【#Sumire's Side】Only This Wind Swings A Violet~この風が菫を揺らす~
今回は小休止です。
意図の読めぬ藤堂秀和の指令に彼女は…。
『俺の二つ名…忘れたわけじゃないだろう?』
まるで、いつもの軽口を叩くような調子でそう言い放つと、藤堂機はひしゃげて機能の大半を失ったデフレクターを構えなおし、メインブースターを紅く煌めかせた。
「あっ…隊長!待っーー」
菫が、藤堂を引き止めようと声を上げるが、その声は彼に届くこと無く、菫が乗る戦機”夜桜”のコックピット内で寂しく木霊し、伸ばした手は空を切る。
届きそう…そう思ったのに、それは戦機のモニターがズームした虚像に過ぎないのだと認識させられる。
彼女のモーションをトレースした夜桜が、同じく右腕部を前に伸ばすーーが、グッと拳を握りこむと、ゆっくりと元の位置に戻って行く。
ブースターの推進力を受け、風を切りながらアンノウンに向かって進む藤堂の機体がたちまち小さくなっていった。
『どうかしましたか?菫少佐。』
その様子を認めた伊勢が、菫に問いかける。
『…何でもないわ。』
菫は、コックピットの中で頭を左右に振り、短く返答した。
あの男はいつもそうだ。
私の気持ちなど御構い無しに、奔放に戦場を駆けて行くのだ。
まるで、自由気ままに吹く風のように…
『い、いいんですか?隊長一人だけで突撃しちゃいましたけど、しかも隊長を狙えって一体…まさか!自爆!?』
菫の思考を遮るように、四番機の高橋が自問自答し、大声を上げた。
『縁起でもない事言わないで…あの人は殺そうと思ってもゴキブリみたいにしぶとく生き残るわ。』
「たぶん」という言葉は自分の内に留めておいた。
口にすれば、何か未来が変わってしまうのではないかという漠然とした気持ちがあったからかもしれない。
『…これより指揮は私が執る。高橋少尉は隊長の動きを逐一報告、本隊の無線は適当に聞き流しなさい。伊勢中尉はいつでも撃てるように待機、隊長が合図を出したら撃って。私も撃つ。』
気持ちを落ち着かせ、部隊に指示を出す。
今は私がしっかりしなければ…。
『確認しますが…”隊長”を撃つんですよね?』
『そう…私は、殺す気で撃つわ。』
『…了解。』
伊勢中尉の短い返答の後に、ヒュウッという尻上がりの、驚きを示す口笛が混ざった。
それもそうだろう。
どこの国に、別に恨んでもいない自分の上官を殺す気で射撃する部隊があるのだろうか?
そんなふざけた部隊…聞いたことがない。
けど、私は…
菫はそこまで考えて、思考を止めた。
余計な雑念が生まれれば、いざという時、彼の期待に応えられないと思ったからだ。
ゆっくりと大口径の狙撃銃”慈雨”を膝立ちで構える。
右肩に装着された慈雨専用のマウントに銃床をあてがい固定して、銃口を前方に向けた。
慈雨のガンカメラが捉えた映像がヘッドマウントディスプレイに投影されると、一機の戦機の背部が映し出される。
「Friend」
赤く表示されたその文字は、射線上にいる戦機が友軍機であることを知らせていた。
菫は、その警告を無視して、無防備に背中を向けた戦機に対してロックオン、一次ロックをかける。
これで、その戦機を操縦するパイロットが乗るコックピットには、ロックオンの警告音が鳴り響いているだろう。
「LOCK」と再表示された文字を確認すると、彼女は静かに息を吐き、自身の心音を聴きながら、その鼓動をコントロールし始める。
私は”慈悲なき二夜草”
如何なる感情にも左右されず、冷静に、冷酷に、その目標を貫くのみ。
この機体は私の身体、
この銃は私の心、
その狭間に、撃鉄など存在しない。
その時を待つ。
心を解放するその時を…。
夜空の下、道端に咲く二夜草のようにひっそりと、ただひたすらに…。
そして、菫の感情は、海に沈むシンカーのように心の奥底に消えていった。
今、彼女を支配するのは”目標を破壊する”という一つの意思のみである。
FCSによるロックオンなど、あくまで彼女の狙撃を補助するものに過ぎない。
何事にも動じず揺れ動かない己の心で、敵を捉えるのだ。
*****
慈雨をマウントする菫機の横で、アンノウンと藤堂の交戦状況をモニタリングする高橋少尉に、ふと疑問が浮かぶ。
『…そういえば、隊長の二つ名ってなんなんです?伊勢中尉。』
射撃モードに入った菫に配慮して、高橋が直接回線を伊勢の機体に繋ぎ尋ねる。
『隊長の二つ名?ああ、それはなーー』
そして、伊勢中尉の答えに、高橋は素っ頓狂な声を上げたのだった。




