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リバース・シンデレラ  作者: 天そば
第四章 盗まれる木曜日
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盗まれる木曜日 3


 特別教室棟の前は、さっきよりは人通りが減っていた。

 昼休みの残り時間はあと十七分ぐらい。それを気にしてか、嶋くんは少し早口で報告する。


「五組の時間割は、一体育、二理科、三家庭科、四英語。二限目の理科は、クラスの半分は物理で、もう半分は化学になってる。で、西は化学で、熊代は物理なんだ」

「化学に物理ね」


 化学室は理科棟の二階、物理室は三階にある。教室移動のときは友だちと一緒に行動することがほとんどだと思うから、普通に考えれば、アリバイのある可能性は高いはずだけど……。

 わたしの考えていることがわかったのか、嶋くんは首を軽く横に振りながら言った。


「西は体育のあと、置き忘れた教科書を取りに一旦教室に戻ってる。忘れ物につき合わせるのは悪いから、友だちは呼ばないで一人で行ったそうだ。熊代は仲のいい友だちがみんな化学だから、物理室には一人で行ったらしい」

「ってことは、どっちも職員室で鍵を借りることができたってことね」


 どうも、あっさりいかない。せめてどっちか一人にでもアリバイがなければ、二人に絞れるのに。


「でも二人とも、二限目の授業に遅刻はしてないらしい。時間的に、そのまま盗みに行ったら二限目の授業には間に合わないはずだから、この二人が犯人だとすると、一限目の休み時間に鍵を借りて、それ以降の休み時間に部室に行ってミットを盗んだってことになる。……で、熊代は二限目の、西は三限目の休み時間に、それぞれアリバイがないんだ」

「どうして?」

「熊代は物理のあと、一人で家庭科室に行った。西は三限目の休み時間、家庭科室からそのまま一人で売店に弁当を買いに行った。熊代は途中で図書室に寄って、西は売店が混んでたからって理由で、次の授業が始まるぎりぎりに教室に来たらしい。時間的に、どっちも部室に行くのは可能だよ」


 つまり、ミットのことを知っている三人全員に盗むチャンスがあったってことか。……いや、でも、待てよ。


「ねえ、嶋くん。西くんか熊代くんが犯人だとすると、どうやってミットを持ち運んだのかな? 長谷川さんはバッグを持ってたからいいけど、あの二人はそんなもの持ってなかったでしょ?」


 盗品をそのまま手に持って歩くわけにもいかないし、部室の外に持ち出すときはなにか袋みたいなものの中にミットを入れるはずだ。

 嶋くんはかぶりを振って、


「西も熊代も、あのときはリュックを持ってたんだ。体育、理科、家庭科って、移動教室が続くから、体育着とか教科書をずっと手に持ってるのは大変だろ?」

「ああ、そういうことか」


 納得する。移動教室が重なるときは、鞄を持って荷物をひとまとめにする人はたくさんいるのだ。確か藤井もそうだった。

 ちなみに、公星高校には指定鞄があって、リュックタイプか手提げタイプか選べるようになっている。いまの嶋くんの口ぶりからすると、西くんも熊代くんもリュックタイプなんだろうけど、リュックは手提げより少し小さめだ。あれって、教科書と体育着、更にミットまで入るのかな? わたしは手提げタイプを使っているからわからない。嶋くんにそのことを言うと、入るんじゃないかな、という返事が返ってきた。


「ぎゅうぎゅうになって、けっこうギリギリになると思うけど。でも、入らないってことはないと思う」

「そっか。意外といけるんだね」

「うん。あと、西は体育のあとで一回教室に戻ってるけど、リュックは友だちに任せて手ぶらで行ったそうだ。だから、三限目の休み時間も確実にリュックを持っていたことになる」


 思わず感心してしまった。無駄のない嶋くんの説明にもだけど、それ以上に、


「よくそんなに細かく訊き出せたね」


 ミットが盗まれたことを隠しながら、休み時間のアリバイを訊き出すなんてなかなかできない。いったいどんな質問をしたんだろう?


