第二十七話 ――名のない貸し手
27話です。
翌朝。
裏通りの空気は、
昨日よりもさらに軽かった。
◇
喧騒がない。
怒号がない。
悲鳴がない。
◇
その代わり――
人の動きが、減っている。
◇
「……人、いねぇな」
露店の女が、
籠を片付けながら言った。
「前は朝になると、
借金取りに追われた連中が
逃げ込んできたのに」
◇
「今は?」
◇
「誰も来ない」
◇
それは、
安心の兆しに
聞こえるはずだった。
◇
だが、
レイは違和感を覚える。
◇
逃げ場が消える時、
人は
逃げなくなるのではない。
◇
――動けなくなる。
◇
昼。
倉庫街の端で、
小さな人だかりができていた。
◇
人々は声を出さない。
怒鳴りもしない。
◇
ただ、
一枚の紙を
順番に見ている。
◇
レイが近づくと、
紙の内容が目に入った。
◇
――短期融資
――利率:低
――返済期限:明確
――条件:身元保証人一名
◇
「……保証人?」
◇
商人の一人が、
小声で答える。
「そうだ」
「街で信用のある人間が
一人、
名前を書けばいい」
◇
「それだけで?」
◇
「ああ」
◇
レイは、
その紙をじっと見る。
◇
文面は整っている。
曖昧さがない。
脅しもない。
◇
それが――
最も怖い。
◇
「誰が貸している?」
レイが問う。
◇
商人は、
首を横に振った。
「知らない」
「名乗らない」
「でも、
金は確かに出る」
◇
「返せなかったら?」
◇
一瞬の沈黙。
◇
「……次から、
借りられなくなる」
◇
「それだけ?」
◇
「今のところは」
◇
“今のところ”。
◇
それは、
未来に余白がある
という意味だ。
◇
レイは、
紙の端にある
小さな印を見る。
◇
見覚えのない紋。
だが、
意図的に覚えにくい形。
◇
(名を残さないための印……)
◇
夜。
セバスチャンの
古い帳面を開く。
◇
裏の取引。
影の貸し手。
名を持たない組織。
◇
かつて、
彼が警戒していた
存在の記述があった。
◇
「……静かな金融」
◇
声に出して、
その言葉を読む。
◇
「暴力を使わない」
「恐怖を見せない」
「だが――
逃げ道を消す」
◇
セバスチャンの
走り書きが続く。
◇
――暴力は
反抗心を生む
――恐怖は
団結を生む
――だが
“選択肢を減らす”と
人は声を出さなくなる
◇
レイは、
帳面を閉じた。
◇
(これは……
バルカンより、
厄介だ)
◇
翌日。
一人の若者が、
裏通りで座り込んでいた。
◇
顔色が悪い。
◇
「どうした」
レイが声をかける。
◇
「……借りられなかった」
◇
「理由は?」
◇
「保証人が、
見つからなかった」
◇
「街の連中は?」
◇
若者は、
目を伏せる。
「……名前、
貸したくないって」
◇
それは、
裏切りではない。
◇
合理的な判断だ。
◇
名前を書くということは、
責任を引き受ける
ということ。
◇
「じゃあ、
どうする」
◇
若者は、
笑った。
◇
笑いと言うには、
あまりにも乾いた。
◇
「……働くしかねぇ」
「借りられねぇなら、
減らすしかねぇ」
◇
「何を?」
◇
「飯」
「薬」
「時間」
◇
レイは、
何も言えなかった。
◇
それは、
正しい選択だ。
◇
正しく――
人をすり減らす選択。
◇
夜。
例の二人組が、
また現れる。
◇
今度は、
堂々と。
◇
「先生」
◇
昨日より、
距離が近い。
◇
「どうだい」
「街は、
静かになっただろ」
◇
「……ああ」
◇
「誰も殴られない」
「誰も怒鳴らない」
「紙と数字だけだ」
◇
男は、
胸を張る。
◇
「これが、
大人のやり方だ」
◇
レイは、
ゆっくり息を吐く。
◇
「確かに、
賢いやり方だ」
◇
「だが――」
◇
男の目を見る。
◇
「人が、
消えていくやり方でもある」
◇
一瞬、
空気が張りつめる。
◇
男は、
口元だけで笑った。
◇
「消える?」
「違うな」
◇
「選ばれてないだけだ」
◇
その言葉は、
正論だった。
◇
だからこそ、
残酷だった。
◇
「先生」
男は、
一歩下がる。
◇
「俺たちは、
まだ始めてない」
◇
「本当に始まったら――」
◇
「この街は、
もっと
“綺麗”になる」
◇
闇に消える背中を、
レイは見送る。
◇
胸の奥で、
確信が固まった。
◇
――これは、
戦いになる。
◇
暴力でも、
裁判でもない。
◇
「信用」と
「選択肢」の戦いだ。
◇
レイは、
机に向かい、
新しい紙を広げた。
◇
「……なら」
◇
「選ばれなかった人間が、
戻ってこれる場所を
作るしかない」
◇
静かな金融に、
静かな反撃を。
◇
次の一手は、
“制度”だった。
誤字脱字はお許しください。




