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リバース・シンデレラ  作者: 天そば
第二章 雲に隠れる火曜日
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雲に隠れる火曜日 2


 外での練習はほどなくして切り上げになった。雨は強くはならないけど弱まる様子もなく、これ以上やると風邪を引く可能性があると野村先生が判断したからだ。次の日曜日には練習試合もあるから念のため、とのこと。


 ――予約を入れておいたのは、無駄じゃなかったな。

 ダンベルやランニングマシーンでトレーニングする選手たちを見て、なんかよくわからない感慨に浸った。


 いまわたしがいるのはトレーニングルーム。外で練習できないとなると、投手陣はここに集まってシャドーピッチングやランニングをする。野手陣はというと、屋根のあるところで素振りをしたり、紙ボールやバドミントンの羽でトスバッティングをしたり。場所を見つけてできる練習をするって感じだ。


「これ、ここに置いておくね」


 シャドーピッチングをする石川くんの横に、水の入ったボトルを置く。


 室内練習ではみんなバラバラになるから、キーパーの水をボトルに移し替えて、練習してる選手たちのところに届けるのがまず第一の仕事だ。じゃあ第二の仕事はなにかというと、これはあんまり決まってない。手助けを求められたらするって感じで、マネージャーから自発的に動く仕事は、実はこのキーパー届けでだいたい終了。あとは、とりあえず選手たちの近くにいて、手伝いをお願いされたらできるようにスタンバイしておく。


 ……けど、ここでは練習の手伝いはぜんぶ機械がやってくれるし、マネージャーはいなくていいよね。

 わたしはそう判断して、トレーニングルームをあとにした。体育館を出て中庭を突っ切り、教室棟の一階と特別教室棟の一階をつなぐ渡り廊下に行く。この渡り廊下、幅は広いし屋根はあるしで、雨の日は絶好の練習場所になる。今日もけっこうな数の選手たちがここで練習していて、隅にはあかりたちもいた。瑞樹は制服姿の女の子となにか話をしていたけど、わたしが到着する頃には、


「じゃあ瑞樹、また明日」

「うん。ナオもめげずにバイト頑張ってね」


 と言葉を交わして、制服姿の子は校門の方へ歩いていった。


「友だち?」


 わたしが訊くと、瑞樹はこくりと頷いた。


 そのあと、あかりと瑞樹は昨日やってたドラマの話をしだしたけど、わたしは十メートルほど向こうで素振りを続ける嶋くんをぼんやりと見つめていた。

 なんだか、スイングが鋭くなったみたい。真剣な表情でバットを振る嶋くんを見て、わたしはそう思った。


 二週間前の甲子園県予選で、嶋くんは相手ピッチャーの球威に押され、捉えたはずのボールをスタンドまで運ぶことができなかった。そのあとけっきょく一点差で試合に負けて、先輩たちは引退。その日以来、嶋くんは以前にも増してバットを振るようになった。あれをホームランにできなかったのが、相当悔しかったみたいだ。


「ユズ先輩、まーた見てる」


 瑞樹がからかうように笑いながら、肩に手を置いてきた。急に身体に触れられて一瞬びくっとしたけど、苦笑いで振り向く。


「わかる?」

「わかりますよ。めっちゃ露骨ですもん」


 瑞樹は軽く周りを見回して、小声で訊いてきた。


「ユズ先輩って、なんでそんなに嶋先輩のこと好きなんですか?」

「えっ?」


 そんなこと訊いちゃう? てか、なんでと言われても、どう答えればいいか困る。あかりも好奇心丸出しでこっち見てるし、はぐらかせない雰囲気だった。


「じゃあ、いつ好きになったんですか? やっぱり野球部で練習する姿を見て?」

「あ、それは違う。好きになったのは野球部に入る前よ」


 瑞樹は目を大きく見開いて、顔全体を使って驚きを表現した。


「じゃあ、クラスとかで好きになって、それで嶋先輩を追いかけてマネージャーになったんですか?」


 だいたい当ってるけど、それも違う。わたしは首を振って訂正した。


「えっと……中学のときに好きになって、それで嶋くんを追いかけて公星に入ったの。マネージャーになったのは、まあ、そういうこと」


 事実ではあるけど、なんか口に出すと恥ずかしい。あかりは聞いたことがあるから特になにも言わないけど、瑞樹は手を口許に当てて、えーっ、と声を出した。リアクション芸人になれるタイプだ。


