その2
2
鮮やかな赤色に染まった空を背景に、黒い影たちが飛び交う。
身体が熱い。腹から胸、そして肩から腕。熱湯が駆け回っているようだ。
これ以上は、もう無理だ。
早く吸い取ってくれ。この……と一緒に……。
彼らに安らぎを与えてやってくれ。
『……わたしのせいだね』
いいんだ。見つけてくれたのは、君なんだから。
そのうち、また会うことになるさ。
「返事をして、チビ」
うん? 誰だ……。
「わたし。パチュリー・ノーレッジ」
パチュリー? ええと、それは……あれ?
ああ、そうか。
たしか、いま私は……。
『ぐっ……?』
いきなり、身体全体が燃えるような熱さに包まれた。
「落ち着いて。あなたの状態は分かっている。いま、術式の最後の段階。どうしても、あなた自身に協力してもらわないと、完成しない」
『……どうすれば……いいんだ?』
熱さに耐えながら、私は必死の思いで問いかける。
「左の腕に意識を集中して。そこに吸い込み口のようなものが感じられるはず。身体の熱がそこに向かって集まっていく、そういうイメージを持って」
左腕……たしかに、なにかがある一点に流れ込んでいるような感じはある。
「言葉ではなく、あなたの感覚そのもので移動している流れを『視』て」
熱さそのものが……移動してゆく。
身体全体から……。
…………。
……?
突然、すべての熱がすっと嘘のように引いていった。
「繋がったわよ!」
アリスの声がした。
私は眼を開けた。
身体の周りを包んでいた光がゆっくりと消えてゆき、視界の真ん中から黒い夜空が広がりはじめる。
と、パチュリーの顔が横から出てきた。
「気分はどう?」
『……だいじょうぶだ。さっきまでは死ぬかと思うような熱さだったが』
今度は反対側からアリスの顔が現れる。
「起き上がれる?」
『うん』
私はゆっくりと上半身を起こし、さらにひざを曲げて立ち上がってみた。それから、両腕と両脚の関節を軽く動かしてみる。
『おかしなところはない感じだ』
「運動機能には問題ないみたいね。良かった」
アリスはほっとしたような顔になった。
そこへ、レミィの少し甲高い声が割り込んで来る。
「でも、力の方はどうなのかしら?」
『えっ?』
振り向くと、台から離れていた一同が側にやってきていた。レミィの背後に魔理沙と並んで立っている霊夢が心配そうな顔でこちらを見ている。
「術式はきちんと終わったのね?」
レミィの問いに、パチュリーはうなずいた。
「予定通り、チビの魂と石の間に魔力の伝導路が完成した。これで、チビは自然界に満ちている魔力を吸収することができるし、それを蓄えることもできるはず」
「お疲れさま。人形遣いさんもご苦労だったわね」
するとアリスは軽く息を吐いて言った。
「わたしはたいしたことはしてないわ。それより、パチュリーが疲れてると思うから、すこし休ませてあげた方がいいと思うわよ」
「あら、それは問題ね。咲夜、パチュリーを館まで送ってあげて」
「わたしは別に大丈夫……」
首を振るパチュリーの肩に、アリスが手を乗せる。
「高度な術式の直後だから、回復を図ったほうがいいわ。術式のことについてはわたしからこの人たちに説明しておくから」
「そう。じゃあ、悪いけれど」
私はあわててパチュリーのそばに走り寄った。
『今日は本当にありがとう。そんなに無理をしてもらってまで……』
すると彼女は小さく笑った。
「わたしは自分が興味のあることをやりたいようにやっただけ。それと、そんなに疲れたわけじゃないから。またあとで」
そう言うと、小柄な魔法使いは、咲夜さんに付き添われて館の方へと歩み去って行った。
その後姿を見送っていた魔理沙が腕組みしてつぶやいた。
「こういうタイプの魔法ってのは案外大変なもんなんだな」
「実際、時間もかかったしね」
と霊夢。
「具合はどうなの、チビ? 大丈夫?」
