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ブレイク・バンド

ブレイク・バンド

作者: 雪割草


 二曲目!   『わがまま姫と自堕落王子』



「あの野郎……」

 歯ぎしりして坂道を上る俺は、親友が三ヶ月前に新学期早々どこからか見つけてきた美人のお姉さまな彼女にお迎えされて帰ったのを非常にねたましく感じていた。

 その彼女を初めて見たのは一月前だが、あの驚きは今でも忘れない。

 えらく美人のお姉さまが校門前にいたもんだから話しかけてみると、なんとそのお方はあのバカマサを待っているという。俺はあり得ないと脳内で否定を重ね、しまいには「あぁ、守護霊の方ですか?」と聞いてアミに殴りとばされた程だ。

 その後に遅れてやってきたマサを満面の笑みで迎えるお姉さまにはひどくがっかりしたもんだ。マサではなく、完全に彼女の方がお熱のようだったからなぁ……。まったく、あんな万年脳天気バカのどこがいいんだか……。

「キモ……男の嫉妬って見苦しいだけだし」

 俺の10m先を歩く女が振り返ってそう言い放った。

 真っ赤な髪に白い肌がものすごくミスマッチな残念女、俺の妹の姫乃である。

「お前になんか話してねえよ」

「だったら独り言? もっとキモ」

 はっはっは! ブチのめすぞこのやろう……!

「それより、さっきから近づいてない? もっと離れて歩いてよ」

「近づいてねえよ」

方向が同じなんだからお前がチンタラ歩いてるのがいけねえんじゃねぇか

 姫乃は鼻を鳴らすと再び前を向いて、少し速度を上げて早歩きで歩き始めた。

 ったく……。

 俺は頭をガシガシとかくと、妹の傍若無人加減に思わずため息が出た。

 俺の妹は先ほどの行動や、今の会話でわかってもらえただろうが非常に自分勝手な人間である。そりゃ、俺だってそういうところが、多少、あるかもしれないがこいつの思考回路はいろいろな意味でぶっ飛んでやがる。

 とにかくこの妹様々は自分がやりたいようにやって、その結果俺が苦しんでいるのを楽しんでいるときたもんだ。これほど性格の悪い人間がいるだろうか?

 おまけに今だって離れて帰ることを要求してやがる。

 理由は簡単。

――あんたと並んで歩きたくない

 な? ぶん殴ってやりたいだろ?

 だが俺は良識ある兄だ。ここはぐっとこらえて帰ったら牛乳を一気飲みしてやる。きっとプラシーボ効果でイライラも収まってくれるに違いない。

 とは言ったものの、正直、家には帰りたくない。まぁ、色々理由はあるのだが、なにより姫乃と顔をひっつき合わせなくてはならないのが辛抱たまらん。

 とか考えていたら、いつの間にか坂道を上りきり、丘の上にたたずむ閑静な高級マンションにたどり着いた。

 言い忘れたが、俺の家は意外と金持ちだ。親父が有名ピアニストでコンサートや印税やらでそこそこ儲けているらしい。

「…………ま、家に顔も出さねえような奴だけどな」

 そう、親父はここ二年帰ってきてない。つーことで顔も会わせていない。最後に声を聞いたのもいつのことだったか?

 親父は現在、フランスに拠点を置いてヨーロッパでコンサートツアーをしている。

 別に会いたいわけでもないし、俺が音楽の道に進んだのはあんな奴が理由じゃない。俺は、俺のやりたいと思ったことを、俺のやりたいようにやっているだけだ。

 マンションのエントランスに入るとエレベーターはすでに上に昇っていた。

「あの野郎、少しは待てっつーの」

 俺はエレベーターのボタンを押して、自分の家のある階へと昇った。

 廊下を歩き、我が家の玄関の前で俺は大きくため息をつく。

 なんのため息かって? 家に入ったらわかるだろうよ。

 俺は玄関をゆっくり開けた。

「ただい……」

「皇士さーん!」

 ものすごい勢いで顔面に何か柔らかいものが圧迫してきた。

「むごっ!?」

 やべ、息できねえ……!

「今日一日皇士さんと会えない悲しみがたまらないのです! この気持ち、どうしたらいいでしょうかー!?」

「もがっ……とりあえず離して!」

 まだ玄関の扉を閉めてないんだ! ご近所さんに見られたらどうするの!?

「その時は、私と皇士さんのただれた関係を公表します!」

「嘘をつくな!!」

 俺は一瞬のスキを突いて、強力な押さえ込みを抜け出て玄関を閉めた。

「ただの親戚関係だろうが!」

「『ただの』なんて言わないでください! あぁ……なんで逃げるんですかぁ!」

「嫌だからだよ! 少しは自覚してくれよ、司姉ちゃん!」

 玄関に半べそかいて座り込んでしまった女性は、ひくひくとしゃっくりをあげている。

「だって……ひっく……私、皇士さんことが……」

「それ、十年前から聞いてるから飽きたわ」

「わぁーん!!」

 …………はぁ…………。

 俺の一言で泣き崩れてしまったこの女性は、司姉ちゃん。

 姉ちゃんとは言ったものの、正確には俺の母の歳の離れた妹に当たる。要するに、叔母ちゃんだ。

「姉ちゃん……いい歳して泣くなよ」

「ぐず……私まだ25歳だよ」

「十歳下のガキには泣かされない年齢だよ」

「だって、だって……!」

「はぁ……。姉ちゃん、早く泣き止まないと……」

「?」

「叔母ちゃんって呼ぶよ?」

「皇士さん、早く入らないと晩ご飯片づけちゃいますよ?」

「はやっ!? 言っといてなんだけど切り替え超はやっ!!」

 司姉ちゃんは何事もなく立ち上がると俺の隣に立ち上がった。ちゃっかりと俺の腕をつかんでいるあたりはさすがというか何というか……。

 リビングに入ると、姫乃がソファに座ってテレビを見ていた。入ってきた俺(が司姉ちゃんと腕を組んでいるの)を見て一言、

「キモッ」

 ええ、わかってますよ。この現状は確かに普通じゃないかもしれませんよね。でも妹よ、お前は他に言うことがあるんじゃないのかい? 帰ってきた人間には普通その言葉をかけるものだが?