「すっごい! そういえばユズ先輩、家遠いって言ってましたもんね。同じ中学の人も、ほとんどいないんでしたっけ?」

「うん、まあ」


 ほとんどっていうか、わたしを除いたら一人しかいない。その人とも話したことないから、入学したときは顔見知りゼロに等しかった。

 瑞樹は声をひそめて、更に質問を続ける。


「でも、どこで嶋先輩と知り合ったんですか? 中学違うんでしょ?」

「嶋くんが野球の試合に出てるのを偶然見かけたの」


 あかりが、にっこりと笑って補足説明をする。


武広(たけひろ)中との試合だよね」


 以前あかりにこの話をしたとき、試合の様子をよく覚えていた。当時からマネージャーをやっていたあかりにとっても、かなり印象に残る試合だったらしい。

 わたしが頷くと、瑞樹の瞳が輝きを増した。早く続きを、とその顔は語っていた。


「中三の春先にね、わたし、ちょっと落ち込んでて……。ぼんやりしながら国道を歩いてたの。そしたら、武広市民グラウンドの前を通ったときに、なんか声が聞こえてきて。野球の試合だなってわかって、なんとなく立ち止まって、フェンスの向こう側から試合を観てたんだ。そしたら……」


 あのときのことは、きっと、この先一生忘れない。


 夕日の落ちかけたグラウンドで行われていた、野球の試合。守備についていたほうのチームには、明らかに「負け」ムードが漂っていた。守備についている野手もマウンドに立つピッチャーも、挙句の果てにはベンチにいる控え選手たちもまともに声を出してなくて、早く試合終わらねえかなと思ってるのがバレバレだった。朝会で校長の話を聞く態度よりはまあマシぐらいのレベルだった。


 そんな中で一人、キャッチャーの人だけはずーっと声を出して、みんなの士気を高めようと頑張っていた。グラウンドの中で、その人の声だけが響いていた。


「そのキャッチャーが、嶋先輩だったんですか?」


 頷く。


 でもあのときのわたしはひねくれていて、なんでそんな意味ないことしてんの、バカじゃないか、なんて思っていた。それでもなぜかその場を離れることはできず、一緒に歩いていた人もなにも言わなかったから、しばらく試合を観続けていた。


 なんとか守りを終えて攻撃に移ったとき、わたしはどうしてこのチームがこんなに諦めムードなのかわかった。相手ピッチャーの投げる球は中学レベルとは思えないほどのものだったからだ。無理だよ、こんなの打てっこない。そう思うのも無理はない、むしろ当然のことだった。


 思ったとおり、先頭バッターはあっさり三振。次のバッターも、まるで同じシーンを再放送したみたいに三球三振。

 得点板を見ると、この回が終わるとコールドで試合終了だ。さあ、ラストバッターは誰かな。そう思って観ていると、打席に立ったのは、あの、一人だけ声を出していたキャッチャー――嶋くんだった。


「そのときにね、自分でもびっくりしたんだけど、なにか、期待みたいなものを感じたの」

「期待ですか?」

「うん。この人ならなにかやってくれそうな気がするって。ホームランを打つんじゃないかって、本気で思った」


 でもそれは間違いだった。

 一球目、ストレートに振り遅れて空振り。二球目は、ストレートを意識しすぎて、ゆるいカーブにぜんぜんタイミングが合わなかった。

 わたしは自分の期待がしぼんでいくのがわかった。そりゃそうだよね、そんなに都合よくホームランなんて打てないよ。


 どうせ、次も空振りする。わたしは冷めた目に戻って、そんなことを思った。だけど、次の三球目、ストレートになんとかバットを当てた。完全に振り遅れだったけどぎりぎりでバットに当たり、ファールになった。続く四球目、五球目も同じだ。ボールに喰らいついて、ファールで粘っていた。


 このまま終わってたまるか。なんとかして塁に出てやる。

 そんな気迫が伝わってきた。


 グラウンドの外にいるわたしにまでわかるぐらいだから、当然、ベンチの人たちにはもっと伝わっている。さっきまでろくに声も出していなかった人たちが、急に真剣な眼差しをバッターボックスに向けるようになった。


