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リバース・シンデレラ  作者: 天そば
第三章 顔に傷つく水曜日
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顔に傷つく水曜日 4


 今日はつまみが二十パーセントオフでーす! へいへい、席が空いてるのはいまの内だよー!

 居酒屋の勧誘にかき消されないようボリュームを上げて、わたしは嶋くんに尋ねた。


「本当にわかったの?」

「うん」


 こくりと首を縦に振る。あまりにもあっさりしていたので、本当なのかな? と逆に疑わしくなってしまう。


「あの、嶋くん。真弓先生はすっぴんを隠すためにずっと眼鏡をかけていたとか言わないわよね?」

「言わないよ。そもそも真弓先生、ずっと化粧してたろ?」


 ああ、よかった。女性が化粧してるのかどうかは見てわかるんだ。


「じゃあ、どうしてすっぴんをごまかすのに伊達眼鏡っていうのでわかったの? なにか関係あるの?」

「あるよ。大アリだ。でもその前に、川口の誤解をとかなきゃ」


 誤解? わたしがなにを誤解してるっていうんだろう。

 …………は、まさか! キミは俺が野球にしか興味がないと思ってるみたいだけど、実は違うぜ的なアレか? 本当はキミにも興味しんしんだぜ、ずっと好きだったんだぜみたいなやつかッ?


「わかった! 誤解でもなんでもといて」

「あ、うん……。なんでそんなに興奮してるんだ? えっと、川口が誤解してることは、真弓先生の眼鏡についてだよ」


 ですよねー。そんなわけないですよねー。


「さっき川口は、お昼は伊達で、放課後は本物になってたって言っただろ?」

「言ったわ。でもそれ、間違ってる? 目の悪い真弓先生が見づらそうにしてたから伊達で、見やすそうになってたから本物って考えるのが普通だと思うんだけど」

「そうだよな。でも、今日の場合はちょっと違うんだよ」


 嶋くんはここで言葉をいったん区切り、少し強い口調でこう続けた。


「昼休みにかけていたのが本物で、放課後にかけていたのが伊達なんだ」

「えっ? でも、わたしたちが昼休みに保健室に行ったとき、真弓先生は本当に見えづらそうにしてたのよ。本物の眼鏡なら、視力が上がってよく見えるようになるはずでしょ?」

「なるね。普通の状態で眼鏡をかけるなら」

「普通の状態でって……」


 嶋くんは人差し指を右目の下に当てた。


「真弓先生は昼休みも放課後も、ずっとコンタクトをつけていたんだよ。だから、本物の眼鏡をかけていた昼休みは視力が下がって、伊達眼鏡をかけていた放課後は正常な視力になったんだ」

「いや、おかしいでしょ。普通、コンタクトの上から眼鏡はかけないわ」


 わたしの反論に、待って、というように掌を見せながら、嶋くんは言う。


「そう考えた方が自然じゃないか? 昼休みにかけていた眼鏡は原先生の物だったんだ。川口たちは普段から原先生が伊達眼鏡をかけていたと考えたみたいだけど、学校でずーっと伊達眼鏡をかけている人ってあんまりいないだろ?」


 まあ確かに、わたしも原先生が伊達眼鏡をかける理由がよくわからなかったけど……。


「けど、だからってそれだけが理由じゃないでしょ? 教えて、嶋くん。どうして真弓先生はコンタクトの上から眼鏡をかけてたって思うの?」

「そうしないといけない理由が……眼鏡をかけないといけない理由が、真弓先生にはあったんだよ。真弓先生、このあいだの日曜に姪っ子の野球の試合を観に行ったって話してたろ?」


 頷く。


「真弓先生は言ってたんだよ。そのときは、汗が凄いだろうって予想してたから、化粧もしないですっぴんで行ったって」

「ああ、うん。それはわたしも聞いたわ」


 先生ぐらいの歳になると、すっぴんで外に出るのは勇気のいることのはずなのになあ、と思ったのを覚えている。高校生でも、すっぴんが嫌で伊達眼鏡をかける人がいるのに。……あ。


「伊達眼鏡! そのとき先生は、伊達眼鏡をかけてたってこと?」

「たぶんね」


 楽しそうに笑う嶋くん。そのまま、話しを続ける。


「すっぴんのまま行くのは少し気が引けたから、真弓先生はコンタクトレンズの上に伊達眼鏡をかけて試合観戦に行った。そのまま姪っ子のチームを応援して、そして……日焼けした」


