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リバース・シンデレラ  作者: 天そば
第二章 雲に隠れる火曜日
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雲に隠れる火曜日 4


 各々自由に喋りすぎて疲れたから、マネージャー用のボトルで水分補給をすることにした。


「……はい、ユズ」

「ありがと」


 あかりからボトルを受け取る。適度に冷えた水がさらさら喉を通っていくのが気持ちいい。飲み終わると、瑞樹に渡す。


「藤井君、いったいどうやったんだろうね?」

「さあねえ……。ってか、藤井遅くない?」


 わたしたちがこうして話し始めてから、もう十分は経っている。部室に靴下を替えに行ったんなら、とっくに帰ってきてもいい時間帯だ。


「ほんとだね。どうしたんだろう? どうやったのか訊きたいのに」

「だめ。そんなことしないで」


 ほとんど条件反射で反対する。あいつに答えを尋ねるなんて、プライドが許さない。


「そう言っても、私たちじゃもう無理そうじゃない?」

「んなわけないでしょ。もうちょっと考えればぜったいわかる」


 瑞樹がボトルのキャップを閉めながら、ユズ先輩ってこんなに負けず嫌いでしたっけ、とあかりに小声で訊いているのが聞こえてきた。

 ええそうです。普段はあんまり表に出せないけど、筋金入りの負けず嫌いです。しかも負ける相手が藤井っていうのが一番納得いかない。これが嶋くんならむしろ話すことができてうれしいぐらいなのに。


「川口、部室の鍵貸してくれないか?」

「あかりが持ってるよ」

「あ、そうなんだ。じゃあ大原、鍵貸してくれ」

「さっき藤井君に貸したよ。たぶんまだ、部室にいるんじゃないかな」

「一樹に? そういえばあいつ、まだ戻ってきてないな。わかった。サンキュー、二人とも」

「うん、じゃあね……って、嶋くんッ?」


 考えるのに夢中になってて気づかなかった。わたしに話しかけてきたの、嶋くんじゃん!

 いま気づいたように(本当にいま気づいたんだけど)名前を呼ばれた嶋くんは、そうだけど、というように振り返った。


「あ、いや、ごめん。……なんでもない」


 だけど、わたしはつい、はぐらかしてしまう。こんなときに雑談の一つでもできるようになればかなり変わるはずなのに。そんなわたしの心情を知っているあかりが、背中を向けた嶋くんを呼び止めてくれた。


「ね、嶋君。ちょっと待って」


 一瞬わたしを見て、目を細くする。あかりがなにを言おうとしているのか、なんとなく予想がついた。


「私たち、三人で考えてもどうしてもわからないことがあったんだ。昨日の藤井君のメアドのときみたいに、少し考えるの手伝ってくれない?」

「ああ、いいよ。なに?」

「すっごい不思議なことがあったんだよ。……ね、ユズ」

「え? う、うん」


 このタイミングでわたしにバトンを回すのか。

 わたしは声が上ずらないように抑えながら、嶋くんに例のできごとを説明し始めた。


「あのね、嶋くん。実はさっき……」


 視界の隅で、あかりと瑞樹がにやにやしてるのが見えたけど、気にする余裕は無かった。



     *



 話を聞き終えた嶋くんは、なるほどな、と言って、考えるように下を向いた。


「よかったですね、ユズ先輩」


 うわ、びっくりしたあ。油断していたわたしの耳元に、瑞樹が突然顔を寄せてきた。無邪気な一年生はにやりと笑って、こう続ける。


「これで謎が解ければすっきりしますし、嶋先輩ともいろいろ話せるじゃないですか」

「それはそうなんだけど……」


 こんなことで嶋くんの練習時間を削ってしまっていいのかな? 早く練習を再開したいけど、断りきれずにいやいや考えてくれてるんじゃないか――と思うと、ものすごく申し訳ない。


「ね、嶋くん」


 もういいから、練習再開していいよ。

 そう言おうとしたとき、嶋くんが顔を上げた。


「川口が体育館から出てきたとき、水道で渡辺先生がバケツに水を溜めてたんだよな?」

「え? うん、そうだけど」

「そして、武田が角を曲がって体育館の正面に行くと、バケツを持った渡辺先生が掃除をしていた」

「はい、そうでした」


 瑞樹とわたしは顔を見合わせる。いったいなんの確認だろう?