「なんで帰ってきたの?」

「自宅だからだよ!」

 まぁ、こいつが笑顔で「おかえり~」っていうのも、それはそれで気味が悪いしな。

 それにしても、コイツの返答は本当に俺を腹立たせるのに特化してやがる。ここは早く牛乳を飲んだ方がいいな。

「え、皇士さん……いきなり乳が見たいなんて! お姉ちゃん困っちゃいます!」

「あんたも何言ってるの!?」

 というか今の言葉には牛という言葉が入っていたと思いますが? あなたは牛ですか?

「お姉ちゃん、エッチなのは感心しません!」

「ホントキモッ!」

「あぁもう! この家の人間は誰も人の話を聞きゃしねえなぁ!!」

 皆さんお分かりいただけただろうか? これが俺の家に帰りたくない理由である……。



 夕食は俺、姫乃、司姉ちゃんの3人で食べることが日課になっている。今晩はカレーなのだが市販のルーを使っているというのに、なかなかコクがあって旨い。

 ちなみに家事は全て司姉ちゃんが一手に引き受けてくれている。

本人曰く、「皇士さんと結婚しても大丈夫なようにするためだよ」だとか抜かしていたが、本当は俺のお袋、司姉ちゃんの実の姉に留守中の俺たちの面倒を見るように頼まれたからだ。

 ま、お袋は一月に数回顔を出す程度でって意味で言ったんだろうが、司姉ちゃんは水を得た魚とばかりに我が家に参入。

 今でも思い出すねー。中学になりたての頃、親のいない生活一日目の喜びに浸っていた俺の元に、びっくりするぐらい目を輝かせた司姉ちゃんが枕片手にやってきたのを。……あぁ、マジで夢であってほしかったよ。

 なんかしばらくは姫乃の機嫌がめちゃくちゃ悪かったけど、今となっては普通に会話できるような仲になった。親戚同士で仲が険悪ってのは良くないもんな。俺だってこの3年で司姉ちゃんのあしらい方をある程度はマスターしたぜ。

 なんてことを思ってたら司姉ちゃんが口を開いた。

「そういえば、二人ともバンドの練習の方はどうですか?」

「う……」

 俺は思わずスプーンを止めてテーブルの反対側に座っている姫乃を見た。

 姫乃が目で「あんたが説明しろ」って言ってるのがわかるのは兄妹だからなんだろうな。

 あ、前提として「何こっち見てんだよ」っていう顔してるから。

「あー……えと……」

 俺は言葉に困りながら説明した。

「今日はちょっと練習できなくて……」

「あら、何かあったんですか?」

「あー、なんて言うか、ゴタゴタしてて……」

「……また問題を起こしたんですか?」

「う……」

 こういう時の司姉ちゃんは勘がいいな。

「まったく、また学校で長谷部先生と会わなくちゃいけないんですか?」

「い、いや! 今回は大丈夫!」

「そうですか? 私も学生時代はあの先生が苦手でした」

「そ、そうなんだ……」

 そうだった。司姉ちゃんもうちの学校の卒業生だったんだ。しかも……

『今週の週間オリコンランキングは……!』

 テーブルから少し離れたところにあるテレビが今週の音楽ランキングを発表していた。

『今週の一位はTUKASAの「待っている」でした~♪』

 ナレーションの人がテンションをあげて紹介した曲が画面で流れ始めた。

 俺たちは会話を止めて思わずテレビをしばらくじっと眺めた。

 柔らかなメロディに甘い歌声が重なり、聞いていてすごく心地いい気分になる感じの曲だった。さすがにこれを聞きながら姫乃とケンカする気にはならないだろう、ってぐらい。

そして、曲が終わると俺は一言。

「さすが、スクエアコンテスト最優秀賞受賞者。これで今年の紅白確定だな」

 そう言って、俺は右隣に座っている最優秀受賞者の方を向いた。

 当の本人は何とでもないように手を振って、

「いえいえ。私は外に出るのは苦手だからいいんです。こうやって顔出しNGでやってった方が楽しいですから♪」

 などと抜かしておる。

 司姉ちゃんは同名のTUKASAという名でアーティスト活動をしている。今年から売り出したシングルは全て一位を記録。その驚くほど澄んだ歌声と、共感しやすい歌詞が人気を呼んでいるらしい。

 しかし同時に、今まで一度もマスコミの前に現れたことがないことでも有名である。そのせいでネットでは「声だけ美人」とか「大物気取り」などと叩かれることも多々ある。

 ばっかじゃねえの?

 言ってなかったけどよ。司姉ちゃんはめちゃめちゃ美人だぜ!