 そして、マネージャーが一言、頑張れ嶋君、と声を出したのをきっかけに、ベンチから応援が始まった。頑張れ嶋、負けるな良次。そんな声が行きかって、バットがボールに当たるたびに、大歓声があがるようになった。

 それに応える様に、バッターはだんだんタイミングが合ってきて、当てるのがやっとだったボールが、少しずつ前に飛ぶようになってきた。ライトに飛んだヒット性の当たりが辛うじてファールになったときは、なぜかわたしも自分のことのように悔しくなり、それと同時に、しぼんだはずの期待がまた膨らみ始めた。


 この人なら、もしかしてヒットを打てるんじゃないか。打席に立つ背番号二番を見て、わたしはそう思った。

 そして、次の投球で、とうとうボールはフェアゾーンに飛んだ。だけどそれはどう見ても当たり損ないの、ボテボテの打球だった。ショートが前進してボールを捕球する。タイミング的にはアウトだったけど、送球が少し横に逸れた。そのせいで、ファーストの人がベースを踏むのと、バッターが一塁ベースに頭から突っ込むのがほぼ同時だった。


 アウトかセーフか。みんなの視線が審判に集まる。

 審判は腕を大きく広げて、セーフと宣言した。


 その瞬間、ベンチからあがった歓声は、ダイナマイトでも爆発したのかと思うぐらいの大きさだった。甲子園の出場が決まった高校でもここまでするかな、ぐらいの大きな大きな声で、選手たちはよろこびあった。


 そしてなんといっても、ヒットを打った彼。記録上はヒットじゃなくてショートのエラーだし、審判によってはアウトにされていたかもしれないのに、それでも、腕を思いっきり突き上げて、一塁ベース上で大きな大きなガッツポーズで吼えた。なんて言ってるのかまったく聞き取れない、ただただ純粋な雄たけびだった。


「次のバッターが凡退してけっきょく負けたんだけど、そんなことはどうでもよかったんだ」


 どんなに恵まれない状況でも、ひたむきに、がむしゃらに頑張っていけば乗り越えられるかもしれない。

 あのガッツポーズは、わたしにそう思わせるには充分だった。


「じゃあ、そのときに見た嶋先輩が忘れられなくて、高校まで追いかけてきたってことですか?」

「う、うん。まあ、そういうこと」


 わたしが首を縦に振ると、瑞樹はしみじみと息を吐いた。


「壮絶な人生ですね……」


 そ、それはどうも。


「でもユズ、よく嶋くんの受験する学校がわかったよね」


 ボトルで水を飲んでいたあかりが、口許を拭いながら言った。そういえば、前にあかりにこの話をしたとき、言ってなかったっけ。


「友だちのいとこに、あかりたちと同じ中学に通ってる子がいたから。訊いてもらったのよ」

「あ、そうじゃなくてさ。嶋くんずっと、公星と武広のどっちを受けるか迷ってたんだよ。受験届けを出す当日に公星に決めたって言ってたから、よくわかったなあって」

「あ、ああ。そういうことね。もちろんあの……女の勘で」

「うわ、すっごい! 勘ですか」


 瑞樹は感心したように両手の掌を合わせた。


「きっと、嶋先輩を想う気持ちが導いてくれたんですよ! すごい、ユズ先輩」


 そんな絶賛されるようなことでもないんだけど……。瑞樹って意外とロマンチスト?

 あかりは興奮する後輩を見て笑ったあと、そのままの顔でわたしを見上げてきた。


「でも、残念だなあ。武広中との試合はよく覚えてるけど、ユズが観てたのは気づかなかったよ」


 気づいてればもっと早く友だちになれたのにね、と言いたげだった。わたしは、気づかれなくてよかったな、と思いつつ、作り笑いを返す。ごめんねあかり。

 ちなみに、あの試合で嶋くんに真っ先に声をかけたマネージャーはあかりだったらしい。


「私もどうにかして空気を変えないとって思ってたんだけど、どうしたらいいのかわかんなくて。そしたら、嶋君のあの粘りでしょ? 気づいたら、声出して応援してた」


 と、前にこの話をしたとき、あかりは言っていた。


「まあ、そんなところだからさ、わたしの話は。二人はなんか、そういう感じの人、いないの?」


 瑞樹はまだ色々と質問したそうな顔をしてるけど、これ以上話すと言っちゃいけないことまで言ってしまいそうで、強引に話を逸らす。あかりも瑞樹も大好きだけど、どうしても言えないことだってあるのだ。