 そんなわたしたちに、嶋くんはなんでもないことのようにさらりと言った。


「わかったよ。一樹がどこを通ってグラウンドへ帰ったのか」

「えっ?」


 マネージャー三人、綺麗にハモった。


「いまのでわかったんですか、嶋先輩?」

「たぶんね。これは、一樹が野球選手だから起こったことだよ。マネージャーだったら、『裏庭ルート』で普通に武田とすれ違っていたと思う」


 野球選手だから起こったこと? 意味がまったくわからない。

 混乱するわたしたちに、嶋くんは軽く手を振った。


「でも、俺も百パーセント自信があるってわけじゃないんだ。たぶん当たってるとは思うけど、確定ではないというか……」

「あ、そうなんですか。じゃあやっぱり、藤井先輩が帰ってきたときに訊くしかありませんね」


 それしかないのか。くっそ、悔しい。心の中で舌打ちするわたしの横で、嶋くんはゆっくり首を振った。


「いや、俺の考えが正しいかどうかは、ハンドボールグラウンドに行けばわかるよ」

「え、なんでここでハンドボールグラウンドが出てくるんですか?」

「それはちょっと、話すと長くなるんだけど……」

「じゃあ嶋先輩、いまから行ってみてくださいよ! 部室に行くつもりだったんなら、通り道じゃないですか」


 嶋くんが、いいけど、と頷くと、


「じゃあさ、ユズも行ってきてよ、ハンドボールコート。嶋君と一緒に」

「え?」


 どさくさに紛れて、あかりがそんなことを提案してきた。


「ああ、そうですねえ! さすがにマネージャーが揃って離れるわけにもいきませんから、あたしとあかり先輩は残っときます。ってわけで、ユズ先輩、行ってきてくださいよ」


 してやったりと言わんばかりに、瑞樹まで便乗。こいつら、連携よすぎるだろ!


「や、でも、嶋くんが……」

「ね、嶋君もいいでしょ? ユズが一緒でも」

「俺はぜんぜんいいけど」


 いいのかよ! いや、断られたらショックだけどさ。でも、いいのかよ!

 躊躇うわたしの背中をあかりが肘でさりげなく押して、嶋くんの隣に並べる。それを見守る瑞樹の顔には、なんて言うか、人をイジるとき特有のにんまり顔が張り付いていた。先輩に向かってこのヤロー。


「じゃ、行こうか」


 嶋くんが歩きだす。そうなったからには、もう、ついていくしかない。後ろを振り返ると、瑞樹だけでなくあかりまであのにんまり顔を浮かべて、


「いってらっしゃーい」


 と、朗らかに手を振ってくれた。



 雨に濡れないように、できるだけ屋根のあるところを歩いた。だけど、そんなに都合よく広い屋根があるわけじゃない。一人で歩くなら平気でも、二人だとちょっとぎりぎりかな、ぐらいの幅が多い。


 つまり、二人で歩いているわたしたちは、自然と距離が近くなってしまう。


 そのせいで、わたしは嶋くんとまともに話せなかった。緊張して声が出ないし、人とすれ違うたびに、いまの人がクラスメイトだったらどうしようと不安になったりした。早くハンドボールコートに着け、と呪文みたいに頭の中で繰り返していた。


 なにを話すでもなく歩いて、体育館が見えてきたとき、やっと嶋くんが口を開いた。


「川口は、正面入り口を出てすぐ渡辺先生に会ったんだよな?」

「うん、そうだけど」


 そっか、と言ってまた口を閉じる。嶋くんから話しかけてくれて、なんとなく気が楽になったわたしは、ずっと気になっていたことを訊いてみることにした。


「ねえ、嶋くん。どうしてハンドボールコートに行けばわかるの? 教えられる範囲でいいから教えてくれない?」

「ああ、いいよ。さっき川口たちの推理を聞かせてもらったけど、たぶん武田は、かなり惜しいところまでいってたんだと思う」


 瑞樹が? 確かにわたしたち三人の中では一番納得いく推理だったと思うけど、それでも矛盾点があったはずだ。

 いまは口を挟まず、黙って嶋くんの話を聞くことにする。


「武田の考えたとおり、一樹は最初『裏庭ルート』に来て、途中で来た道を引き返して、『部室ルート』からグラウンドに帰った。でもそれは、トイレに行きたかったからじゃない。『裏庭ルート』の途中で渡辺先生に会ったからだよ」

