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中編

彼に抱かれたその夜、私は書斎で父の帰りを待っていた。

宰相たる父は、特にここ最近帰りが遅い。理由は分かっている。今から1年ほど前に先代武公が亡くなったからだ。


文武において、臣下の筆頭を務める文公たるうちと武公たるかの家。

初代より代々宰相を務めて遺憾なく文公としての職責を全うしているうちと違い、ある時から武公家はまともに武人を輩出できなくなった。理由なんて知らない。


武公として将軍位を拝命していながら、ここ数代まともな武人を輩していない武公家。

先代の武公も、武人と言っていいのか悩むほどのふくよかな体型の持ち主で、剣一つまともに振るえない人だった。

が、彼は政治的な才能には恵まれた人だった。なにより運に恵まれた人だった。娘を側室として王に嫁がせたばかりでなく、その娘が第一王子を産んだのだ。


そこから先代武公の野心が大きく育ちだす。

正妃さまが産んだのが2人とも女の子だったのが良かったのか悪かったのか――――彼は自分の孫を王太子にするため、暗躍を始めた。

第一王子の女にだらしないふしだらな行状を隠蔽し、多数派工作を行い、極めつけに第一王子妃として文公家の令嬢を迎えた。

そう、お姉さまは愛する辺境伯との婚約を破棄されて、第一王子に泣く泣く嫁いだのだ。


父は、国内の政治的な安定を最優先し、相思相愛だった辺境伯との婚約を破棄してお姉さまを王家に嫁がせた。そして、お姉さまの代わりに私を新たな辺境伯の婚約者とした。文公家としては、東部国境を押さえる辺境伯との縁がどうしても必要だったから。

そのとき、私は10歳、お姉さまと辺境伯はともに18歳だった。20歳の第一王子に嫁ぐには、婚約者がいないと言っても10歳の私では幼すぎたのだ。


あれから8年。

安定していたはずの国内の政治情勢は揺らぎ、日々不安定さを増している。

昨年、武公を継いだ当代が、あまりにもひどすぎるのだ。王太子の伯父でもある当代武公は軟弱で凡庸な人物で、武人としての資質を欠くだけでなく、先代にはあった政治力すらも欠いていた。


そして、諌めつつも庇ってくれた祖父がいなくなった王太子が馬鹿すぎた。強力な味方であると同時に最も煙たかった人物であった祖父が亡くなり、王太子の箍が外れてしまったのだ。


生母である側室は、息子を諌めるような女性ではなかった。

そもそも第一王子を産んだことが誇らしくて、彼女の曇った眼差しは“優秀な”息子しか映さないため、息子を諌める必要など感じていない。なんでも可愛い息子の言う通り、という女性なのだ。


陛下は、今の状況を一歩ひいて冷徹に観察していた。

実の子供への仕打ちとは思えないほど冷たいが、王太子となりたければその手で掴み取れとばかりに、王子たちの誰にも手を貸さず、そして誰の邪魔もしない。

親子の情より為政者として力ある後継者を見定める気持ちが強いのだろうか?


第一王子がこのまま王太子として逃げ切るのもよし、第二王子や第三王子が王太子を転覆させるのもよし(その時点で第一王子に王太子の資格なし、との判断だろう)という具合に、王子たちのどの動きについても黙認していた。

そう、王太子の愚かな言動ですら、何も諌めずに黙認しているのである。あのクズ男は立太子されたことに安堵し、現状の危うさに何一つ気づいていないのだ。本当に愚かな男だと思う。


もっとも陛下のその冷たい眼差しは、王子たちだけでなく臣下にも注がれていた。

王太子争いのついでにどの臣下が誰にどう組するのか、どう動くのか、それらを冷徹に観察して臣下を取捨選択しようとしているのだろう。これから間違いなく荒れる。この国に嵐の時期がやってくるだろう。


そして、宰相たる父の仕事は日々増えて、帰りは深夜に達する。時に、王宮に寝泊りすることもあるくらいなのだ。


下腹部が鈍痛を放ち、彼を受け入れた証のように身体に痛みが残る。なにより、ひどく疲れていて眠気に襲われる。

いつ帰ってくるのかしら? 我慢できずに大きなあくびを一つもらした時、扉が開いた。


「なんだ、まだ起きて待っていたのか?」

「お帰りなさいませ、お父さま。こんな遅い時間に、すみません」

「いや、お前から話があるなどめったに無いことだ。もちろんかまわないとも」


そう言いながら私の前のソファに座ると、私を見てにこっと笑った。その笑顔はとても魅力的だ。父はとても素敵な美中年だから。お母さまが亡くなって、もう10年以上経つというのに、未だに再婚話に事欠かないというのも納得である。


「で、何があった?」


挨拶などすっ飛ばして本題に入る父に、私も覚悟を決めて彼との話を伝えることにした。


私の話を聞き終わると、父は愕然という表情をしていた。

心なしか、顔色も優れない。働きすぎなんじゃないだろうか?