 すらっと長い足が特徴的なモデル体型に、短いボブヘアー。

 すっぴんのままでもどこに行ったっておかしくない整った顔と、上品な口元。そして、

「皇士さん、どうかしたんですか?」

 この飾らないしゃべり方ですよ。ギャップが強すぎて、いろんな意味で危ないぜ。

 こんなに外見がいいんだからアイドル路線だって十分ありだっただろうに。

 俺の顔を見た対面の女がジト目で言った。

「なににやけてんの? ウザッ」

 てめえのことなんか考えてねえよ。お前に可愛さは全然見えねえから安心しろ。

 こんな感じでリアル身内である妹よりも思わずキュンとしちゃう上に、家庭的スキル満載の自慢の姉(叔母)なのだ。

「司姉ちゃん、おかわりもらっていい?」

「はい!」

 いそいそとおかわりをよそいに行った叔母を見て俺はため息が出た。

「……楽しい、ね」

 実のところ、顔出しせずに音楽活動している本当の理由は、おそらく俺ら兄妹の為なんだろうな。

ぶっちゃけ家事だって楽じゃないだろうし、テレビに出たいという本心もあるに違いない。でも、もしテレビの仕事などがあったら間違いなく深夜に帰宅するような生活になるだろう。家事をやめればもっと自由に行動できるだろうに……姉ちゃんはそれが嫌だったのだ。俺たちの事が心配だから。

 だから、俺は早く姉ちゃんに楽させてやりたい。

 やりたいことを存分にやらせてあげたい。

 もし俺たちがスクエアコンテストで優勝してデビューすれば、姉ちゃんと同じような生活になる。まぁ、仮に売れたと仮定したとしての話だが……。

 それでも同じ時間帯で生活するようになるわけだから、少なくとも姉ちゃんが俺らに気を使わなくていいようになる。

「なぁ、姫乃」

「なによ?」

「俺も明日から真面目に授業を受ける。だからお前も学校に来い。かならずスクエアコンテストに出るぞ」

 姫乃は「キモッ」とは言わず、楽しそうにカレーをよそう司姉ちゃんを見て、またカレーを食べだした。

 俺はそれがイエスに感じたが、それはさすがに気のせいじゃないだろう。こいつもそれなりにまともなことは考えるんだなと俺は少し見直した。

「こっち見んな。本当にキモいわー」

 …………うん、1ミリだけ。



「だからさー」

 翌朝の校門、今日は姫乃を含めた4人で登校中である。

 いつも校門前で集合して教室まで向かうのが俺たちの日課なのだ。

「あの推理ドラマのトリックはなかなか巧かったんだよ!」

 そう熱弁しているのはマサ。どうやら昨晩のサスペンスドラマのトリックが巧妙だったという。ドラマを見ない俺たち兄妹や、そもそもテレビを見ないアミにはいまいちピンとこない内容である。

「最近のサスペンスのトリックはパッとしないものばかりと思ったが、なかなかどうして侮れないものだな……!」

 うんうん、と頷くマサに俺たちは顔を合わせ、仕方なくアミが訊いた。

「ふーん。どんなトリックだったの?」

「ふふふ、」

 待ってましたとばかりに含み笑いをするマサ。別に待ってねえよ。

「それはわからん!」

「「「は?」」」

「見ている側の人間が気づかないほどの巧みなトリックだったんだよ!」

「いやお前、昨日は解決編だったんだろ?」

「そうだぞ」

「ってことは、ちゃんとトリックの説明はあったはずよね?」

「あったが分からなかった!」

「それ、あんたがバカなだけよ」

「何だと!?」

 姫乃の暴言に目を丸くするマサ。怒るというか焦ってる。

「い、いやいや……涼子ちゃんも……」

 涼子ちゃん、というのはマサにはもったいない美人の彼女さんのことだ。

「『マサくんがわからないなら、私も分からないってことの方が素敵だよね』って!」

「それ完全に合わせてもらってんじゃん! 涼子さん絶対トリック理解できてたよ!?」

「『マサくんはそのままでいいよ』とも言ってくれた」

「せめて日本語は理解しろ!!」

 朝から盛大にツッコんでいると、

『皇士くーん!』

『姫乃さーん!』

 何人かの人に声をかけられたような気がし、呼ばれた俺と姫乃は校舎を見上げた。

『『『きゃー!!』』』

 すると校舎内から黄色い歓声が上がり、窓から何人もの生徒が手を振っている。なんとなく反応すると更にボリュームが上がる。

 アミは半ば呆れ気味に言った。

「相変わらずあんた達兄妹、すごい人気ね」

「人気というか、俺らの悪名の知名度だと思うんだがな」

 なんだか知らないが、俺たち兄妹は校内で意外と人気者らしい。

 ぶっちゃけ俺には自覚などないのだが、どうやら俺たちの行動は学校の話題になりやすく他の生徒たちに周知されているらしい。そして、一般大衆が俺たちの性格、名前から考えついたあだ名が『わがまま姫と自堕落王子』だそうだ。

 実に俺たち兄妹のことを理解したあだ名じゃないか。というのが俺の第一印象だった。ま、それを快く思ってない奴がいたことは言うまでもないだろう。

「なんなのよ! なんであたしが『わがまま』なの!」

 どう考えても『わがまま』にしか見えないからだろうよ。

「納得いかない! 出所見つけて八つ裂きにしてやるわ!」

 おっそろしいねー。ま、俺はどうでもいいから(というか『王子』と呼ばれるのは悪くないので)放っておこうと思う。

「何言ってんの? あんたも探すのよ!」

「はぁ!?」

 そう言って姫乃は俺の襟首を掴んでずかずかと校舎に向かっていった。

 どうでもいいけどお前、俺のこと触りたくなかったんじゃねえの?