『うん、問題ない。ただ、前とは何か違う感じはあるけどな。うまく言葉で説明できないが』
するとレミィが興味津々といった顔つきで私を見た。
「ためしにちょっと飛んでみてごらんなさいよ。いままでとは違った感じで飛べるかもしれないわ」
『そうだな、じゃあ』
「あ、ちょっと急に……」
アリスの言葉を最後まで聞かないうちに、いきなりドン、下からと突き上げられるような衝撃がきて、下顎を胸に打ちそうになった。
『がっ?』
同時に頭上から猛烈な風圧がきて、身体全体ががくがくと揺れ動いた。
揺れが収まり、ようやく視界が戻ったと思ったら、すでに空の上にいた。しかも相当な高度だ。地上を見下ろしたが、自分がどこから飛び上がってきたのかすら分からない。
「なにやってるのよ、馬鹿」
霊夢が下から飛んでくるのが見えた。私を追いかけてきてくれたらしい。
『いや、ちょっと上昇しようとしてみただけなんだが……こんなに一気に昇ってくるとは思わなかった。驚いた』
「驚いたのはこっちよ」
振り向くと、アリスもすぐ側に来ていた。すこし怖い顔をしている。
「まだ自分の力がちゃんと制御できない状態なんだから、気をつけてもらわないと……これが屋内だったら悲惨だったわよ」
『いや、いまも結構悲惨だよ。風圧で首が砕けるかと思った』
まったくもう、とアリスは溜め息をつく。
「腕輪は何ともない?」
『うん、すこし暖かい感じがするが……異常ではないみたいだ』
「念のためにあとで点検してあげる。それとひとつ注意しておくけど、その腕輪を無理にはずそうとすると自動的に攻撃魔法が発動するから」
『あまり触れない方がいいということか』
「普通に触るぐらいなら大丈夫。攻撃魔法といっても電撃が出るだけだし。相手に対する警告の意味でね」
「とりあえず、ほら」
霊夢が空中でわたしの手をとり、引き寄せた。
「試運転はまたあとでゆっくりすればいいでしょ」
『……分かった』
霊夢は私を胸に抱くと、アリスとともに下降し始めた。
☆★
さきほどの森の中の広場に降り立つと、レミィと魔理沙が待っていた。
「悪かったわね、チビ」
吸血鬼の少女はすこしばつの悪そうな顔をする。
「どのぐらい効果が出てるのかと思って……」
『気にしなくていいよ。私もちょっと迂闊だった』
「ははは、レミリアらしいって」
魔理沙が笑いながらレミィのかぶっている帽子をぽんぽんと叩く。
「こんだけ手間ひまかけたんだから、ちょっと試してみたくなるのは人情ってもんだ」
「……わたしのこと馬鹿にしてるでしょう?」
「まあまあ、無事に成功したんだし、とりあえず館に戻って祝杯を上げようぜ?」
「結局そっちが目当てなの? まあいいけど」
並んで館への帰り道に向かう二人のあとに、私を抱いた霊夢と、アリスが続く。
歩きながら霊夢がぽつりと言う。
「アリスにも引き続き面倒をかけてるわね」
「いいのよ。パチュリーじゃないけど、わたしも好きでやってるところがあるから。それより……」
アリスは私をちらりと見る。
「霊夢のほうがあとあと大変なんじゃない?」
「別に、わたしは何も。とりあえず行動範囲を拡げたいっていうから、レミリアに相談したらこうなっちゃっただけだし」
「チビさんは穏やかな性格だけど、ときどき大胆な行動もとるからわたしはちょっと心配よ。このあいだのチルノとの件もあるし」
『あれは事故みたいなものだよ。私は基本は臆病者さ』
「本当に?」
色白の魔法使いは首を傾げ、青い瞳を私に向ける。多少疑いを含んでいるような眼差しだ。
すると、霊夢が少し諦めの入ったような口調で言う。
「なるようになるでしょう。先のことを考えてもしょうがないし、あとは本人次第」
それは私のことをある程度は信じてくれているということなのだろうか。それとも言葉通りの意味か。
まあ、後者だろう。そう思っておいた方が、私としても気が楽だ。たぶん。
その3につづく