「武田のときと同じような感じだよ。俺、体育着をどこかに置き忘れたみたいなんだけど、見なかった? って訊いて、そのあとは、さりげなくアリバイを訊き出す質問をしていったんだ」

「すごいね……わたしじゃぜったい無理」

「そんなんでもないよ。最初から頭の中でどんな質問するかとか考えてたから。アドリブじゃできなかった」


 アドリブじゃなくても充分すごいと思うんだけど、そういうところをぜんぜん鼻にかけない。なんかほんと、かっこいいなあ……。


「まとめると、長谷川さんは一限、熊代は二限、西は三限の休み時間に、それぞれミットを盗むのが可能だったってことになる」

「うん。……なんか、進展してるようでぜんぜんしてないね」


 まあな、となんともいえない表情で嶋くんが頷く。

 時計を見る。あと十五分。


「これからどうする? もう一回、誰かに話を聞きに行ってみる?」

「いや。それよりいまは、貸し出し名簿をもう一回見たい。ちょっと気になるところがあるんだ」


 わたしにはまったく見当もつかないけど、嶋くんはなにか当てがあるみたいだった。なら、時間もないからさっさと行動したほうがいい。わたしたちは職員室を目指して特別教室棟に入った。


「あ、そうだ。そういえばさ」


 特別教室棟の階段を上がる途中、わたしはまだ聞いていないことがあるのを思いだした。


「さっき、なんで西くんは体育着を洗ってたの?」

「ああ。なんか、弁当の汁がこぼれて汚れたって言ってた」


 ふうん。けっこうドジなんだ、西くん。

 職員室に着く。失礼しますの挨拶もそこそこに、わたしと嶋くんは貸し出し名簿に近づいた。

 改めて見ても、やっぱり『藤井カズキ』の字が消しゴムで訂正された跡は無かった。十時二十六分、野球部部室、藤井カズキ。うん、さっき見たときと、なにも変わらない――と思ったところで、気づいた。


「ねえ、嶋くん。鍵は本当に一限目の休み時間に借りられたのかな?」


 職員室内だから、ひそひそ話をするときのトーンで会話が進む。


「ん? 名簿に嘘の時刻を書いたんじゃないかって言いたいのか?」

「そう、それ。本当は二限目の休み時間に借りたとか、そういうことってないかな?」


 いまから盗みをしようって人が、正確な時間を名簿に書くだろうか。『藤井カズキ』と同じで、この時間も嘘なんじゃないか。わたしはそう思ったのだ。

 けど嶋くんは、それはないよ、とあっさり否定した。


「これ、前後を見てほしいんだけど」


 名簿の『藤井カズキ』の記録の前後に指を置く。


「一つ前の記録では、十時二十四分に、多目的教室の鍵を古文の秋山先生が借りている。一つ後ろでは、同じ十時二十六分に、世界史の尾花先生が、視聴覚室の鍵。どっちも一限目の休み時間だ。この二つに挟まれてるってことは、鍵が借りられたのも一限目の休み時間って証拠だよ」

「あ、そっか」


 嶋くんの言うとおりだった。前後の時刻は消しゴムで消された形跡もないから、犯人がカモフラージュのために書き直したってこともない。

 嶋くんは軽く顎を上げて、誰かを捜すように職員室を見渡した。


「どうしたの?」

「ちょっと、尾花先生いないかなって……あ、すみません」


 ちょうど職員室に入ってきた女の先生に話しかける。


「尾花先生いませんか? 訊きたいことがあるんですけど……」

「あら、残念ねぇ。尾花先生なら、午後から出張に行きましたよ」

「そうですか。わかりました。ありがとうございます」


 少し残念そうに頭を下げる。

 そのまま、わたしたちは並んで職員室を引き上げた。お決まりのように特別教室棟の玄関前に向かう途中、わたしは嶋くんに尋ねる。


「なんで尾花先生を捜してたの?」

「先生に話を聞けば、犯人がわかるからだよ。でも、出張だったんじゃしょうがないな……」


 階段を下りながら、嶋くんは小さく息を吐いた。えーっと……。


「ごめん。どうして尾花先生に訊けば犯人がわかるの?」

「たぶん尾花先生は犯人を見てるはずだ。俺は、なんで犯人は馬鹿正直に名簿に名前を書いたのかなっていうのがずっと気になってた。これから盗みをしようっていうんなら、できるだけ鍵を借りた記録は残したくないはずだろ。俺なら、書くふりだけして、名前も鍵を借りた時刻もなにも書かないのにって思ってた」

