第八話 ――最初の失踪と、選ばされた手段
8話です。
失踪は、
想定よりも静かだった。
鐘は鳴らない。
悲鳴も上がらない。
ただ――
一人、消えた。
朝。
港の荷揚げ場で、
若い荷運びが戻ってこなかった。
名は、トム。
男爵家の倉庫に出入りしていた、
下請けの少年だ。
「……攫い、ですね」
報告を聞いたセバスチャンが言う。
「確定?」
「いいえ。
ですが――」
「“見せしめ”には、
ちょうどいい位置です」
レイは、
即座に地図を引き寄せた。
「港は?」
「今朝、
馬車が一台、
登録を偽って出ています」
「行き先」
「街道南。
ただし――
途中で痕跡が消えています」
(……分業型か)
「少年は?」
「生きている可能性は高い」
「理由は」
「“令嬢”ではないからです」
攫う側にとって、
彼は交渉材料ではない。
道具だ。
「目的は」
レイは、
はっきりと言った。
「こちらの反応を測るため」
◇
クララは、
朝の紅茶を口にしていた。
「……今日は、
港が騒がしいわね」
「人手が足りないそうです」
奥様が、
何気なく答える。
「事故?」
「ええ。
そういうことに、
なっています」
クララは、
一瞬だけ手を止めた。
「……“なっています”?」
奥様は、
視線を合わせる。
「レイが、
対応中よ」
それで、
察してしまうところが――
彼女の弱さであり、
強さでもある。
「誰か……
いなくなったの?」
「……子どもが、一人」
クララは、
紅茶を置いた。
「私の、
せい?」
奥様は、
はっきりと言う。
「いいえ」
「でも」
「“利用された”だけ」
それは、
事実だった。
◇
レイは、
裏の顔役――
すでに“彼の名義”になりつつある男と、
路地裏で会っていた。
「動きが早いな」
「予定より、
二日早い」
「向こうも、
焦ってるってことか」
「ええ」
レイは、
低い声で続ける。
「条件を一つ、
流してください」
「内容は」
「“男爵家は、
裏に踏み込まない”」
「……嘘だな」
「ええ」
男は、
にやりと笑った。
「いいぜ。
どうせ、
信じるやつはいねぇ」
「信じなくていい」
「“迷わせる”だけで、
十分です」
◇
昼過ぎ。
セバスチャンが、
戻ってくる。
「……見つかりました」
「生存?」
「はい。
ですが――」
「言ってください」
「“帰された”形です」
路地の奥。
少年トムは、
震えながら座っていた。
殴られてはいない。
だが――
話すことを、
強く恐れている。
「……聞けますか」
レイは、
しゃがみ込む。
「無理にとは言いません」
少年は、
しばらく黙っていた。
やがて、
ぽつり。
「……馬車の中で」
「はい」
「“お嬢様は、
大事にされてるな”
って、
言われた」
レイの指が、
わずかに動く。
「それだけ?」
「……あと」
少年は、
涙をこらえながら言う。
「“次は、
もっと大事な人を連れてく”
って」
沈黙。
それは、
宣戦布告だった。
◇
夜。
男爵家の会議室。
奥様、
セバスチャン、
そして――
レイ。
「脅しです」
レイは断言する。
「ただし、
本気です」
「……私を、
囮にする気?」
奥様の声は、
静かだった。
「いいえ」
レイは、
首を振る。
「“囮にされると、
向こうが信じる状況”を作る」
「違いは?」
「大きいです」
レイは、
机に地図を置く。
「次の標的は、
おそらく――」
指が止まる。
「クララお嬢様」
奥様は、
息を呑む。
「ですが、
攫わせません」
「どうやって」
「“攫ったと思わせる”」
一瞬、
誰も言葉を発せなかった。
「……つまり」
「偽装失踪です」
「危険すぎる」
「危険なのは、
現状維持です」
レイは、
まっすぐに言う。
「主導権を、
取り返します」
奥様は、
長い沈黙のあと――
「……クララには?」
「知らせません」
「……それが、
一番残酷ね」
「ですが、
最も安全です」
決断が、
下された。
◇
その夜。
クララは、
部屋で一人、
窓を見ていた。
なぜか、
胸がざわつく。
(……何か、
起きてる)
ノック。
「レイさん?」
「少し、
外を歩きませんか」
「今から?」
「はい」
理由は、
言わない。
クララは、
少し迷って――
頷いた。
この一歩が、
物語の分岐点になることを、
まだ誰も知らない。
誤字脱字はお許しください。




