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リバース・シンデレラ  作者: 天そば
第二章 雲に隠れる火曜日
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雲に隠れる火曜日 3


 わたしがグラウンドを出て体育館へ向かったのが四時三分。藤井が体育教官室でトレーニングルームの予約を入れたのが四時四分。


「あたしがグラウンドを出たのは、ユズ先輩が行ったちょっとあと、たぶん、二分後ぐらいです。でも、あたしがグラウンドから出たとき、まだ藤井先輩は帰ってきてませんでした」


 そりゃそうだ。体育館からグラウンドまでは歩いて約二分かかる。藤井が予約を入れた一分後に瑞樹はグラウンドから出たことになるから、普通に考えて、そのときはまだどっちかのルートを歩いている途中のはず。


「なのに、どうして誰も藤井に会ってないの?」


 わかりません、と言うように、瑞樹が首を傾げる。


「あたし、『裏庭ルート』では誰にも会いませんでした。……あ、正面入り口の辺りで泥を落としてる渡辺先生とすれ違いましたけど、それだけです」


 正面入り口の辺りで渡辺とすれ違った、か。じゃあちょうど、わたしが帰りの『部室ルート』に入ったときぐらいに瑞樹は体育館に来たんだ。わたしがもう少し遅いか、瑞樹がもう少し早ければ、体育館前で鉢合わせしてただろうな。


「『裏庭ルート』についた足跡はどうだった? 藤井の足跡が行きと帰りの両方ついてたとか、なかった?」

「ええっと……、わかりません」


 瑞樹は困ったように笑った。


「いちおう、体育館前と同じように、軒下の辺りに足跡はあったんですけど……。あの足跡、綺麗に靴底の形がわかるような足跡じゃないじゃないですか? だから、行きの足跡なのか帰りの足跡なのか、よくわかんないんです」

「ああ、そっか」


 藤井の足跡は、スパイクについた泥がちょんちょん落ちてるだけの、本当なら「足跡」と言っていいのかよくわからないものだ。そんなんだから、行きの足跡か帰りの足跡かはもちろん、片道か往復かもわからない。落ちてる泥の量を見て、一回通ったのか二回通ったのかなんて、わたしたちには判断できないし。わかるのは、最低一回は『裏庭ルート』を通ったってことだけだ。


「ユズ先輩はどうでした? 『部室ルート』に藤井先輩の足跡は残ってなかったんですか?」

「実はそれも、よくわからないのよ。『部室ルート』は人通りが多くて、アスファルトがもともと泥で汚れてるから。藤井の足跡があっても、わからないと思う」

「そうですか……」


 歯が痛いのを堪えるような顔で、瑞樹は宙を睨む。その隣で、あかりが表情を明るくした。


「もしかして藤井君、トイレに行ってたんじゃない? 予約を入れたのは四時四分だけど、そのあとすぐ体育館から出たとは限らないわけでしょ。ユズが教官室にいるときに藤井君はトイレから出て、グラウンドに帰ったんだよ」

「そのあとに『部室ルート』を通って帰ったから、あたしに会わなかったってことですね?」

「そう。それなら、辻褄が合うんじゃない?」


 難しい数学の問題が解けたときのような笑顔でそう訊いてくる。

 うれしそうなあかりには悪いけど、わたしはかぶりを振った。


「あかり。残念だけど、それは違うわ」

「なんで?」

「わたしが体育館に入るとき、入り口に藤井の靴がなかったから」


 あのときの玄関の様子を思いだす。靴を脱ぐところは泥で汚れてはいたけど、靴は一足もなかった。これははっきり覚えてる。


「藤井君の靴がなかったって、ユズ、靴箱をぜんぶ見回したの?」

「それはしてないけど。でも、わたしたちは、トレーニングルームの予約を入れに行っただけなのよ。わざわざ靴箱に入れなくていいやって、コンクリートのところに脱ぎっぱにしない? わたしはそうしたけど……」