「うん、そうね。わたしでもそうすると思う」


 名簿に見向きもしないでいきなり鍵を取るのはさすがにまずいけど、ペンを持って書いたふりだけしても先生たちにはバレないはずだ。


「でも、名簿を見てわかったよ。犯人が部室の鍵を借りたのと尾花先生が視聴覚室の鍵を借りたのは、同じ十時二十六分だった。つまり、犯人が名前を書くふりだけしようとペンを持ったとき、尾花先生がすぐ後ろに立ち止まったんだ。自分も名簿に記入したいから、順番待ちのつもりでね」


 わたしはその場面を想像した。

 とりあえずペンを持って名簿に向き直ったときに、ドアが開き、尾花先生が入ってくる。通り過ぎるかな、と期待したけど、先生は自分のすぐ後ろで順番待ちを始めてしまう。ペンを手に持ってしまった以上、先生、先にどうぞ、なんて譲るのも不自然だ。


「そうなるともう、書くふりだけなんてできないってことね」

「うん。苦肉の策で氏名欄には一樹の名前を書いたけど、あとのところは正確に記入するしかなかったんだ」


 なるほど。時刻や借りた鍵を偽ると、すぐに尾花先生にバレる。だから、名前以外は正確に書くしかないってことか。

 階段を下り終えて、外に出る。クーラーの効いた室内に比べたらサウナみたいな温度に心の中で舌打ちしながら、日焼け対策に着ているサマーカーディガンの袖をまくった。


「残念だったね。尾花先生がいたら、犯人が誰かわかったのに」

「まあね。……でもいちおう、候補は二人に絞れたからよかったよ」

「えっ?」


 思いもよらない言葉に、わたしは目を見開く。なんか今日は、驚いてばっかりだ。


「二人に絞れるって、どうやって?」

「尾花先生が後ろにいたとき、犯人は名簿に記入した。ってことは……」

「おーい、お前らー!」


 嶋くんの話が途中で遮られた。

 ああ、もう。確か、一昨日もこんなことがあった。嶋くんと二人でいると、あいつに邪魔される呪いにでもかかってるのか。もう一回心の中で舌打ちをしてから、わたしは声のしたほうを見る。

 藤井が売店の入り口に立って、思いっきり手を振っていた。もう一方の手には、紙製のどんぶり。いま売店で買ったみたいだ。

 藤井はそのまま、わたしたちのほうへ思いっきり走ってきた。だけど……。


「おおっとぉ? やべっ」


 走った衝撃でどんぶりから汁が漏れる。藤井が持っているのは、特製大盛り牛丼だった。


「大丈夫か?」

「おお、大丈夫。売店さあ、どんぶりのふた代ケチってるのか知んねえけど、微妙に大きさがあってねえんだよ。揺らすとツユがこぼれるの忘れてた。……で、お前らはなにしてたんだよ」


