第七話 ――攫いの予兆と、街の歪み
第七話です。
異変は、音もなく始まった。
最初に気づいたのは、
セバスチャンだった。
「街の人の動きが、変わっています」
朝の報告は、
いつもより短い。
だが、
言葉の重みが違った。
「どう変わった」
「視線です」
レイは、
書類から目を離さずに問う。
「正確には、
“避ける視線”が増えました」
(……なるほど)
恐れではない。
敵意でもない。
様子見だ。
「理由は」
「噂が、
別の形に変質しています」
セバスチャンは、
一枚の紙を差し出す。
そこには、
街で囁かれている言葉が、
箇条書きで記されていた。
・男爵家が、金を動かし始めた
・裏の貸し手が、入れ替わった
・令嬢が、急に守られるようになった
・“婿”が、危険らしい
「最後が、一番厄介ですね」
レイは言う。
「ええ。
“危険”という言葉は、
使い道が多すぎる」
「守る理由にも、
奪う理由にもなる」
レイは立ち上がり、
窓辺へ向かう。
街は、
いつもと変わらない。
だが、
空気が違う。
(……焦点が、
家から“人”へ移っている)
「奥様には?」
「まだ、
詳細は」
「伝えます。
段階的に」
「クララお嬢様は?」
「……知らせません」
「賢明です」
昼。
クララは、
裁縫の続きをしていた。
窓際で、
静かに針を動かす。
集中すると、
周囲が見えなくなる。
(……本当に、
攫われやすい)
護衛は二人。
表向きは、
過剰なくらいだ。
だが――
「レイさん」
クララが顔を上げる。
「どうしました」
「最近ね」
少しだけ、
声が低い。
「街の人が、
私を見る目、変じゃない?」
(……気づいたか)
「どのように」
「優しいんだけど……
遠い」
言葉を選んでいる。
「“触れちゃいけないもの”
みたいな」
レイは、
一瞬だけ考える。
「それは、
守られている証拠です」
「守られてると、
距離ができるんだね」
「ええ」
「……不思議」
彼女は、
針を置いた。
「レイさん」
「はい」
「私、
邪魔?」
問いは、
真っ直ぐだった。
「いいえ」
即答。
「あなたは、
この家の“表”です」
「表?」
「人が、
信じたくなる顔」
クララは、
少し考えてから笑った。
「それ、
褒めてる?」
「事実です」
夕方。
奥様の部屋。
レイは、
必要な情報だけを伝える。
「攫い、
という可能性?」
「“考慮すべき段階”です」
奥様は、
しばらく沈黙した。
「……あなたは、
どう動くつもり」
「二段構えです」
「聞かせて」
「一つ。
表向きは、
守りを強める」
「もう一つは?」
レイは、
低く言った。
「“攫いが失敗する街”を作ります」
奥様の眉が、
わずかに動く。
「具体的には」
「攫いは、
必ず“運び先”を必要とします」
「港、
宿、
裏の馬車」
「そこを、
全部塞ぐ」
「……全部?」
「ええ」
奥様は、
ゆっくりと息を吐いた。
「あなた、
街を一つ、
自分の手で縛る気ね」
「一時的に」
「……怖い子」
「現実的です」
夜。
レイは、
セバスチャンと並んで歩く。
屋敷の裏手。
「動かせますか」
「港は、
すでに」
「宿屋は」
「三割」
「足りない」
レイは、
即座に判断する。
「追加で、
金を流してください」
「条件は」
「“何も聞かない”」
セバスチャンは、
深く頷いた。
「……あなたは、
本当に先代に似ている」
「先代?」
「この家を、
一度、
街の中心にした人物です」
「その人は、
どうなりました」
セバスチャンは、
一瞬だけ目を伏せた。
「……守りきれなかった」
それだけ。
夜更け。
レイは、
自室で地図を広げる。
港。
街道。
裏路地。
赤い印を、
一つ、また一つ。
(……来る)
根拠は、
もう十分だ。
ドアの向こうから、
小さな足音。
「レイさん」
クララの声。
「入っても?」
「どうぞ」
彼女は、
部屋の中へは入らず、
扉のそばに立つ。
距離を保つ。
「なんか……
眠れなくて」
「不安ですか」
「……うん」
正直だ。
「でもね」
彼女は、
小さく言った。
「レイさんが、
“大丈夫”って顔してるから」
「顔に出ていますか」
「出てる」
レイは、
苦笑した。
「大丈夫です」
それは、
嘘ではない。
「……じゃあ、
おやすみなさい」
「おやすみなさい」
扉が閉まる。
静寂。
レイは、
地図を見下ろす。
(……攫われる前に、
仕掛ける)
それが、
最善だ。
だが――
相手も、
同じことを考えている。
この作品は習作です。




