その3
3
紅魔館の中庭は臨時の宴会場となった。
私は霊夢とともにレミィと白いクロスの掛けられたテーブルを囲んでいた。魔理沙、アリス、パチュリーは別のテーブルに着席して話をしている。そのほかにも来客が増えてきていて、周囲を行き交う給仕の妖精メイドたちの動きが忙しげだ。新たにテーブルを出してきたり、追加の料理を出してきたりしている。
『内輪の宴会にしてはずいぶんにぎやかな感じになってきたな』
「いつものことよ」
レミィは鮮やかな紅い液体の入ったグラスを軽く揺らしながらゆったりと言う。
「そこらへんの妖怪が適当に混じって来てるからね。美鈴には知った顔なら通してやるように伝えてあるし」
「考えてみれば、レミリアは社交的なほうよね。来るものは拒まずって感じで」
霊夢がそう言うと、吸血鬼の少女は赤い唇の隙間から鋭い犬歯をわずかに覗かせて笑みを浮かべる。
「集まりは賑やかなほうがいいもの。でもそれはあなたのところだって似たようなものでしょ。しょっちゅう宴会とかがあるじゃないの」
「しょっちゅうというわけでもないわ。でもそういえば、ここんところその手の客はあまり来ないわね」
「そうなの? だとしたら、ちょっとは遠慮してるのかもね」
「遠慮?」
「同居人がいるとなると、そういうものよ。気づかなかったかもしれないけど、かくいうわたしだって多少は遠慮してるわよ?」
「それは全然気づかなかったわ」
霊夢は肩をすくめる。
「相手に気づかれないように慮るのが遠慮というものよ」
とレミィ。
『しかし私から言うのもなんだが、あまりそういうことは気にしないで欲しいな。私はどちらかといえば置物みたいなものだし、同居人というほどの存在じゃない』
すると霊夢が私をじろりと見る。
「それじゃまるでわたしがふだんからあんたを置物扱いしてるみたいじゃないの」
『いやいや、そういう意味じゃなくてさ』
するとレミィが手を軽く上げて言う。
「チビが言いたいことは分かるわよ。たとえ魂を持ってはいても人形という外見は存在感という意味では確かに微妙なモノではあるわ。でもねチビ、だからこそあなたは霊夢のそばにいられるとも言えるのよ」
「それって、どういうこと?」
私よりも先に問いを発した霊夢に、レミィが顔を向けて答える。
「もしチビがあなたそっくりの人形じゃなくて、単なるヒトや妖怪でしかないということであれば、同居なんか認めないって言い出す連中がわんさと現れたでしょうよ。もしかするとわたしもその一人になっていたかもしれないわ」
「はあ? なんだか意味が良くわかんない」
霊夢は不思議そうな顔で首を傾げる。
『…………』
五百年生きているという彼女の言葉は時折深読みをしてみたくなるような響きをもつこともあれば、ただまっすぐに自分の言いたいことを言ってのけているのだと感じるときもある。たぶんこれは後者だろうか? だとすれば、実はレミィは私という存在に対して案外複雑な思いを持っているのかもしれない。
『レミィにとって霊夢は大切な人だということだよ』
私がそう言うと、吸血鬼の少女はにやりとした。
「あら、心の襞に大事にしまっていたわたしの想いを代弁してくれてありがとう、チビ」
