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崩壊とシガレット  作者: 拝樹
1/4

1.

 午後3時、世界は滅んでいた。


 高層ビルが林立したのは、すでに過去の出来事だ。それらは今、根こそぎ倒れ、木っ端微塵に砕け、あるいは奇妙なほど、綺麗な断面で切断(・・)されていた。


 見下ろせば、かつての舗装された道は影も無く、人の腰ほどもある雑灌が、水面のように広がるだけだ。


 生い茂る草樹のその中に、浮島のようにまだらとあるのは、かつて人間が車と呼んでいたものの残骸に違いない。


 街路樹が根を広げ、車道を割ったのか。鳥や獣が種を運んだのか。ともすれば、誰かの異能が鼻歌交じりに現実を歪めたのかもしれない。


 過去の殆どが廃墟となり、辛うじて崩れずに残ったビルから見渡せば、冗談のように赤色の塔だけが視界の奥にそびえている。


「はぁ、まったく。『the day after tomorrow』って感じですかね」


 滅びの年(予言の年)を無事に乗り越え、油断していた二千年王国は、その21年後の春に滅んだ。そしてそれから7年が経った。


「しかしさっぱり滅びましたね。もっと真綿で首を絞めるようなのを想像してました。こう、食料生産が追いつかない、とか、太陽活動の変化で陸地がジリジリと削られてとか、新種のウィルスが世界を侵すとか。もっとありきたりな感じか思ってました」


「実際、世界は滅んだわ。それも劇的に。目の前の現実から目を背けるのは夢想家や革命家に任せなさい」

と先輩が答えた。


 滅んだ理由は著しく簡単だった。

 異能と怪物。僕たちがそう呼ぶ力と存在達は、さも容易に世界を滅ぼした。


 ただし何事も経緯を語れば長くなる。多くを語るのが面倒な僕は、それを次の機会の僕に譲ろうと思う。


 つまり7年前にあっけなく世界は滅んだ。文明は残滓を遺すだけで手一杯だった。巨体を誇った人間社会は微細に分離し、滅びを辛うじて生き延びた無数の少数が、身を寄せ合うように短期的なスパンを生きていた。


 取り急ぎ、それが分かってさえ入れば、物語の把握はできるはずだ。

 これはファンタジーに染まった世界での僕と先輩の物語である。


「幼年期が終わったのね」


 と、先輩が呟く。オーバーロードですかと聞くと、


「それでもライオネルよりまし(・・)だわ」


 先輩は、金色の鳩が刷られた缶から、タバコを取り出してそう言った。


 彼女の煙草はいわゆる「缶タバコ」。崩壊前の世界ですら絶滅危惧種だったそれは、缶に収められた両切りタバコだ。普通のタバコよりもニコチン、タールの量が格段に多く、かつノンフィルター。僕が吸ったら、一本、いや一服で吐き気を催すシロモノだ。


 こんな状況で吸う事こそが、完成された一つの冗句であるかのような銘柄のタバコを、先輩は愛飲している。青地に飛ぶ金色の鳩が、戦争のなくなった世界を笑っている。


「でもま、お陰様で地球は全席喫煙席、禁煙法は全廃止。オーバーロードになった甲斐もあるというものね」


 しゅ、と淀みない動作で燐寸マッチを点けて、タバコを燻らすと、先輩はタバコの先の火を大事そうに、ゆっくりと煙を吸い込んだ。


 ゆっくり肺の中に煙を入れる、その特徴的な喫煙法は、クールスモーキングと云うそうだ。僕もよくは知らないが、特殊な吸い方で、いくぶん香りが増すらしい。愛煙家という言葉の権化のような先輩は、タバコに非常なこだわりを持っていてる。かつては肩身が狭かったが、今では世界が滅んだおかげで路上喫煙、室内喫煙も思うがままだ。


 元々とある大企業が陣取っていたこのビルは、けれど無人の廃墟と化していたのを良いことに、先輩(と居候の僕)が不法占有していた。いや、あらゆる法が個人の力に任されたこの世界では、占有はすなわち所有に他ならない。


 僕たち二人が今居る一室は、役員用の個室だったようだ。外側がガラス張りになっていて、ビルが生い茂っていた過去はどうだかわからないが、前方のビルが無くなった現在は(・・・・・・・・)ーー、とても見晴らしが良い。



 7年前、世界中は喫煙席になった。全世界喫煙席化、に「世界の終わり」とルビを振る。中々どうして世界の終わりと喫煙者に対しての皮肉が効いている。


 かつては、健康増進法、および副流煙制限法によって認可された喫煙者(ヒト)喫煙許可所(バショ)が揃わなければ喫煙具(ハコ)から取り出すことすら出来なかった紙巻きタバコも、今は一切の枷を外されて先輩の手の中にある。


「ふふ、そう?」


 と言って、先輩は視線を外からこちらに向ける。烏の濡れ羽色の黒髪が揺れる。美人の先輩の笑みは、けれど玩具を見つけた子供のようだ。


「ええ、誓って」


「ーー『喫煙所』に来る度、茶化されずに済むようになって安心してるくせに。


 非喫煙者(きみ)が|喫煙所に付いてくる事ほど、露骨なことなんて無いものね?」


「……」


 世界が崩壊する前の他愛ないエピソードの一つだ。何があったかは皆の想像に任せたい。決して恥ずかしいから描写したく無いわけでは無い。そして、叶うなら大学時代の僕の行動を呪いたい。誓って、誓って若気の至りではない。


