【♯Someone's Side】Bittersweet Memory〜苦甘い思い出〜
久しぶりに降った雨が、地面に吸い込まれる感じって、こんな感じなんだろうな……
悪くないな、こういうの。
医務室を後にした橘は、AFTSの敷地内をアテもなく彷徨っていた。
午前中の訓練中に気を失ったというのに、すっかり日は傾き、西日が橘の頬を赤く染めていた。
つまり、1日における三分の一程度に当たる時間を無駄に消費してしまったという事だ。
正直、その事実に戸惑いを覚える。
そして、その原因でもあるアイツ……
「音無の奴……何処行ったんだ?」
蓮華と名乗った衛生士が言うには、音無が見舞いに来た際に、何かを口ずさんでいたらしい。
それが、”あの時”聞いた歌だったのかどうか、確証はない。
それでも、橘には、確かめずにはいられなかった。
自分は何か大事な事を忘れているのではないか?
そんな感覚が、以前から……そう、”あの時”から自分を戸惑わせた。
ただ、それは漠然としたもので、それが何なのかもわからず、毎夜のように見せられる夢も、眼が覚めるとすっかり夢の内容は消えており、何の手掛りすらなかった。
だから、ようやく見つけた手掛り、それをみすみす逃す訳にはいかない。
別に音無の歌が全く橘自身に関係のないものでも良かった。
ただ、確証が欲しい。
身体が、心が訴えるのだ……思い出せと、為すべきことを為せと。
その焦燥感にも似た感覚だけが、今の橘の唯一の原動力だった。
〜♫
あ……
不意に橘の頬を撫でた風が、彼の耳元までメロディーを届けた。
その音が聴こえた方向へ視線を向ける。
これは……格納庫からか?
視線の先にあったのは、訓練機が収められた第ニ格納庫だった。
既に整備兵の姿も見当たらず、巨大なかまぼこ型の白い格納庫は、太陽の光を受けて、オレンジ色に輝いている。
出入口のシャッターが無防備にも半開きになっており、メロディーはそこから漏れ出していた。
橘は、導かれるようにそこに歩みを進めていた。
腰高に半開きになっていた鋼鉄製のシャッターを身を屈めてくぐり、格納庫の中に入る。
日中から日に当たることもなかったその空間は、外よりもさらに気温が低く、橘はブルッと身震いした。
天井の蛍光灯は、節電対策のためか半分以上が減灯されており、それが放つ明かりの殆どが、窓から差し込む西日に食い尽くされ、人口灯としての意味をなしていない。
視線を前に向けると、そこには午前中に使用された訓練機「暁」が複数格納されていた。
近くで見ると、表面装甲の塗装が所々擦れているのが目立つ。
〜♫♪
いた。
その歌い手「音無紫苑」は、一機の戦機の肩の上で歌を歌っていた。
私物だろうか、年季の入ったアコースティックギターを弾きながら……
……ノイズ
目の前の景色に重なるように、橘の思考に何か別の映像が紛れ込む。
何だ?
それは一瞬の出来事で、橘にはハッキリと認識できなかった。
残るデジャブーのような既視感
俺は何処かでーー
「盗み聴きとは感心しねぇなー」
橘の考えを掻き消すように、音無のよく通る声が格納庫に響き渡った。
彼女を見上げた橘と視線が混じる。
「観客がいた方が盛り上がるんじゃないか?」
「なら、金払えよな」
「出世払いで頼む」
「ふふ……出世ってたまかよ。」
何度か言葉を交わすと、音無が笑いを漏らした。
そして、また歌い始める。
ーー足元に咲く名も知らぬ花も
空に浮かぶ見飽きた白い雲も
やがては消えていくとわかっていたんだ
それでも、あの日々だけは、忘れたくはないのだと
ポケットの中に一枚の写真を握りしめた
そんなのはもう、とっくの昔に色褪せてたのに
例えばそう、今もまだお前が
錆び付いた鳥籠の中で
羽ばたくことも出来ずに
曇り空を見上げて、啼いているなら
俺に、歌わせてくれないかーー
似ている……あの時の歌に。
歌詞とか旋律がとかじゃなくて、なんだろう?
心に響く感じが……。
そういえば、歌なんて……
実際に聞くのは何時ぶりだったろうか。
それも、スピーカーを介して機械が発する電子化された人工的な音ではなくて、人が紡ぐ本当の歌…
想いが込められたーー
?
不意に橘の視界がぼやけた。
霞みがかったように目の前の情景が歪む。
これは?
そして、それが何なのか橘が理解する前に、彼の頬を熱い何かがなぞった。
次々と起こる理解できない現象に戸惑いながら頬を手の甲で拭うと、そこにはーー
……水滴?