 日焼け。そう、野球の試合は長いから、一試合観戦しただけでけっこう焼ける。実際、真弓先生ははっきり日焼けしていた。

 ……そうか、そういうことね。

 わたしは隣を歩く嶋くんを見て、言った。


「つまり真弓先生は、眼鏡焼けをしてしまったってことね?」


 嶋くんは笑顔で頷いた。


     *


 眼鏡をかけているときに日焼けすると、眼鏡を外していてもくっきりとフレームの形が浮き上がってしまう――いわゆる『眼鏡焼け』と呼ばれる焼け方をすることがある。

 真弓先生は、その眼鏡焼けをしてしまった。だから、意地でも眼鏡を外さなかったのだ。


「たぶん、学校に来るときはコンタクトの上から伊達眼鏡をかけていたんだけど、昼休みまでの間で、なにかの拍子で壊れるかしてしまったんだと思う。だから、昼休みに原先生に伊達眼鏡を買いに行ってもらったんだ。その間、自分は原先生から眼鏡を借りてね」


 嶋くんの推理を聞きながら、昼休みのことを思い出す。

 駅ビルの袋を提げて保健室に入って来た原先生は、本当に大変だった、暑いだけならまだしも……、みたいなことを言っていたはずだ。あれは、真弓先生に眼鏡を貸して、裸眼で買い物に出なければならなかったのが「本当に大変」だったと言いたかったのだ。


「自分の眼鏡を他人に買いに行かせることはできないけど、伊達眼鏡なら大丈夫ってことね」

「うん、そういうこと。それから、川口たちが保健室に行ったとき、先に尾花先生が来てたって言ったよな? 尾花先生は、真弓先生が眼鏡を借りた直後ぐらいに来たんだと思う。だから真弓先生は、コンタクトを外す時間がなかったんだよ」


 これで推理はすべて終わり、と言うように、嶋くんは鞄から野球ボールを取り出してぽんぽんと軽く上に投げた。わたしはそれを横目で見ながら、ぼんやりと考えごとをしていた。

 駅が遠めに見えてきたとき、嶋くんは掌のボールを見下ろしながら呟いた。


「でも、真弓先生って恥ずかしがりなんだな」


 無意識に湿布に当てていた手を離して、尋ねる。


「眼鏡焼けを見せるのを嫌がったからってこと?」

「そう。……まあ、俺が勝手に推測しただけで、本当に眼鏡焼けをしてたのかわからないけど、もししてたらの話。俺だったら、伊達眼鏡が壊れたら諦めてその日は眼鏡無しで過ごすのになって。なのにわざわざ原先生から眼鏡を借りて、しかも伊達眼鏡を買いに行ってもらってるんだろ? 相当、眼鏡焼けを生徒に見せるのが嫌だったんだなって」


 ああ、まあね。そう思うわよね。


「なんとなくだけど、そういうことにはけろっとしてる人だと思ってたんだ。でも意外と、恥ずかしがり屋だったんだな」


 別世界の人間を語るような面持ちの嶋くんを見ながら、わたしは心の中で呟いた。

 ――嶋くん、それは違うよ、と。


 嶋くんの推理はたぶん当たっているけど、そこだけは違う。真弓先生が眼鏡焼けを見せたくなかったのは、生徒たちじゃない。尾花先生に見せるのが嫌だったんだよ。

 あの二人がなにがきっかけで、いつからそうなったのかはわからない。でも確実に、恋人同士だというのはわかる。

 昼休みの時点でそんな気はしてたけど、さっき尾花先生に会ったときにそれは確信に変わった。

 わたしたちが着替え終わったあと、真弓先生はもう保健室を閉める時間のはずなのに、藤井の質問に答えて、悠長に雑談なんかしていた。たぶん、事前に尾花先生と連絡を取り合っていて、彼がテストの採点で帰りが遅くなることを知っていたから、時間潰しにわたしたちの雑談に付き合ってくれたのだ。昼休みに二人でいたのも、今日のお昼は一緒に過ごそうと決めていたからだろう。


 そう考えると、尾花先生の言動も理解できる。

 にきびができたら絆創膏で隠すと話したわたしに、尾花先生は言った。そんなに必死に隠さず、ありのままでいいのに、と。どこか遠くを見るようにして、そう呟いた。

 あれは、真弓先生を思いだして言ったことだったんだ。尾花先生は、真弓先生が眼鏡焼けを隠すために眼鏡をかけていることに気づいていたのだ。


 けど、そんな想いとは裏腹に、真弓先生は必死に眼鏡焼けを隠した。わたしには、伊達眼鏡が壊れたときの真弓先生の様子がはっきりと想像できる。

 そんな、お昼に彼と会う予定があるのに、こんな眼鏡焼け全開の顔で向き合うなんてできないわ、と慌てふためき、必死に頭を働かせ、仲のいい原先生になんとか頼み込む。どうか眼鏡を貸してください、と。