「……あ」

 姫乃は思い出したように俺から手を離して自分の手を拭った。

「キモッ、消毒しなきゃ」

 そうかい。俺は苦しかったから助かったよ。

「とにかく! あんなみっともない名前をつけたやつは絶対に許さないわ! あんたもかろうじて兄なら手伝いなさいよ!」

「ちゃんとした兄だっつーの!」

「双子なんだから大した差はないでしょ」

 確かにそうなんだろうけど、お前が姉パターンは死んでも想像したくない。

「あーもう、気持ち悪いわね。さっさといくわよ」

 何をもって気持ち悪いと判断したか知らんが、姫乃は再び歩きだした。

 俺はやれやれとため息をつくと、何故か後ろでニヤニヤしているマサとアミに声をかけた。

「わりい。先行くわ」

「いいよいいよ。いってらっしゃい」

「姫に怒られないよーにね」

 優しいのが逆に気持ち悪い。

「ほら、早く来る!!」

 姫乃のお怒りの声が聞こえ、俺は仕方なく後を追いかけた。



「あだ名をつけた人? 知らないなー」

 1年生の廊下、俺と姫乃は教室に鞄だけ置くと、すぐに犯人探しを始めた。

 とりあえず俺の提案で1年生のクラスを回って俺たちのあだ名をつけたっていう人を探してみることにした。

「うーん、知らないなー」

 残念ながら、学年の全クラスを回ってみてもそれらしい人物は一人もいなかった。

「おっかしいわね」

 廊下の壁に寄りかかる姫乃は、口を真一文字に結んで腕組みしながら言った。

「こういうのは同学年だと思ったのに」

「なんでそう思うんだよ?」

「あたしと比べられて妬んでいるに違いないからよ」

「自分本意な推測だな……」

 こんな奴が妹だなんて俺にはびっくりだよ。

「それだけじゃないわ」

「ふーん」

「きっと男子があたしの美貌故に『姫』というあだ名をつけたのよ」

「お前はすでに名前に『姫』入ってるだろ!?」

「あれは『姫』と書いて『じょうおう』と読むのよ」

「お前が一番自分のこと理解してんじゃねえか!!」

「でも書き方は『嬢桜』よ」

「読み方を漢字にするな!! わかりにくいだろうが!!」

 というか、やっぱり自分にプラスな解釈なのね。

 すると姫乃はよりかかった壁から離れて俺を見た。

「じゃあ、行くわよ」

「は? どこに? もう全部まわったじゃねえか」

「2年生のクラスよ」

「回るのは1年生じゃねえのかよ!?」

「バカじゃないの。それじゃ完全に調べたことにならないじゃないの」

「……そーかい。でも、ひとまず終わりにしようぜ」

「なんでよ?」

 不快そうな姫乃に、俺は指で横の教室を指し示した。

 教室内では生徒たちが着席して先生の到着を待っている。しかも未だに廊下にいる俺たちを好奇の目で見ている。

「もう朝のホームルームの時間だ」

「……わかったわよ」

 口ではそう言ったものの納得のいかない顔の姫乃は、ズカッと俺の足を蹴った。

「いてっ! なにすんだよ!?」

「うっさい、バカ!」

 なんなんだよ! 朝からムカつくなー。

 こうして俺たちは教室に向かった、のだが、朝のホームルームは始まっており、俺たちが長谷部にがっつり怒られたのは言うまでもない。



「はー。やっと昼かぁ」

 4限が終わり、伸びをする俺にマサが弁当を持ってやってきた。

「皇士、メシ食おうぜ」

「おう」と答えて弁当を取りだそうとすると、

 バタン!

 俺の机に手が叩きつけられた。二秒ほどその手を見つめてから顔を上げると、姫乃が待ってましたとばかりに悪意のある笑顔で立っていた。

「続き、行くわよ」

「えーと、姫乃さん? もしかして続きというのは……」

「犯人探しよ!」

 そう軽快に叫んで俺にさっさと行くわよ、と顎でしゃくった。

 もうあきらめるしかない。今の姫乃にはどうやっても勝てそうにない。

「すまん、マサ。という訳だから……」

「了解! 皇士のメシを食べとけばいいんだな!」

「わかってねえよ!」

「いいから行くわよ!」

「ちょっと待て! こいつ俺の……姫乃!? 俺のこと掴むの嫌だったんじゃないの!? せめて弁当の死守を! ちょ、ストッープ!!」



「あれ、君達って1年の……」

「竜崎姫乃です」

 はい、2年廊下。

 俺は弁当のダメージがでかく、自分でも気がつかないうちに2年生の階に連れて行かれていた。マサ、マジで覚えとけよ。

 しかし、なんというかー。

 上級生とかの学年に行くのは苦手だな……。

 別に見られているわけではないのかもしれないが、威圧されているように錯覚してしまう。いや、実際に見られてるんだろうな。さっきから好奇の視線を感じまくるぞ。

 幸い、直接的な対応は姫乃がやっていてくれている。目の前にいるかなり可愛らしい先輩に「おい! お前は犯人か!?」ぐらいの勢いで迫るのかと思ったが、意外なことに姫乃は一般的な対応で接している。

