追い詰められた先、再生
逃げ込んだ先は、崩れた石柱が折り重なる袋小路だった。
深層ダンジョンの空気は冷たく、静かで、心臓の鼓動だけがやけに大きく聞こえる。
僕は壁に背を預け、目を閉じた。
――勝てなかった。
いや、正確には「勝ちに行かなかった」のかもしれない。
捕食すれば、あの場で一人は確実に殺せた。
そこから連鎖的に力を奪い、形勢を覆すことも不可能じゃなかった。
それは、理解している。
理解しているからこそ、胸が苦しい。
「……俺は、何をやってる」
言葉にした瞬間、自分の声があまりに人間的で、笑いそうになった。
皮肉だ。
ゾンビになって、ようやく人間らしくなった。
足音が、近づいてくる。
――早い。
やはりA級だ。追跡の精度が段違い。
隠蔽。
気配遮断。
ダンジョンの地形を利用した移動。
今まで積み重ねてきたすべてを使い、僕は動いた。
影から影へ、瓦礫の裏から天井へ。
人間だった頃なら想像もできない動きだ。
それでも――
「いたぞ!」
見つかる。
魔法の光が走り、空間制圧の結界が展開される。
逃げ場を潰す、完全に“対ゾンビ”を想定した戦術。
剣士が前に出る。
盾役が通路を塞ぎ、後衛が魔力を収束させる。
完璧だ。
僕は歯を食いしばり、正面から踏み込んだ。
火と雷を混ぜた魔力を放つ。
反射、回避、迎撃。
人間の動きなのに、迷いがない。
――強い。
単体としても強い。
連携すれば、なおさらだ。
拳が剣に弾かれ、衝撃が骨に響く。
痛みはない。
だが、削られているのが分かる。
回復する暇がない。
捕食する隙も、与えられない。
「……っ!」
結界が狭まる。
魔力が空気を圧迫し、逃走ルートを消していく。
ここで、捕食すれば――
一線を越えれば――
脳裏に、あの時の後悔がよぎる。
戻った記憶。
噛み砕いた命。
力と引き換えに、失ったもの。
――できない。
判断が、遅れた。
次の瞬間、魔法が直撃し、身体が壁に叩きつけられる。
骨が軋む感覚。
視界が揺れる。
「仕留め――」
その声が聞こえた瞬間、
僕は逃げるためだけに力を使った。
床を破壊し、下層へ落下。
追撃を振り切るための、ほとんど自滅に近い選択。
闇が、すべてを飲み込む。
――生きている。
深い深い下層で、僕は横たわっていた。
動ける。
致命傷ではない。
だが、はっきりと分かったことがある。
今の僕では、A級冒険者には勝てない。
力が足りないのではない。
覚悟が、決定的に足りない。
「……優しくなった、か」
自嘲気味に呟く。
それは弱さだ。
でも、捨てられない。
唯一のゾンビ。
人間に近づきすぎた、化け物。
僕はゆっくりと立ち上がり、闇の奥を見据えた。
――勝てないなら、別の道を探すしかない。
正面からじゃない。
殺さず、奪わず、それでも生き延びる方法を。
人間でも、魔物でもない存在として。
逃げることを選んだ僕は、
それでも前に進むしかなかった。
――
雲の上。
正確には、世界管理局・下層神域・仮設休憩フロア。
ハンモックに寝転がり、サングラスをかけた神が一柱いた。
怠惰神。
転生担当、兼・雑務処理係。
「はぁ〜……休暇最高……」
片手には南国風の飲み物。
もう片手には――本来、絶対に開きたくなかった通知板。
【未処理バグ報告:247件】
「……見なかったことにしよ」
通知板を裏返す。
が、裏返しても震えながら光っている。
⸻
「ゾンビが喋ります」
「人間並みの自我を持っています」
「捕食による存在進化が想定を超えています」
「唯一個体です」
「A級討伐失敗しました」
「逃走しました」
「世界観的にまずいです」
「うるせぇぇぇぇ!!」
怠惰神、ハンモックからずり落ちる。
「いやいやいやいや!
永遠の命・飢えない体・痛みを感じない体って言われたから!
一番楽なのゾンビだっただけじゃん!!」
誰に言うでもなく叫ぶ。
「人間ボディ用意するの、めんどくさかったんだよ!!
骨格調整!寿命制限!精神安定化!
全部手作業!!
