Things Break In The Coffee Break~コーヒーブレイクの合間に~
Oct/20/2035 09:45
AFTS東北方面校–校長室–
「失礼します。」
金属製の、開けるのが少し億劫になる位には重量がある扉を二度、軽く叩く音とともに、男の耳まで、聞きなれた女性の声が届いた。
「あいよー。」
AFTS東北方面校の校長室にいたその男、藤堂秀和は、14畳程の広さを有する長方形型の部屋の一室に置かれた応接用ソファーに腰掛けている。
黒い合皮で覆われた3人掛けのソファーは、藤堂の体重をふわりと受け止め、その役目を十二分に全うしていた。
彼は、眺めていた新聞の社会記事の続きが気になり、視線をそちらに残しつつも、何とか顔だけを扉の方へ向けて、短く返答する。
「佐藤菫少佐、伝送文書への決裁を頂きたく参りました。」
入室した佐藤菫は、要件を簡潔に伝え、ソファーに座る藤堂に正対、敬礼した。
栗色のシニヨンヘアーがブラインドから差し込む日光で照らされ、薄茶色に輝く。
彼女の視界、メガネのレンズ越しに映る光景には、窓側に用意された校長のデスクではなく、応接用ソファーに座り新聞を広げる上官の姿があった。
確か、彼女の記憶が正しければ、朝会った時は……
まぁ今も午前中ではあるが、ワイシャツの襟元でキッチリと整っていたはずの上官のネクタイは既に緩められ、濃緑色のパリッとアイロンがかけられた制服の上着も、ソファーの背もたれに無造作に放り投げられていた。
その、いつも通りの光景に、彼女はもはや突っ込む気力すら奪われる。
せめてもの抵抗か、ジト目で上官を見据え、視線で訴えていた。
「その堅苦しい申告要領、どうにかなんないのか?」
そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、少しばかり生じた間を利用して、社会記事欄に一通り目を通すと、新聞をたたみ、目の前にあるガラス製のテーブルに置かれていた湯呑みを手にして口元に運びながら、藤堂は、逆に規律正しい菫の申告に苦言を呈した。
湯呑みを介して指先に伝わる熱が、中に注がれた液体が高温であることを教えていた。
ズズッと音を立て、湯飲みの中の液体を少しばかり口腔内に啜る。
口の中にじわりと広がる苦味、後から追いかけてくる爽やかな酸味、そして、鼻から抜けるコーヒーの香りが、まだ少し残っていた眠気を少し和らげる。
そんな、眠気を飛ばす効果を持つコーヒーが、中世ヨーロッパでは”悪魔の飲み物”として、忌避され、飲んではならないとされていたのかと思うと、なんとも可哀想な連中がいたもんだと藤堂は思う。
「例えば、もっとこう〜キャピキャピした感じでさ〜」
そんな、悪魔の飲み物の効果によって、徐々に調子を取り戻し始めた藤堂は、どうせ出来ないだろうと高を括り、挑発するように改善案を提示した。
「はぁ〜」と溜息を吐く菫の様子を見ながら、満足気に再度コーヒーを啜る。
温度になれた彼の唇は、先程よりも多くの液体を口腔内に誘い込み、より鮮明に味を伝える。
そこにーー
「……菫ちゃん、なんか変なお手紙貰っちゃったから、確認して欲しくてここに来ちゃった!キャハ☆」
片足立ちで、人差し指を頬に当てながら、明るい調子で菫が要望に応えた。
……
「ブゥーーーッ!」
ひと呼吸おいて、藤堂の口から吹き出されたコーヒーが、二人の間に黒い霧となって舞い降り、新たな黒歴史を刻んだのであった。
*****
「ゴホンッ……眠気は飛びましたか?」