「喫煙者ですら無いのに、認可証を取った貴方が何に誓うのかしらね」


「ぐぬぬ」


 と、恥ずかしさを紛らわす為に、先輩から顔を背ける。恥ずかしながら言ってしまうと。惚れた弱み、という奴だった。


 世界が滅ぶ前には、『世界が滅べば、少しは先輩と対等になれるだろうか』などと不謹慎な事を考えたこともあったが、いざ滅んでみれば何のことは無い、先輩はとある理由から、以前より強くなり、二人の力関係は、より隔絶、確定したものになっていた。



「あの頃の君は可愛かったな。子犬みたいで、他のヒトも結構気にしてたんだから」


 と、先輩はいう。そう云う情報は、世界が滅んだ今になって知っても何の意味も無い。


「じゃあ当時知りたかった?」


 そうですね、その人が先輩より魅力的なら、あっさり鞍替えしたかもしれません。と、どうしようもない嘘をついた。我ながら面倒な女々しさである。



 僕が先輩から顔を背けていると、「ほら、拗ねないで」と言って、先輩の気配が近く。気付けば、首元に先輩の吐息があたる間合いだった。ふわりとタバコの香りが僕を包む。何となく他のソレよりも甘ったるい気がしたのは、僕の錯覚だろうか。



「世界が崩壊したお陰で、私とこんな事も出来るじゃない?」


 昼間から、こんな場所で。ね?


 しなやかな指が、僕の首筋を撫でる。ムードも何もあったもんじゃ無いが、条件反射でゾクリと首が鳥肌立つ。


「な、こんな昼から!」


 そのまま指は僕の背けた顔、唇へと這う。震える僕の唇を指先が弄ぶ。ふわりと先輩の匂いがして、ん、という小さな声。瞬間、先輩が首を甘噛みにする。柔らかな舌が、噛み跡をなぞるように這う。


「うゃぁ!?」


「ほら、暴れちゃダメよサザンカ、こっち向きなさい」


「……っ!」



「……『出来ない』じゃない」

 さっきまで僕の首筋を嬲っていた唇が、声が、麻薬のように左耳を犯す。



「出来ないってナニが!?」と、凡庸なツッコミを入れる事も叶わずに、ただ顔が首が耳が、熱を持つのがわかる。先輩の手は僕の顎に添えられ、くい、と僕の背けた顔を自分の方に手繰り寄せて、


「お、お昼ご飯作ってきます!」


 僕は撤退した。先輩のペースに乗せられてこのままだと、昼にもかかわらず「仲良くして」しまいかねない。それはマズイ。世界が滅んだ今、自堕落に過ごしても、バチは当たらないだろうが、残念なことに、僕はチキン野郎なのだった。


「続きは夜ね」

と、去り際に聞こえた声は、けれど聞こえなかった事にしておこう。


 ---


 火を熾し、少し前に近くのレストランから拾ってきたパスタを茹でて、ぼくと先輩は昼食を済ませた。


 下のレストランまで移動するのが億劫だったので、近くの「会議室だった部屋」で床敷きを剥いで、そこで火を熾した。火種は先輩のマッチの予備。燃料は散らばっていた「書類だったもの」。このビルの社員達が見れば阿鼻叫喚するかもしれないが、あらゆる物が悉く滅んだ現在、必要書類など一枚もない。企画書、収支報告書、領収書、etc、etc、etc、すべてはただの紙束である。



「あぁ、崩壊に感謝ね」


言って先輩は紫煙を吐く。


 食後の一服を、楽しんでいるようだ。この様子では、さっきの様なことが急に起こりはしない。断じて、断じて残念では無いが。


「不謹慎にも程がありますかねぇ」


「禁煙法すら無い今、どこにそんな概念があるのよ」


 と、先輩は笑った。ゆっくりと紫煙をはく先輩の横顔は、かつて僕が付いて行った喫煙所での顔よりも、幾らか安らかだ。狭い所に押し込められて吸う必要が無くなったからか、世間という大きな檻に押し込められる必要がなくなったからか、或いは、僕の知らない理由が、きっとあるのかもしれなかった。


 ……結局のところ、世界が崩壊でもしない限り、喫煙者達の楽園は訪れなかった。先輩を含めて、彼らは何とも生き難い星の下に生まれていたらしい。


「喫煙者の楽園がこんな世界だとは」


「イチジクは甘露ね」


 上機嫌な先輩は笑う。何とも見惚れるような笑みである。短くなったタバコを右手に、間髪入れずに次を吸おうと、タバコが入っているはずの缶に人差し指と中指をつき入れて、無遠慮にしなやかな指先で探る。



……少し身を強張らせて、それから缶をつまみあげて、自らの目で確かめて……。



 先輩は、この世の終わりが訪れたかのような顔をした。そんな顔をしなくたって、この世は進行形で終わっているところだ。



「さ、サザンカぁ……。私のタバコが」


「吸い過ぎですよ。缶は少ないから大切に吸うって、自分で言ったの忘れてたんですか?」


世界全席、喫煙席化。


肩身がせまい世界が滅んで、気兼ねなく煙草を吸えるようになったかと思えば、今度は容易に入手できない、という当然のオチが彼らを待っていた。

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