「よく言うわよ……まあ、今回の件については感謝しているけどね」
と霊夢。
「そう言ってもらえるだけで十分よ。ただ、いずれにしてもチビの得た力がこの先どんな道を拓くかは分からないし……場合によっては、霊夢にとって面白くないことが起きるかもしれないわ。それは覚悟しておくことね」
「面白くなかったら『面白くない』ってチビに言うだけのことだわ。そこから先は本人が考えるでしょ」
「そういうことね」
くすくすとレミィは笑う。
**********
「お嬢様はずいぶんと上機嫌みたいだな」
レミリアたちのテーブルを横目でながめつつ魔理沙がグラスを傾けワインを干すと、アリスは軽く息を吐いた。
「そりゃまあ、チビさんとの約束を無事果たせたわけだしね」
「なんだ、アリス? お前はあんまり嬉しくなさそうだな」
「そんなことはないわよ、成功して良かったと思ってるわ。これでもいろいろ段取りとかがあって苦労したんですからね。ただ、思ったより効果が強力みたいだから心配なだけ」
「でもいくら強力だとしても限度があるだろう。使いこなせないほどのもんじゃないだろうさ」
すると白い陶製のカップから紅茶をすすっていたパチュリーがぽつりと言う。
「限度があるかどうかはわたしにも分からない。魔力の蓄積容量は、魂の強さに比例する。でもそれを外から測ることはできないから」
「おいおい、怖いこと言うなよ」
「魔法は機械の技術とは違う」
「そりゃそうなんだろうがさ」
魔理沙は空になったグラスをテーブルの上に置いた。
「メイドさん、おかわりをお願いするぜ」
「は、はい……」
テーブルの傍らに控えていたメイド妖精がワインの瓶を手にしてあわてて歩み寄ってくる。
「すこし飲みすぎなんじゃない? 足腰立たなくなっても知らないわよ」
アリスの言葉に、魔理沙は手をひらひらと左右に振る。
「わたしのアルコール代謝能力をそこらの連中と一緒にしてもらっちゃ困るぜ。霊夢のところで鍛えられてるんだからな。そんなことより、パチュリーさんにひとつ訊きたいんだが」
「……何?」
綺麗に切りそろえられた前髪の下の瞳は、ワインが注がれている魔理沙のグラスへと向けられている。
「チビが今回の件をレミリアに持ち込んでからせいぜい五日ぐらいだろ。こんな短期間で術式を組み立てたってのは正直驚きだったぜ。たとえアリスの協力があったとしてもな。この手の魔法はどっちかというと専門外なんだろうに」
「経験の多寡はあまり関係ない」
パチュリーは静かに言う。
「問題を解くための筋道がはっきりとしていれば、答えはおのずと出るもの」
「なるほど。ただ、それにしてもやや尋常ならざるものを感じたのさ、わたしのこのへんが」
魔理沙は空いているほうの左手で自分の胸のあたりを指し示す。
「動かない大図書館という二つ名にはちとそぐわない……まあ言ってみれば情熱、みたいなものをな」
「…………」
パチュリーは表情を動かさない。
アリスは少し当惑したような顔つきで二人の様子を見比べたが、口ははさまなかった。
「つまりさ、単にお嬢様の依頼だからというだけじゃなく、お前さん自身にもそれなりの思い入れっていうか……もっと言えば、チビそのものへの興味があるんじゃないかと思ったわけなんだが。どうだ?
