる人を置いて逃げれるはずがない。


 絶対に助ける。 一緒に生きてやる。 死んでも足掻いてみせる。


 肩を貸すには体格差がありすぎるので、腰を支えるようにして歩いて路地裏に入り込む。

 まだ暗いけれど日の出が近いはずだ。 早く移動しないと、と逃げようとすると、背後から叫び声が聞こえる。


「裏切り者が! 見つけたぞ!!」

「……逃げろ、ミア」


 背後から現れた吸血鬼の男がアレンさんに襲いかかり、アレンさんは僕を逃すように突き飛ばし、壁に背をやることで何とか立ちながら、手を前に出す。


 半生半死の状態で勝てるはずもなく、男の手がアレンさんの胸を貫き、引き抜く。


「アレン、さん……アレンさん!! アレンさん……」


 アレンさんの元に駆け寄ろうとすると、男が僕を掴んで止める。


「いい保存食を用意してやがったな」

「離して! アレンさんがっ!」


 暴れるけれど強い力に対抗など出来るはずがなく、簡単に壁に押し付けられて、牙が僕に向かう。


「ミアにッ!!触れるなッッ!」


 向かってきていた牙が止まり、顔が首元から離れていく。 首を掴んでいるアレンさんの指が男の首に捻じ込まれ、握りつぶして男の生首を放り投げる。


 どさりと男の倒れる音が聞こえて、アレンさんの顔が見えた。


「大丈夫か……?」

「大丈夫って、アレンさんが……」


 腹部を貫かれたのは幻などではなく、確かに貫かれた跡があり、生気を感じさせないアレンさんの顔を見れば、平気でないことなどすぐに分かる。


「俺は、問題ない。 吸血鬼は、人より丈夫で……」


 フラつく彼の身体を支えると、首を横に振られる。


「……逃げてくれ」

「……逃げません。 僕は、あなたと一緒に、いたいんです」

「……もう、俺は助からない。 まだ追っ手がくる」

「絶対に離しません。 好きですから」


 アレンさんを支えるながら、ゆっくりとした足取りで路地裏を進む。 教会にあった倉庫は、たしか使われていなくて鍵が開きっぱなしだった。 そこに隠れて、僕が血をあげたら、なんとかなるかもしれないと勝手に考える。


「……もう、俺は報われた。 ミアが隣にいてくれて、吸血鬼でも、好きといってくれて。

不幸ばかりの人生だったが、それで、幾つでも釣りがくる。 幸せだった」

「……死ぬ前みたいな、ことを」


 もうちょっとで教会に辿り着く、十字架が見えている。 そう思っていると、急に十字架が赤く染まった。

 朝焼け。 急いで太陽の陽から逃げるようにアレンさんを路地裏に連れ戻し、なんとか日の光を遮ろうとするけれど、僕の小さな身体ではどうしようもない。


 もう死にかけてしまっているアレンさんの身体を日が焼いて苦しめる。


 手首の血管を切って、傷口をアレンの口に突っ込んで、こくこくと喉が鳴るのを見る。


「……やめてくれ。 もう、死ぬのは変わらない」

「生きてください。 生きて……ほしいです……」


 もうダメなのは目に見えていて、涙が溢れてくる。 どうしようもないほど涙が溢れて、アレンさんを見ることが出来ない。


「逃げて、くれ。 ミア」

「なんで……死にそうなのに、僕の心配ばかり……」

「ミアが、好きだから」

「なら、僕もあなたが好きだから、離れません。一緒にいます。 僕の気持ちも、考えてください……。 離れるぐらいなら、死んだ方がはるかにマシです」


 それだけ言い切って、お腹の傷を止血しようとするけれど、大きすぎてどうしようもない。 そう思っているとアレンさんの手が僕に伸びて、僕の身体を抱き締める。

 懐にしまっていた父母の形見の指輪が勢いで零れ落ちて地面を転がる。


「……アレンさん」

「悪い。 ……嬉しかった。 好きと言われて。 良くないと、分かっているのに」

「何回でも、言いますから。 だから、生きていてください」


 紅い目を僕に向けて、手を握る。 真っ直ぐに、僕を求めるようにアレンさんは死にかけた口で言う。


「……結婚してくれ。 すぐ、死ぬけれど」

「結婚しますから! ……死なないでください」


 アレンが転がった指輪を持つ。 銀で出来たそれは吸血鬼のアレンさんには毒で、焦げたように持った部分から黒くなっていく。


「悪い。 ……用意、出来なかったから、お前のもので」

「……悪くないです。 嬉しいです」


 僕の左手を優しくアレンさんは触り、右手で指輪を薬指にはめる。

 そのまま、アレンさんは僕を見る。 意図を察して僕は首を横に振り続ける。


「ダメです! だって、銀です……はめたら、もう、アレンさんは……」

「どちらにしても……もう、助からない。 頼む……」


 僕にとどめを刺せというのか、あまりにも……酷すぎる、けれどここで断れば、アレンさんがあまりにも可哀想だ。 握り込むように銀の指輪を持って、アレンさんの左手を触る。 ボロボロで、もうほとんど動かすことも出来ないようだ。


