第二十五話 ――名を持つ者
25話です。
バルカンは、
一歩だけ中に入った。
それだけで、
空気が沈む。
◇
「……俺の名前があるな」
低い声。
怒鳴らない。
怒鳴る必要がない男の声だ。
◇
誰も答えない。
レイだけが、
正面を見る。
「あります」
「消すか?」
「消しません」
即答だった。
◇
バルカンは、
小さく笑った。
「若ぇな」
◇
「名前を書いたら、
世界が変わると思ったか?」
「思っていません」
「じゃあ、
なんで書いた」
◇
レイは、
静かに言った。
「あなたが、
名前を持っていなかったからです」
◇
ざわ、と
空気が揺れる。
◇
「俺はな」
バルカンは、
肩をすくめた。
「ここで
名前を使わずに
生きてきた」
「それが、
強さだ」
◇
レイは、
首を振った。
「いいえ」
「それは――
逃げです」
◇
バルカンの目が、
細くなる。
「……ほう」
◇
「名前を出せば、
責任が生まれる」
「あなたは、
それを
避け続けてきた」
◇
「だから――」
レイは、
紙を指差す。
「今日、
ここに
あなたの名前があります」
◇
沈黙。
◇
「で?」
バルカンは、
周囲を見渡す。
「誰が、
俺を裁く?」
「お前か?」
◇
レイは、
はっきり答えた。
「街です」
◇
笑い声。
乾いた笑い。
「街?」
「こいつらが?」
◇
バルカンは、
一人を指差す。
「借金抱えてる」
次。
「殴られたことがある」
次。
「黙ってるほうが
楽だって
知ってる」
◇
「こいつらに、
何ができる」
◇
レイは、
一歩前に出た。
「できます」
◇
「もう、
見ています」
◇
その言葉が、
刺さる。
◇
「あなたは、
今日ここに来た」
「それ自体が、
変化です」
◇
「今までなら、
来なかった」
「来る必要が
なかった」
◇
「でも今は――」
◇
レイは、
周囲を指す。
「見られています」
◇
バルカンは、
一瞬だけ
視線を動かした。
女。
商人。
親。
子ども。
全員が、
逃げずに
見ている。
◇
「……チッ」
舌打ち。
◇
「で、
どうする気だ」
「俺を
捕まえるか?」
「殺すか?」
◇
レイは、
静かに答えた。
「どちらもしません」
◇
「あなたに――」
「仕事を続けてもらいます」
◇
ざわめき。
◇
「金貸しは、
街に必要です」
「ただし――」
◇
「条件付きで」
◇
バルカンが、
笑った。
「条件?」
「俺に
条件を
出すか?」
◇
「出します」
◇
レイは、
紙を一枚出した。
「利率」
「回収方法」
「期限」
「すべて、
書面で」
◇
「裏帳簿は
廃止」
「脅迫は禁止」
「違反した場合――」
◇
一拍。
「今日の裁定を、
もう一度
街で読み上げます」
◇
静まり返る。
◇
「名前付きで」
◇
バルカンの笑みが、
消えた。
◇
「……お前」
「本気で
俺を
縛る気か」
◇
「ええ」
「あなたを
縛るのは――」
◇
「法でも、
刃でもありません」
◇
「視線です」
◇
沈黙。
長い。
◇
やがて、
バルカンは
息を吐いた。
「……面倒くせぇ男だ」
◇
「だが――」
「嫌いじゃねぇ」
◇
その言葉に、
誰も笑わない。
◇
「いいだろう」
バルカンは、
紙を取った。
「やってやる」
◇
「……ただし」
目を細める。
「俺が
大人しくしてる間に」
「誰かが
裏でやらかしたら」
◇
レイは、
即答した。
「同じ裁定です」
◇
「名前付きで」
◇
バルカンは、
短く笑った。
「……覚えとく」
◇
男は、
踵を返す。
扉の前で、
一度だけ振り返った。
「なぁ、先生」
◇
「この街、
嫌いか?」
◇
レイは、
少し考えてから答えた。
「……いいえ」
◇
「壊れ方が、
正直です」
◇
バルカンは、
何も言わずに出て行った。
◇
扉が閉まる。
◇
その瞬間。
誰かが、
小さく拍手した。
一人。
また一人。
◇
レイは、
手を上げた。
「拍手は、
いりません」
◇
「これから――」
「もっと、
厄介になります」
◇
誰も、
否定しなかった。
誤字脱字はお許しください。