 漏れたツユのついた手をズボンで拭いながら訊いてくる。いや、ちゃんと手洗えよ。


「べつに、そんな大したことじゃないわ。ちょっと部費のことで話すことがあったから」

「部費ぃ? そんなことまで話すのか。キャプテンもマネージャー長も大変だなあ」

「そうよ。二人で話さなきゃいけないことなの」


 だから、藤井はさっさとどっかに行ってほしい。そう思っていたのが、ストレートに言葉に表れてしまったみたいだ。藤井は気持ち悪い笑みを浮かべて、


「なんだよなんだよ。部費の話なら、部員のおれも話に混じってもいいじゃねえか。それをこんなに邪険にしてよ。ホントは別のこと話してねえ?」

「ち、違うから。いろいろややこしい部費の話だから、人数は少ないほうがいいっていうか、あんまり他の部員に知られたくないの」

「大丈夫だって。おれ、けっこう口は固いから」

「いや、そういう問題じゃなくて……」

「いいからいいから。ほら、話を続けて」

「……いいからじゃねえよ。邪魔だから早く帰れよ」


 あまりにもしつこいから、つい思ったことがそのまま口に出てしまった。しまった、と思ったときにはもう遅い。


「怒った怒った! やっぱり口悪ぃじゃん!」


 わたしを指差して、なぜか勝ち誇ったかのように大笑いをする。どうしよう、冗談じゃなく本気で殴りたい。

 笑いが収まると、藤井はどんぶりを胸の前に掲げて、歩きだした。


「じゃ、おれ行くわ。早くしねえと、牛丼食う時間なくなるし」


 こいつ、最初っからずっとここにいる気なかったな。さっきのは、わたしを怒らせるために言ったことだったんだ。まんまと乗せられてしまったのが悔しい。

 藤井はわたしとすれ違う瞬間、ほとんど呟くぐらいの声で言った。


「そんだけ怒れるんだったら、もう大丈夫そうだな」

「はあ?」


 なにも答えず、そのまま教室棟に向かっていく。

 なんだったんだ、と少し考えて、意味がわかった。顔の怪我がもう大丈夫そうだなってことだ。朝練前にもう平気よって言ったけど、わたしが気を遣ってそう言ってるんじゃないかと心配してたんだろう。


「川口」


 ずっと黙っていた嶋くんが、急に名前を呼んできた。振り向くと、いつもより少し目を見開いた嶋くんの顔。

 し、しまった! そういえばさっき、藤井にイラつきすぎて素を出してしまった。嶋くんの前では特におしとやかでいなきゃいけなかったのに!

 さっきの言葉遣い、なに? 嶋くんの唇がそう動く気がして、思わず身構えてしまった。

 だけど、


「五組の教室に行こう」


 口から出てきたのは、まったく違う言葉だった。


「五組って、二年五組?」

「うん。行こう」


 返事も聞かず、そのまま早足で歩きだす。わたしはなんとか歩くペースを合わせて隣に並ぶ。なんだろう、いまの嶋くんは。興奮を抑えきれていないのがばればれだ。こんな状態を見るのは初めてだった。

 なんの会話もなく、二年五組の教室の前に着く。

 熊代くんたちはまだ教壇に座っていた。体育着を洗い終えたらしい西くんもその中に混じって、教卓に座って特製牛丼を食べている。あれは西くんの牛丼だったのか。


「川口はここで待っててくれ」

「あ、うん」


 嶋くんは早口にそう言い残して、教室のドアを開けた。熊代くんたちが振り向く。そのあとすぐドアが閉められたから中の会話は聞こえなくなったけど、ドアが閉まる瞬間、


「西、ちょっと化学の教科書貸してくれないか?」


 という声がかすかに聞きとれた。

 西くんはお箸を丼に置くと、顔の前に手を出して、頭を下げた。断るときのジェスチャーだ。そのあと顔を上げて、なにか喋る。嶋くんは何度か頷き、そのまま踵を返して教室から出た。


「わかった」


 廊下に出てきた嶋くんは、わたしがなにか尋ねる前にそう言った。


「わかたって、まさか……」


 こくりと小さく頷いて、


「ミットを盗んだのが誰か、わかったよ」



 帰りのショートホームルームが終わると、わたしは鞄を引っつかみ、一目散に教室を出た。

 目的地は正門。今日は早めにショートホームルームが終わってくれたから、正門付近に下校する生徒の姿はまだあまり見受けられなかった。昼休みのときと同じように、天気は嫌になるほどの晴天だった。

