第五話 ――令嬢と噂と、裏の反撃
第五話です。
噂が広がる速度は、
火よりも早い。
それを最初に察知したのは、
セバスチャンだった。
「街で、妙な話が出回っています」
朝食後、
レイにだけ聞こえる声で告げる。
「どんな?」
「男爵家が、
“得体の知れない婿候補”を迎えた、と」
(……まあ、そう来るよな)
「さらに」
老人は、
一拍置いて続けた。
「クララお嬢様に、
“外から来た男が近づいている”という噂です」
レイの動きが、
一瞬止まる。
「誰が流した」
「昨夜、退いた顔役の残党でしょう」
(早いな)
だが、
想定内でもある。
「内容は?」
「“孤児を拾って、
男爵家が血を混ぜようとしている”」
「……下品ですね」
「ええ。
意図的に」
レイは、
すぐに理解した。
これは、
家ではなく――
クララを狙った噂だ。
「対処します」
「どうなさいます」
「まず、
“事実”を上書きします」
レイは立ち上がった。
「お嬢様は、
今日も街へ?」
「裁縫の依頼で、
昼に」
「護衛を」
「すでに手配しています」
「増やしてください。
目立つ形で」
セバスチャンは、
一瞬だけ目を細めた。
「……なるほど」
(隠すより、
“守っている”と見せる)
昼。
クララは、
いつもより丁寧な服装で外出した。
控えめだが、
質の良さは隠せない。
その後ろに、
二人の護衛。
周囲の視線が集まる。
「あれ、男爵家の……」
「婿候補が来たって話、本当らしい」
「令嬢、
ずいぶん大事にされてるな」
噂は、
形を変えて流れる。
屋敷では、
奥様がその様子を聞いていた。
「……派手すぎない?」
「ちょうどいいです」
レイは答える。
「“弱そう”に見えるのが、
一番危険です」
「あなた、本当に容赦ないわね」
「家を守るなら、
遠慮は不要です」
奥様は、
静かに息を吐いた。
「……噂は?」
「いずれ、
別の形で消えます」
「どうやって?」
レイは、
机の上の紙を指した。
そこには、
街の金の流れが書かれている。
「噂を流す人間は、
必ず“得”を期待します」
「その得を、
先に潰す」
午後。
街の裏では、
小さな混乱が起きていた。
借金の取り立てが止まり、
金が回らない。
「おい、話が違う!」
「いつもの貸し手が、
姿を消した!」
「次は誰が金を出すんだ!」
混乱の中心で、
レイの名前は出ない。
だが、
“男爵家が動いた”
という空気だけが、
確実に広がっていた。
夕方。
クララが帰宅する。
少し疲れた顔だが、
どこか楽しそうだ。
「今日はね、
変なこと言われなかったよ」
「どんな?」
「“大事にされてるね”って」
彼女は、
嬉しそうでも、
照れているわけでもない。
ただ、
素直に事実を受け取っている。
(……強いな)
「良かったです」
「うん」
それだけで、
彼女は満足そうだった。
夜。
セバスチャンが報告に来る。
「噂を流していた連中、
資金源が断たれました」
「抵抗は?」
「ありません。
“次の貸し手”を探すのに必死です」
「では、
そこへ」
レイは、
淡々と言った。
「条件付きで金を流してください」
「条件とは」
「“男爵家に敵対しないこと”」
「それだけで?」
「十分です」
老人は、
深く頭を下げた。
「……あなたは、
本当にこの家を、
自分のものにしつつある」
「いえ」
レイは、
静かに首を振る。
「“自分のもの”にするなら、
壊す方が早い」
「私は、
使える形にしているだけです」
その夜。
レイは、
窓辺に立つ。
庭の向こうで、
街の灯りが瞬いている。
(……もう、
引き金は引いた)
あとは、
どこまで踏み込むか。
廊下の向こうから、
クララの足音が聞こえる。
「レイさん」
「どうしました」
「……ちょっとだけ」
彼女は、
部屋の前に立ったまま、
中へは入らない。
距離を守る。
「今日ね」
「はい」
「みんなが、
私のこと見てた」
「怖くなかったですか」
「ちょっとだけ」
それでも、
彼女は笑う。
「でも、
守られてるって、
わかったから」
レイは、
何も言わなかった。
言葉より、
行動の方が重い。
(……守る、か)
それは、
計画にはなかった感情だ。
だが――
無視するには、
大きくなりすぎていた。
この作品は習作です。