「渡辺先生に?」

「そう、渡辺先生に」


 ちょっとだけ得意げに笑って、嶋くんは話を続けた。


「渡辺先生って、裏庭を管理してるだろ? だから、裏庭の方へ歩いていく一樹を呼び止めたんだよ。普通のスニーカーならまだしも、あのとき一樹はスパイクを履いていた。そんなもので庭を通られたら、せっかく手入れした土が荒れてしまうから」


 そっか。確かにあの渡辺が、スパイクで裏庭を通ろうとするやつを見過ごすはずがない。呼び止めてなんやかんやと文句をつけるのが目に見えている。


「じゃあ、藤井は渡辺にいちゃもんつけられて、仕方なく『裏庭ルート』を引き返して『部室ルート』から帰ったってこと?」

「ああ、そうだよ」


 いかにもありそうな話だ。正面入り口の前でわたしを見たとき、まったく野球部は、と苦々しげに吐き捨てたのも、直前に藤井を見たから出た言葉だったと思えば納得できる。

 でもまだ、大きな謎が残ってる。中庭を歩きながら、わたしはその疑問を嶋くんにぶつけた。


「でも、嶋くん。それだと、足跡はどうなるの? 藤井が『裏庭ルート』を引き返して『部室ルート』へ行ったんなら、その通り道に、足跡みたいに泥が付いてるはずじゃない。でも、それはなかったのよ」

「それにもちゃんと理由があるよ。裏庭を通るなと注意された一樹は、体育館の方へ引き返した。だけど渡辺先生は、体育館の入り口を泥で汚されるのも嫌だった。だから、体育館前を汚さないように通れって言ったんだ。で、川口だったら、そう言われたらどうする?」


 ふざけんじゃねえクソジジイ、って言って、無視してそのまま帰る。

 なんて言えるはずもなく、とりあえず無難だと思われる答えを返した。


「ごめんなさいって謝って、どこかでスパイクの泥を落としますって言うかな」

「たぶん一樹も、そう答えたんだと思う。で、考えてみてほしいんだけど、『裏庭ルート』でスパイクの泥を落とせそうなところってある?」


 えーっと、アスファルトの上に落とすのはさすがに非常識だから、それ以外の場所。ってことは、裏庭しかないな。

 …………いや、待てよ。

 裏庭の立て看板を思いだす。あれには、他の場所から持ってきた土を混ぜないでくださいと書いてあったはずだ。スパイクにはグラウンドの土がついている。裏庭に泥は落とせない!


「どこにもないわ。『裏庭ルート』には、スパイクの泥を落とせるところはない……」

「そう。渡辺先生がいるから、看板を無視して裏庭に泥を落とすことはできない。そうなるともう、泥を付けずに体育館前を通る方法は一つしかない」


 わかった? と言うように、嶋くんがこっちを向く。わたしは小さく頷いた。


「スパイクを脱いで体育館前を通ったってことね」


 中庭を通ることもできるけど、それだと雨に当たってしまう。靴下は濡れちゃうけど、屋根のある道を行ったほうがいいと判断するのが普通だ。


 いま思えば、藤井が、水虫になりそうで気持ち悪いと靴下を替えに行ったのも、このとき濡らしてしまったからなんだ。よく考えると、スパイクを履いたままだと水虫になりそうなほど――つまり、指先までは濡れない。穴の空いたスパイクならともかく、藤井のは新調したばっかりだったんだし。


「野球選手だから起こったこと、っていうのは、スパイクを履いてたからね? スニーカーなら、渡辺に注意されることもなく裏庭を通れたし」

「うん、そういうこと」


 前方にハンドボールグラウンドが見えてきた。嶋くんはそれを指差し、


「たぶんだけど、一樹は体育館の前を通ったあと、ハンドボールグラウンドでスパイクの土を落としたと思うんだ。グラウンドに帰ってきたとき、スパイクに泥はついてなかったから」



