第二十九話 ――数字が嫌うもの
29話です。
翌朝。
街は、
いつも通りに見えた。
◇
店は開き、
人は歩き、
声もある。
◇
だが、
空気が一段、薄い。
◇
「……値、変わってねぇか?」
魚屋の前で、
誰かが呟いた。
◇
「昨日より
銅貨一枚、高い」
◇
パン屋も、
薪屋も、
同じだ。
◇
わずかな値上げ。
◇
理由は、
どこにも書いていない。
◇
「運送が不安定でね」
「仕入れが
ちょっと滞って」
◇
言い訳は、
どの店も似ていた。
◇
昼前。
レイは、
帳面を持って
街を回る。
◇
数字を見る。
◇
――値上げ幅
――同時刻
――同一方向
◇
(……来たな)
◇
倉庫街の一角。
◇
七人のうち、
三人が集まっていた。
◇
「先生」
◇
若い女商人が、
不安そうに言う。
◇
「昨日、
卸から言われたの」
◇
「“あの仕組みに
関わってるなら、
取引を減らす”って」
◇
「理由は?」
◇
「……
“信用が揺らぐ”って」
◇
別の男が、
歯噛みする。
◇
「俺もだ」
◇
「直接は言わねぇが、
顔が違った」
◇
「今まで
貸してくれてたのに」
◇
沈黙。
◇
レイは、
ゆっくり言う。
◇
「狙いは、
恐怖の分配だ」
◇
「誰か一人を
潰すより――」
◇
「全員を、
少しずつ不安にする」
◇
「そうすれば、
自分から
崩れる」
◇
女商人が、
唇を噛む。
◇
「……
私が抜ければ、
楽になる?」
◇
その言葉で、
空気が張りつめる。
◇
誰も責めない。
◇
責められない。
◇
それが、
一番苦しい。
◇
レイは、
即答しなかった。
◇
「……抜けるなら、
責めない」
◇
「ただし」
◇
「抜けた理由を、
嘘にしないでくれ」
◇
女は、
顔を上げる。
◇
「怖いなら、
怖いと言え」
◇
「生活が苦しいなら、
そう言え」
◇
「“制度が悪い”
には、しない」
◇
しばらくして、
女は首を振った。
◇
「……抜けない」
◇
「ムカつくから」
◇
苦笑が、
わずかに漏れる。
◇
午後。
◇
街の中央広場。
◇
教会前。
◇
布告が貼られた。
◇
――非公式金融に関する注意
――保証なき貸借は
魂と秩序を乱す
◇
人々が、
立ち止まる。
◇
囁き声。
◇
「あれって……」
「先生のやつじゃ……」
◇
視線が、
じわじわと
集まる。
◇
だが、
直接は言われない。
◇
誰も。
◇
夜。
◇
例の二人組の
片割れが現れる。
◇
一人だ。
◇
「先生」
◇
「思ったより、
粘るな」
◇
「七人中、
五人が残った」
◇
「上出来だ」
◇
レイは、
帳面を閉じたまま
言う。
◇
「用件は?」
◇
男は、
肩をすくめる。
◇
「忠告だ」
◇
「このままだと――」
◇
「孤立する」
◇
「卸も、
教会も、
街の顔役も」
◇
「全部が、
君を“面倒な異物”として
扱う」
◇
「そうなったら?」
◇
「選択肢は二つ」
◇
「やめるか」
◇
「潰されるか」
◇
レイは、
静かに答える。
◇
「三つ目は?」
◇
男は、
眉を上げる。
◇
「あると思うか?」
◇
「広げる」
◇
男は、
一瞬黙った。
◇
「……無理だ」
◇
「数字は、
連帯を嫌う」
◇
「計算できないからな」
◇
「だからだ」
◇
レイは言う。
◇
「数字の外に、
意味を置く」
◇
「意味?」
◇
「“借りられた”
じゃない」
◇
「“助かった”
という感覚だ」
◇
男は、
短く笑う。
◇
「感情か」
◇
「安いな」
◇
「安い」
◇
「だが、
切れない」
◇
沈黙。
◇
男は、
去り際に
ぽつりと言った。
◇
「……司祭が、
本腰だ」
◇
「次は、
数字じゃない」
◇
「言葉で来る」
◇
闇に消える背中を、
レイは見送った。
◇
倉庫では、
五人が
銅貨を積んでいた。
◇
減った。
◇
だが――
残った。
◇
それは、
数字には出ない。
◇
だが、
街を揺らすには
十分な重さだった。
誤字脱字はお許しください。