そのへん」
「……ちょっと待って」
パチュリーは控えていたメイド妖精を呼び寄せ、小声で何事か命じた。メイド妖精はうなずいてテーブルから離れた。
それから魔理沙に顔を戻し、言葉を継いだ。
「人形そのものには以前から興味があった。ただ、それは魔法の道具としてではなくて、呪物の一種としてだけれど」
「そりゃ、どう意味合いが違うんだ?」
魔理沙は首をかしげつつ、グラスに口をつける。
「言い方を換えると、人形に係わりあう精神の問題ということになるかもしれない。人形というものに対してどういう想いを抱くかという」
「ふうん……じゃあ、パチュリー自身は人形に何を感じるんだ?」
「その前に、専門家の意見を聞きたい。あなたはどう、アリス」
「えっ? わたし?」
アリスはびっくりしたように眼を見開き、すこしうろたえ気味に応える。
「わたしは……その、そうね。人形は道具でもあるけど自分の作品でもあるし……意味合いはいろいろ変わるけど。ふだんの生活では使用人みたいなものかしら。でもなんかそれもしっくりこないかな」
「つまり、アリスの場合は人形に囲まれているのが普通だからあまり『人形って何なのか』なんていうこだわりはない。でも、ふだんそんなに人形に接しているわけじゃないヤツ……つまりお前さんやわたしから見ると、違うというわけか?」
魔理沙の問いかけに、パチュリーは小さくうなずいた。
「ただ、あの人形……チビ霊夢の場合はヒトの魂が入っているから、呪物としての不気味な面を忘れさせる。でも、意識と無意識の隙間に働きかけてくるような、ある種の力は失せていない」
「つまり人形ならではの、そういう奇妙な魅力があるというわけか」
「そう。だからこそ、場合によっては人の心を捉えて、取り込んでしまうことさえある」
「だが、もうひとつ別の見方もあるぜ。人形は、自分の子供の姿だということさ。あくまで象徴的な意味でだがな」
「……?」
パチュリーは首をかしげる。
「母親と自分の関係を、自分と人形の関係に置き換えて観るのさ。そして母親になったつもりで人形を観る……それは自分の子供の姿を視ているのと同じだ」
「ふうん、魔理沙にしてはずいぶん真面目なことを考えたものね」
とアリスが言うと、魔理沙はすこし眉をしかめる。
「なんだそりゃ。わたしだってそれぐらいの頭はあるぜ」
「でも、つけ加えさせてもらえば同時にそれは自分自身の姿でもあるわ。母親に愛されている自分をそこに再現したいという欲望を満たすための器なのよ」
するとパチュリーが静かな口調で言う。
「ある意味、チビは霊夢にとっては他者であると同時に自分の子のように感じられる存在かもしれない。なぜなら、外からやってきた魂を受け容れて、その魂が身体を得て自分の中から外に出た、そういう存在だから」
「ほう」
魔理沙が感心したような顔になる。
「……なるほどな。そこまでは思い至らなかった。眼から鱗だぜ。ま、しかし……こんな話はあいつらにしてみれば余計なお世話か」
そこへさっきのメイド妖精が戻ってきて、新しいワインの瓶とグラスを三つ、テーブルに置いた。
「ん、それは?」
魔理沙がパチュリーを見ると、彼女はすこし伏し目がちになって言った。
「もし良かったら、あらためて乾杯をしたいと思って。いちおう、これはわたしが自分用にとっておいたものだけど」
「ほう、いいな。ローズワインか。なかなかいい色だ」
メイド妖精はワインの栓を開けて、それぞれのグラスに注いだ。
「それで、何に対して乾杯するの?」
アリスが問うと、グラスを手にしたパチュリーは答えた。
「今宵、こうしてこの場に居合わせたわたしたちの運命に。そして」
パチュリーは隣の席の霊夢とチビ霊夢を見て付け加えた。
「……彼らの未来に」
グラスが差し上げられ、魔法使いたちはワインを干した。
**********
「あの娘たち、案外仲良くやってるみたいね。魔法使いってのは孤独が性に合ってるものかと思っていたけれど」
レミィが隣のテーブルの様子を横目で見ながら言うと、霊夢がそれに応じる。
「基本はそうだと思うわよ。ふだんはそれぞれにやることがあるんでしょうから。だいたい、魔理沙なんて、パチュリーからすれば加害者そのものじゃないの? 例の地下図書館でいろいろとやらかしてるんでしょ?」
「らしいわね。でもまあ、図書館の中のことはわたしはあまり関知してないから。パチェからも特別にどうこうという話は来ないしね」
