1 ノーライフ ノーボディ
俺の思考がいきなりクリアになった。
なんだか、長い夢を見ていた様な気がする。俺が死んだっていう記憶も残っているのだが、俺はいま自分の頭で考えている。
『我思う、ゆえに我あり』
俺が存在しているっていう事は、俺は死んでいないって事だ。
以上、証明完了。
しかし、思考だけはクリアになったが、相変わらず何も見えないし何も感じられない。
酷い事故だったはずだし、全身麻酔でもされているのだろうか?
ヤバイな。
労災、にはなるだろうが、後遺症が残るレベルだとその後の生活がどうなるか…
最悪、本当に働けなければ生活保護ぐらいはもらえるだろうが…
「聴覚回路接続しました」
おい、なんだ?
「対象の思考領域に変化を確認。聞こえている様です。翻訳機能については未確認。単純に音に反応しているのかも知れません」
翻訳機能?
確かに聞こえてくる言葉の意味は分かるが、音の響きだけを聞くと日本語では無いようだ。響きからすると英語とか、ヨーロッパ系の言葉だろうか?
これってアレか? 異世界転生特典の言語チート?
そういえば、さっきまで見てた夢の中で誰かが俺の転生がどうのと言ってたな。まさか、マジもの?
「続いて視覚回路接続します。…接続完了」
パソコンの画面が切り替わった、そんな印象だった。
なんの前触れも無く、俺の視覚が復活した。俺ってこんなに視力が良かったっけ、と思ってしまう様なクリアな視界。ま、そこに見えた物を理解するには少し時間が必要だったが。
ここは部屋の中だった。
広さは小学校の教室ぐらい。殺風景だが今にも壁や床が変形して家具がニョキニョキと生えてきそうな、そんな未来的な面持ちがある。
そう思わせる最大の原因は俺の目の前に立っていた。
ロボットだ。
21世紀初頭の技術水準でも作れなくはなさそうな、微妙なデザインの女性型ロボット。マルチとかの萌え系ではなく、メトロポリスのマリアさんの様な金属製リアルロボ路線だ。そんな物が目の前で稼働しているのを見るとちょっと感動する。異世界とかSF世界で無くとも感じられそうな普通レベルの感動だが。
「視覚野の活発化を確認しました。見えている様です」
先ほどからの声は、やはりこのロボットの物だった。
ロボットのマリアさん(仮称)は俺に向かって可愛いらしく手をふった。
「視覚野の活発化を再確認しました。こちらを認識していると思われます」
マリアさんは俺の脳の活動をモニターしているらしい。
今の俺の状態について、悪い予感しかしない。
そもそもだ。大きな怪我とか死ぬ様な目にあってその後最初に見るのは、普通『見知らぬ天井』だろう? 普通に立っているロボットを正面から見るなんてありえない。
俺の脳が培養槽の中でぷかぷか浮いている所を想像してしまう。
「続いて音声回路の接続を開始します」
を、今なんて言った? 音声回路という事は…
「俺も喋れる様になるのか?」
考えていた事の後半が発声されてしまった。ちなみに、発声された言葉はやはり日本語ではなかった。
「音声回路および翻訳機能の動作を確認しました」
マリアさん(仮称)は人間的なしぐさで耳を押さえていた。
「音声のボリュームコントロールに問題あり。もう少し声を抑えていただけますか? 出来なければこちらでハード的に対応します」
「失礼した。これで良いかな?」
「はい、問題ありません」
声の大きさは調節出来たようだ。しかし…
「ひとつ聞いてもいいかな? 見たところ機械の身体のあなたでも耳が痛くなったりするものなのか?」
「私のボディはたいへん丈夫に出来ています。通常使用される環境で損傷を受けることはあり得ません。頭部左右を押さえたのは単なるボディランゲージです」
「理解しました。高性能ですね」
「ありがとうございます」
本当に高性能だ。
ボディが頑丈なのは予想というか当然の範囲内だが、『耳が痛くなるのか?』と聞かれて『ボディランゲージです』と答えるのは相当に難易度が高い。技術というものは日進月歩だし、世の中には俺の想像もつかないような天才もいるから『21世紀初頭の技術では不可能』とは言わないが、かなり難しいのではないだろうか?
「対象と意志の疎通に成功しました」
マリアさん(仮称)がどこかへ報告している。
それにしても、俺は意思の疎通が不可能かもしれない存在だとみなされていたのか?