口元を右拳で隠し、少し頬を朱らめながら佐藤菫は、チラリと藤堂に視線を投げる。
「ああ、お陰さんで……それで、どっからの伝送なんだ?」
吹き出したコーヒーを拭き取りながら、藤堂は菫を真向かいの一人がけソファーに座るよう促す。
流石の藤堂も、部下の思いがけない反攻に勢いを削がれたのか、いつもに比べれば大人しいと言えた。
「市ヶ谷です。来月頭の世界会議に出席されたし、とのこと。」
菫が、決済板に挟まれた書類を藤堂に手渡し、向かいのソファーに腰を下ろす。
「世界会議ぃ?それってアレだろ、東京で開催される第三回国際秩序再編会議だろ?この直前でなんで俺なんかが?やっぱり優秀だからか?」
第三回国際秩序再編会議ーー国連が主催する各国首脳・閣僚級会議だ。
第一回は米国ワシントン、第二回は英国バーミンガム、そして、今回が日本……東京会議である。
第三次世界大戦において、各独立組織が事実上崩壊したことで大戦は一応の終結を迎え、各国間の争いも国境付近での突発的な小競り合いを除けば、小康状態となっていた。
今回の東京会議では、前回二回会議で論議された和平協定、不戦条約等の条約締結が主な議題となる見込みである。
とはいえ、関係者から見れば、管理する国家を失った中国大陸、中東地域の今後の管理について”誰がどうするか”……簡単に言ってしまえば、管理という名の下に、各国が利権を奪い合う場を戦場から会議室に移行させたに過ぎないと言えた。
藤堂自身もそんな下らない政の行く末など興味は無かったが、渡された書類に仕方なく視線を落とす。
「部外秘」と透かしが入ったA4版大のコピー用紙は、やや黄ばんだようなクリーム色にざらついた感触で、予算節約のために会計課が購入した再生紙であることがわかる。
その右上には「統合幕僚監部」と表記され、宛先が”関係者各位”と簡記されていた。
つまりーー
「いえ、優秀かどうかはわかりませんが……出席を求められているのは、中佐だけではありません。どうやら、先の大戦で独立組織と戦闘経験のある部隊長の何名かを無作為に抽出したようです。」
「何でまた?」
「ご存知とは思いますが、今回の会議が実質、第三次世界大戦を公式に終結させる場となります。そのためか、各国の独立組織との戦闘経験者を幾人かオブザーバーとして出席させ、発言させる……」
「あぁ……」
そこまで聞いて、菫が言わんとした言葉の先を想像する。
「要は要するに、独立組織を悪役に仕立て上げる訳か。」
「ええ、おそらく。」
菫がうなづく。
いつの世もそうだった。
闘いの果て、一方の勢力が消滅し、戦争は一応の終結を迎える。
しかし、それは大規模戦闘が終了したというだけであって、その地に禍根を残してきた。
熾烈な戦闘は兵士から理性を、規律を奪っていく。
死への恐怖、生への執着が、正義を曖昧にするのだ。
何故争っているのか?
何の為に戦っていたのか?
それすらも曖昧にしてしまう程に……
だから、どんな理由で戦っていたとしても、勝者は正義で、敗者は悪、この構図が崩れる事はない。
憎しみは新たな憎しみを呼び、それが新たな争いの火種となる。
では、それを、その火種を全て駆逐すれば、平和が訪れるのだろうか?
いや、そんな事はない。
そう考えて、藤堂はフンと鼻を鳴らした。
先程まで読んでいた新聞記事を思い出す。
各地で起きる散発的な戦闘、テロ、毎日のようにしょうもない理由で殺される人々
彼らが一体、何をしたと言うのだろうか?