ゾンビなら全部スキップ!!」
通知板がさらに増える。
【追加報告:存在進化により“倫理的自我”を獲得】
「……え?」
怠惰神、固まる。
「……倫理……?」
指で文字をなぞる。
「……あっ」
数秒の沈黙。
「……やっちゃった?」
⸻
渋々、サングラスを外す。
「くっ……休暇中なのに……
最低限の介入だけだからね!?
ガッツリ直すとか無理だから!!」
そう言って、管理端末を開く。
画面には、深層ダンジョンで倒れ、立ち上がったばかりの――
唯一のゾンビが映っていた。
⸻
「……あー……」
怠惰神、頬をかく。
「思ったより……ちゃんとしてるな……」
映像の中の主人公は、
力を求めず、捕食を拒み、逃げることを選んでいた。
「ゾンビのくせに、人間より人間してんじゃん……」
端末に新たな警告。
【警告:世界整合性低下】
【警告:観測者(神々)からの注目上昇】
「うわ最悪!!
他の神に見つかったら面倒なやつ!!」
怠惰神は深くため息をついた。
「……仕方ない」
指を一つ、軽く鳴らす。
⸻
《限定介入:夢への接触》
主人公の意識が、ふっと暗転する。
次の瞬間、白い空間。
だらしない格好の神が、あぐらをかいて浮かんでいた。
「よぉ」
軽いノリ。
あまりにも軽い。
「……誰だ?」
「転生担当。
あと、君の元凶」
悪びれもせず言う。
「安心して。
今日は世界修正じゃない。
バグ対応」
主人公を指差す。
「君さぁ……
ゾンビなのに自我戻すとか、喋るとか、後悔するとか……
仕様外なんだよね」
主人公は、黙って睨む。
「でもさ」
怠惰神は、少しだけ真面目な顔になる。
「それ、君が選んだ結果だ」
肩をすくめる。
「捕食すれば勝てた。
でもしなかった。
それは“バグ”じゃない」
一拍置いて。
「……想定外なだけ」
⸻
「じゃあ、どうなる」
主人公が問う。
怠惰神は、端末を操作しながら答える。
「簡単に言うと――
このままだと、君はそのうち世界から排除される」
「人間にもなれない。
魔物にもなれない。
神の管理対象としても面倒」
ため息。
「だから、最低限の救済だけ入れる」
指を鳴らす。
白い空間で、怠惰神は端末をいじりながら言った。
「正直さぁ……
存在ルート追加とか、認識改変とか、めんどくさい」
画面をスワイプしながら、ため息。
「だから、ほんとに最低限だけにする」
主人公を見る。
「君、さっきA級にボコられても生きてたよね」
「……ああ」
「じゃあ、それ強化しとく」
軽く指を鳴らす。
⸻
《暫定救済内容》
・身体がどれだけ壊れても、時間経過で必ず修復される
・頭部破壊、四肢欠損、内臓消失も対象
・痛覚は相変わらず無し
・強くなれない
⸻
「……それだけ?」
思わず聞き返す。
「それだけ」
即答。
「だってさ、君が困ってるのって
死にたくないってことでしょ?」
怠惰神は肩をすくめる。
「だったらさ、
何度でも壊れて、何度でも戻る身体があれば十分じゃんすぐ治るから怖くないよ」
主人公は言葉を失う。
「逃げてもいい」
「負けてもいい」
「倒されてもいい」
「でも――消えない」
怠惰神は、少しだけ真面目な声で言った。
「それ、君が最初に望んだ条件の延長線だから」
⸻
「……優しいとは、言えないな」
「知ってる」
即答。
「でもさ、優しくしたら
君、また選択間違えるでしょ」
一拍置いて。
「壊れて、治って、後悔して、また立ち上がる」
「そのループの方が、
君には合ってると思うよ」
そう言って、神はもう興味を失ったように手を振った。
「じゃ。
次に会うのは、世界が本当に壊れそうになった時ね」
⸻
意識が戻る。
深層ダンジョン。
崩れた岩の下敷きになっていた腕が、音もなく元に戻っていく。
骨が繋がり、肉が再生し、皮膚が塞がる。
痛みはない。
ただ、現実だけが残る。
「……死ねない、か」
呟いた声は、静かだった。
強くはならない。
勝てるようにもならない。
捕食しなければ、今後も人間には敵わない。
それでも――
壊れても、必ず戻る。
逃げられる。
考え直せる。
後悔したまま、生き続けられる。
それが、怠惰神なりの“修正”だった。
唯一のゾンビは、ゆっくりと立ち上がる。
何度負けてもいい。
何度壊れてもいい。
勝てないまま、生きる。
それが、この第二の人生の形なのだから。