 瑞樹に視線を向ける。


「あたしも脱ぎっぱにしました」

「でしょ? わたしたちと同じ立場だったら、ほとんどの人は靴箱に入れないんじゃないかな」


 そして、藤井は考えるまでもなく「靴箱に入れない」側だ。あかりもそれはわかってるみたいで、納得したように頷いた。


「そうだね。じゃあつまり、ユズが体育館に着いたときには、藤井君はもう外に出てたってことか」

「ますます不思議ですね」


 瑞樹の言うとおりだった。それじゃあ尚更、わたしか瑞樹がどこかで会ってなくちゃいけないのに。

 改めて、体育館周辺の構造を思いだす。


 正面入り口を出ると、右に行けば『裏庭ルート』、左に行けば『部室ルート』。すぐ正面には中庭がある。

 この中庭、裏庭みたいに地面が土で花が咲いてて、ってわけじゃなく、単なるだだっ広いコンクリートの広場なんだけど、他に呼びようがないから「中庭」と呼んでいる。


 そこまで考えて、ピンと来た。


「体育館から出た藤井は、中庭に誰か知り合いを見つけたんじゃない? そこでしばらくダラダラ喋ってて、そのあいだにわたしが体育館に入る。で、わたしが外に出てくる前に藤井はその人と別れて、『部室ルート』を通ってグラウンドへ。これでどう?」


 わたしは『部室ルート』を歩いているとき、注意して中庭を見てたわけじゃない。眠たくて目がしょぼしょぼして、下を向いて目頭を押さえながら歩いたりもしていた。そんなんだから、中庭に誰かがいても気づかなかっただろう。話し声は、雨音にかき消されて耳に入らなかったのだ。


 我ながら、この推理にはけっこう自信があった。だけどあかりは、さっきわたしがしたように、はっきりと首を振って否定した。


「それはないよ、ユズ」

「なんでよ? 藤井って、なんだかんだでけっこう友だち多いから、そういうことありそうじゃない?」

「それはそうだけどさ、ちょっと考えてみてよ。あのときは、雨が降ってたんだよ」


 そんなことは言われなくてもわかってる。それで話し声が聞こえなかったって思ったんだから。

 わたしがそう反論する前に、あかりは人差し指で宙を指した。


「雨が降ってるときってさ、こんな風に、天井があるところで話さない?」

「あ……」


 そうだ、あかりの言うとおりだ。現にいま、わたしたちだって、渡り廊下の天井で雨除けしながら喋ってる。誰だって不必要に雨に濡れたくない。


「中庭に藤井君の友だちがいたとしても、お喋りをするんだったら、天井のあるところ――体育館の入り口の前でするはずだよ」


 そんなところに藤井がいたら、わたしが気づかないわけがない。完璧に思えた推理は、あっさりと覆された。


「あっという間に、白紙ね……」

「うん。どうやったんだろうね、藤井君」


 あかりと一緒に頭を抱える。こんな謎が解けたところでなにか貰えるわけでもないんだけど、気づいてしまったからには放っておけない。わかんないままにしておくなんて、気持ち悪すぎる。


 雨音に負けないぐらいの大きさで、ぱしん、と手と手を合わせる音が響いた。瑞樹だ。先輩マネージャーたちの視線を受けながら、後輩は鼻息荒く言った。


「あたし、わかりました。藤井先輩が、どこを通ってグラウンドに帰ったのか」


     *



「いいですか? まず、『裏庭ルート』の構造を思い出してみてください」


 もう完全に謎が解けた気になっている瑞樹は、ドラマや小説の中の探偵のようにもったいぶって話し始めた。


「初めの半分ぐらいは庭で、あとの半分は普通にアスファルトだね」

「そうですね。この庭がくせ者だったんです!」


 庭にアクセントを置いて、力強く言い放った。


「庭に生えた樹が邪魔で、『裏庭ルート』は少し見通しが悪くなるんです。そのせいであたしは、藤井先輩に会ってないと思ってたんですよ」

「え? ちょ、ちょっと待ってよ」


 推理の続きが予想できて、ついストップをかける。


「つまりあれってこと? 瑞樹は本当は藤井とすれ違ってたけど、樹が邪魔で見えなかったって言いたいわけ?」


 いくらなんでも、それは無理がありすぎる。ジャングルじゃないんだから。

 瑞樹は、ち、ち、ち、と人差し指を振って、


「そんなわけないじゃないですか。でも、言い方が少し悪かったですね。あたしは藤井先輩と会ってはいません。ただ、見えるはずのところにはいたんです。それが、樹が邪魔で見えなかったんですよ」


