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その17



     17



 灰色のようでいて赤みを帯びているようでもある。青みがかっているようにも見える。見るたびに違った色合いを感じさせる、あいまいな空。


 そんな空の下に、これもまた模糊とした色合いの河が流れている。本当に水が動いているのか、定かではない。ただ、その表面に漂っている霧はかすかにゆらめきながら全体としてはゆったりと一定の方向に移動している。あたりには生き物の気配はまるでない。風もなく、音もない。


 ただ、この薄明の風景には、陰鬱な雰囲気はない。むしろ、どこか乾いた明るさのようなものさえ感じられる。


 河べりに粗末な感じの杭と板で造られた小さな船着き場があり、くすんだ色の小舟がもやってあった。そして、その傍らにはひとりの少女が腰を降ろしていて、川面を見つめていた。髪は赤がね色で、左右の二箇所で飾りのついた紐を結んでまとめられ、ツインテールの形で垂らされている。着ている服は裾長のワンピースのように見えるが、上半身は和服に似た前開きの形になっており、胴には帯を締めている。まさに和洋折衷という感じの渾沌としたデザインだ。


 と、何か気配を感じたのか、彼女は背後を振り返った。


「おや……」


 そこには日傘を手にした風見幽香が立っていた。


「これはまた珍しいね。あんたがわざわざこんなところに出向いてくるなんて」


「お久しぶりね、死神さん」


 幽香がにっこりと笑いかける。


「ここのところは暇そうね?」


「まあね。魂が来るのにも波みたいなもんがあって、何人かたて続けに来た後は、間があくことが多いよ。いまはちょうどそんな感じだ」


「それは良かったわ。実はちょっとしたお土産があってね」


 幽香は手にしていた布袋からガラス瓶を取り出して見せた。中には淡い褐色の液体が満たされている。


「それって、もしかして酒かい?」


「ええ。わたしがお花たちから分けてもらった花びらを使って熟成したお酒よ。自分で言うのもなんだけど、そう悪くない仕上がりになっているわ」


「ふうん、花の妖怪が作った花の酒か。どんな味がするもんだかな」


「試してみる?」


 幽香は腰を下ろし、陶製の杯を取り出す。


「いちおう仕事中なんだけどね……まあ少しならいいかな」


 三途の河の渡し守としては少々暢気なところがある小野塚小町は、誘惑に勝てず、幽香から杯を受け取った。


 瓶が開けられ、中身が杯に注がれると、小町は目を細める。


「なかなかいい香りだね……そんじゃ、ちょっと一口」


 杯の端に唇をつけ、杯を傾ける。


「ん……」


「いかが?」


「ちょっと変わった味だが、悪くないね。何の花を使っているのか分からないが、花らしい味だという感じは確かにする」


「気に入って頂けて光栄ね。もしよろしかったら瓶ごと差し上げるわ」


「ただし……というやつかい?」


 小町は杯に残った分を干すと、にやりと笑みを浮かべる。


「出不精のあんたが、この世とあの世の境にまで出張ってきたんだ。何か魂胆があってきたんだろ?」


「まあ、少なくとも魂に関わる話ではあるわね。実はいま、ちょっと変わったモノが博麗神社に住み着いてるのよ」


「ほう。それはまたどういう?」


 そこで幽香は人の魂を宿した小さな人形が巫女と関わるまでの経緯、そして周囲の連中との関係について語った。多少長めになったその話を、小町はわりと興味深げに聞いていた。そして聞き終えると、煙草盆の引き出しを開け、刻み煙草を煙管に詰めながら幽香に訊いた。