「それ、で、そなたは、殿下、と・・・?」


隠せることではないし、何より大切な部分なので、私も頷くだけでなく口にして答えた。


「えぇ。今日、殿下の寵をいただきましたわ。ですので、もう辺境伯とは結婚できません」

「なんと愚かな真似を!! そなたは何を考えてるのだっ!」


叱責された。


「ですから、殿下と組みたいと申し上げているではありませんか」

「――――馬鹿なことを。殿下と組んで、それであれを取り戻すなど、まさかそんなことが可能だと本気で思ってるのか?」


物事の道理も知らない幼子のような言われ方に、カチンと来た。


「どうしてですか? うちにとっては一番いい解決方法ですわ。幸いにも、もう何年も寵を受けておりませんし、それどころか卑しい寵姫に夢中ときては、そう不自然なことではありませんでしょう?」


父を睨みつけながら、言葉を継いだ。疲れの反動か、なぜかひどく好戦的な気分になっていた。


「そもそも辺境伯に嫁ぐのはお姉さまだったのです。何も問題などありませんわ。本来あるべき姿に戻るだけのことですもの。愛する女性を取り戻すため、辺境伯だって、間違いなくこちらに組してくれますわ」

「それで、そなただけが犠牲になると?」

「もとより、政略結婚は公爵家の娘の義務です。私にとって、辺境伯との結婚も殿下との結婚も、どちらも政略結婚に変わりありませんわ」

「――――考えさせてくれ」


頭痛がするとでも言うように、父は片手で額を支えていた。


「いいえ、今、答えをくださいませ」

「なぜ?」

「考えるまでもなく、お父さまだってお分かりでしょう? 答えは一つしかないことを」


父の顔が歪んだ。


「そなた一人を代償にして、全てを得ることを即決しろというのか?」

「8年前、お姉さま一人を代償にして、全てを得たではありませんか?」

「!!」


父の顔が苦しげに歪んだ。

あぁ、しまった・・・・。

それを見て、私も言葉が過ぎてしまったことを、後悔した。


父は愛情深い人だ。

こういう名家には珍しく、姉も兄も私も、両親からの愛情にたっぷりと包まれて育ってきた。だから、8年前、父が自らの心に刃を突きたてるようにして、姉を第一王子に嫁がせる決断をしたことを、今の私は知っている。

その結婚生活が不幸であるからこそ、未だにその傷から鮮血が滴り落ちる毎日だということを、私は知っている。


「ごめんなさい、お父さま。言葉が過ぎました」


素直に謝った。どう見ても、私が言い過ぎだった。


「――――いや。そなたが正しい。国のため、そう言ってあれを妃に差し出したのは、他でもない私だ」


そう苦く言ったきり、父は眼を瞑って、深く考えに沈み込んだ。

父の苦痛に満ちた声を聞くのは、私にとっても苦しくて切ないことだった。宰相たる父は、時に非情な決断をせねばならない。だからといって、心が痛まないわけではないのだ。それが愛する家族に関することなら、なおのこと心身に堪えただろう。

10歳の私には分からなかったけれど、今の私には分かる。


父はいま、あらゆる選択肢とそれを選択した後の展開を思考しているのだろう。私が彼以外に嫁げない身体になった以上、父の取れる選択肢はかなり狭まった。

が、先程私は一つしかないなんて言ってしまったが、それが有力というだけで、実は選択肢は他にもあるのだ。

父の選択を、私は祈る思いで待った。


「分かった。その話、のろう」


決意に満ちた父の声が聞こえた。感激のあまり、私の眼は潤みだした。

父は私たちと組む道を選んでくれたのだ。


「感謝しますわ、お父さま」


そう言う私に、なぜか父は苦く笑った。


「それは逆だろう。感謝せねばならんのは、私だ。そなたの決断と実行力に、な。・・・・なにはともあれ、まずは殿下と詳細を詰めていかねばならんな」


父の言葉に頷いて、彼から預かっていた手紙を父に差し出した。


「これを」

「?」

「殿下からお預かりしましたの。連絡手段が記されているそうですわ」

「手回しの良いことだな」


くっと苦く父の顔が歪む。


「それだけ優秀な方だということですわ」

「であろうな。軍からの信頼も厚いときく。武公の将軍位など、まさに名ばかり。それが全ての元凶なのであろうな」

「お父さまの責任ではありませんわ」


筆頭臣下の双璧の片翼として、こうなってしまった現状が悔しいのだろうか、声には疲れが滲んでいた。


「そなたは本当にこれでよいのか?」

「?」

「国のために、その身を差し出して、そなたが得るのは新たな王太子妃という責務だけだ」

「望むところですわ。そもそも殿下はあのクズ男のような愚かな方ではありませんわ。文公家より嫁いだ盟約の証の妃として、私は大切に尊重されましょう。なにより、ようやくお姉さまの幸せを取り戻せるのです。後悔などカケラもございませんわ」


私の迷いのない言葉に、父が寂しそうな顔をした。


「そうか――――ならば、私も後悔のないように全力を尽くそう」

「頼りにしておりますわ」


ふと何かに気づいたように、父の顔が顰められた。


「あまり時間がないかもしれんな」

「?」

「その・・・まぁ、なんだ」

「??」

「もしかしたら、だが・・・なぁ」

「???」


ごにょごにょと何が言いたいのかはっきりしない。何が言いたいのだろう?


「だから・・・その、そなたが身ごもっているかもしれないだろう?」

「?!!」


かぁっと頬に熱が上るのを感じた。

勝手に身体の関係を持ってしまったとはいえ、あからさまにそんなことを言われると、さすがに恥ずかしいのだ。まだ私は未婚の18歳だから。


「・・・・あの、その・・・・大丈夫ですわ」

「大丈夫とは?」

「殿下が避妊薬を飲んでいてくださいましたので」

「殿下が?!」


大きく頷くと、父は安堵しながらもなぜか微妙な顔をした。


「・・・・そうか。ならば時間的な制約は気にせずとも良いな。殿下とは最適な手法を詰めよう――――しばらく荒れるだろうな。そなたにはより手厚い警護をつけるが、身辺には今まで以上に気を配るように」

「分かりましたわ」


そうして私が父の書斎から退出した時には、とうに日付は翌日に変わっていた。




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