「ふーん。あの名前をつけた犯人をねー」

「ええ。どんな意図があれ、人を小馬鹿にしたような呼び方はよくないと思います。是非撤回していただきたいんです」

 嘘つけ。撤回で済むわけないだろ。

 こいつのことだ。犬のコスプレをさせて「三回回ってわんと鳴け」ぐらい言いそうなもんだ。それでもまだ優しいだろうな。じゃあ、何をやるんだろうか。

 そんな風に俺が思案していると、姫乃の声が聞こえた。

「え……ここじゃない?」

「だと思うよー。私達が聞いたのは『1年におもしろいあだ名で呼ばれてる子達がいる』って感じだから」

「そう……なんですか……」

 たまらず俺は会話に割り込んでしまった。

「てことは3年生ですかね?」

 姫乃は「何出しゃばってんのよ」って顔をしたが、なるべく見ないようにした。

 先輩は快活に笑って答えた。

「それもないと思うよー」

「え? なんでです?」

「今の3年生は軽く病んでるから、外界のことを話してる余裕もないんだよ」

「や、病んでる? 外界……?」

「進路だよー。時たま3年の階から『あぁー! 助けてくれー!』とか、『分かった! 俺が悪かった! だから許して、嫌だ……嫌だぁぁぁ!!』ってのが聞こえたりするし」

「それ事件が起きてますよ!?」

 なんてこったい、進路に悩んだ生徒が猟奇的殺人起こしてやがる。

「そんなことよりさー」

 すると先輩はいきなり俺との間を詰めてきた。

 顔と顔が触れてしまいそうなくらい至近距離に。

「な!? え!?」

「ふふーん♪ 君が噂の王子さまかー。噂通りけっこうカッコいいね!」

「……あ、ありがとうございます。先輩こそ、お綺麗ですね?」

「先輩だなんてよそよそしいやい。私は大春桜子ってんだー。気軽に『桜ちゃん』とでも呼んでよ♪」

「じゃ、じゃあ……大春先輩?」

「ノー!」

「………さ、桜子先輩?」

「うーん……ま、いっか♪」

 そう言って桜子先輩は軽快に笑った。俺はそれよりも早く距離をとりたいのだが……。先輩は俺の顔を観察しようと腕を伸ばしてきてなかなか離れようとしない。

 俺はたまらず姫乃に助けを求めた。

「お、おい姫乃。そろそろ次に……」

「……っさい」

「へ?」

 姫乃の方を向くと、姫乃は俯いたまま肩を強ばらせていた。

 言いしれぬ悪寒を感じた。

「ひ、姫乃さん?」

「うっさいうっさいうっさいうっさいうっさい!!」

 姫乃は俺と先輩の横に来た。先輩は俺の観察に集中しているらしく姫乃に気づいていない。

 姫乃は達人のように一息つくと、ぐるりと回転した。

「やべっ!」

 こいつが何をしようとしたのか理解できたのは兄妹だったからだろう。俺はすぐさま先輩を掴んで動かした。

 ズガンッ!! という衝撃と共に俺と先輩は思いきり蹴飛ばされた。

 姫乃のやろう、全力で回し蹴りしてきやがった。しかも怒りのあまり、先輩がいることにも気がつかず。なんとか俺が先輩をかばったので先輩が直接蹴りを食らうことはなく、直で蹴られた俺の余波で倒される形となった。

「いててて…………」

 背中に鈍い痛みを感じながら地面につけてた手に力を入れて起き上がろうと……ふにゅ。

「ふにゅ? …………ってえぇ!?」

 俺は思わず叫び声を上げてしまった。

 それは俺の真下にいる桜子先輩はどこをどうやったのか分からないが、目のやり場に困るあられもない姿になっていたからであって、おまけに俺の両手は地面のつもりが、そんな彼女の二つの柔らかい膨らみの上に乱暴に置かれていた。

 というか、この先輩、童顔のわりに…………じゃなくて……!

「……………」

 この場合、誰がどう見ても俺が襲ってるように見えるよね。

 俺は先輩を見た。

 てっきり激怒していると思ったが、先輩はなにやら顔を紅潮させてもじもじと言った。

「え、皇士くん…そういうのは……その、順を追って……」

「いや、先輩違っ――」

「いきなり押し倒すなんて大胆さんなんだね♪」

 どうやら先輩は姫乃の余波で倒されたのではなく、俺自身に押し倒されたと勘違いしたようだ。

「違うんですよ! これは……!」

「おい変態クソ野郎……」

 …………。

 ああ、もう諦めるしかないな。

 俺はゆっくりと顔を上げた。

 悪魔が俺を見下ろしていた。

「ナニシテンノ?」

「いや、これはお前が…」

「モンドウ……ムヨ――!!」

「ですよね――!!」

 姫乃は力一杯、先輩に覆い被さる俺の腹部を蹴った。

 まるでフリーキックのように俺の容赦なくえぐる蹴りを受け、俺はサッカーボールのように廊下の壁を乱反射しながら吹き飛んでいった。

 薄れゆく意識の中で、これだけは確信した。

 俺の周りは誰も人の話を聞きやがらねえ。



「いてて……まだ骨がきしむ」

 放課後の教室、帰りのホームルームを終えた教室内はガヤガヤとやかましかった。

「折れてないだけすごいと思うぞ」

 俺の隣にいるマサが半ば呆れ気味に言った。

 あれから俺たちは仕方なく教室に帰還。

 というか俺がノックダウンして1年の教室に運び込まれたのだった。「なんで保健室じゃないのか?」というと、

「保健室の先生が『見飽きた』だって」

 はははは、冗談きついぜ。先生、あんたは何基準で仕事してんだよ!