 涙がひたすらでて、泣き続ける。 前が見えない中で、手探りで薬指に指輪をはめていく。


「……ミア、愛してる」

「僕もです。 アレンさん……」


 弱々しく抱き締められる。

 冷たいのは吸血鬼だからか、死にかけているからか。


「永遠の命などより、この一瞬の方が……何億倍も……」


 僕の唇に、アレンさんの唇が触れる。 最後、もう生きているのかも分からないアレンさんとキスをして……。 泣き崩れながらアレンさんの身体を抱き締める。


「あああ!! ああぁぁぁぁぁぁああああ!!!!」


 涙が出てき続けて、ひたすらアレンさんの身体に抱きつき続ける。 もうこのまま死んでもいい。 それほどの絶望の淵で、おかしなことに気がつく。


 抱き締め、続ける?


 吸血鬼は死ねば灰になる。 なら、僕が抱き締めていられるというのは……顔をあげると、理解出来ないといった表情をしているアレンさんが、僕の頰を指輪をはめた手で触り、目を何度も瞬きさせる。


「生きて……いる?」

「生きてる……アレンさんが、生きて!」


 理屈なんてどうでもいい。 アレンさんが生きていた。 それだけであまりにも嬉しくて、涙をボロボロと零しながら、彼の暖かい身体に身体を埋めるように抱きついて、彼の手をまわされて抱き締められる。


「アレンさん! アレンさん! アレンさんアレンさんアレンさん!!」


 めちゃくちゃに名前を呼びながら、抱きついているうちに、抱き締められている間に、ぼんやりと言葉を思い出す。


『魔物とは分不相応に強欲なるものだ。自身の意思で動くことを望んだ水は、動かせる身体を得て、生命を癒す力を失い水魔(スライム)となった。』


 スライムが水から産まれた理由。



「何の本を読んでるんですか?」

「スライムから飲み水を作る方法について」

「……作る意味あります?」

「しばらく瓶に詰めていたら水に戻るらしい」

「そうですか」


 スライムを水に戻す方法。



『永遠を望んだ人は……永く昏き生を得て、人を想う心を失い、血を啜る鬼(ヴァンパイア)となった。』


 人から吸血鬼が産まれた理由。



「永遠の命などより、この一瞬の方が……何億倍も……」


 アレンさんが言った言葉。


 あり得ない。 そう思いながら、彼の手を見る。 銀に侵されていた手に傷はなく、顔を見ても、太陽に焼かれていた焦げたあとはなく、今も日に当たっているのに傷つく様子もない。


「人に……なってる」


 偶然なんて、奇跡なんてちんけな言葉では表せられない。

 いや、言葉なんてどうでもよかった。 アレンさんが生きていることより大切なことなど、あるはずがない。


「好きです、アレンさん」

「……愛している。 ミア」


 強く、強く、抱き締められて、精一杯にアレンさんを抱き締めた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ぱらり、ぺらり、本の捲れる音がする。

 その音の数が少し多いのは、読むのが早いからではなく、となりにいる人も本を読んでいるからだ。


 彼が本を捲る早さは、幾分か以前よりも早くなっている。 あれから魔物についての本を読むことはめっきりとなくなり、僕と同じように取り留めもなく気になった本を読むのが気に入ったらしい。


 会話もなく数時間過ごし、日が暮れるよりも前に、二人で外に出る。 不慣れな太陽の明かりは吸血鬼の頃の名残か、少し嫌そうにしている。


 仕方ないので、今日は日陰を歩けるように、過ごし遠回りして家に帰ってやろう。 そう思って遠回りの道を選ぶと、人気が少ない。


 僕の手が彼の大きな手に掴まれて、指を絡ませるように握られる。


「……ミア、愛してる」


 僕もです。 そう返す代わりに、少しだけ強く繋いだ手を握り返した。


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