 思わず笑ってしまう。

 これって明らかに、さっきのわたしと一緒だ。もうすぐ嶋くんが保健室に来ると聞かされて、早く湿布を貼ってくださいと真弓先生に詰め寄ったわたしと。

 違うのは、わたしたちの場合は完全に一方通行ということだけ。だからこそ、嶋くんはわたしが早く湿布を貼って欲しがった理由に気づかないのだ。


「やっぱり、女の人からしたら眼鏡焼けって恥ずかしいのかな?」


 駅内へと続く小さな階段を上がりながら、嶋くんは首を傾げた。


「恥ずかしいよ。すっごい恥ずかしい」


 わたしは少し声を小さくして、続けた。


「……わたしだって、いま湿布はがして嶋くんに痣を見せなさいって言われたら、やだもん」

「ああ。眼鏡焼けと痣じゃ、レベルが違うもんな」


 そんなことを言いたいわけじゃないんだけど……。

 階段を上り終えて、切符売り場を過ぎ、改札を抜ける。わたしは上りの電車、嶋くんは下りの電車だ。


「じゃあ、また明日」


 嶋くんは自分の乗る電車のプラットホームへ歩き出そうとする。わたしは大きめの声を出して、それを止めた。


「ちょっと待って、嶋くん!」

「ん?」

「あの……ありがとね。嶋くんのおかげで、怪我、軽くてすんだから。本当に助かった。どうもありがとう」


 いつ言おうかとタイミングを計っていたけど、けっきょく別れる直前にやっと言えた。

 嶋くんは困ったように頬をかきながら、


「いや、でも、捕れなかったから……。ごめん」


 違う違う。そんなことを言ってほしいんじゃない。まったくこの人は、どこまで女の子の気持ちがわからないんだろう。ここまでくると笑えてくる。

 笑えてきた記念に、わたしは言ってやった。


「じゃあ、嶋くん。……次はちゃんと守ってよ?」

「えっ?」


 目の前にいる朴念仁は驚いたように目を見開いたけど、すぐに大きく頷いた。


「……うん、わかった。次はぜったい捕る」


 真面目な顔でそう言われて、思わず笑顔がこぼれてしまう。

 うれしいな。相手がわたしじゃなくてもそう言うだろうってわかってるけど、やっぱりうれしい。


「ありがとう。……じゃあ、また明日ね」

「うん。気をつけて」


 手を振って別れたあと、わたしは少し歩いて後ろを振り返った。嶋くんはバッグを揺らしながら人ごみの中を歩き、やがて、プラットホームへ続く階段を下りていってた。当然、わたしのほうを振り返ることは一度もなく。


 いいよいいよ。振り返らないことぐらい知ってたよ。

 いまはまだ、それでいい。これから振り向いてくれればいい。……いや。ぜったい、振り向かせてやる。高校を卒業して、自由にアタックできるようになったら、わたしから目が離せなくなるぐらい虜にしてやるんだから。


「見てなさいよ、野球馬鹿ヤロー」


 小さくそう呟いて、わたしはまた歩きだした。



 少し苦くもあり、でも思い返すと楽しかったなと思える帰り道が終わって、家に帰るとそこには現実が待っていた。


「どうしたの、それっ?」

「大丈夫なのか?」


 わたしの顔の湿布を見るなり、お父さんとお母さんは半狂乱になった。わたしはとりあえず事情を説明して、洗面所に向かった。その途中、お風呂からあがった妹の柚希ゆずきとすれ違うときも、


「え、柚香なにその顔?」


 と大層驚かれてしまった。

 洗面台の鏡と向き合うと、わたしはそろそろと湿布をはがした。そこに映るものを見て、思わずうわあと声が出てしまう。


 左頬にできた、大きな痣。当分は、これを隠すために湿布を貼り続けないといけない。わたしのチャームポイントの泣きぼくろも隠れてしまう。きっと、眼鏡焼けに気づいたときの真弓先生もこんな気持ちだったんだろう。明日、学校休もうかなという気すらしてくる。

 それにしても……。


 わたしはもう一度、鏡を見つめてため息をつく。

 自分の顔を見て傷つくなんて、中学のときものもらいになって以来だ。

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