「春先にけっこう保健室でサボってたからじゃない?」

「本当にバカね」

 アミが笑って、姫乃が毒づいた。

 その言葉に俺は深いため息をついた。

 なぜかって? だって原因の人物に無自覚でそう言われたら誰だって悲しくなるだろうよ……。俺は保健室にサボりに行ったことは一度もない。アミと姫乃の攻撃で生死をさまようような危険状態で逃げ込んだのだ。その度に集中治療、もしくは蘇生が繰り返され……なるほど、確かに保健医の『見飽きた』という言葉も妙に納得できてしまう。

「というかよ、姫乃」

「何よ」

「犯人探しはもういいのか?」

「……飽きたわ」

「はぁ?」

「もう面倒くさくなったの。まぁ『わがまま』っていうのは気に食わないけど、『姫』というのは悪い気はしないわ」

「…………」

 ったく、コイツは……。

 結局今日の俺は、こいつのわがままに付き合わされただけということになった。

 全く。ふざけんなよ……どんだけ自分本意なんだよ。

 まぁ、ここで俺が文句を言ってもしょうがない。黙っているのが一番いいのだ。

「………わぁーったよ」

 俺が渋々納得するのをニヤニヤしながら見ていたマサはパン! と両の手を合わせた。

「そんじゃま、久しぶりにバンド練習しますか!」

 そういえば、昨日は慌ただしくて練習できなかったんだっけか。

「そうね!」

「仕方ないわね」

 アミも姫乃も頷き、俺たちは校内にある専用スタジオへ向かった。



 私立響ヶ丘には私設のスタジオ設備がある。その数、百部屋以上。生徒はだれでも無料で使用することができ、受付には生徒自身の楽器を預けておくこともできるので気軽に利用できる。実際、姫乃以外の俺たちもスタジオに楽器をそれぞれ預けてある。毎日ギターを担ぎながら登下校するには、少々あの坂はしんどい。

「ん?」

「あら」

 スタジオの受付には早乙女先生と長谷部がいた。

 早乙女先生だけで良かったのに。

「何してるんすか?」

 全校生徒の畏怖の対象、長谷部に物怖じしないマサが事も無げに話しかけた。

「ちょっとスタジオの見学をね」

 早乙女先生は恥ずかしそうに若干赤く染まった頬に手を当てて言った。

「ああ、そういえば早乙女先生は今年からの新任の先生でしたよね」

 アミがなるほど、と頷いてみせる。

「……ってあれ? もう三ヶ月近く経ちましたけど?」

 言われてさらに顔が赤くなった先生は、ごにょごにょと答えた。

「……実は、その私……」

「え?」

 多分本人はちゃんと言っているのだろうが、いかんせん声が全く聞き取れない。

 横にいた長谷部が代わりに答えた。

「彼女は少し覚えが悪いんだ。今さっきも道に迷っているところを見つけて案内してわけだ」

「へ、へー……」

 そんな人が先生をやっても大丈夫なのかと、一瞬思った俺たちを見た早乙女先生は慌てて訂正した。

「べ、勉強は大丈夫ですよ! ただ、自分で言うのもあれですが……ちょっとドジ、というか……その、えっと……」

 恥ずかしそうにもじもじする先生はマジで可愛らしかった。

 いつもの大人びた雰囲気ではなく、かなり子供っぽい感じの早乙女先生は俺とマサのどストライクだった。

「「うおおおおおおおお!!」」

「り、竜崎くんと藤堂くん!? なんで雄叫びをあげるんですか!?」

 早乙女先生がびくっと小動物のように身じろいだ。

 それがまた可愛い!

「マサ!」

「おうよ皇士! これこそ――」

 二人で早乙女先生を指さした。

「「――ギャップ萌え!!」」

 普段大人な色気のある人がこうやって顔を真っ赤にして、子供みたいにあたふたする姿は男心を大きく惑わせる。これ間違いない!

 そんなお祭り騒ぎの俺たちをドン引き気味に見ている姫乃、アミに長谷部が丁寧に解説してくれていた。

「早乙女先生は極度の『あがり症』なんだ」

「あがり症?」

「緊張したり、恥ずかしかったりするとさらに緊張して失敗しやすくなるんだ」

「迷惑な性質ですね」

「普段は自信に満ちあふれているんだがなー。それが逆にちょっとでも崩れたときに一気に決壊するんだなー」

 長谷部の言葉を聞きながら、姫乃は目の前で狂喜する兄をジト目で見つめていた。

「ふーん。……ていうか、そろそろあのバカ兄貴が見ていて鬱陶しいんだけど。アミ、手伝って」

「そーね。あたしもイライラしてきたわ」

 長谷部の話を一方的に区切った二人は、背中に闘気を背負って歩きだした。それを何も言わずに眺める長谷部が思った。

(竜ヶ崎も苦労してるんだな……)



「それじゃ、練習始めるわよ! 準備オッケー?」

 スタジオ内、ベースを肩に掛けたアミが全員を見渡して言った。

「お、おう……」

「だ、大丈夫だ……」

 顔面をどこぞのテーマパークで売られていそうな風船ぐらいに腫らした俺とマサは蚊の鳴くような小さい声で答えた。

 ちなみに俺はギターを持ち、マサはドラムセットの後ろでアミに返事をした。

「あたしも大丈夫よ♪」

 姫乃もマイクをセットして、満面の笑みで準備万端といった感じで手を振った。

 今の台詞に不自然なところがあっただろう。そうだよ。姫乃がすげえ楽しそうなんだよ。こいつは音楽に触れてる時が一番楽しそうだからな。というか歌ってる時だ。まぁ、なんにせよ自分本位な奴なんだが、この時のこいつはケンカ腰だったり、暴言を吐いたりせずに、純粋に音楽を楽しむ無邪気な笑顔だ。

 だから、まぁ……嫌いじゃない。

 兄妹でバンドを組むのもたとえマサやアミの誘いであっても本当なら御免こうむりたいところなんだが、この顔を見ているときだけは、まぁ、しょうがないかな、ぐらいに思ったりもする。言っておくが、俺はシスコンじゃねえ。妹に好意を抱くどころか、後遺症を残す暴言に殺意ギリギリの悪意を抱いたりするぐらいだ。

