5 スペオペの始まり
降りてきた男は筋骨たくましい良く陽にやけた港湾労働者風、と思ったが一つだけ間違いに気づく。ここは宇宙だ。どんな労働者も日焼けするはずはない。彼が黒いのはアフリカ系の血が流れてるための様だ。
彼は黙ってしまった俺を見て、ニヤリと人好きのする笑顔を見せた。
「怖がらせちまったかな。すまんね、別嬪さん。俺はオットー・グラッグ。名前を聞かせてもらっていいかな?」
俺は自分の背中にまわった少年のほうを観察する。
男の事を怖がってはいる。しかし、過剰な怯えはない。普通に悪戯を叱られる子供の反応だ。
良かった。不老不死技術が普及したあげく、子供の存在が違法化したり家畜化したりした未来ではないようだ。
「別に怖がってはいないが、困ってはいるな。アリスさん、俺の情報は彼らにどのぐらい流れてるんだ?」
「労働者のみなさんにいちいちアナウンスはしてはいないはずです。口コミでどのぐらい広まっているかは分かりかねますが」
「おう、アリスちゃん。いつも綺麗だね」
「ありがとうございます」
「訳ありだって言うなら聞かないぜ」
「別に機密指定されている訳ではありません」
オットー・グラッグと名乗ったこの黒人、頭も回るし気風もいい。悪い奴ではなさそうだ。さすが未来人と評しておこう。
「俺の名前は相楽虎太郎。コタローと呼んでくれればいい」
「お、俺っ子ちゃんか」
俺は自分の華奢な女の子ボディを見下ろした。
「コットンなんとかって言う変態のせいでこんな身体を使う羽目になったが、俺の本質は男だ。間違えないでもらおう」
「男? その姿でか?」
「もちろんだ」
「姿形は女の子だけど中身は男だから男扱いしろって? 無理無理。悪い事は言わない。その路線は今のうちに諦めるんだな。ゼッテーに不可能だ」
な、なぜ?
「穴さえあれば性別なんか気にしない奴なんかいくらでも居るぞ。守備範囲の中に美少年が含まれている奴なんか珍しくもなんとも無い。心が男でも身体が女なら、もはや言うまでも無いな」
肉食系すぎるぞ、未来人。
「ということで、君の事サガラって呼んでいいかな?」
さっそく口説き文句か? このナンパ野郎。ちょっと勘違いしているようだが。
「そうだな、許可しよう。それ以外の呼び方はもはや禁止の方針で」
「やった!」
「ただし、相楽の方がファミリーネームだから、そのつもりでな」
「⁉︎」
ナンパ男の間抜け面を見て、俺は大いに笑った。
硬直している黒人はしばらく放っておこう。
俺はしゃがみ込んで落ちて来た少年と目線を合わせた。よく見ると赤銅色の髪をしたなかなか可愛らしい男の子だ。
「俺の名前はもう言ったな。コタローだ。君の名前は?」
「ジュディ。…ジュディ・ライト」
「ジュディか。いい名前だ。…ところで、なんで落ちて来たんだ?」
「え?」
「なんであの男に追いかけられていたのかは、別にいいんだ。俺には関係ない事だしな。だが、俺が腕で受けとめた以上、転落事故に対しては口を出す権利がある。分かるな?」
「はい」
「で、なんで落ちて来た?」
「飛び降りたたから」
「なぜ飛び降りた? 速いからか?」
「はい」
「どうせ安全装置が働くから問題ない。速く移動するために飛び降りてしまおう。そう考えたんだな」
「はい」
「それはやっちゃいけないことだ。移動手段なんて物は、とっても多くの人たちがしょっちゅう使う物だ。同じ事をあと100回やったとしても、あのネットは100回とも受けとめてくれるかも知れない。だが、1000人の人間が1000度同じ事をしたらいったい何回になる?」
「…」
ジュディは答えられなかった。小学生ぐらいの子に今の質問は難しすぎたかも知れない。
「日常的に使う設備には100万回に1回の事故も許されないって事だ。100万に一つの事故でも、おきてしまえば周りに大きな迷惑がかかる」
俺に少年に説教する権利は無いかも知れない。
俺が死んだ時にも周りに大きな迷惑をふりまいたはずだ。とりあえず、あの現場は止まっただろう。社長は米つきバッタのようにあちこちで頭を下げまくらなければならなかったはずだ。
1000年も前の話だからな。もう時効、という事にしておこう。
そう決めた。
その時だった。
ジュディの視線が不自然に動いた。俺の後ろを見ている。その表情が驚きに染まる。
《警告、危険》
何があるのかは解らなかったが、俺の身体は理屈抜きに動いた。
身体を左サイドへスライドさせつつ振り返る。
俺の服の右袖の部分を何かが貫いていった。
しまった!
鮮血が散った。
俺のではない。そもそも、この身体に赤い血など流れていない。避けるのではなかったと、俺は後悔する。このボディはスタンドアローンで稼働している訳ではない。単なるスレイブユニットだ。破壊されたところで大きな問題などあるはずもなかった。
太い針のようなものがジュディの右肩に突き刺さっていた。少年の小さな身体が低重力の中、宙を舞っていた。
あの部位なら命に別条はない。毒でも塗られていたら別だが、その時には俺にはどうする事も出来ない。
俺は謎の襲撃者に向き直る。
「なんだ、こいつは…」
呻いたのはオットー・グラッグだ。
そこにいたのは中型犬ぐらいの大きさの四つ足の物体だった。背中に砲塔のような物が付いていて、そこに新しい針が装填される。
「汎用型関節ユニットの集合体のようです」
アリスさんが答える。
未来の科学の粋を集めた大量殺戮用破壊兵器、では無いらしいのはありがたいが、針の先が俺にピタリと狙いをつけている事実に変わりはない。
「ここが戦場だったとは知らなかった」
「そんなわけあるか。…来るぞ!」
四つ足のロボットは低く低く連続して跳躍し俺に迫る。本来なら低重力では決して行えない動作。足の裏に床に吸着する機構でも仕込んでいるのだろう。
犬なら犬らしく公園でも散歩してやがれ。
などと言っている場合ではない。
至近距離からの針の射出を狙う敵を、俺は射線をずらす事でかろうじて回避した。
俺の素の能力で出来る事では無い。アカシックゲートとやらの力で針の射出タイミングが分かったからこそ可能になった動きだ。
「やるねぇ」
オットーが前に進み出る。その手に武器は…ない。
黒い素手が空中を踊る。まるで印を切るかのような動き。
「喰らえ!」
青白い炎が出現し、四つ足ロボットを襲う。
戦士系かと思ったら、まさかの魔法使いキャラ?
