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リバース・シンデレラ  作者: 天そば
第六章 告白する土曜日
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告白する土曜日 2


 ――駄目だってわかってても、止められなかったんです。

 一昨日の図書室で、長谷川さんはそう言っていた。

 その気持ちは痛いほどよくわかった。あのときのわたしは、長谷川さんに過去の自分を見ていたんだから。


「……わたし、中学のときはいまとぜんぜん違ったんだ。家族と、ちょっとうまくいってなくて……いつもイライラしてた。そしたら自然と、小学校の友だちとかも離れてって」


 車が行きかう国道沿いを、わたしたちは歩いていた。嶋くんはわたしの万引きの告白を聞くなり、少し歩こうと提案して、駅とは逆方向へ進んでいった。


「先生とかクラスメイトとかが話しかけてきても、ほっといてって思ってた。授業をサボったりはしてなかったけど、不良とかとは違う意味で浮いてたんじゃないかな。それで、中三の春にね……」


 忘れもしない、あのことがあった。


「武広に来たとき、家族と喧嘩した。……そのときわたし、なにもかもがどうでもいいやって思ってた。もうどうにでもなれって、適当に道を歩いてたら、青山さんの文房具店があって……」


 前方にある真新しいマンションの駐車場から、引越しセンターの大型トラックが鼻先を突き出した。……あのときのわたしだったら、このトラックの前に飛び出そうと思ったかもしれない。


「こんなことしちゃ駄目だって、いけないってわかってた。わかってたけど、わたし……。ボールペンとか消しゴムとか、近くにあったものを掴んで、外に飛び出そうとした。すぐ、青山さんに取り押さえられたんだけど……」


 話しているあいだ、わたしはずっと下を向いていた。こんな話、嶋くんの顔を見ながらできない。


「でも青山さん、警察や先生には連絡しないでくれて……。もうこんなことはしないって約束して、そのあと、家族が迎えに来ると開放してくれた。それからは一回も会ってなくて、さっき、初めて再会したんだ。……怒られるかもしれないと思ったけど、ぜんぜんそんなことなかった」


 それどころか、わたしに向かって笑ってさえくれた。自分の過ちが消えるわけじゃないのに、それだけでなんだか救われたような気がした。

 ずっと黙っていた嶋くんが、不意に口を開いた。


「いまはもう、家族とは大丈夫なのか?」

「ああ、うん。……中学のときと比べたら、ぜんぜんいいよ」


 そっか、と短い相槌のあと、続けた。


「頑張ったんだな」

「え?」


 驚いて顔を上げてしまった。

 嶋くんと、まともに視線がぶつかる。


「いまの川口を見てると、中学時代そんなだったなんてぜんぜん思えないよ。ちゃんと反省して、それで変わったんだろ。これって、みんながみんなできることじゃないよ。だから、頑張ったんだなって」


 嶋くんは笑った。いままで見たことがないぐらい優しい笑みだった。

 つい、またうつむいてしまう。

 わたしは、頑張ったのかな? 確かに、いまはあの頃みたいに不安定じゃない。でも、わたし一人の力でそうなれたわけじゃない。わたしが、いまこうしていられるのは……。


「変われたのは、頑張る勇気をくれた人がいたからだよ」


 どうせ誰もわたしのことなんてどうでもいいと思ってるんだってひねくれていた。頑張ることが怖かった。そんなときに、勇気をくれた人がいた。

 もう一度、今度は自分の意思で顔を上げる。隣にいる、嶋くん。その瞳を真っ直ぐ見据える。


「その人は、わたしのことなんてぜんぜん知らなかったと思うけど……。でも、その人に会わなかったら、わたし……立ち直ることなんてできなかったよ」


 ――だから、ありがとう。

 言葉に出す代わりに、わたしは微笑んだ。いつもの下手な作り笑いじゃなくて、精一杯の気持ちを込めて。

 嶋くんは一瞬、驚いたような表情になったけど、笑顔を返してくれた。たぶん意味はわかってないはずだけど、それでもうれしかった。そのあと、前を向くと、あ、と小さく声を上げた。


