吾輩は触手である。名前はまだない
吾輩は触手である。名前はまだない。
何処で生まれたのかとんと見当がつかぬ。ただ薄暗いじめじめしたところでギシギシアンアンオギャーと誰かが呻いていたことだけは記憶している。
吾輩は苗であったときにはじめて人間と言うものを見た。
しかも後で聞くにワナビと言う人間の中で最も口だけ達者で面倒な種族であったそうだ。
このワナビと言う者共、時折我々を焼いて食うという。ましてや口にするのも憚られる嫌らしい用途にも使うということであるが、この男、『カラスノ』は私の好物となるビールをふんだんに振る舞ってくれ、アレヤコレヤとこれから向かう先で粗相がないようにと指導する。そんなに言わなくとも我の種族は外なる図書館であらゆる知識を存じているのだが、彼に言わせれば知っているのと実践できるということは違うらしい。
確かに彼の言うことも道理。わが種族の一部には人間の小娘を捕え、舌に出すことも叶わぬ不埒な所業を重ね、母体として使い捨てるという言語同断の所業の挙句討伐されるものは後を絶たぬ。
私は幸いに高度な知性を有しておるが、同族の中には知性も恥も持ち合わせぬ獣も少なからずいるらしい。
言語も舌も不要な私だが最低限のモーラルの所持は心得ておる。一緒にしなくて結構である。
なんでも私は彼の友人夫婦の家にて嫁ぐだか観葉植物だかの仕事を持っているらしい。給金は貰えぬ。所謂丁稚のようなものだが私の寿命からして将来の大成いかばかりか疑問である。そこには『イガクセイノムスコ』と『ジュケンセイノムスメ』がいてくれぐれも粗相は慎めとの事である。しかしうまく振る舞えばビールを貰えるであろうと言われた私は一も二もなく早くも芽生え始めた触手を前後に振って同意し、かの者達のいるシズオカケンなる場所に向かうことにした。
カラスノが言うには私が這いずって移動するのは極めて不効率であり、触手は伸びるが移動力は極めて低く、根を張る種族なのと外見的な要因から『ケーサツ』や『ジエータイ』に討伐される可能性が高いとのこと。ならばどうすれば良いかと問えば「クール宅急便」で送るとのこと。
「葉書が届くと同じころに届くはずだから、向うに行っても達者でやれ」
ビール缶をいただき、まだ生えたての触手を伸ばして受け取り喉の無い私は根に嚥下してみせると彼は私の目玉だらけの腕を撫でて見送ってくれた。
この「くーるたきゅうびん」なるもの。揺れる。狭い。寒いと暑さを是とする私には実に過酷な環境であり、カラスノに言わせれば不要な成長を招いて我が人類社会に無益な混乱を呼ぶことはないとのことだがこの旅についてはヒトならざる我が人生で最も困難なものだっと言わざるを得ない。
箱が開封され、喜びの余り苦手な光の中に飛び出して脅える私を宥める『シュフ』なる我が主となる女性と不幸な相対をしたのは私の意図するモノではない。むしろあのような女に逆らってはいけないと痛感することとなった。この奥方がこの家の主であり、我が主でもある。ビールと水と適度な日光を提供してくれることを確約してくれた奥方には感謝しているが、餅を食べさせるのは辞めてほしい。私には喉がない。あと踊らない。意味が解らぬと言えば『ネタ元を見ろ』と不明なことを奥方は申した。不勉強を恥じ入るのみである。
近所を歩く子供と言うのは厄介なものである。
彼らは悪意の欠片もなく、花を引きちぎり、あろうことか小便を垂らす。
小便が肥料になるのは発酵して堆肥と成ってからであり、そのまま植物に与えれば毒になるのだが彼らの主は知らぬようだ。
私は人間の子供と動物の子供は分けて考えねばならぬということを知る。
人間の子供に危害を加えれば主に叱られる。動物の子供に危害を加えても基本は何もないが子供に怖れられる。これは避けるべきだ。前者は腕の数本を『ビールのアテ』にされるだけで済むが、後者は心情的に避けたい。
我の主である奥方のそれまた主は主人と言う男であるがこの男は夢魔でありかなりの曲者である。夢魔と淫魔の違いについては紙面がいくつあっても足りないので遠慮することにするが、『ビールのアテ』にされるのとこの男と戦うことを選べと問われれば後者の選択肢はあり得ぬと断言できる。
時折『ジッカニカエッテクル』兄という男もまた曲者で、戦神の化身を手に握り、世界を滅ぼさんと試みかねない恐ろしい相手である。邪神の末裔である私でなくばこの一家の守りは務まらぬであろう。カラスノの言葉を胸に気を引き締めて本日も陽の光のもと、子供たちの世話をしながらトマトの警護に当たる。というか我には胸はない。昨今は我を不届きにもトマトの苗と間違えて食わんとするナメクジの味にも慣れた。もう少し寄ってきてほしい。
あと泥棒は食べてはいけないのだろうか。一応ケイサツに突き出しているが調書を書くのはとても面倒でしかもケイサツが目を剥いて驚くので少々困惑している。
最後に。「ジョシコーセー」なるこの家の娘だが、我の見栄えを気にせず水をくれビールをくれ甲斐甲斐しく可愛がってくれるので私も好きである。
先日前世で習得した美味しいカレーの作り方を実践してみたところ、我が枯れる夏の終わりまで一生懸命育ててくれると確約してくれた。
この家で愛情に包まれ、わが身が枯れるまで生きるのは、おそらく精を啜り若さを啜り浅ましく生きるより楽しいと思うのだが如何であろうか。
吾輩は触手として死ぬ。死んで足亡き身で人と歩んで大望を果たす。太平と大望は望んで得られず、死んでも得られぬ。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたい。