 んん、どういうことだ? 首をひねるわたしの横で、あかりが少し自信なさげに言った。


「つまり、瑞樹が裏庭を歩いているとき、藤井君はその先のアスファルトの部分にいたってこと? 樹が邪魔で見えなかったけど、二人とも『裏庭ルート』を通ってたって言いたいの?」

「そうです!」


 満面の笑みで肯定する。わたしは間髪いれず、問題を指摘する。


「でもそれだと、瑞樹が裏庭を抜けたときに会っちゃうじゃない」

「そう、そこなんですよね。問題はここからです」


 いいですか、と言って、顔を近づけてくる。


「藤井先輩は『裏庭ルート』を通ってグラウンドに帰るつもりだった。でも途中で引き返して、『部室ルート』から帰ったんです!」

「えーーーっ?」


 わたしとあかりが声をあげる。ちょっと声が大きくなってしまって、近くで腹筋をしてた平野くんがこっちを見た。曖昧な笑顔を返す。

 平野くんが筋トレに戻るのを見届けてから、瑞樹に向き直る。声を抑え気味にして、


「なんでそんなことを? まさか、ただの気まぐれで、なんて言わないでしょうね?」

「当たり前じゃないですか、ユズ先輩」


 いまにも、まあまあ落ち着きたまえよワトソンくん、とでも言い出しそうな調子だった。


「藤井先輩が引き返して『部室ルート』を通ったのは、単なる気まぐれとか、散歩がしたかったからとか、そういうんじゃありません。ニョウイを感じたからです」


 一瞬、瑞希の言う『ニョウイ』がなんのことかわからなかった。頭の中でしばらく考えて、やっと『尿意』に変換される。


「藤井先輩は尿意を感じ、トイレに行きたくなった。だけど、『裏庭ルート』にはトイレがない。最寄のトイレは、体育館二階の男子トイレ。体育館に引き返すべきかと考えたとき、思ったはずです」


 すう、っと息を吸って、一息に言った。


「体育館に入って、また靴を脱いで階段を上ってトイレに行くよりは、部室棟の隣にある公衆トイレに行ったほうがいい、と」

「あ、そうか! そういうことね」


 部室棟の隣にある公衆トイレ。確かに、わざわざ体育館のトイレに行くよりは、そっちを使うほうが手っ取り早い。あかりもしきりに頷いている。


「そうだね。私でもそうする。だから藤井君は、来た道を引き返してもう一度体育館の前を通り、『部室ルート』からグラウンドに帰ったんだね」

「そう、そういうことです。藤井先輩が『裏庭ルート』にいるときに、ユズ先輩は体育館に入ったんです。そして、あたしが裏庭を抜ける前に藤井先輩は来た道を引き返して角を曲がり、『裏庭ルート』から姿を消した。これで、すべての辻褄が合います!」


 えっへん、と胸を張る瑞樹に、ぱちぱちと拍手するあかり。謎はすべて解決した、というような雰囲気だった。

 だけど、わたしはなにか違和感を感じていた。なんだろう、なんか見落としてる気がする。


 体育館から出るときのことを思いだす。

 靴を脱ぐところは相変わらず泥で汚れてて、入り口付近も、来たときと変わらず、藤井の足跡があって……。


「あ!」


 違和感の正体がわかった。突然声をあげたわたしに、あかりと瑞樹が驚いたような目を向けてくる。その視線を見返しながら、一気にまくし立てた。


「瑞樹、違う! あのとき、藤井は正面入り口の前を通ってない!」

「え、な、なんでですか?」

「足跡よ。藤井は、汚れたままのスパイクで体育館まで来てた。だから、正面入り口のあたりは泥で汚れてた」

「それは、知ってますけど……」

「わかる? つまり、藤井が『裏庭ルート』を引き返して『部室ルート』を通ったんなら、正面入り口から『部室ルート』に続く道にも、藤井の足跡が残ってなくちゃいけないのよ。でも、それはなかった」


 わたしが体育館から出て『部室ルート』に向かうとき、渡辺に悪態をつかれてムカつきならがも、ちゃんと足元は見ていた。そこに、藤井の足跡はなかったのだ。体育館前は、『部室ルート』と違って汚れてなかったから、藤井が通ったのならすぐにわかるはず。水で濡れてもいなかったから、渡辺が洗い落としたということもない。


 絶句している瑞樹の横で、あかりがわたしを見上げて言った。


「また、ふりだしってこと?」


 わたしは小さく頷いた。


「残念ながらね」

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