「見て、あれ」


 わたしたちのいるところからもうちょっと先に進むと、道の左側にフェンスが張られていた。その向こうには、野球グラウンドが広がっている。


「あれがさっき言ったグラウンド。武広市民グラウンドっていうんだ」


 ……うん、知ってるよ。

 二年前、青山文具店で万引きをしてしまったあと、死んだように歩いていたわたしが生き返るきっかけをくれた、あの試合。そして、巡り巡って公星高校の制服に身を包むことになった、すべての出来事の引き金。

 わたしが初めて嶋くんを見たあの試合は、この武広市民グラウンドで行われていた。そこをいま、嶋くんと二人で訪れている。なんか、できすぎなぐらいドラマチックな展開だ。

 グラウンドでは試合は行われておらず、小学生の野球チームが練習をしていた。

 嶋くんは小さく笑い、フェンスの向こうを指差す。


「せっかくだから、ちょっと入ってみない?」


     *


 目の前に広がる小学生たちの練習は、当たり前だけど、公星野球部の練習よりは易しかった。いや、易しいっていうよりは、練習の目的が違うように感じる。甲子園へ行くために技術の向上を目指す公星高校に比べて、小学生たちはあくまで自由に、野球を楽しむことを目的にしているように見えた。


「ごめんね。なんか、お腹すいちゃって」


 ファールゾーンに植えられた樹の下に座って、販売機で買ったアイスの包装を剥がす。下は芝生なので、服が汚れる心配はしなくていい。

 隣には嶋くん。二人して木陰に腰掛けて、小学生の練習を見学している。もう緊張や不安は感じない。ただただ穏やかに、わたしは自動販売機で買ったアイスを食べる。久しぶりのオレンジシャーベットアイスはやっぱり美味しかった。


「楽しそうだな」


 うん? 嶋くんを見ると、彼の視線の先は、フライ捕球の練習をする小学生たちがいた。ノックバットを握ったコーチが空高く放つ打球を、時には正確にグラブに収め、時には後逸して追いかけている。

 嶋くんの言うとおり、どの子もみんな楽しそうに練習していた。捕球できた子はもちろん、後ろに逃がしたボールを追いかける子も。


「そうだね。ちっちゃい子って、なにをしてても楽しそうだよね」


 溶け始めてきた部分を齧って、わたしはそう返す。嶋くんはこくりと頷き、


「……なあ、川口。もう一つだけ、訊きたいことがあるんだ」

「ん? なに?」


 優しげな瞳で小学生たちを見守っていた嶋くん。

 ――その目が、不意に鋭くなった。


「君は本当に川口柚香か?」


 溶けたアイスが崩れ、べしゃりと音をたてて地面に落ちた。



 喉の奥から絞り出した声は、普段の声とはまったく違うものだった。けれど、それでもわたしは精一杯の虚勢を張らずにはいられない。


「なに言ってるの、嶋くん……? わたしは、川口柚香だよ。顔も声も、嶋くんの知ってる川口柚香と一緒でしょ?」

「確かに顔も声も一緒だよ。でもだからって、君が川口柚香だとは限らない」


 溶けたアイスが棒を伝い、指先に触れる。冷たいはずなのに、おかしい。ぜんぜん冷気を感じない。……ああそうか。それ以上に、わたしの指が冷えてるんだ。


「前から、ちょいちょいおかしいなと思うことはあったんだ。つい最近あったことを話してるはずなのに話が噛みあわなかったり、言葉遣いが日によってなんとなく違ったり。……でも、そんなこともあるんだろうなってぐらいの認識だった。昨日までは」


 昨日? いったい昨日、なにがあったの?


「川口は昨日、言った。自分が森野先輩のしたことを見抜けたのは、直前に、顔がそっくりな人がいれば入れ替われるかどうか大原と議論をしたおかげだと」


 ぎゅう、っと心臓を強く握られたような気がした。呼吸が詰まる。


「それを聞いたとき、思ったんだ。それだけで、森野先輩が小宮山先輩のふりをしていたことを見抜けるんだろかって。だいたい川口は、大原との議論で、入れ替わりなんて無理だと思うって答えたそうじゃないか。そんな考えなら、尚更気づきにくそうなのに。

 そう考えているうちに、思いだしたんだ。川口は、森野先輩が小宮山先輩のふりをしてクラスの列に座っていたことを説明するとき、暗い中で顔は曖昧、髪型と背丈がほぼ一緒だと、それが別人ということは意外と気づかれないものだと言っていたな、と。思い返すと、あの口調は、妙な自信に溢れていた。まるで、自分が身をもってそれを体験したかのように」


