第1話
違うサイトにも投稿している作品です。
完結させられるよう頑張りたいです。
イドは月の光を頼りに深い森の奥へ走っていた。どこに行けばいいのか、どこまで行けばいいのかイドは分からない。上空を飛行する化け物から逃れるためにただひたすらに走る。
そのエメラルドの体毛をした、人間の背丈など悠に超える大きさの翼を持つ怪鳥をイドは見たことがなかった。村に突然現れ人をかたっぱしから啄む怪鳥に恐れをなし、今まで一度たりとも訪れたことのないこの森に逃げ込んだ。しかし生存は絶望的だった。
村人の殆どはその場で食い散らかされ、生き残っているのは自分だけと言っても過言ではないだろう、とイドは悟っていた。事実その通りでイド以外に生きている村人は誰もいない。
――これ以上走ったって、もう……
そんな思いが心の中に生まれた時、イドは脚がもつれて転んでしまった。すぐさま立ち上がろうとしたが、うまく脚に力が入らない。酷使した筋肉が転倒をきっかけに限界を感じてしまった。
怪鳥は動かないイドを空から見下ろし、狙いを定めて急降下する。距離が縮まっていくにつれてイドの心臓は鼓動を大きくし、恐怖を増大させた。
しかし血がこびりついているくちばしが今まさにイドに触れようとした時、イドにとって奇跡のようなできごとが起こる。
怪鳥は突然なにかに弾かれたかのように空中でのけ反り、背中から地面に落下したのだ。イドに凶器が触れることはなく、何の負傷もない。
イドは驚くことしかできなかった。脚をもつれさせたまま、倒れた怪鳥を逃げることもせず見つめる。怪鳥は低くうめき声をあげる。
――これは一体、どういうことだ?
「おい」
どこからか声がした。しかしそれは人間の、それも女の声だ。あちらこちら見回して、イドは声の持ち主の居場所を見つけた。
声の持ち主は空を飛んでいた。正確には飛んでいるのではない。浮いている。
夜空にたなびく銀色の長髪、透き通るように白い肌、宝石のように美しく輝く碧眼、純白のドレスに身を包んだその姿は、さながら儚く散ってしまいそうな白百合、そんな美しい少女だ。
その印象とは対照的に、右手に握られている漆黒の両刃の剣。それそのものが強い意志を持ち、まるで一つの生き物であるかのように感じさせるほどの存在感を放つ。
「怪我はないか?」
女性的な高い声だ。つり上がった力強い眼差しで見下ろす。
「大丈夫……です」
イドの緊張した喉からは掠れた声しか出ず、怪鳥のうなり声にかき消される。
何度も声を出そうとイドが四苦八苦していると、少女はゆっくりと地上に降り、イドの傍まで歩いてきた。
「大丈夫か?」
少女はイドの頬をそっと撫で、尋ねた。
「う、うん」
触れられた瞬間、恐怖が少しづつ消えていき、逆に何かに満たされたような感覚を覚える。イドは一瞬、自分が今危機的状況に置かれていることを忘れた。
しかし怪鳥は起き上がった。巨体を起こし、エメラルドの翼を大きく広げ少女を威嚇する。イドの心は極限状態へと再び陥ろうとしていた。
「後ろに隠れろ」
自分と同じ、下手をすればそれより下の少女にそう言われ、イドは立ち上がって少女の後ろへ逃げる。
それを確認した少女は剣を前へ構えた。それに呼応するかのように怪鳥も突進の準備をする。冷静に考えればこんな少女が剣を持って一体何ができるのだと思ってしまうところだが、イドはそうは考えなかった。理由は、空に浮いたり、怪鳥を吹き飛ばしたりなど、普通の人間にはできない、という事実に基づく根拠ともう一つ、彼女の、絶対に殺させないという思いがこもった真っ直ぐな瞳を信じたからだ。
森は静まり返り、心臓の鼓動が聞こえそうだった。
動き出したのは怪鳥だった。翼を大きく使い前へ全速力で突っ込もうとしている。
そして動き出そうとした時だった。突然怪鳥の動きはぴたりと止まり、再び倒れた。しかし今度はうんともすんとも鳴かない。
気が付くと少女の姿が消えており、イドは少女を探した。彼女がいた場所はイドの想像を超えた場所だった。
怪鳥の首、それも背後。そこに剣を突き立てた少女がいた。ほんの少し翼を動かす間に木の高さほどもある怪鳥の急所に登り、一突きで動きを止めたのだ。
少女は死体になった怪鳥から飛び降りた。常人なら怪我をしそうな高さだが、そんなことは意にも介していない。
「他に生きている人はいるか?」
剣を振り血を軽く落とす少女。そのさまは熟練の戦士といったところだ。
「いえ、多分僕だけ……」
そこまで言うとイドは急な眠気に襲われた。少女にもたれかかるように倒れ、そのままイドは気を失った。
鼻歌が聞こえる。とても綺麗で心地良い声だ。
イドはゆっくり目を開くと、目に映ったのは夜空と柔らかそうな二つの膨らみだった。
――これは?
すると、真上から目の奥をじっと覗く人の顔があった。銀髪の長い髪、透き通るような白い肌……
「きゃあ!?」
先刻、イドを救った少女だ。少女が驚きの声をあげると同時に、自分の頭が柔らかいものに押し出されるような感覚をイドは覚えた。押し出したものが少女の太ももだということにイドはすぐに気が付いた。
「お、起きていたんですか?」
少女は顔を真っ赤にして、イドから距離をとった。
――待て、落ち着け。
イドは冷静に自分の身に何が起こっていたのかを整理した。その結果、イドは少女に膝枕されていたということを理解した。その上で彼女は鼻歌を歌っていたのだ。二つの膨らみは恐らく彼女のものだろう。
「うん……その……」
何を言えばいいのかイドが悩んでいると、少女は顔を手で覆う。その姿はさきほどの男勝りな雰囲気は感じられず、年相応の可愛らしさを持っていた。
「ごめんなさい……」
小さい声で彼女はそう言った。その後の甘い雰囲気を楽しみたい半面、気まずさを残したくない気持ちもあり、イドはひとつ尋ねた。
「ええと、名前は?」
彼女は指と指の間から両目を出し、答えた。
「エレナ……です」
月の光が、エレナの髪を艶やかに照らした。