Deep Blue Drive ~碧の衝動~(上)
アタシは、孤児だった。
両親の事なんてこれっぽっちも思い出せない。
けど、辛くはなかった。
物心着く頃には、毎日歌を聴かせてくれる母親代わりのような女がいたから。
そして、あいつがいつも隣にいた。
名前?
覚えてないよ、顔も声もな。
でも、確かにいたんだ。
一緒に馬鹿やって、笑いあって、歌を歌ってさ。
そう、あの日までは……
これは夢だ…。
何故って、俺はこの後の結末を知っているから。
そう、昔の話だ。
少し前の話。
もう、何度も見てる。
俺がまだ空を飛んでいた時のこと。
そして…翼を失った時のことだ。
それに、ほら、身体が、俺の言うことを全く聞かないんだ。
だから、どう足掻いても、俺にこの結末を変えることはできない。
それはつまり…夢の中ってことだろ?
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Feb/12/2034 10:45
ーー中国大陸・山東省西部~華北平原ーー
その日、空は晴れていた。
目の覚めるような群青色の空に、幾つかの巻雲が見て取れた。
まるで、波のない美しい湖面に、白い羽毛が舞い落ちたかと見間違うような景色である。
写真を撮るのが趣味でなくとも、思わず携帯電話のカメラ機能などで、写真に収めたくなるような、そんな光景だ。
だが、そこにいる誰もが、そんな景色など気に止めていなかった…。
空を裂く轟音。
見上げると、空に一本のまっすぐな白線が走っていた。
少し遅れて、もう一本白線が後方から同様に伸びてくる。
二本の白線は、二羽の鳥が空中で戯れるかのように、螺旋を描いていく。
すると、二本目の白線の先端から、より細い白の白線が二本伸びて、一本目の白線を追いかけ始めた。
しかし、一本目の白線は、それから逃げるように左へ急旋回を開始し、光球を幾つも吐き出す。
二本の細い白線のうち、一つがその光球に吸い込まれるように突き刺さると、群青色のキャンパスに紅い火花が咲いた。
ーー戦闘機だ。
両翼端から発生した水蒸気が、戦闘機の飛行経路をなぞるように白い飛行機雲を形成したのだ。
見渡すと、戦闘機は2機だけでなく、複数機が交戦状態に突入していた。
音速を超える、若しくはそれに迫る速度で飛翔しているためか、戦闘機が空中戦を繰り広げる様子を、地上を駆ける装甲車両の上部ハッチから頭を出して呆然と眺めていた男には、戦闘機が発する爆音が、目で捉えた状況よりやや遅れて聞こえていた。
その男の直近に、火の玉と化した戦闘機の残骸が墜落する。
轟く爆音
未だ呆然としていた男が視線をそちらに向けると、墜落の衝撃で飛び散った破片の一部が、自身の方へ向けて飛んでくるのが見えた。
走馬灯
人が死を意識した時に過去の出来事が駆け巡るというが、男には死を意識する暇さえなく、頭の中が真っ白になるばかりで、出来ることといえば、ただ、反射的に目を閉じることだけであった。
!?
突如、男の身体が車内に引きずり込まれる。
と同時に何かが自分の頭上を高速で過ぎ去った風切り音が聞こえた。
「いつまで頭出してんだバカ野郎!!死にてぇのか!」
恐る恐る目を開けると、彼の上官が鬼のような形相でこちらを睨んでいた。
階級章を見ると曹長のようだ。
男は、そこでようやっと正気を取り戻し、自身が戦場にいることを再認識した。
彼が乗るのはCMー32ウンピョウ装輪装甲車、台湾軍が所有する八輪装甲車両である。
ーー中華人民共和国の人民解放軍がその勢力を弱める頃、これを乗っ取るように突如、過激な民族主義を掲げ国連軍に反旗を翻した独立組織「トライアド」
各国が自国内の独立組織を制圧するのに時間を要する間、トライアドは中国大陸の主要都市のいくつかを占拠するほどまでに巨大化していた。
国連はこれを鎮圧するため、既に自国内の反政府組織を制圧した国家により臨時の国連軍を組織し、これにより、トライアドが支配する都市のうち、南京への一斉攻撃を決定、台湾軍もこれに参戦していた。
作戦は、既に上海から北上し、南京の南方においてトライアドと交戦状態にある米海軍第七艦隊及びインド軍を支援するため、黄海に面する青島に在韓米軍、日本統合軍、台湾軍の混成部隊が集結、山東省西側の華北平原を南進し、南京へ北側から侵攻、挟み撃ちにするというものであった。