――昔は、そんなんじゃなかったのにな。



 今日の帰り道は、4人で近くのファミレスに寄る事にした。

「いやー、食うぜー! ドラムで疲れたから今日はがっつり食うぜー!」

 店に入るなり威勢よく宣言するマサ。

 司姉ちゃんにはスタジオに入る前にメールで「今晩は友達とファミレスで晩御飯を食べる」と伝えてある。あの時間ならまだ夕食の準備前だろうし、たまには夕食の準備なんかに手間取らずに、ゆっくりと日ごろの疲れを癒すべきだろう。

 入口のカウンターで若いお姉ちゃんが訊いてきた。

「おタバコはお吸いになられますか?」

「いや、全員学生ですよ……」

 いくらなんでも学生服の生徒にそれを訊くか? マニュアルに必ず言わなきゃいけないきまりでもあるんだろうか。

 俺の苦笑に、店員さんもちょっと照れながら笑った。うん、可愛い。

「ふんっ」

「痛ってぇ!?」

 後ろにいる女子達に両足の(すね)蹴られた! しかも同時!

「どうかなさいましたか?」

「い、いえ。なんでも……」

「そうですか。では、席にご案内しますね」

 涙目の俺に店員さんは気遣いながら店内へと先導していく。後ろの二人の怒気がさらに上がったような気がするのは、うん、気のせいだ。

 だから、そう。

 店員さんが笑顔で案内した席が4人で来たはずなのに6人掛けのテーブルに案内され、その席にめちゃめちゃ手を振っている司姉ちゃんがいるのは、うん、気の……

「皇士さーん!!」

「なんでいるんだよ!?」

「来ちゃった☆ テヘ♪」

「来たのは俺ら!」

「待ってちゃった☆ テヘ♪」

「日本語がおかしい!」

 俺は店員さんに顔を向ける。何も言わないが、目だけで「どういう事?」と訴えかけてみる。

「あ、あの、この方は3時間ほど前からいらっしゃてて、『超超かっこいい男の子が来たら私のところに案内して』と言われまして……」

 3時間前っていうと、俺がメールした直後じゃねえか……。速攻で来たんかい。

「恋は待ってる時間が一番幸せなんです!」

「じゃあ、一生待っててください。店員さん、他の席お願いします」

「ちょっと! ひどくないですか!? 3時間頑張ったお姉さんに労いの言葉はなしですか!?」

「生憎、ストーカーには持ち合わせておりません」

「うわーん!」

 俺の日常的な返しに、これまた日常的な司姉ちゃんの反応。だが、姫乃はともかく、マサやアミには刺激が強いらしい。

「まぁまぁ。その辺にしとけよ」

「そうよ。お姉さんも一緒にご飯食べましょ」

「…………あたしも別にいいわよ」

 俺以外の3人が了承したことで、形勢は逆転。完全にアウェーだ。司姉ちゃんも目をうるうるさせてこっちを見てくる。

「わぁーったよ! 一緒に食べるよ!」

「わーい!」

 二十五歳の女性が恥も外聞もなく泣きながら万歳する姿は、親族として正直つらい。

「司姉ちゃんもよくここに俺らが来るって分かってたもんだ」

「ふふふ、私もこのお店にはよく来てたのですよ。君ら学生が来ることなど経験則からいって当然の確率です」

 鼻高く笑う司姉ちゃん。あなたの喜怒哀楽は激しすぎて追いつきませんです。

「あれ? 司さんってうちの卒業生なんですか?」

 アミは司姉ちゃんの反対側のソファに腰を落ち着かせて訊いた。

「そうですよー。あら、言ってませんでした?」

「司お姉ちゃん、アミとマサと実際に会うのは初めてでしょ? テキトーなこと言わないの」

 姫乃着席しながら指摘すると、司姉ちゃんはテヘっと舌を出した。ああ、そういえば司姉ちゃんがアミとマサに会うのは初めてだったな。話には互いの事をしょっちゅう出してもんだから、てっきり顔なじみの感覚だったぜ。まずは自己紹介からだな。

「そんな事より……男の子諸君、まずは座ってくださいな」

 司姉ちゃんが気軽に未だ突っ立ったままの俺とマサを席に促した……のだが……おい。

 今時珍しいコの字型の座席は三辺にそれぞれ先客がいらっしゃる。一辺に司姉ちゃん、対面にアミ、残る一辺に姫乃。おい、なんだこの地獄のトライアングル。

 俺の足がピタリと止まる。

「……皇士さん、早く座ってくださいな」

 司姉ちゃん、目がドス黒いんですけど? あんた図ったな……

 くるり。

 後ろのマサに助けを求めたが、バカで、アホのこいつもさすがに空気を読んだらしい。店員にトイレを確認してどっかに行きやがった。せめて連れションにしろよ!

