明るみになった厄災
天界中枢。
普段は決して開かれない、白の円卓。
そこに座っている時点で、事態は異常だった。
「確認する」
議長格の上級神が、静かに告げる。
「下界・深層ダンジョンにおいて、
魔王の成立を確認した」
ざわめきは、起きない。
代わりに、重たい沈黙が落ちた。
「成立時刻は不明。
だが少なくとも数年前。
現在は完全覚醒状態」
空間に、映像が投影される。
最下層。
崩れ落ちたドラゴンの骸。
その中心に立つ、王冠めいた魔力を纏う存在。
――ゾンビキング。
「……やはり、存在進化型か」
「しかも不可逆」
「因子の活性度、限界突破しているな」
報告が淡々と続く。
「現在、天界からの干渉は不可能」
その一言で、空気が変わった。
「魔王因子が世界法則に溶け込んでいる。
力の付与、剥奪、存在制限、全て拒絶されている」
「……つまり?」
「もう、神では触れない」
誰かが、小さく舌打ちした。
「どの段階で見逃した?」
別の神が問う。
「転生記録を遡った結果、
初期設定は“非戦闘・不死個体”」
その場に、わずかな困惑が広がる。
「戦闘能力付与なし?」
「はい。
ただし――」
報告神が、言葉を区切る。
「消滅しない条件が、完全に揃っていました」
沈黙。
理解した者から、表情が固まる。
「…まじか」
名が出た瞬間、
部屋の隅で縮こまっていた存在が、びくりと震えた。
「い、いや、えっと、その……」
「弁明は後だ」
上級神が遮る。
「問題は“今”だ」
円卓に、別の映像が浮かぶ。
ダンジョン外縁。
人類領域へ伸びる、魔力の流れ。
「魔王は、まだ侵攻していない」
「まだ、していないだけだ」
「意志の問題ではない。
存在しているだけで、因子は拡散する」
誰かが言った。
「このままでは、世界が魔王を中心に再構築される」
――処分。
その言葉が、誰からともなく共有された。
「方法は?」
短い問い。
返答は、すぐだった。
「ない」
冷たい断言。
「干渉不可。
討伐不能。
存在削除も不可能」
「……では」
「封じ込めのみしかない」
上級神が結論を告げる。
「世界を切り離す案は?」
「失敗率が高すぎる。
魔王因子が残留する」
「他世界への転送は?」
「同様。
拡散リスクが跳ね上がる」
円卓に、沈黙が戻る。
処分したい。
だが、できない。
「……魔王が“動く”まで、待つしかないのか」
「あるいは」
一柱が、低く言った。
「自滅を期待する」
その言葉に、誰も反論しなかった。
期待できないと、全員が知っているからだ。
不死。
消滅しない。
存在進化は止まらない。
「……詰みだな」
誰かが、そう呟いた。
上級神は、最後に宣言する。
「当該個体を、
**《災厄指定・魔王》**として正式登録する」
「以降、下級神への情報遮断を徹底」
「人類側には、“自然発生災害”としてのみ通達」
そして、当事者の下級神を見る。
「お前は――」
「は、はいっ!」
「どう責任を取るつもりだ、お前が厄災が起きぬ様にしてこい!」
下級神は、力なく頷いた。
議長神の声は、冷たい。
「上級神ですら、
あれには触れない」
⸻
会議が終わる。
天界は、何事もなかったかのように静かだった。
だが下界では。
魔王は、ただ存在している。
侵略も、宣言もない。
ただ、生き、喰らい、更新され続けている。
それが、
最も止められない災厄だと知らぬまま。
天界の裁定は、簡潔だった。
「下級神・怠惰神。
神格を剥奪する」
それだけ。
反論の余地も、弁明の時間もない。
「え、ちょ、待っ――」
最後まで言わせてもらえなかった。
光が、怠惰神の身体を包む。
いや、剥がしていく。
神性。
権限。
不死性。
今まで“当たり前”だったものが、
一つずつ、雑に引き抜かれていく。
「痛っ……いや、痛いのこれ!?
聞いてないんですけど!?」
誰も答えない。
「管理ミスによる重大案件。
再教育の必要あり」
淡々とした宣告。
「地上界へ転送。
人間相当の存在として」
「ちょ、せめてチュートリアル――」
その瞬間、足元が消えた。
⸻
落下。
雲を突き抜け、空気を裂き、
意識が追いつく前に、地面が迫る。
「ぎゃああああああ――!」
叩きつけられた。
……死んでない。
だが、痛い。
「……あー……」
土の上で、神――だったものは転がっていた。
身体は重く、
回復もしない。
「……マジで、人間だこれ」
空を見上げる。
神域は、もう見えない。
戻る手段も、ない。
「はぁ……最悪の左遷だな」
ゆっくり起き上がった、その時。
周囲の空気が、歪んだ。
圧。
深層ダンジョンでしか感じなかった、
“王の存在感”。
怠惰神だったものは、喉を鳴らす。
「……まさか」
背後。
足音は、静かだった。
振り返る。
そこに立っていたのは、
人の形に限りなく近い――怪物。
灰色の肌。
赤く澄んだ瞳。
王冠のように収束した魔力。
ゾンビキング。
いや。
――魔王。
「……あ」
言葉が、乾いた。
視線が、合う。
三年。
捕食と戦闘を繰り返し、
僕はもう“ゾンビキング”という枠ですら収まらない存在になっている。
それでも――
彼女の気配だけは、すぐに分かった。
懐かしい。
忘れようとしても、忘れられなかった気配。
僕は、ゆっくりと姿を現す。
肉体は、人の形に近づき。
声帯は、言葉を紡げるほどに再生していた。
「……久しぶり、だね」
その声に、彼女は跳ねるように顔を上げた。
「……え?」
目が合う。
次の瞬間、彼女の顔から血の気が引いた。
「そ、その声……まさか……」
僕は、苦笑に近い表情を浮かべる。
「覚えてる?
転生窓口で、仕事サボろうとしてた神様」
「――――――――――」
彼女は、へなへなと座り込んだ。
「う、嘘……
まだ……生きて……?」
「生きてる、って言い方は微妙だけどね」
僕は自分の手を見る。
何度砕かれても、何度殺されても、立ち上がる身体。
「でも、こうして“僕”として、ここにいる」
沈黙。
彼女は、恐怖と後悔と、どうしようもない現実に押し潰されそうな顔で、僕を見る。
「……ごめん」
小さな声。
「本当は……
君が、こんなことになるなんて……」
僕は首を横に振った。
「いいよ。
あの時は、あの時で……僕も、何も知らなかった」
一拍、間を置いてから。
「それに――」
僕は、彼女を見下ろしながら、静かに告げる。
「今の僕は、もう“救われる側”じゃない」
その言葉に、彼女は息を呑んだ。
魔王。
天界が干渉できない存在。
処分対象。
それを、彼女も理解している。
「……ねえ」
彼女は、恐る恐る尋ねる。
「君は……
僕を、どうするつもり……?」
僕は少し考えてから、答えた。
「さあ。まだ決めてない」
柔らかい声。
だけど、逃げ場のない圧。
「ただ――」
「せっかく地上に来たんだ。
少し、話そうよ」
「神様だった頃の話も。
他の話もさ」
そして、ほんの少しだけ微笑む。
「……僕、結構長生きだからさ」