「私のタイプはねえ」


 えへへ、って感じの笑顔を浮かべるあかり。あー、知ってる知ってる。何度聞かされたことか。


「あだ名は『番長』で、髪はリーゼント。ブログは基本短文で、最後は必ず『ヨ・ロ・シ・ク!!』で締めるような人かな」

「あかり先輩、どんだけマニアックな趣味してるんですか! てか、そんな人いるんですか?」

「いるんだよねえ、これが。気になったら『ハマの番長』で検索してみてね」

「は、はあ……」


 困惑気味にそう答える瑞樹。

 とりあえず、あかりのことはいいとして……。


「瑞樹はどうなの? 好きな人とかいないの?」

「いないんですよね、これが。そういう人がいなくても、いまは普通に楽しいですし」


 そう言ったあと、練習する部員たちにちらりと視線を向けて、


「あ、でも、野球部の中だったら藤井先輩みたいな人がタイプです」

「ええっ?」


 思わず、そんな声をあげてしまった。ふ、藤井だと!


「アレのどこがいいの?」

「アレって……。ユズ先輩、さりげなく毒舌ですよね。あたし、ああいう感じの一緒にいて飽きなさそうな人がいいんです。常に新鮮な気分でいれそうだし」

「そうなんだ……」


 あいつ、ただうるさいだけなのに。ものは言いようだ。

 そのときに、ふと気づいた。藤井はさっき、嶋くんの隣で素振りしてたはずなのに、いつの間にかいなくなってる。


「あかり。藤井はどうしたの?」

「ああ、靴下変えるって部室に行ったよ。水虫になりそうでキモチわりいって」

「ふーん」


 我ながら気のない返事をする。なんとなく訊いてみたけど、そんなに興味のある話題じゃないし。そんなわたしの態度がおかしかったのか、瑞樹が軽く笑った。


「ユズ先輩って、藤井先輩が嫌いなんですか? さっきからひどい扱いしてますよね」

「そういうわけじゃないけど……」


 嫌いまではいかないけど、うざいやつだとは思ってる。なにかにつけてわたしにつっかかってくるし、いちいち声とリアクションが大きいし、名前が一樹だし。うざい要素を挙げていけばキリがない。

 瑞樹はわたしの内心を見透かすようににやっと笑った。


「じゃあもしかして、あれですか? ユズ先輩、トレーニングルームの予約を入れに行ったとき、藤井先輩とすれ違っても気づかないふりしてたとか?」


 そんなことしてない。そもそも、


「わたし、藤井とはすれ違ってないわよ」


 会ってもいないなら、無視することすらできない。それぐらいの軽い気持ちで答えたんだけど、瑞樹は眉を寄せた。


「なんかの冗談ですか?」

「まさか。こんなことで冗談言わないって」


 わたしが至って真面目だと知った瑞樹は、ぱちぱちと何度か大きな瞬きをした。


「あたし、『裏庭ルート』から体育館まで行ったんですけど、藤井先輩とすれ違わなかったんです。あたしがグラウンドを出たときは、まだ藤井先輩は帰ってきてなかったのに。だからきっと、先輩は『部室ルート』を通って運動場に帰ったんだなって思ってたんですけど……」


 わたしを見上げてくる。ちょっと考えて、やっと意味がわかった。

 瑞樹は、わたしが『部室ルート』を通って体育館に行ったことを知っている。だからさっき、わたしと藤井が途中ですれ違ったと思っていたんだ。だけど……。


「会ってない」


 わたしは体育館に向かったときのことを思いだしながら、はっきりと断言した。


「わたし、藤井には会ってない。どこでも」

「あたしもです。会ってません」


 瑞樹が首を横に振る。事態を把握したあかりが、え、と呟き、わたしたち二人に尋ねてくる。


「じゃあ、藤井君はどこを通ってグラウンドに帰ってきたの?」


 雨が渡り廊下の天井を叩く音をBGMに、わたしと瑞樹が綺麗に声を揃えた。


「わかんない」

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