そんなわけ無いな。
印を切ったように見えたのは、空中でのコマンド入力だろう。『十分に発達した科学は魔法と区別がつかない』とは、まったく良く言ったものだ。
炎を浴びたロボットは動きが鈍った様だった。一瞬だけよろけると、今度は高く跳躍。そこにあった通気口のカバーを食い破り、ダクトの中へと姿を消した。
逃げた、のか?
間抜けな事に、今頃になって警報が鳴り出した。照明が赤く点滅する。
「司令室、何があった⁉︎」
オットーが声を張り上げる。返答は空中から聞こえた。
「何があったのか、こちらが聞きたい。そちらの状況がモニター出来ない。音声以外すべてブラックアウト」
「襲撃された。相手は汎用ユニットを合体させた不細工な四足歩行機械。負傷者一名。奴に損傷は与えたが、逃げられた。今も殺人機械がそこらを徘徊していると思え」
「了解した」
「本部棟との連絡は?」
「まだ、だ。少し待ってくれ」
どこか別の場所に話しかけている様子が伝わってくる。
そちらの声と同時にカタコトと小さな物音が聞こえる。俺は足の裏に床からの微細な振動を感じ取った。
「オットー、まだ終わってない。奴はまだ居るぞ!」
「な⁉︎」
継ぎ目はまったく解らなかったが、床に点検口があったらしい。床がポッカリと口を開き、そこから『奴』が躍り出る。
汎用ユニットとやらを組み替えたのか、今度の『奴』は蛇形をしていた。
鎌首をもたげ、空気を噴出しながら宙を飛んだ。
今度の狙いは俺ではなかった。手強いと見たのか、黒人男を狙う。
同じ過ちは二度はやらない。
俺を狙って来た攻撃なら回避するが、他の誰かが傷つくぐらいなら俺の機械の身体が壊れる方がずっといい。
俺は前に進んだ。
蛇形機械の『顎』を左の手首で受け止める。
鈍いが痛みの感覚があった。
人工皮膚が裂け、筋肉に穴があいた。さすがに骨までは砕けず、ダメージはそこで止まった。
俺は右手を伸ばし、蛇の頭のすぐ後ろを捕まえた。
俺は叫んだ。
「オットー!」
「まかせろ!」
男の指先が踊り、まるでビームサーベルのような白い光の棒が出現した。蛇の胴体を容赦無く溶断する。
敵は汎用ユニットの集合体と聞いた。各パーツごとにバラバラになって逃げるぐらいの事はするかと思ったが、そこまで便利な物ではなかったようだ。蛇は残骸になってその場に落下した。
「よし、勝った」
「敵が一体だけという保証は無い。すぐに移動するぞ」
俺は思わず安堵の息を吐いたが、オットーは俺より少しだけ先を読んでいた。悔しいが彼の言葉が正論だと判断する。
「ジュディ、動けるかい?」
俺が避けた針に貫かれた少年は、それでも自分の足で立っていた。
「だい、じょう、ぶ」
しかし、顔色は悪い。立てているのも低重力ゆえかもしれない。
俺は右腕で彼を抱き寄せた。
ついでに損傷した左腕を動かしてみる。ちょっと引っかかる感じはあるが、動作に大きな支障は無いようだ。もともと大きな力がでないようにデッドチェーンされている身体だ。機能の冗長性は十分に保証されているという所か。
「司令室、敵の再襲撃を受けたが撃破に成功。これからそちらに向かう。医療ユニットの用意をしておいてくれ」
「了解した、オットー。それから、悪い知らせだ」
「なんだ?」
「本部棟と連絡が取れない。隔壁が閉鎖されていて、人間が直接あちらへ行くことも難しい状況だ」
俺はアリスさんを振り返る。彼女なら本部と直通の回線でつながっているはず。
俺の問いかけにメタルボディのアンドロイドは黙って首を横に振った。
どうやら本物の非常事態のようだ。
オットーは降りてきた時のように壁面のグリップをつかむ。俺もジュディを抱いたまま同じようにした。
グリップに触れると『グリップが』俺の手を握ってきたので、少しだけビックリした。
俺たちは0.3Gのリングを離れ、無重力の世界へ向けてシャフトを登る。
「なぁ、サガラ」
「なんだ?」
「アレは次からは無しだ」
「アレ、とは?」
「自分の身体を盾にするような事は、もう二度とやらないでくれ」
「この身体はただの機械だぞ。壊れても何の問題も無い」
「それでもだ」
「適材適所って知ってるか?」
「女の姿をした者を盾にするなんて、適材でも適所でもねぇよ」
「お前、馬鹿だろう」
「よく言われる」
困った男だ。
馬鹿な奴だが、ま、嫌いなタイプの馬鹿ではないな。
おい、コラ。
デレた、とか言うんじゃねぇぞ。