…しかし、事前に同作戦を察知したトライアドが北京から部隊を出動させていたため、逆に混成部隊は挟み撃ちにされる状況となっていたのである。
まして、主力機甲部隊が済南で補給していたために、北京からの進軍を予期していなかった機動力に優れる台湾軍の装甲部隊が華北平原上で孤立し、トライアドの航空部隊に補足されたところであった。
「チィ、敵戦闘機が上をうろうろしてやがる。地対空ミサイル搭載車両は何やってんだ!」
「呼び出します!」
車長である曹長の言葉に無線手が反応する。
CMー32ウンピョウ装輪装甲車は、兵員輸送型を基本として、兵装が異なる派生型がいくつか建造されており、唯一地対空ミサイルを搭載しているのが防空型(「天剣1型」SAM搭載)で、男が乗る歩兵戦闘車型には気持ち程度の20ミリ機関砲しか搭載されていなかった。
『Charlie1,Charlie1,This is Echo1 現在地を送れ Over』
無線手が防空型車両のコールサインを呼ぶ。
すると、予期せぬ返答が返ってきた。
『Echo1,This is ALFA Reader, 現在、チャーリーは当指揮車の護衛についている。貴隊もこちらへ合流せよ。Out』
「…なっ、勝手に無線割り込んどいて、一方的に切りやがった!」
「しかも、隊列崩して混乱させてんのはてめぇだろうが!あのアホ小隊長が!!」
曹長が憤慨する。
そこにさらに無線が入った。
『Echo,Echo,This is HQ 状況を送れ over』
激しく上下に揺れるCMー33の車載無線機に青島に設置された司令部から無線が入る。
「状況を送れだと!?」
先ほど怒鳴った曹長が相変わらず鬼のような形相で文句を言いながら無線手から無線をひったくり無線に応答する。
そういえば、この曹長は、いつも機嫌が悪かったな。
先程まで呆然としていた男、厳龍雲は、以前、同僚らと「高曹長はカルシウムが足りていないのでは?」などと冗談混じりに話していたことを思い出していた。
『HQ,HQ,This is Echo1,上空に敵機多数、航空支援を要求する、 繰り返す!Request Close Air Support,早くしてくれ!!Over!』
車長である曹長は、求められた状況報告への返答に加え、感情をむき出しにした航空支援の要請を行った。
『Negative,現在可能な航空支援は、先ほど送った航空部隊で全部だ。Ove…Wait,更に悪い知らせだ。米軍のAWACS(早期警戒管制機)から通信…貴隊南方、方位0-9-0、約30キロ地点、トライアドの地上部隊を補足、そちらに向かっているとのこと。…あーなお、こちらは、先ほど済南から本隊が出発、本隊に先んじて戦機4機を含む1個小隊が急ぎそちらに向かっている。Over』
『…Echo,了解。合流まで持ちこたえる。out』
「くそがっ!!航空支援なしで、トライアドの地上部隊とやりあえってのかよ!!…」
無線通話が切れるかどうか怪しいところで、曹長は悪態をついた。
「ふーっ」
が、高曹長は、すぐに思いっきり息を吐き出すと冷静な面持ちで、無線機を掴み直した。
『Echo1よりEcho全部隊へ一方的に送る。聞いての通りだ。当部隊南方約30キロ地点にトライアドの地上部隊が補足された。現在送られている航空支援が途絶えれば、敵航空機に標的にされた状態で地上部隊との交戦に突入することとなる。よって、針路変更1-2-0、敵航空機からの攻撃を警戒し、東方から向かっている戦機との合流を最優先事項とする。持ちこたえてくれ。Out』
大変なことになった。
曹長と司令部の無線のやり取りを聞いて、先程よりも意識が飛びそうな状態となった龍雲は、再度空を仰いだ。
一体、この上空では、どっちの航空部隊が優勢なんだ?
それだけが気がかりであった。
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同時刻
ーー中国大陸・山東省西部~華北平原「上空」ーー
「ちぃっ!」
(こいつ、ちょこまかと!)
