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『俺様、御家乗っ取り記』(仮)  作者: くろめがね


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18/27

第十八話 ――救われなかった一日

18話です。

その日は、

何事もなく始まった。


鐘が鳴り、

市場が開き、

人はいつも通り歩いた。


ただ一つだけ、

足りないものがあった。



「……あれ?」


パン屋の主人が、

眉をひそめる。


「釣り銭が合わねぇ」


昨日まで、

毎朝ぴたりと揃っていた帳簿。


今日は、

銅貨が二枚足りない。


「まさか……」


誰かを疑うには、

金額が小さすぎる。


だが、

違和感は確かに残った。



裏通り。


荷運びの男が、

荷を落とした。


「ちくしょう……」


誰も手を貸さない。


以前なら、

レイが雇った調整役が

必ず一人は声をかけていた。


今日は、

いない。



昼。


市場の端で、

口論が起きた。


「値段が違う!」


「昨日から変わったんだよ!」


「聞いてねぇぞ!」


情報の伝達が、

一拍遅れている。


それだけで、

怒鳴り声が増える。



教会。


司祭は、

穏やかな声で説教する。


「神は、

 静かな者を祝福されます」


だが、

礼拝堂の後ろで

小さなざわめきが起きていた。


「……昨日より、

 スープ薄くない?」


誰も司祭に言わない。


ただ、

顔を見合わせる。



夕方。


「ミナ、

 帰り遅いぞ」


父親が、

不機嫌そうに言う。


「……市場で、

 揉め事があって」


ミナは、

言葉を選びながら答えた。


以前なら、

「先生に会ってた」と

言えた。


今日は、

言えない。



隠れ家。


クララが、

不安げに聞く。


「……本当に、

 何もしなくていいの?」


「ええ」


レイは、

冷静だった。


「“何もしない”のは、

 怠慢ではありません」


「でも……」


「今までが、

 異常だっただけです」


クララは、

その言葉の意味を

噛みしめる。



夜。


酒場で、

小さな喧嘩が起きた。


「お前、

 順番抜かしただろ」


「してねぇよ!」


拳が、

一瞬だけ握られる。


――殴られなかった。


だが、

その一歩手前が増えている。



翌朝。


市場の掲示板。


新しい紙が貼られた。


最近、

市場内での混乱が増えています。

各自、

自己責任で行動してください。


自己責任。


それは、

誰も責任を取らない

という意味だ。



パン屋の主人が、

ぼそっと言った。


「……前は、

 こんなことなかったよな」


隣の商人が、

同意する。


「ああ。

 誰かが、

 うまく回してた」


「誰だっけ」


「……さあな」


名前は、

まだ出ない。



昼過ぎ。


子どもが、

泣いていた。


転んで、

膝を擦りむいた。


誰も、

すぐには来ない。


少しして、

母親が駆け寄る。


「なんで、

 誰も――」


言いかけて、

止まる。


答えを、

知ってしまったからだ。



夕方。


男爵邸。


男爵が、

重く息を吐く。


「……苦情が、

 三件来た」


奥様が、

驚く。


「こんなに早く?」


「早くはない」


男爵は、

静かに首を振った。


「遅れていたものが、

 表に出ただけだ」



その夜。


レイは、

帳簿に新しい線を引いた。


「今日一日で、

 小さな摩擦が

 十七件」


「多いの?」


「昨日は、

 “ゼロ”でした」


クララは、

言葉を失う。



「街は、

 壊れていません」


レイは、

淡々と言った。


「でも、

 滑らかさを失いました」


「……それが?」


「人は、

 不便には耐えられます」


「でも――」


レイは、

顔を上げる。


「不安には、

 耐えられない」



外で、

遠くの鐘が鳴る。


いつもより、

少し遅れて。


それに気づいた者が、

数人いた。


そして、

誰かが言った。


「……前は、

 こんなことなかったよな」


その言葉は、

静かに、

確実に広がっていく。


誤字脱字はお許しください。

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