     *



 藤井がスパイクを叩いて泥を落とした跡は、一瞬で見つかった。グラウンドの端っこ――体育館から一番近いところに、茶色い泥の中に混じって黒土があった。裏庭を通ったせいで、靴底に黒土が付いていたのだ。この色は、ハンドボールグラウンドにはまずありえない。


「すごいね、嶋くん」


 ハンドボールグラウンドから離れて、体育館の側面の軒下で雨宿りをしつつ、わたしは言った。


「ラッキーだったんだよ。俺、一年のときは渡辺先生が体育の担当だったから、どんな人なのかよく知ってたし」

「そんなことないよ」


 嶋くんの言葉を首を振って否定する。わたしだって渡辺がどんなやつか知ってたけど、ぜんぜん気づかなかった。あかりも瑞樹もだ。わたしたちが三人揃って考えてもわからなかったことを、嶋くんはあっさり解いてみせた。これは胸を張ってもいいことだ。


「わたし、嶋くんの推理を聞いてるとき、純粋に、すごいなって思ったんだから。こう、謎がするする解けていく感じがして」

「サンキュ。なんか、そこまで言われると照れるな」


 本当に照れくさそうに笑って、頬をかく。そんな嶋くんの姿に、わたしは思わず、口を滑らせてしまった。


「それに、すごく、かっ」


 ここまで言って、あとの言葉は条件反射で飲み込んだ。

 すごくかっこよかった。

 そんな大胆な言葉、言えるはずない。一片の嘘もない本音だけど、恥ずかしすぎて言えない。


「か?」


 嶋くんが不思議そうな顔で聞き返してくる。

 どうしよう、なんて言ってごまかそう。俯いて、必死にそんなことを考える。だけどだんだん、無理に取り繕う必要はないのかな、なんて思えてきた。これはわたしの本音なんだから。それに、嶋くんはきっと、そんなことを言われても不快に思う人じゃない。


「あのね、嶋くん!」


 意を決して顔を上げ、嶋くんの瞳を真っ直ぐ見据える。嶋くんは一瞬、びっくりしたような表情になったけど、視線をそらさず、わたしと目を合わせてくれた。ぴりっとした、だけどどこか暖かい雰囲気の中で、わたしは続く言葉を言い切った。


「わたし、嶋くんのこと、すっごく、かっ」

「あっれえー、良次に川口じゃねえか! なにしてんだよ、こんなところで」


 ――はずだったのに、後半の言葉は、無駄にでかいその声によって完全にさえぎられた。


「一樹! いままでなにしてたんだ?」

「予備の靴下どこに置いたのかわかんなくて、ずっと探してたんだよ。こっそり平野の筆箱の中に入れといたの忘れててさあ。で、お前らはなにしてたんだ?」


 無遠慮にずかずかとわたしたちのほうに歩いてきて、藤井はそんなことを尋ねた。嶋くんは少し困ったように、あ、いや、と口ごもり、


「そういえば、川口。ごめん、最後のほう聞こえなかったんだけど、なんて言った?」

「あ、それはさ、あれだよ。あの……」


 わたしの口は、勝手に動いて言葉を発した。


「すっごく、感動したって言ったの! 嶋くんの推理がどんどんつながってくのが、感動したって!」

「なんだ、そういうことか」


 わざわざかしこまって言わなくてもいいのに、というような笑顔。そしてすぐ、藤井に向き直る。


「部室の鍵貸してくれ。バッティングの本取りに行きたいんだ」

「ああ、ほら」


 鍵を受け取ると、サンキュ、と言って、嶋くんはそのまま部室に歩いていった。

 わたしはその背中を、なんとも言えない気分で見送った。さっきまでのいい雰囲気はどこに?


「あれ? で、なんで川口まで一緒にいたんだ?」


 藤井はいまさらそんなことを訊いてくる。答える気はさらさらない。わたしは空気の読めないチビを置き去り、そのまま練習場所に向けて歩きだした。


「あ、おい川口! おれを置いてくなよー」

「……うっせえよ、アホ」

「あれ? いま、おれのことアホっつった? うわー、やっぱりお前、ほんとは口悪りいよなあ」


 あー、うっせえうっせえ。テメエがイラつかせるからこうなんだろうが。

 後ろでギャーギャー騒いでるうざいのを放っておいて、わたしはそのまま、早歩きであかりたちの元へ帰っていった。

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