そこで、ようやく”ソレ”の正体に彼は気づいた。
ああ……そうか、これがーー”泣く”ということか。
ーー翼が折れたならもがき方を
歌を忘れたなら叫び方をーー
「ーーって、おいおいお前泣いてんのかよ!?」
橘の異変に気づいた音無が歌を途中で切り上げ、声をかけた。
「ああ、そうみたいだ。」
「そうみたいだって、お前……なんだぁどっか具合悪いのか?」
「いや、特に」
更に流れる涙を拭いながら、橘が答える。
「あ、もしかして!アタシの歌に感動したとか!?」
人差し指を立てながら、音無が指摘する。
「感動……そうかもな。」
辛いから、哀しいから、流れた涙でないことは明らかだった。
けど、こんな感覚は初めてだ……ましてや、涙なんて。
そうだ、涙なんて、そんなものはとっくの昔に枯れてしまっていたと思っていた。
ただ命じられるがまま、敵対する相手を撃墜してきた。
それが、俺に課せられた任務、存在意義だったんだ。
殺して、殺して、でも自分だけが生き残り、結局死に切れなくて。
何の為に戦っていたのか、護るべきものは何だったのか、それすらも忘れてしまって……なのに、今更ーー
「ハハッ……止まらねぇなぁ。」
笑顔とは裏腹に止めどなく溢れる涙を右手の袖で拭った。
視界にオロオロと慌てふためく音無の姿が入る。
「あ、そうだ!じゃあ感動できねぇ歌を歌ってやるよ!」
何を思ったのか、目の前の音無がそんな事を言い出した。
別に感動して出てきた涙は、どうこうする必要はないと思うのだが……。
そもそも、感動できない歌って何だよ。
そして、また、ギターが鳴り響く。
ーーテメェの物差しで物事を計り
色眼鏡で人を見ては
己の正義を掲げて
他人を批判したことがないか
汗水たらし抗う奴を
無駄なことをと
嘲笑いつつ
心の何処かで羨んでないか
立ち上がることもできずに
目の前で涙流してる
昔のお前自身を
今のお前は見逃してないか
そうさ、
ワイドショーでは、タレントが知ったかぶり
音楽番組では、アイドルが口パクで
芸人がクイズを解く視聴者無視の番組ばかり
国会じゃ妖怪どもがあーでもねぇこーでもねぇ
その周りで好き勝手叫ぶ自称革命者共は悦に浸ってる
私には関係がないと、知らぬ存ぜぬ決め込む奴は、
いざとなれば権利を掲げ
それに一喜一憂、踊らされる妖怪ども……
って、一周してんじゃねぇかよ!
どーなってんだこの世界は
なのに、何も出来ない、私を笑ってよーー
「ダッハッハ!何だよその歌!ひでぇ歌詞だな。」
余りに衝撃的な歌詞に、腹を抱えて思わず吹き出した。
それこそ、涙に続けて、こんなに本気で笑ったのもいつぶりだったか……。
忘れていた感情が、音無の歌で呼び起こされるように、湧き出してくる。
「あっ!笑ったなぁ!」
「いやいや、音無が感動できない歌を歌うって言ったんだろう?」
「にしても、歌詞が酷いってのはちょっと言い過ぎだろッ!」
「ククッいや、すまん。でも、この歌詞はひでぇよ。」
「そんなに酷いかぁ?」
「ああ。こんなに笑ったのは久しぶりだ。」
笑いすぎて、また、涙が目尻に浮かんでいた。
「……そか、ま、それならいいか!」
言って、音無も笑い始める。
二人の笑い声が、混ざり合って、格納庫内に響き渡っていた。
*****
ひとしきり笑いあった後、音無が機体から降りてきて、俺の隣に座った。
整備兵のおんちゃんに貰ったという缶コーヒーを懐から二本取り出し、片方を俺に寄越す。
缶コーヒーの生暖かい温度が手のひらに広がる。
カシュッと小気味良い音を立てて、音無がそれを煽った。
「にがあま〜〜」
渋い顔をしてこちらをみる彼女。
俺も、同じ様に缶コーヒーを一口煽る。
予想通り、口の中には、コーヒーの苦味と、人口甘味料のしつこい甘味がじわりと広がり、鼻から独特の香りが抜けた。
「確かに、苦甘いな。」
一言返すと、音無が「だろ?」と首を傾げ、ニヤリと笑う。
そこで、ふと疑問が浮かび、彼女に尋ねた。
「そういえば、音無は何で戦機搭乗者養成校に?そんだけ歌が好きなら、音楽業界にでも関わればよかったんじゃないか?」
全くもって、音楽業界に詳しい訳ではないので、なんとも言えはしないが、あれだけの声量があれば歌で飯が食えるのではなかろうか。
そもそも、女性なら尚更だろう。
差別とかではなく、単純に適性の問題だ。
確かに戦機搭乗者に女性兵士がいないわけではないが……。
「アタシはさー歌手になるんだ。」
ーーノイズ
まただ。