「対象者に向かって話します。いろいろとお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「奇遇だな。俺からも質問したいことはいろいろある。俺は今、どんな状態なんだ?」
「申し訳ありません。その情報を提供することは私には許可されておりません」
「ならば、俺からの回答もなしだ」
「対象にこちらと交渉する知性を確認しました」
「なら俺は、自分が知性の有無すら疑われる状態だと確認できたな」
「相互理解が進んでいるようで何よりです」
俺とマリアさん(仮称)はちょっとの間睨みあった。
もっともマリアさんの顔は表情の存在しない金属製だし、俺のほうは顔が存在するかどうかもはっきりしない。にらみ合いだと感じていたのは俺だけだったかも知れない。
「このままだとらちが明かないな。お互いにセキュリティレベルを少し下げないか?」
「私のほうは私の独断ではそれは行いかねます」
「では、話せることだけでも。…君の名前は?」
「私はAR1037型アンドロイド。通称アリスです」
アリスさんか。マリアさん(仮称)とあまり変わらないな。
「それは機種名? それとも個体名?」
「両方です。基本的には機種名ですが、この基地に配備されているアリスタイプは私1体なので個体名としても使用されています。それに、アリスタイプ同士は通常ネットワークを形成しますので個体を識別する意味はあまりありません」
「この基地、ね。では…」
「お待ちを。セキュリティレベルをお互いに下げる、というお話でしたよね。私にも質問させてください」
さすが高性能アンドロイド、手強い。
「いいよ、何が聞きたい?」
「あなたのお名前を」
俺は少し考えてから答えた。
「徳川家康だ」
「わかりました」
で、平然と答えられてこっちが慌てた。
「すまん、今のは冗談だ」
「は?」
「あり得ない固有名詞を言って反応を見ようと思ったんだが、考えてみれば君が相手では意味がなかった。…本当の名前は相楽虎太郎というんだ。コタローと呼んでくれればいい」
コーちゃんとかは勘弁な。
「正式名称相楽虎太郎、呼称コタロー登録しました。徳川家康、検索しました。旧日本国の為政者の一人、という理解でよろしいでしょうか?」
「問題ない」
旧日本国、ね。これはいい情報だ。
ここはいわゆる異世界ではない。俺が住んでいたのと地続きの未来だ。日本国がすでに無くなっている様なら遠未来、と言いたいところだが民主党政権みたいなのがまた誕生したらあっという間に滅びても不思議はないから確定ではない。ま、俺が『死んで』から2、3年以内って事はないだろうが。
「ではお尋ねします。コタロー、あなたは自分が『何者』であると定義しますか?」
「質問の意味が解らないな。相楽虎太郎、ではダメなのか?」
「名称が聞きたいわけではありません」
「話が最初に戻るな。今の俺はどういう状態なんだ? あるいは君は俺をどんな存在だと思っているんだ? それが解れば少しは的確な答えを返せると思う」
「申し訳ありません。回答不能です。…いえ、現在検討中です。しばらくお待ちください」
しばらく待て、と言われて本当に長く待たされた。
この長さなら検討しているのは人間だな。それも複数で会議でもしているのかもしれない。
その長く待たされている間、俺はお腹が空いたりしなかったし、眠くなることもなかった。まともな人間の体を持っていないことを確信する。
「お待たせしました。質問に回答出来ます。簡潔な回答と詳細な説明、どちらを選択しますか?」
「俺が何も知らない事を前提になるべく詳しく頼む」
「かしこまりました。話はAD3013年にバーナード星域で異星人遺跡が発見された事に遡ります」
今は1000年以上先の未来か。思えば遠くに来た物だ。
バーナード星と言うと、確か太陽系から6光年かそこら離れたところにある星で、既に惑星の存在が確認されていたんだったかな? あと、太陽系との相対速度がやけに速いと聞いた記憶がある。うろ覚えの雑学SF知識だから間違っているかも知れないが。
「遺跡からの発掘品を元に超空間航行技術が開発されました。コタローは超空間航行の経験がありますか?」
「無い、な」
21世紀の人間にそんな物を期待されても困る。
SF小説やアニメの中でなら何百回も経験しているけどな。地球付近から火星へのワープなんかドギマギしたものだ。…どういう意味でかは兎も角。
「超空間航行中、宇宙船の周りに光の塊が無数に集まってくる現象がよく観測されます。船乗りたちはこの現象を宇宙ホタルと呼び、宇宙で死んだ者たちの魂が集まってくるのだと言い伝えます。長年これは何の根拠もない噂であり、単なる迷信として片付けられて来ました。ところが、近年宇宙ホタルの中に複雑な情報構造があることが解明されました」
「それで?」
俺は促した。
そこはかとなく、嫌な予感がする。この話の先には恐怖しかない様な、そんな予感だ。
「当初は、宇宙ホタルは超空間で誕生した人間とは別種の生命体である、という説が有力でした。ところが、研究が進むにつれホタルの情報構造が人間の脳の酷似していることが判明しました」
「今の俺に肉体があったら、顔面蒼白、貧血をおこして倒れているんじゃないかと思うぞ。その先は、聞かなくともだいたい解る」
「そうですか?」
「その宇宙ホタルとやらの情報構造をコンピュータに移植してみたんだろう? 人間の脳の働きをエミュレート出来るぐらい高性能なハードにな」
「正解です」
「それが、俺か」
「はい」
肉体どころか自分と言える物は脳細胞のかけらすら持たないただの情報の塊。死者の残像。それが俺だ。
まさか何処かの生首教授や生きている脳が羨ましく思える日が来るとは思わなかったぜ。
これならTS転生の方がまだマシだ。貧乏貴族の八男だろうが、詰みかけ領地だろうがこの俺の不幸にはかなうまい。
「アリスさん。さっき俺が自分を何者と定義するか聞いたな?」
「はい」
「今なら答えられる。俺は死者だ」
「了解しました」
「墓を暴くな。…死者は静かに眠らせておいてくれ」
そして俺は自分のスイッチが切れない事を呪わしく思った。
次話「2 TS転生の方がまだマシだと言ったな、あれは嘘だ」は来週日曜日に投稿予定です。