何の咎も無いというのに、蹂躙され、駆逐されていく。
藤堂は、再度、入れ直したコーヒーを口に運んだ。
じわりと広がる苦味が、先の大戦で見た戦地での光景を藤堂の脳裏にフラッシュバックさせる。
何の色味も無い荒廃した街。
虚ろな瞳で希望を無くした人々の表情は、まるで、首をもたげて枯れ始めた向日葵のようで、ただただその日だけを生きながらえている存在。
胸糞悪ぃ……
それを招いた連中も
自ら生きる気力を失い、他者に救いを求める奴も
……何にも出来ない己自身も。
ふと、考える。
仮に、仮に……だ。
その争いの火種を消すとなれば、それは、もはや人間という存在そのものを、この世から抹消する必要があるかもしれない。
人がいる限り、醜い不毛な争いは生まれるのだから……
「あ、それと、もう一つ。」
「ん?」
菫の呼びかけで、意識を戻された藤堂が彼女へ視線を戻す。
「教導隊を招致した実戦訓練の日程ですが、同じく来月頭からとなります。」
「おっ?何で早まったんだ?」
確か、予定では来月末からだった筈だと、記憶を呼び出しながら、菫の背後、壁掛けのカレンダーを見る。
そのカレンダーの予定欄は買ったばかりのように真っ白で、そこでようやく
ああ、そういえば……
と、いつもカレンダーは買うものの、予定を書いたこと何て無かったなと自分の悪い癖を思い出した。
「加藤副校長がお決めになったと聞いてますが……」
菫が藤堂にさらにもう一枚のA4コピー用紙を寄越す。
そこには、確かに訓練計画が早まった事が記されていた。
「おいおい、これじゃあ俺が訓練に立ち会えないだろうが……」
「はい?何故、その必要が?」
菫が首をかしげる。
「いやいや、何故って……俺はここの責任者だよ?」
「そうですね。」
「その俺が、ツマラナイ会議で精神を磨耗して睡魔と戦っている最中に、片や教導隊と訓練生の実機訓練なんて楽しそうな一大イベントが繰り広げられるなんて承服できる訳がないだろう!」
さも当然、といった様子で藤堂が吠える。
「はぁ〜、何を真面目な振りをしているんですか……」
そんな藤堂の様子に、向かいに座る才女は顔に手を当て、呆れた様子で返す。
そして、何かスイッチが入ったのか「大体」と前置きを置くとーー
「校長が残ってたところで、どうせ余計なちょっかい出して訓練計画に遅れを出すだけなんですから、大人しく会議に出た方が訓練生のためでもあるんですよ。」
「うっ、最近菫君の当たりが強い気がするんだけど……」
「当然です!誰かさんが真面目に働かないから、私の所にその皺寄せが来ているんです。訓練カリキュラムの策定、調整に加え、最近では当基地で調整中の、あの”戦機”の管理まで任されて……一部情報では、同機の奪取の可能性があると言われているから基地防衛隊一個小隊を貼り付け警備に当てましたけど、会計課からは必要あるのかって文句は言われるし!!そもそも、この間まで原発警備を警察だけに任せっきりにしていた国ですから?組織の上の方も全体的に防衛意識が薄すぎるんでしょうけど!戦略級兵器ですよ!アレは!本来なら専門に警備部隊を寄越すべきでしょうに、一体、何かあったら誰が責任を取るんですか!?」
「まぁまぁ……あんまりカッカすると皺が増えるぞ?」
ゼーゼーと息を切らす菫に、余計な一言をかける。
「ん゛ッ!?何か言いましたッ!?」
菫が鬼のような形相で藤堂を睨んだ。
「あ~いやいや、何でもーー」
「まったく!どいつもこいつも……」
言うなり、テーブルに置かれた藤堂のコーヒーカップを手に取り、飲みごろになった温度のコーヒーをごくごくと飲み始める。
「あっ……それ、俺のぅ……あ、いや、何でもないですぅ。」
菫は声を発した藤堂に鋭い視線を向け、中身を飲み干すとドンッと音をたてカップをテーブルに置き、書類をむんずと掴んだ。
そして、カッカッとヒールを鳴らしながら出入口まで早足で歩みを進め、去り際に
「とにかく!第三回国際秩序再編会議へは出席する方向で進めますから、あと教導隊との訓練も面倒なのでそのままにしますからね!いいですね?」
「……あい。」
バンッと大きな音を立てて、扉が閉まる。
「火に油だったか……」
部屋に残された藤堂は、顎に手をやりつつ自分の言葉を振り返った。
「ま、なんも起きないに越したこたァないんだが……どうも、な。」
そんな独り言を呟きつつ藤堂が向けた視線の先には、自動小銃を装備した隊員が立哨警戒を行う第三格納庫があった。