 わたしは正門を出てすぐ左にある桜の木に身を隠して、ケータイを開き、メールを送る。


『準備オッケーです』


 送信相手はもちろん、嶋くんだ。

 昼休みが終わる十分前に、嶋くんは犯人を突き止めた。わたしたちは話し合い、放課後に犯人と思われる人に話をしようということになった。

 その人はたぶん、あと数分後に正門を通る。それを待ち伏せしようって作戦だ。嶋くんも、ホームルームが終わり次第来る予定なんだけど……。


 手で顔を扇ぎながら、教室棟のほうへ顔を向ける。生徒たちがぽつぽつと出て来て、何人かは正門へ向かって歩いてくる。その中に背の高い坊主頭を見つけて、わたしは自分の表情が緩むのがわかった。


「ごめん、急いだんだけど」


 わたしのところへ来るなり、嶋くんはそう言った。


「大丈夫だよ。まだ来てないから」


 昼休みの特別教室棟前と同じように、人通りがあるから知らないうちに小声になってしまう。


「嶋くんは、大丈夫? 遅れるって連絡した?」

「うん。スパイクの底がすり減ってるから、ナカムラスポーツで替えてくるって言った。川口は?」

「わたしも似たような感じ。アクエリアスの粉末が足りなくなってるから買いに行くってあかりに言った」


 喋りながらも、合間合間に教室棟に目をやる。あの人が出てくるのを逃さないようにしないといけない。

 嶋くんは教室棟から目を離さず、それからさ、と続けた。


「……さっき全員からメールの返事が来たけど、やっぱり部室には行った人は誰もいなかったよ」


 声が低いのは、人目を気にしているからか、落胆しているからか。きっと両方だ、と考えながら、わたしは頷くだけの返事をした。

 部室に行った部員はいない。ってことは、いまわたしたちが待っているあの人が犯人である可能性が強まったってことだ。


 お互いの緊張が伝わったのか、会話はなんとなくそこで途切れてしまった。下校する生徒たちの喋り声と、車道から聞こえてくるエンジン音をバックに、わたしたちは待ち続けた。

 あの人が姿を現したのは、下校ラッシュがちょうど始まりかけたときだった。たくさんの生徒にまぎれて教室棟から出てきたその人を確認すると、わたしと嶋くんは顔を見合わせて小さく頷いた。


「川口、お願いしていいか?」

「う、うん。頑張る」


 昼休みに軽い打ち合わせをしたとき、先に話しかけるのはわたしのほうがいいだろうということになった。小さく深呼吸して、目に見える範囲に野球部の姿がないのを確認してから、わたしは木影から出る。

 正門に向かって歩いてくるその人は、少しうつむき気味だったせいで、ほぼ正面にいるわたしに気づいていないみたいだった。連れはおらず、一人で歩いている。


 わたしはゆっくりと前に進む。正門を抜けて、その人との距離を詰めていく。正門の二、三メートルぐらい手前に来たところで、向こうはやっと顔を上げた。ほぼ正面にいたわたしと、まともに視線がぶつかる。


 ――その瞬間わたしは、ああ、この人が犯人なんだと確信した。


 その人は、昔いじめられていたクラスメイトに道端で偶然出くわしたような反応をした。目を大きく見開き、弾かれるようにわたしから目を逸らす。唇は微かに震えている。こんな反応、普通はしない。


「ねえ、ちょっと待って」


 怖がらせないようにできるだけ優しい笑顔と声色を使って、急ぎ足で正門に行こうとするその人をわたしは引き止めた。


「少し訊きたいことがあるんだけど、いいかな? 時間はとらせないから」


 その人は黙ったまま、下を向いた。


「あなたになにかしようとか、そういうわけじゃないから。ほんとに」


 わたしが話をしても、なかなか顔を上げようとしない。どうしよう、と思っていると、後ろからぽんと肩を叩かれた。嶋くんだった。


「ごめん。すぐ終わるから、少しだけ話を聞いてくれないか?」


 その人は驚いたように嶋くんを見上げた。そして、


「……わかりました、先輩」


 観念したように、その人――長谷川奈央さんは、小さく首を縦に振った。

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