存在進化の謎
深層ダンジョンに、季節はない。
あるのは、強さの差だけだ。
魔獣を倒し、喰らう。
また次の魔獣を倒し、喰らう。
同じことの繰り返し。
だが、結果は少しずつ変わっていった。
⸻
最初の一年。
僕はまだ、上級ゾンビからゾンビ兵士になった。
力は強くなり武器も扱える様になったが、それでも動きは鈍く、判断は遅い。
不死と不眠を武器に、数で押す魔獣を削り切る。
倒した魔獣を捕食するたび、身体が安定していく。
壊れにくく、戻りやすく、迷いが減る。
やがて、同種のゾンビ――
とはいっても、ダンジョンにいるのは僕一体だけだが――
“群れを率いる個体”としての性質が芽生えた。
ゾンビ兵隊長へ存在進化した。
敵の動きを読む。
退くべき瞬間を知る。
無駄に壊されなくなった。
⸻
二年目。
深層の中層域を、完全に生活圏にした頃。
僕はもう、魔獣を「作業」として狩っていた。
罠を使う。
地形を削る。
三日かけて削ることもあれば、半日で終わらせることもある。
存在はさらに引き締まり、
身体はより人型に近づいた。
声は明瞭になり、
考えは途切れなく続く。
この段階で――
ゾンビ隊長へ存在進化した。
力で押す存在ではない。
長期戦と管理を前提にした、“指揮官型”の怪物。
⸻
三年目。
最下層が、視界に入った。
そこにいる存在は、これまでとは明らかに違う。
魔獣ですらない。
災厄。
領域そのもの。
だが、その前に。
深層を徘徊する上位存在を喰らい尽くした結果、
僕はさらに段階を越えていた。
ジェネラルゾンビに存在進化する。
身体は完全に制御下にある。
壊れても、瞬時に最適な形で再生する。
無駄な動きが、一切ない。
狩は「勝つか負けるか」ではなく、
「何日で終わらせるか」になっていた。
⸻
そして。
最下層。
エルダードラゴン。
巨大で、古く、
深層そのものを支配する存在。
正面から挑めば、今でも負ける。
一撃は致命。
力の差は歴然。
――それでも。
逃げない。
眠らない。
止まらない。
削る。
削る。
削る。
炎に焼かれ、
爪で引き裂かれ、
咆哮で叩き伏せられる。
それでも、立ち上がる。
七日目。
ドラゴンの翼が、動かなくなった。
十日目。
炎の出力が、目に見えて落ちる。
十四日目。
巨体が、崩れ落ちた。
僕は、その心臓部に牙を突き立てた。
――捕食。
今までで、最も長く、最も重い進化。
身体が軋み、
存在そのものが、書き換えられる。
深層が、静まり返る。
更なる存在進化を遂げる。
そこに立っていたのは‥
ゾンビキングだった。
⸻
だが。
立ち尽くしたまま、ふと僕は思った。
「……おかしい」
確かに、格は上がった。
存在は進化した。
だが――
「本来、俺は“強くなれない”はずだ」
思い出す。
あの怠惰な神。
永遠の命、飢えない体、痛みを感じない体。
力を得る条件は、含まれていなかった。
なのに。
なぜ、存在進化は止まらない?
なぜ、格だけが上がっていく?
ドラゴンの骸を前に、
初めて、はっきりとした疑問が生まれる。
これは、仕様か。
それとも――
「……バグ、か?」
答えは、まだない。
だが一つだけ確かなことがある。
この進化は、
想定外だ。
深層ダンジョンの王となったゾンビは、
初めて“自分の存在そのもの”に、疑問を抱いた。
⸻
雲の上。
神域の片隅。
怠惰神は、寝転がっていた。
書類は山積み。
転生ログは未処理。
「あとでやる」と書かれた付箋だけが増えている。
「……はぁ」
ため息ひとつ。
今日も休暇のはずだった。
「お前、まだ働いてないだろ」
声が降ってきた。
怠惰神は、片目だけ開ける。
「休暇中なんですけどー。長期の」
視界に映ったのは、
明らかに格の違う存在だった。
上級神。
神域でも、数えるほどしかいない管理者階級。
怠惰神は、反射的に姿勢を正す。
「……で、何の用です?」
「雑談だ」
その言葉に、嫌な予感しかしなかった。
⸻
「知ってるか。魔王因子の話」
怠惰神は、眉をひそめた。
「……聞いたことないですね。
魔王って、世界ごとにランダム発生する災害枠じゃ?」
上級神は、鼻で笑った。
「それは、下に流している説明だ」
空気が、僅かに冷える。
「本当はな、魔王因子は――
全ての生物が、微量に持っている」
「え?」
怠惰神は、素で声を漏らした。
「生まれた瞬間から、魂の奥に薄く付着している。
だが、弱すぎる。
成長する前に、死と同時に消える」
上級神は、淡々と続ける。
「だから問題にならない」
「……じゃあ、魔王って?」
「例外だ」
上級神の視線が、遠くを見る。
「他の存在から、魔王因子を取り込むことで、
活性化させ続けた個体だ」
怠惰神は、口を開いたまま固まった。
「取り込む……?」
「捕食。吸収。殺害。
手段は問わない。
とにかく、他者の因子を奪う」
「そんなの……いずれ倒されたりして、死ぬじゃないですか」
「そうだ」
上級神は、即答した。