前方をひらひらと飛翔する戦闘機の軌道に韓国空軍のパイロットー金周永は、乾いた圧縮酸素を供給する酸素マスクの中で思わず舌打ちする。
その戦闘機の、女性のように綺麗な流線形をした特徴的な胴体部は、ロシアのスホーイ設計局で開発されたSU-27に酷似していたが、黒いレドームと双発のエンジン部に推力偏向ノズルが取り付けられていることから、旧中華人民共和国にてライセンス生産されたJ-11系統の派生型であることを主張していた。
ヘッドマウントディスプレイのターゲットレクティルに敵機の機影を捉えようと、周永は必死に機体を捻りこませた。
周永が操るのは、韓国空軍のスラムイーグルにAESAレーダーを搭載し、電子戦能力の向上とウェポンベイ化されたコンフォーマルタンクにより、第五世代機と渡り合えるように改修され、ステルス性が向上したFー15SKだ。
改修機とはいえ、普通に考えれば、米軍のサイレントイーグルに近しい性能を持つF-15SKが苦戦するような相手ではないのだが、臨時に編成された国連軍は、指揮系統がうまく統率されていなかった。
さらに、中距離ミサイルの打ち合いののち、被弾を免れた双方の戦闘機により、この空域は混戦状態となったためドッグファイトを余儀なくされていた。
こうなると、機動性能の高いJ11を相手にするのは一筋縄ではいかない。
急激な旋回により下方に強烈なGが加わり、作動したGスーツが周永の下肢を圧迫する。
それでも、周永の視界は徐々に暗くなり、色調が失われていく。
世界がモノクロに変わる。
グレイアウトだ。
霞む視界のなかで、周永は、敵機のエンジンノズルから出る噴射炎を捉え、反射的にミサイルの発射スイッチを押下する。
『Spike11 Fox-Two!Fox-Two!』
赤外線短距離ミサイルの発射を味方に警告する無線通信が流れる。
空中迷彩が施されたFー15SKの左右ウェポンベイから短距離ミサイルが一発ずつ発射された。
シュパッ
シュパッ
固形燃料の急速燃焼による推力を得た赤外線短距離ミサイルが乾いた音を立てて敵機めがけて飛翔する。
敵機のコックピットでは、警報音が鳴り響いているのだろうか。
逃げるように敵機が急速旋回を開始し、フレアを撒き散らす。
一本のミサイルはフレアに飲み込まれ爆発したが、もう一発はフレアをかいくぐり、執拗に敵機を追い回す。
苦もなく敵機に食らいつくと、近接信管が作動し、ミサイルは目標付近で爆発した。
破片がJ11に襲いかかり、一瞬のうちに頑丈な機体にいとも容易く穴を開けた。
左翼からエンジンにかけて大破した敵機が木の葉のように墜落していく。
『よし…一機やった。』
『Spike11 Good Kill! 』
『This is Olympus こちらでも確認した。トライアドの航空勢力 脅威レベル60%に低下、奴ら敗走していく。全機よくやった。』
『あーミッション更新、燃料、弾数に余裕のある編隊は地上部隊の護衛継続を願う。Over』
在日米軍のAWACS「E-767」、コールサイン「オリンパス」が各機に指示を出す。
『Spike11,了解。』
『ツー』
二番機が周永の右斜め後方の位置へ接近しながら「了解」の意思を短く伝える。
『Puma22,了解。』
『Omega31,了解。』
『Omega33,RTB…』
『Angel…』
その他の各機も無線に応答する。
『意外とあっけなかったですね。』
『ああ…』
(しかし…あっけなさすぎるな。何か、おかしい。)
周永は、二番機の通信に応答しながらも、違和感を感じていた。
ピピッ
AWACSから通信が入る。
『全機へ、こちらオリンパス、敵機を捉えた、方位:1ー2ー5、距離:約110キロ、高度:高域、マッハ1.8で急速接近中』
『こっちのレーダーには写らんぞ?機影は何機だ!?』
『少し待て…二機、機影は二機だ。さっきの敵機が逃走した方向からのようだ』
『てことは、さっきの残りがやけ起こして突っ込んできたのか?』
『オリンパスへ、こちらPuma22,アムラームが残っている。こちらで対応する。』
『了解した。あー他に中距離ミサイルが残っている編隊はいないか?』
『こちらSpike11,こちらの編隊は一発ずつ残っている。』
『Omega31だ。こちらも”土産”が残ってるぜ』
『了解した。Puma、Omegaは臨時で編隊を組み、Spikeとともに敵機に対して常に2対1の状況であたれ』
『なお、日本統合軍のF35が増援として向かっている。無理はせず、時間を稼いでくれ。』
『Puma22,了解。エンゲージ。』
『Omega31,エンゲージだ!』
『Spike11,エンゲージ。』
『ツー、エンゲージ。』
Fー15SK2機、Fー16V2機が空中でV字に編隊を組み、南東に機種を向ける。
(気のせいであればいいが…)
周永は、未だ目視できない敵機に一抹の不安を覚えながら、スロットルレバーを引いた。
*****
『Skull Reader,This is Olympus,聞こえるか?』
『Olympus,This is Skull Reader…良好だ。貴隊管制下に入る。誘導してくれ。』
『了解、方位:2ー2ー0、ポイントアルファで示した。まもなく味方部隊が交戦状態となる。急ぎ向かってくれ。』
『Copy, 全機へ、ポイントアルファへ向かう。』
『ツー、了解。』
『スリー、了解。』
『…。』
『四番機…どうした?応答しろ、橘!』
『あっ…フォー、了解。』
『おいおい、頼むぜルーキー。間違って俺にミサイル撃つなよ。』
『す、すいません。空が…』
『ようし、私語は終了、アフターバーナーで行く。下噛むぞ。』
『りょ、了解。』
橘と呼ばれた男は、スロットルレバーを引く前に、F-35Jのコックピットからキャノピー越しに上面に広がる群青色の空をもう一度見上げた。
空が青い。
いや…碧い。
きれいだ
そう思った。
目的を失った奴ってのは、死んだも同然かもな。
何を目指すわけでもなく、何かを為すわけでもなく、
ただ漫然とその日だけを生きる傀儡。
だから、生まれ変わっても、新しい人生をだなんて喜べる筈がない。
それは、どれだけ前の生活が糞みたいな人生だったとしてもだ。
俺にとってはな……