「そうなの?」
「ええ。まあ、いちおう警備担当からはときどき何か言ってくるみたいだけど、あんまり伝わってこないわね」
咲夜さんが軽く咳払いをする。
「お嬢様、その点につきましては……」
「ああ、別にわたしはあなたを責めているわけではないわよ、咲夜」
レミィは笑う。
「なにもかも完璧でなければいけないなんて野暮なことは言わないわ。要所を締めてくれればそれで十分なの。この館は広いしね」
と、霊夢が椅子から立ち上がった。
「わたし、ちょっと向こうの様子を見てくる。なんかいやな予感がするのよね。ああいうときって共通の知り合いの悪口とかで盛り上がることがよくあるじゃない」
「あら、霊夢がそんなこと気にするなんて珍しいわね」
「今日だけよ、今日だけ」
そう言うと、霊夢は魔法使いたちのテーブルへと歩み寄って行った。
私はいい機会だと思い、前から疑問に思っていたことを言ってみた。
『レミィ、実はひとつ訊きたいことがあったんだ……私自身のことについて』
「あなた自身?」
『ああ。もう少し正確に言うと、この私の器である人形についてだ。初めて紅魔館で会ったとき……まあ、そのときは私はまだ霊夢の身体の中にいたわけだが、君はこの人形を知り合いから託された、と言っていたな』
「ええ、その通りよ」
『その知り合いというのは誰か、あるいは、その人物がどこでこの人形を手に入れたかを知りたいんだが、訊いてはだめかな』
「うーん……まあ、その質問はいつかくるとは思っていたわ」
レミィはちょっと眼を細めた。
「ただ、人形を譲ってもらうにあたって約束したことがあってね……それはまさに譲った当人が誰か、それをどうやって手に入れたかについては他人には言わない、っていうことなの」
『…………』
「どうしてそれを秘密にする必要があるのかよく分からないんだけど、約束は約束だし、わたし自身の信用にもかかわるから」
『なるほど』
ある程度は予測されたことだ。これまで人形の由来については詳しいことが語られることはなかったのだから、伏せておきたい事柄だったのだろう。
「ただまあ、それを調べたいというのなら、別に邪魔はしないわよ。わたしの口からは言えないというだけだから」
『それは助かる』
「やっぱり、何か引っ掛かるものを感じるの? その人形そのものに」
『ああ。まあ、魂をこの人形に移したのはあくまで霊夢が私の件でここに相談に来たときにこの人形があったというめぐり合わせに過ぎないわけだから、私という精神の由来とこの人形と関係があるという根拠はないように思える。ただ、突き詰めて考えるとそうでもない気もするんだ』
「というと?」
『もし、この人形が……素材から考えて外の世界から来たものだとするなら、外の世界に霊夢そっくりな人形というものがあり得るかということなんだ』
「……なるほどね。霊夢に関することを外へ伝えていない限り、そんなことはあり得ないものね」
『そうだ。それと、私自身が外から来た存在だとして、霊夢に対して何かの理由で執着しているのだとしたら……それもまた、奇妙じゃないか? つまり、外にいた私がこの幻想郷の住人である霊夢を元から知っている、ということにならないか?』
「面白いわねえ。たしかにその通りだわ」
『少なくとも、この人形と私にはそういう意味では共通点がある。だからといって、関係が必ずあるはずだというわけではないがね』
「もともと、このめぐり合わせ自体にはそれなりに理由があるという感じはわたしにもあるのよ。そういう風に理詰めで考えたことはなかったのだけれどね。でも、面白いわ」
ワインのせいか、頬にほんのりと赤みがさした吸血鬼は妖艶な笑みを浮かべる。
「でも悪いわね、人形そのものの件については、今言ったような事情だから」
『いや、約束も信用も大切だ。もしかしたらと思って訊いてみただけだから、自分でなんとかしてみるよ』
「……あるいは、わたしがこういう約束をさせられたということも、運命の一部かもしれないわね。回り道が実は本当の道だった、なんてことも世の中にはよくあることよ」
レミィは私を近くに来るように、という風に手招きをした。
テーブルを横切って彼女の前に立つと、レミィは私を両手で抱き上げ、その赤い唇で私の頬にそっと口付けをしてささやいた。
「いずれにせよ、今夜あなたは道を進むための力を得た。うまく使いこなせることを祈っているわ」
その4につづく