その19
19
「はじめてお目にかかります、チビ霊夢さん。永遠亭の主、蓬莱山輝夜です」
月のお姫様は思ったよりも気さくな感じがしたが、やはり常人とは違う雰囲気が漂っている。腰の下まで伸びている黒髪は、まさに平安時代の貴族を彷彿とさせる。ただ、着ている服は長袖のワンピースの下にさらに裾長のスカートをはいているという感じなので、少々変わってはいるが洋服の範疇に入っているデザインだ。
『はじめまして。先日は永琳先生や、他の皆さんにいろいろとお世話になりました』
「あのときはわたしは何も知らされてなくて、あとで永琳に文句を言ったんですけど。まあ、主と言っても隠居みたいなものだから、仕方が無いんですけどね」
そう言うと、彼女は空中に浮いていた私の頭に白い指で触れた。
「もし良ければ、わたしのことは輝夜と呼んでください。確か、妹紅も呼び捨てなんでしょう?」
『まあ、そうですが……』
「じゃあそうして。わたしもチビって呼びますから」
『それでは、輝夜。ひとつ訊きたいのですが』
「なんですか、チビ」
『ここに貴女がいらしたのは、偶然ではなさそうですね』
「イナバたちに頼んでおいたんです」
彼女は脇に控えているてゐをちらりと見る。てゐは私に向かって、ごめん、というように顔の前に手を立てた。
「妹紅に動きがあったら知らせるようにって。なにしろ、この人ったらここのところすっかり大人しくなって、顔をみかけることもなくなってしまったんですもの」
輝夜は私の後ろに立っている妹紅に顔を向ける。
「そのおかげで、さっきの件のことも全然話ができなかったじゃない。まあ、てゐのおかげで経緯はだいたい分かったけど」
「文字通り聞き耳を立てていたというわけね、兎だけに。感度は良さそうだものね」
と幽香さん。
「…………」
妹紅は黙ったまま、肩をすくめる。
「じゃあ輝夜、あなたも何かこの件について知っているってこと?」
霊夢が妹紅と輝夜の間に入る形で訊く。
「ええ。すくなくとも妹紅よりは覚えていることがありますよ。ここに来る直前まで、二人で戦っていたこととかね」
『では、あなたも一緒にここに?』
「そう。ここは竹林からはそんなに遠くはないんです。そこの低い山で遮られているけど、その向こうには森と竹林が広がっているが見えるはずです。わたしたちは戦いながら空中を移動してここまで来てしまったの。時間もちょうど今ぐらいね、そろそろ日が暮れようかという頃でした。ただ、そこから先がはっきりしないけれど……たぶんわたしたちはそのまま戦い続けていたと思います。なにしろ」
輝夜はそこで薄く笑みを浮かべる。
「わたしたちは、どちらかが動けなくなるまで戦ってしまうのが常でしたから」
「なるほどね」
霊夢がうなずく。
「つまり、ここで二人が戦っていたときに、何かが起こったというのは間違いないようね」
「そういうことですね。そこで、提案があります」
輝夜が私たちの顔を見回して言う。
「わたしと妹紅がここでもう一度戦えば、おそらく似た状況が再現されるはずです。そうすれば、お互いに望みのものを得ることができるんじゃないでしょうか」
妹紅がようやく口を開く。
「……お前の望むものって何だ」
「あなたと同じよ。それがたとえどんなに惨めな記憶であったとしても、わたしの一部だったものよ。失ったままでは気分が悪いでしょう? すくなくとも何が起きたかぐらいは知っておきたいと思うわ」
『だが、それは……』
「わたしたち自身のためにやることなんです」
輝夜がきっぱりと言う。
「チビ、あなた自身も自分の過去の記憶を求めて行動しているわけでしょう? だったらわたしの気持ちが分かるはずです」
『…………』
それを言われてしまうと、どうしようもない。
「どう、妹紅。戦う理由としては何か問題がある?」
「ない。ただ、折角だから何かかけてみるというのも悪くないんじゃないか?」
「そうですね……」
私は霊夢の肩に乗り、耳元で言った。
『あの二人、このまま放っておいていいのか?』
「しょうがないわよ。ふたりともやる気になってる以上は止められない。妹紅はたぶん、あなたのためでもあるでしょうけど、それはあの子自身がそうしたいんだからいいのよ。それより、わたしは結界の変化に備えなきゃならないわ。あなたもそばにいて。手伝ってもらうことがあるかもしれないから」
『何でも言ってくれ。出来ることはやる』
「けっこうキツいかもしれないから、覚悟してね」
言葉とは裏腹に、霊夢はけっこう楽しそうではあった。数々の修羅場を乗り切った彼女にとっては、さほどのことではないのだろうか?