 風が樹の枝を揺らす。それが止んでたから、嶋くんはまた話し始めた。


「そこまで考えると、一つの仮説が思い浮かんだよ。もしかして川口は、誰かが誰かのふりをする――誰かと誰かが入れ替わるという発想をしやすい環境にいるんじゃないかって。例えば……川口と同じ顔、同じ声の人がもう一人いて、その人と交代ずつ学校に来ているとか」


 固まっていた頃の面影がなくなり、ただの液体になったアイスが、わたしの指先からぽたぽたと地面に落ちていく。


「そう考えると、いままでおかしいと思ってたことの辻褄が合う。最近のことが曖昧なのは、話を振られたほうの川口が体験していないことだったから。言葉遣いが違うのは、別人なら当たり前だ」

「で、でも、嶋くん!」


 立ち上がって、わたしは必死に反撃を始めた。


「川口柚香が二人って、そんなことありえないでしょ? 顔も声も一緒の人間が二人なんて」

「ありえるよ」


 即答だった。嶋くんも立ち上がって、続ける。


「普通の人なら無理だけど……川口柚香に双子の妹か姉がいるなら、顔や声が同じ人間がもう一人いることになる。そして川口はこの前、自分には妹がいると言っていた」

「そんな。妹がいるからって、それが双子とは限らないよ!」


 わたしがそう言った瞬間、嶋くんがケータイをかざした。画面に表示された写真の中の人物と、目があう。


「……ごめん」


 言葉を失ったわたしから、嶋くんが目を逸らす。


「こんな仮説、バカらしいと思ったけど……なんだか気になって。昨日、熊代にメールで訊いたんだ。川口柚香に双子の妹か姉がいなかったかって。そしたら、いるって答えたよ。武広高校に進学した、双子の妹がいるって。卒業アルバムの写真も送ってくれた」


 そう。嶋くんのケータイに表示されているのは、わたしの、中学の卒業アルバムの写真だった。

 面白くなさそうな顔で写真に写っている、肩につくぐらいの髪の女子生徒。

 雰囲気こそ違うけど、その顔立ちは紛れもなく、ある一点を除けば川口柚香とまったく同じだった。だけど、写真の下に記された名前は――川口柚希。


「これは君じゃないか?」

「ち、違う……。柚希は双子の妹だけど、わたしは川口柚香だよ!」

「なら」


 わたしの反論を断ち切るような、有無を言わさぬ口調で嶋くんは続けた。


「証拠を見せてほしい。……川口、少しでいいから、湿布をはがして、ほくろを見せてくれないか?」


 身体が固まる。

 わたしたちの違いは、そこだけだった。写真の中の川口柚希には、川口柚香にあるはずの左の泣きぼくろがなかった。

 わたしは……。

 わたしは、観念した。ここまできたらもう、ごまかせない。


 アイスの棒を地面に置き、湿布の端に指をかける。左端をめくり、指で摘むと、わたしは一気にそれをひっぺがした。

 嶋くんの表情が強ばる。それもそのはずだ。

 湿布の下には、泣きぼくろはおろか、三日前にできたばかりの、まだ治っていないはずの痣さえなかったんだから。



 柚香が公星高校に行くのは、月、水、金、日曜日。

 そして、わたし――川口柚希が付けぼくろを付け、川口柚香になりきって公星高校に行くのが、火、木、土曜日。それ以外の日は、お互い、「川口柚希」として武広高校に通っている。

 高校に進学してから一年ちょっと、わたしたちはずっとそうやってお互いの高校を行き来してきた。

 このことを提案してきたのは、柚香だ。


 中学三年の冬、わたしは武広高校に志望届けを出した。倉橋中の知り合いによると、嶋くんは武広か公星のどっちを受験するか悩んでいるらしい。けっきょく、志望届けの締め切り当日まで嶋くんがどっちを選んだのかわからずじまいだったので、わたしは武広にかけた。

 確信があったわけじゃない。でも、成績があまり良くないわたしでは、仮にも進学校を名乗る公星に受かる見込みはなかった。武広を選んだというよりは、武広しか選択肢がなかったというほうが正しかった。