 俺はとっさに時間を止めて脳内会議を開始する。

 女子が(一人は大人だが)3人、それぞれのソファに腰掛けている。ソファは2人掛け。並んで座ると少々狭いだろうからかなり密着することになりそうだ。よし、それぞれパターン分けして考えてみよう。

 ○司姉ちゃんの隣

  恐らく一番無難な席だろうな。しかし、この席に座った場合いくつか問題が生じる。まずこれはそもそも司姉ちゃんの策略だ。そんな罠にひよこがぴょこぴょこアホみたい引っかかるのは非常に癪だ。そして司姉ちゃんが「俺に選ばれた」などという勘違いも甚だしい発想を抱かせてしまう可能性も甚大だろう。

 ○アミの隣

  じゃあ、アミの隣なんかどうだろうか? アミとは高校で出会ったやつなんだが、高校生活初日のちょっとしたゴタゴタで仲良くなったやつだ。友達という視点から見て、アミはかなり信頼できる人間だと思っている。隣に座るぐらいで文句を言ってくる奴ではないだろう。うん、文句は言わなそう……なんだよね。ねぇ、アミちゃん、そのスカートの上でくるみを容易く砕いてしまいそうなほど握り締めた拳はなんなんだい? 平静を装いながらも、もの凄い汗が彼女の頬を伝っているのが見える。ははは、隣に座った瞬間、右ストレートが俺の頬を貫く幻覚が見えるよ。

 ○姫乃の隣

  ありえない。以上。

 三択、というか、二択だな。片方は社会的にヤバい。もう片方は肉体的にヤバい。あ、どっちもダメじゃん。などと、思案している俺に一筋の稲妻が走った。効果音でいうならピキーンだ。これならこの状況を打開できる。

 そう、打開だ。読んで字のごとく「打って、開く」

 選択肢がないのなら、自分で作るんだ!

「すいませーん! 座イスくださーい!」

「「「……最低」」」



 結果、(今にして思えば)あの愚策はマサが帰ってきたことで却下された。

 そして、妙にがっかり感がただよう女性陣はアミの所に姫乃がずれて、姫乃の所に俺とマサが2人で座ることで事なきを得た。

 んで、食事。

 スタ連(スタジオ練習のこと)中に水とかをペットボトルで用意していたので今日はドリンクバーはなし。各自、食いたいものを注文することになった。

 俺とマサはがっつりステーキ。アミはオムライス。司姉ちゃんはビーフカレー。姫乃は……なんと蕎麦。

「なんで蕎麦?」

「う、うっさいわね! 今日は質素に食べたいのよ!」

 なんか焦ってる……あ、そうか。

「お前またダイエ……つぅぅ!?」

 全力で足を踏まれた。しかも×3で。これ今、テーブルの下はどうなってるんだ? うまい具合に両足を重なることなく全体を踏み込んでるぞ。

「あら、なんか踏んだわ」

「あら姫乃、奇遇ね、あたしもよ」

「皇士さんはもう少しデリカシーを知るべきです」

 いつもは俺に優しい司姉ちゃんでもこういう時は容赦がない。

 そして、この3本の足は料理が来るまで放してくれませんでした。

「え? あだ名、ですか?」

 食後、俺たちは今日の騒動を司姉ちゃんに伝えた。まぁ、一日経って進展なしという結果の報告は非常に変な話だが、笑い話の一環として話した。

 そのつもりだったのだが、

「そんなの2人が言いだしたんじゃないですか?」

「「「「は?」」」」

 全員、硬直。

「入学してから皇士さんが姫乃さんのことを『あいつは毎日毎日文句ばっかり言いやがって、まるで“わがまま姫”だ!』って」

「あ」

「同じ頃、姫乃さんも『授業もだらだらしてさ! あれじゃまるで“自堕落なバカ”ね!』って」

「ああ、言ったわね」

「多分皇士さんのあだ名はその後、学校で脚色されたんでしょうけど、お二人のあだ名の出所はそこだと思いますよ?」

「「「「……………………」」」」

 と、言う事で、だ。

 かくして今日、俺が東奔西走(とうほんせいそう)(の気持ち)で引きづり回され、四苦八苦して得た全ての情報は、叔母の何気なーい一言により聞く人すべてを茫然(ぼうぜん)自失(じしつ)にして完結したのであった。

 その後間もなく、俺たちはファミレスを後にした。

外は夏が近いことを暗示するむわりとした熱気を孕んだ暖かさだった。夜風がちょいちょい吹いてくれるのが嬉しいね。気持ちがいい。

「そんじゃ、今日はここで解散としますか」

 俺と姫乃、司姉ちゃんは3人で帰宅することとなった。こういうシチュエーションは正直言って初めてだ。高校以来ではなく、司姉ちゃんが同居するようになってからという意味でも。

「しかし、お二人は仲良しなんですね」

 ま、例によって腕を絡めてくる司姉ちゃんが俺にそんな事を言ってきた。冗談じゃないよ。あなたは普段何を見て生活してるんですか?

「そうよ。こんなんと仲がいいわけないじゃない」

 さすがの姫乃も司姉ちゃんの前でいつもみたいに俺から10m離れて帰るわけにもいかず、俺らの横を歩いている。当然、司姉ちゃんの側を、だ。ところで今、実の兄をこんなんって言ったか?

「いえいえ、互いの悪いところもハッキリ言い合えてるじゃないですか。それに単なる悪口じゃなくて少しちゃめっけのあるところが可愛いじゃないですか」

「ま、まぁ、あたしの事を姫と言ったのはなかなかだと思うわ」

 皮肉で言ったつもりだったんだがな、とは言わないようにしよう。なんでそんなことで上機嫌なんだ? それにひきかえ、

「しかしな、俺の方は『バカ』だぜ? これは完全に悪口だろ?」

 ふふふ、と意味ありげな司姉ちゃんの含み笑い。

「私も確かにそう聞きました……けど、学校では違うのかもしれませんよ?」

「? さらにヒドイ呼び名で呼ばれてるのか?」

「さぁ? 姫乃さんに訊いてみてください」

 それだけ言って司姉ちゃんは何も言わなかった。隣を見た姫乃はなにやらぶつぶつと呟いている。今のこいつに真相を訊いたら先日のラリアットが飛んでくる気がして、とてもじゃないが訊く気になれなかった。

 まぁ、そのうち聞く機会があったら聞いてみるさ。


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