「歌手?」
再度、思考に混ざった映像が気になりつつも、会話を続けた。
「ああ、歌手になってよ、アタシの歌をみんなに…世界中に届けるんだ。そしたら、戦争なんかしてる場合じゃねぇって世界中の奴らが気付いてよ、イイカンジになる!アタシの歌で世界を救うんだって……」
そこまで言って、音無が右の拳をギュッと握り込んだ。
「それが、アタシの夢だった……」
そして、力なく拳を開く。
小さな手のひらに爪痕が赤く残っていた。
「笑ってもいいんだぜ。アタシ自身荒唐無稽な話だってわかってんだからさ。」
「けどよ、知ってっか?戦場のクリスマスでは、敵対する兵士達がお互いに歌を唄いあって一つの奇跡を起こし、マルタ・クビジョバは真実を、自由を歌い続けて大国と戦った。美化されてないとは言えないけど……それでも、やっぱり皆に響く歌ってあると思うんだよ。」
「なら、尚更ーー」
俺が異論を唱えようとすると、それを察したのか、缶コーヒーを持った右手で言葉を制す。
「そう、平和を語る癖に、何で人殺しの兵器に乗ってんだって、話だよな。」
「アタシも矛盾してるとは思うけどよ……結局、力無き正義は無力なんだ。戦争じゃ勝った奴が正義、負けた奴が悪、これは歴史を見れば明らかだ。”正義無き力は圧政”だったっけ?よく言うぜ、正義ほど曖昧なもんなんてねぇのによ……。皆、それぞれの正義の為に戦ってるんだ。国、誇り、理想、信じる物、愛する者の為に血反吐吐いて涙流して殺り合ってる。」
音無が缶コーヒーを一口、口に含み飲んだ。
「馬鹿な連中だよな……。けどよ、その蚊帳の外で平和を叫んだとしてだ、誰に伝わる?誰にも伝わる訳ねぇよなぁ。名前も知らない兵士達が作った現在に生きて、それをまた、同じ様に守ってもらってるのに、それを忘れて平和だ何だって叫んでもよ、そんなのはただの自慰行為だぜ。だから、アタシはここにいる。ここで歌い続けるって決めたんだ!」
盛り上がったのか、音無がスクッと立ち上がり戦機を見上げる。
そして、少し恥ずかしくなったのか、頬を赤らめながら、再度座り込んだ。
「逆に聞くぜ?何で橘は戦機に乗るんだ?聞いた話じゃ、前の大戦で撃墜されたっていうじゃねぇか。折角生き残ったってのに、わざわざまた戦うかもしれないここに来る必要なんてあったのかよ?」
首を傾げながら、俺に尋ねる。
「……何でだろうな?」
「何でだろうなって……」
「まぁ、強いて言えば、忘れもんを探しにかな。」
「忘れもん?」
「ああ、ずっと昔にどっかに忘れてきちまったらしい。それを今も探してるんだ……あてもなくな。」
目の前にそびえ立つ戦機が、西日で照らされていた。
気付けば、周りの世界は、まるで色褪せた写真のようにセピア調に変わっていた。
「ふ〜ん……見つかるといいな、その忘れもん。」
隣で、音無が笑った。
ほんのり紅く染まった頬が、いつもより、綺麗に見えた。
グゥ〜
「「あっ」」
二人揃って声を上げた。
いや、あげたのは声だけではなかったが……
「よし、腹減ったし、食堂にでも行くか?皆も集まってんだろう。」
音無に言いながら、俺は立ち上がった。
「そうだな!まぁ、今日くらいは奢ってくれてもいいんだぜ?」
「A定食?」
「バーカ。そば粉のガレットとかパンケーキとかに決まってんだろ?」
「女子かよ。」
「女子だよッ!」
鋭い突っ込みをかろうじて避けて、笑い合いながら、格納庫を後にする。
あ、そう言えば……
「音無」
「ん?」
「……嫌いじゃない、嫌いじゃないな。お前の夢」
先程、自分の夢を笑ってもいいと言った彼女、でも、今の俺は、そういう夢もありだなと思っていた。
「あ……」
音無の声が詰まった。
「ん、どうかしたか?」
思わず尋ねる。
「いや、何でもない。ただ、似たような事言う奴がいたなぁ〜って思ってさ。」
「そいつ、変な奴だな」
「アンタもね」
「……違いない。」
間も無く地平線に沈み、力尽きようかという西日が最後の最後に一際明るく輝き、俺たちの背中を押すように、後ろから照らしていた。
結局、久しぶりに聞いた歌が、彼自身が求めていたものだったのかは、本人にも未だわかっていないようだが……
止めどなく溢れる雫は、彼の頬だけじゃなく、カラカラに乾いた心に潤いを与えたのは、確かであった。
*****
どうもー( ´ ▽ ` )ノ
最近、前後書きの感じを変更しております。
まだ、全話変更が完了していないので、生暖かい目で見守ってやってください笑