 そして、その翌日。嶋くんがどの高校を選んだのか情報が入った。

 結果は、公星。


 それを聞かされたとき、なにもかもがどうでもよくなった。もう高校なんて行かなくてもいいかなとすら思った。

 そんなとき、柚香がわたしに言ったのだ。

 公星と武広なら、わたしたちのことを知っている人はほとんどいない。それなら、一日ごとに入れ替わって、お互いの高校を行き来しないか――と。


 最初は、なんの冗談かと思った。そんなことできるわけないと思ったし、それに、柚香だって……嶋くんに対してわたしと同じ想いを抱いているはずだ。

 わたしが万引きをしたとき、青山文具店まで迎えに来てくれたのは柚香だった。そのまま一緒に国道を歩いているとき、武広中と嶋くんの率いる倉橋中の試合を観たのだ。


 そのとき、わたしだけじゃなく柚香も嶋くんに特別な感情を抱いたんだと思う。だから、父さんや母さん、先生たちからもっと上の高校を目指せと言われていたのに、柚香は公星を選んだのだ。

 そして嶋くんも公星を選択して、晴れて同じ高校に通えるのに、一日ごとにわたしと入れ替わってくれる? そんなバカなと思った。そもそも、柚香にとってわたしは厄介者以外の何者でもないはずなのに。

 だけど、柚香はあくまで真剣だった。そしてわたしはその提案を呑んだ。

 それから三ヵ月後、高校入学と同時に、わたしたちの入れ替わり生活が始まったのだ。

 貼がした湿布を丸めながら、わたしは嶋くんに尋ねる。


「わたしが柚希だってわかったのは、さっきの青山さんとのやりとりで?」

「うん。川口が振り返ったとき、湿布を貼り直してたから。泣きぼくろがあるのを確認させるなら、湿布の左端を少しはがすだけでいいのに、あのときは湿布全体を貼り直していた。だから、湿布を大きくはがして、泣きぼくろがないのを確認させてたんだってわかったんだ」


 そっか。あの時点でわたしの、川口柚希の存在を知っていた嶋くんからすれば、あれは決定的な行動だったんだ。

 入学する前、わたしたちは、入れ替わりを気づかれないためにあるルールを定めた。

 それは、自分が双子であるということだけはなんとしてでも隠し通すこと。姉や妹がいることは言ってもいい。だけど、それが双子だってことはぜったいに言ってはいけない。それさえバレなければ、多少不自然に思われることがあっても隠し通せると踏んだのだ。


 だからわたしたちにとって、熊代くんの存在は脅威だった。彼だけは、川口柚香が双子だということを知っている。それがなにかの拍子で誰かに漏れて、わたしたちの入れ替わりがバレるんじゃないかという不安は常にあった。それはいま、まさに的中しちゃったんだけど……。


「いつもは、付けぼくろを?」


 嶋くんの問いに、ゆっくりと頷く。

 普段わたしは、川口柚希として武広高校に行くときも付けぼくろを付けている。わたしが柚香になりきることはできても、ほくろを外せない柚香はわたしになりきることはできない。入れ替わりを可能にするには、わたしはずっと付けぼくろを付けておかなくちゃならない。

 そんなわけだから、普段は付けぼくろを忘れるなんてことはぜったいにないんだけど、今日だけは話が違った。

 水曜日に柚香が怪我をしたから、わたしもずっと顔に湿布を貼って登校していた。クラスメイトに笑われたりしないか不安だったけど、心配してくれる人が大半で、からかい半分に、湿布をはがして痣を見せろ、なんて言う人もいなかった。


 だからこそ、わたしは油断してしまった。

 どうせ湿布を貼ればほくろは隠れる。じゃあ、面倒な付けぼくろは付けなくていいや、と。いまさら後悔しても遅いけど、軽はずみな行動だった。

 嶋くんが意を決したように言う。 


「川口。お姉さんを呼んでくれないか? いろいろと訊きたいことがあるんだ。三人で話そう」


 わたしは頷く。もう、ここまできたらぜんぶ話すしかない。わたしたちが入れ替わっている理由も含めて、ぜんぶ。


「わかった。いまから電話するから、ちょっと待ってて」

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