「だから、魔王は稀だ。
普通生き物は、途中で消滅する」
そこで、言葉が一拍置かれる。
「――だが」
嫌な間。
「死なずに消滅しない存在がいたら、どうなる?」
怠惰神の喉が、鳴った。
「……取り込み続けられる?」
「そうだ」
上級神は、はっきりと言った。
「死なず、因子を保持し、
他の種を取り込み続ける存在がいれば」
静かな声。
「魔王因子は、指数関数的に活性化する」
怠惰神の背中に、冷たいものが走る。
「それが、魔王の正体だ」
⸻
「……その話、
俺みたいな下級神が聞いていいんです?」
冗談めかして言ったつもりだった。
上級神は、初めて真面目な顔をした。
「本来は、ダメだ」
短く、断言。
「この情報は、秘匿事項だ。
知っているのは、上級以上のみ」
「じゃあなんで――」
さらりと言われる。
「お前が、妙な転生を通したせいでな」
怠惰神は、言葉を失う。
「不死。
飢えない。
痛みを感じない」
一つ一つ、指を折る。
「消滅しない条件が、全部揃っている」
上級神は、怠惰神を見下ろした。
「なあ」
静かな問い。
「お前、
ちょっと前にゾンビ転生させたよな?」
怠惰神の脳裏に、
深層ダンジョンの映像がよぎる。
喰らい。
進化し。
王に至った、存在。
「……あー」
乾いた笑いが漏れた。
「もしかして、
やっちゃいました?」
上級神は。ただ一言だけ。
「このままだと、王に成るだろうな」
と言い背を向ける。
「魔王が“作られる”と知れば、
世界は壊れる」
上級神の姿が、光に溶ける。
⸻
神域に、静寂が戻った。
怠惰神は、その場に座り込む。
「……休暇どころじゃねぇ」
遠い世界の底で、
ゾンビキングが、何かを喰らっている気配がした。
これは偶然か。
それとも――
「バグ、だよな……?」
怠惰神は、震える手で、
未処理の転生ログを見下ろした。
最悪の可能性から、目を逸らしながら。
上級神の気配が、完全に消えた。
怠惰神は、その場でしばらく動けずにいた。
「……いやいやいや」
頭を抱える。
「魔王って、自然災害枠じゃなかったの?」
答えは、返ってこない。
神域の空は、相変わらず穏やかだった。
――その時。
空間が、わずかに歪んだ。
「……あ」
怠惰神が顔を上げた瞬間、
さっき消えたはずの上級神が、ひょいと戻ってきた。
まるで、思い出し物を取りに来たかのような軽さで。
「あ、そうだ。言い忘れてた」
「え」
嫌な予感しかしない。
上級神は、あくまで事務的に言った。
「魔王因子な」
怠惰神の背筋が、反射的に伸びる。
「存在進化を促進する性質を持っている」
「……はい?」
「環境、捕食、殺害、同化。
条件は問わないが、とにかく“存在を更新させる”」
淡々と続く声。
「でな」
一拍。
「どんな規制をかけても、存在進化そのものは止められない」
怠惰神の思考が、止まった。
「……え?」
「力を封じても無駄。
能力を制限しても無意味。
肉体を縛っても、魂が更新される」
さらっと、とんでもないことを言う。
「世界法則側の問題だからな。
神の権限じゃ、止められない」
「ちょ、ちょっと待ってください!?」
怠惰神は、完全に立ち上がっていた。
「じゃあ、もしそのゾンビが――」
「魔王因子を保持したまま存在し続けるなら?」
上級神が、先回りする。
「止まらない」
即答だった。
「成長も、進化も、
世界が壊れるまで続く」
怠惰神の顔から、血の気が引く。
「……え、あの」
声が震える。
「それ、もう“バグ”とかじゃなくないです?」
「残念ながら仕様だ」
冷酷な言葉。
「ただし、秘匿されている仕様だ」
上級神は、怠惰神をじっと見た。
「だから下級神は、知らない」
「……知っちゃいましたけど」
「まぁ、状況が状況だからな」
再び、軽く言う。
そして、付け足すように。
「ちなみに」
嫌な“ちなみに”が来た。
「進化のトリガーは、
本人の意思に関係なく発動する」
怠惰神は、言葉を失った。
止められない。
縛れない。
制御できない。
しかも、本人の意志すら関係ない。
「……あれ、これ詰んでません?」
上級神は、肩をすくめる。
「だから、魔王は“超災害”扱いなんだ」
そう言って、今度こそ背を向ける。
「今のうちに手を打たないと、
王に成ってしまったらもうこちらからは干渉できないからな、頼むよ」
光が揺れ、姿が消える。
⸻
神域に、再び静寂。
怠惰神は、その場に崩れ落ちた。
「……止められない」
小さく呟く。
どんな規制も無意味。
どんな介入も焼け石に水。
転生窓口の一件は、
もう引き返せない段階に入っていた。
遠くの世界で、
ゾンビキングが、また何かを喰らった。
その“更新”を、
世界そのものが歓迎している気配がする。
「……俺、
明日からの休暇、取り消しか……」
怠惰神は震える手で、
管理ログを開いた。
そこには、赤字で一行。
《想定外存在:進化継続中》
目を逸らしても、
消えてくれなかった。