そこでふと幽香さんが姿を消していることに気づく。そもそも彼女がなぜここに居合わせたのかもはっきりしないが……。
「チビ。そろそろ始まるわ。わたしたちは少し離れていたほうがよさそうよ」
『ああ』
とりあえず今はそんなことを気にしている状況ではないようだ。私は霊夢とともに、対峙している二人の蓬莱人から距離をとった。
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「参ったわねえ……こんなときに死神を連れてきていいものかしら」
幽香は霊夢たちのいる場所から離れ、無縁塚のいわば中心部である塚の近くに来ていた。
小町といったん別れてから神社に向かったが、霊夢たちは留守だった。そこで下見を兼ねて無縁塚を先に訪れてみたら、妹紅に出くわし、さらに霊夢たちがやってきてしまった。
あの蓬莱人たちが戦うことになったおかげで、ようやく抜け出てきたものの、この状況で果たして本来の目的を達することができるかどうか。
考え込んでいると、上から声がした。
「おい、その先は三途の川の入り口だぜ。お前、そんなところに用があるのか?」
「…………」
幽香は思わず舌打ちしそうになった。どうしてこんなときに。
「なんだその嫌そうな顔は? なんか見られちゃまずいことでもしてたのか」
箒にまたがった魔理沙がにやにやしながら幽香を見下ろす。
「別に、何もしちゃいないわ。夕焼けと彼岸花が綺麗だから眺めていただけよ」
「そんな趣味があるとは知らなかったな」
魔理沙を載せた箒は垂直に降下して幽香と向き合う形になった。二人の間は十歩ほど離れている。
「あなたこそ、こんな時間にこんなところで何をしようっていうの?」
「ちょっとした宝探しさ。前に香霖に教えてもらったんでね。ここは日の出・日の入の頃になると結界がゆるんで外界からのモノが入り込むことがある。だが、どっちかっていうと日の入のときのほうが収穫が多い。里の人間はまず絶対に来ないからな」
「そう。それで、お目当てのものは見つかった?」
「まだこれからさ。陽は沈んでるが、まだ正確な日の入じゃない。地平線は山の稜線よりもっと下だからな」
「じゃあ、まあ宝探しを続けてちょうだい、わたしはちょっと忙しいから、失礼させてもらうわ」
「まあ待てよ」
魔理沙は空中で宙返りを打つような挙動で反転し、きびすを返した幽香の前に立ちふさがった。
「何だっていうのよ」
幽香はいらついた眼で魔理沙をにらむ。
「そこの抜け道のありかは死神に教えてもらわないと分からない。つまり元々は死神と連絡をとるために使うためのもんなんだよ。そこで、どうしてお前がそんなことをする必要があるか想像してみると、答えは割と簡単だな」
「…………」
「チビの魂を見せようとしてるんだろ、死神に。なんてったって専門家だからな。死神の眼をもってすれば、すくなくともどんな魂なのかぐらいは分かるだろうさ」
魔理沙は眉間にかすかに皺を寄せながら口元を歪めて笑みを浮かべる。
「ついでにそれを餌に、チビと一勝負してみようってとこか?」
「だったらどうだっていうの?」
幽香の表情が一段ときつくなる。
「開き直ったか? まあ、お前はチビのことが邪魔らしいからな……とっとと正体を暴いて外に送り返したいぐらいに思ってるんだろうが、そうはさせないぜ。だいたい、考えてもみろ。霊夢が死神の眼のことを知らないわけがないだろう? その気があればすぐに小町のところに連れて行っただろうさ」
「あなたこそおかしいんじゃない? あの人形に宿った魂は自分自身の正体を知りたいと願っているのよ? それを邪魔するっていうの? あなた、友人を気取ってるくせに、不誠実なんじゃない?」
「わたしはチビのやることの邪魔はしないさ。だが、腹に一物もった妖怪の余計なお節介を止めるのは勝手だろう?」
すると幽香は眼を細めて唇に薄い笑みを浮かべる。
「あなた、要するに霊夢に弱くなって欲しいんじゃない?」
「なんだと?」
「あなたが努力家だということは知っているわ、魔理沙。たいした資質を持たないのに、その若さで自己流の魔術を使うというのは簡単なことではないでしょう。なりふり構わずに資料を集めて、研究を重ねて……でも、どんなに頑張っても霊夢には勝てない」
「馬鹿いえ。わたしは霊夢との勝負には何回も勝ってるぜ」
「スペルカード戦では、でしょう? あの本質はあくまでも『遊び』よ。殺し合いではないんだし。まして、あなたたちは同じ人間同士だもの。たとえ霊夢が意識して手加減をしているわけではなくても、真の力のぶつかり合いではないはずよ」
「話をそらすなよ。わたしはチビのことを言ってるんだ」
「そらしているのはあなたのほうね。霊夢を引きずり下ろして、弱い自分と同じになって欲しいのよ。弱さを慰めあう相手が欲しいだけよ」
「お前こそ、『強い霊夢』を失うことを怖れてるんじゃないか。力があり余ってるお前の相手をまともにするような妖怪はもう幻想郷にはいない。まして人なんかお前には絶対に近づかない。誰からも敬遠されるお前を相手にするのは霊夢ぐらいだ。その霊夢を、ポッと出の正体不明のお人形に横取りされたのが悔しいんだろうが」
赤黒く染まり始めた空の下で、魔法使いと花の妖怪がにらみ合う。
「仕方が無いわね……」
幽香は傘をたたむ。
「あなたのそのおしゃべりな口を塞ぐには、気絶するまで叩きのめすしか方法がないみたい」
「じゃあ試してみるんだな」
魔理沙は八卦炉を取り出して不敵に笑う。
「人間ってものは日々進歩するんだぜ? 前と同じだとは思うなよ」
その20につづく