成田星夜
遂に歓喜の瞬間が訪れた。
音楽で生きて行くと決めたあの日から、
ミロクと交わした約束。
幼いころから見慣れた風景は、
一面に広がる澄んだブルーの空と、
春なのに少し強めの日差しで、
大歓声を挙げてこちらを見つめる観客達が、
まるで壮大な海の様に見える。
ステージに立っているセイヤとミロクは、
こみ上げてくる感情を抑えるように、ゆっくりと深く深呼吸をした。
ライブメンバー達の各々のルーティーンも整った。いつもとは違い、今日はミロクが観客に語りかけた。
『皆さんこんにちは。ALMUCHです!』
観客達は、皆両手を挙げて反応してくれる。
セイヤとミロクには、『阿吽の呼吸』がある。この日はセイヤの様子がいつもと違う事を察知し、ミロクはステージと観客達の距離を縮めるべく饒舌に話し始めた。
「今日はセイちゃんが既に感極まってまーす!」
場内からは大勢の笑い声が聞こえる。ミロクが続ける。
「俺達が生まれ育って、多くの思い出と沢山のありがとうが詰まったこの場所で、LIVEをするのが夢でした。」
観衆が拍手で答える。
「今日は、少年少女達も、白髪が良く似合う俺達の大先輩達も、一緒に最高に楽しい時間にしよう!」
地鳴りの様に響いた大観衆のスタンディング
オベーションと重なる様に、オープニング曲のギターのイントロが響き渡った。セイヤとミロク。共に45歳となるこの日、人生最高の興奮が彼らを待っていた。
同じ年に生まれた人間など、世の中に腐るほど存在するが、同じ年に生まれ、同じ日に生まれ、同じ保育園に通い、同じ小学校に通い、同じ中学校に通いながら同じ習い事でサッカーに明け暮れ、同じ高校に通い、卒業後は同じところでバイトする。
ここまで青春時代を共にする人間が、誰にでも存在する訳ではないはずだ。
『ツインレイ』という言葉がある。この世に存在する、たった一人の魂の片割れの相手の事を指すらしい。
因みに、血液型も一緒。同じ誕生日なので、
もちろんどの占いも同じになる。だが、二人は全く違う性格をしている。
—星の夜と書いてセイヤ。
—美しい緑と書いてミロク。
ずっと一緒だった2人は、20代半ば辺りから別々の人生を歩んでいく。
引っ越し業者やアパレル販売等、様々な職場を転々とする星夜は、28歳の時に初めてスーツを着る仕事を始めた。全くの無知で未経験である不動産・建築業界に足を踏み入れ、営業として会社員生活がスタートする。
出社初日、静まり返った社内でまず何をすべきかわからなかった星夜は、営業サポートを務める【高木さん】のところへ向かった。誰にどう挨拶すべきか最初の段取りを確認する為である。
高木さんは、身長も高くスラっとしたスタイルでスーツが良く似合う。穏やかに丁寧に話してくれるが、学歴もあり仕事もできるスマートな人だ。話しかければ親身に相談に乗ってくれる人柄で、困った時はこの人を頼ろうと感じる安心感がある。
そうして少々雑談をしている最中、
「おい!どこに向かっているんだ!こちらに来なさい!」
と社内の柱が揺れる程の怒号が聞こえた。
「え…?」
星夜はその矛先が自分に向けられているとは思わなかったのだ。距離にしておよそ4メートル。嫌な予感を抱えながら、星夜は【久藤支店長】の前に立った。
「入社初日は、一番最初に私のところに挨拶に来るのが筋でしょう!しっかり頼むぞ!」
耳がキーンとなり、脳に突き刺さってくるような強い声だった。
あなたが他の社員と打ち合わせているようだったから高木さんに相談に行ったのに…。
星夜は、心の中でそうツッコミを入れながらも、
「大変失礼致しました。以後気をつけます。」
と頭を下げた。
支店内の全員がこちらを見ている。これが入社初日、出社間もない朝の出来事だった。
朝礼では、各チームの課長が今月のノルマや本日の行動予定等を発表していた。その後に、星夜の簡単な自己紹介を終え、支店長の訓示を聞き朝礼が終わった。
中途採用の新入社員は、通常一週間の社内研修を終えた後に、先輩社員達と外回りの営業活動で営業方法を学び、1ヶ月後ぐらいを目途に、一人で営業に出る流れを高木さんに教わった。
支店内での研修は一日がとても長く感じた。
星夜は、元々勉強が苦手。同じ場所でずっと過ごす事も苦痛だった。
入社したこの会社では、主に土地を所有している地主さんのところへ訪問し、賃貸アパートを建ててもらう事が最も重要な営業の業務だ。
実際にお客様がご契約してくれた建物は、建築さんが施工し、完工した物件には仲介部が入居斡旋を行う。入居者様からのご相談やトラブル対応は管理部が行う。
多くの人の協力の元に物件が完成し、その建物は何十年とその街に残る。
何千万、何億という金額を銀行から借り入れ、賃貸オーナーとなるお客様は、一世一代の決断をする訳である。
税金対策、資産運営、資産継承。難しい言葉が並び、覚える必要のある事がとてつもなく多そうだ。しかしそれ以上に、勉強嫌いで頭の良くない星夜にも、この仕事がいかに簡単ではない事ぐらいは察しがついた。
「お客様に借金をしてもらわなければいけないんだな。」
まだ営業に出ていない星夜は、何となくの想像はできたが、実際に営業活動が始まってからは、その想像を大きく超える事になる。