第六話(清書完全版)「同期」
廊下に飛び出した瞬間、空気が一段階重くなった。旧校舎の部屋から離れたことで、干渉が一気に戻ってくるのが分かる。頭の奥に、あの風の音が強く流れ込む。さっきまで消えかけていたはずの感覚が、再び輪郭を持って迫ってくる。足を止めれば飲み込まれると直感する。だから走る。考える余裕はない。ただ、この場から離れることだけを優先する。
背後で足音が揃って響く。複数人の足音。それなのに、一つの音にしか聞こえない。完全に同期された動き。迷いもブレもない追跡だった。
「待ってください」
担任の声が追いかけてくる。さっきよりも低く、感情の揺れが削ぎ落とされている。
「未同期のままでは危険です」
その言葉が、頭の奥に直接入り込んでくる。耳で聞いているのに、思考に触れてくるような感覚。足がわずかに鈍る。止まりそうになる。
「……違う」
無理やり声を出す。
その瞬間、ほんの少しだけ干渉が弱まる。自分の意思で言葉を出すことで、均されかけた思考にひびが入る。
走る。曲がる。階段を駆け上がる。旧校舎へ続く渡り廊下が視界に入る。あそこに入れば、少しだけ楽になる。
足を踏み入れる。
温度が下がる。
頭の奥のざわつきが、急に引く。
「……やっぱり」
息を整えながら呟く。
ここは明らかに違う。干渉が弱い。完全ではないが、“自分でいられる”。
背後の足音がわずかに乱れる。リズムが崩れる。完全に揃っていたはずの動きに、ズレが生まれる。
「……干渉レベル低下」
担任の声が聞こえる。初めて、言葉に“状況報告”のような響きが混じる。
「追跡を継続。距離を維持してください」
誰に向けているのか分からない命令。その言葉に合わせて、足音が再び揃い直す。
旧校舎の扉を開ける。中に入る。閉める。背中で押さえる。呼吸が荒い。心臓の音が大きい。
「……どうする」
短く呟く。
逃げ続けるだけでは意味がない。ここは一時的に干渉を弱められるだけで、完全に切断されているわけではない。時間が経てば、また侵食される。
ポケットに手を入れる。
スマホ。
そして、さっき見つけた装置。
「……これ」
取り出す。小さな機器。ケーブル。物理的なスイッチ。
——一時遮断
紙に書かれていた言葉を思い出す。
完全ではない。でも、切れる。
「……やるしかない」
スマホにケーブルを繋ぐ。スイッチを入れる。
一瞬、音が消えた。
完全な無音。
次の瞬間、現実の音が戻る。
頭の中の風が消える。
「……静かだ」
初めて、完全に干渉が消えた感覚。
スマホの画面を見る。
——接続信号:遮断
——状態:切断
はっきりと表示されている。
「……これなら」
考えられる。自分のままで。
そのとき、扉の外で足音が止まる。
ノブが回る。
開く。
担任が立っている。
だが、さっきまでとは違う。
動きがわずかに遅い。視線が合っていない。焦点が揺れている。
「……検知できません」
小さく呟く。
後ろのクラスメイトたちも同じだった。動きが揃っていない。足の出し方がばらけている。視線が散っている。
同期が崩れている。
「どこに……」
担任の言葉が途切れる。
その瞬間、理解する。
“見えていない”。
遮断によって、こちらの状態が把握できていない。
「……効いてる」
小さく呟く。
今が隙だ。
体が動く。
担任の横をすり抜ける。
廊下へ出る。
今度は足音が揃っていない。追跡の精度が落ちている。
「待ってください」
声が追ってくる。
だが、さっきほどの圧はない。
走る。階段を降りる。廊下を抜ける。
その先に、人影が見える。
クラスメイトたち。
だが様子が違う。
「……あれ?」
誰かが呟く。
「なんでここに……」
声が揃っていない。
完全な同期が崩れている。
「……何してたっけ」
別の声。
思考がばらけている。
それでも、完全に元に戻ったわけではない。視線の一部がまだこちらを追っている。
「……行ける」
自分に言い聞かせる。
そのまま走り抜ける。
校舎の出口が見える。
あと少し。
ポケットの中の装置が熱を持ち始める。
時間制限。
長くは持たない。
外に出る。
空気が軽くなる。
だが、今回はそれだけでは終わらないと分かっている。
ポケットの中のスマホを見る。
画面は暗いまま。
でも、これがある限り、また繋がる。
「……逃げるだけじゃダメだ」
はっきりと理解する。
原因は中にある。
同期を管理している何か。
それを止めなければ、また同じことが起きる。
振り返る。
校舎を見る。
さっきまでいた場所。
「……終わらせる」
小さく呟く。
その言葉は、初めて“逃げるため”ではなかった。