「なるほどね……でも、そこでなんであんたがこんなところまで出張ってくることになるんだい?」


「わたしは、その人形に宿ってる魂の正体が知りたいと思っているの。そこで、ヒトの魂についてはいちばん詳しそうなあなたに相談しようと考えたわけ」


「魂に『正体』なんてものはないよ」


 小町は煙管をくわえて火種から煙草に火を移す。


「まあ仮にあったとしても、あたいみたいな渡し守ごときには分からないことだよ」


「でも、たとえばその魂が死人のものかどうかってことぐらいは分かるでしょう」


「それは分かるよ。っていうか、生きてる人間の魂が身体から出てフラフラするなんてことは滅多にあることじゃないからね……普通は魂って言ったら死んだヤツの魂だよ」


「だとしたらあの魂の面倒を見るのはあなたの仕事じゃないの? 経緯はどうあれこの幻想郷に入ってきた魂なんだから」


「さあて、そのあたりはちょっとねえ」


 小町は煙管をくわえ、味を確かめるように軽く吸ってから、唇を開いてゆっくりと煙を吐き出す。


「ここで死んだヤツの魂ならあたいの担当だけどね。話を聞いた限りじゃ、どうもそういうことじゃないみたいだし……」


「分からないわよ? 外から来た人間が妖怪に喰われたのかもしれない」


「そんな死に方をした魂が簡単に巫女の身体にとり憑けるとは思えないがねえ? いちおう相手は博麗の巫女なんだから。まあ、どっちにしても」


 小町は今度はもうすこし深く煙を吸込み、ふたたび吐き出す。


「その魂を宿した人形ってやつをこの眼で拝まないことにははっきりしたことは分からないよ」


「だったら、ひとつ神社まで御足労願えないかしら。あなたは距離を操れるんだから、それぐらいわけもないでしょう?」


 幽香がそう言うと、小町は困ったように笑った。


「いやあ、それが、このあいだちょっとヘマをしちゃってね、四季様にお叱りを受けちゃったんだよ。仕事じゃないことでむやみに住人に関わるなってね」


「へえ? 本人だって暇があるとあちこち説教垂れて回ってるみたいじゃないの」


「あれは仕事の一部だってことらしいよ。そんなわけなんで、しばらくは動き回るのはやめておきたいんだ。できればそのお人形さんをここか、さもなきゃ無縁塚あたりに連れてきてくれないかね。あそこは時々見回りに行かなきゃならないことになってるから、他の場所よりは言い訳もしやすいしね」


「無縁塚、か……」


 幽香は考え込む。無縁塚は呼び出しをかけるにはちょっと向いていない場所ではある。とはいえ、相手が喰いつく餌がありさえすれば多少の危険は冒してでも来るだろう。


「分かったわ。それはなんとかしてみる。あと、あなたの都合にあわせなきゃならないわよね。仕事があるわけだから」


「それはそうだね。それにしても」


 小町は最後の一服を吸い終わってから、煙管の灰を落とす。


「どうして、そこまでしてその魂のことを知りたいんだい?」


「一言でいえば、気持が悪いからよ。そういう存在自体が」


「でもあれじゃないか、たしか毒を吐く人形ってやつもいたじゃないか。あいつも似たようなもんじゃないのかい」


「あれは人形が妖怪になっただけで、魂が宿ったわけじゃないもの。それに、霊夢を取り込んでるところが気に入らないのよ。根っこのところでは誰も信じてないはずのあいつが、どうしてかアレにだけは心を許しているような感じがするの」


「人形と巫女というのは案外相性がいいのかもしれないね」


 幽香が少し驚いた顔をする。


「どういうこと?」


「巫女はもともとは神を地上に降ろすための器だよ。魂の依ります器という意味では人形と同じさ」


「……似たもの同士というわけね」


「あんたとしては、そのお人形を追っ払いたいという感じなのかい」


「さあ、そこまでは分からない。ただ、このまま放っておくと良くないような気がするの。そのためにも相手の正体を見極めたいのよ」


「まあいいさ。ただ場合によっちゃ、そいつのことを四季様に知らせなきゃならないね。それは構わないかい」


「構わないわよ。べつに隠す必要はないことだもの」


 幽香は立ち上がる。


「とりあえず話をつけに神社に行ってくるわ」


「そうかい。まあ今のところはこっちは暇だから知らせてくれればすぐ行くよ。塚の裏側にここに直に繋がってる『抜け穴』がある。そこを通ればここにはすぐ来れる」


「じゃあここからも無縁塚に戻れるわけ?」


「いや、こっちからだと『穴』にあたるものがないんだ。一方通行ってことさ。でも、こっちからはあたいが一緒に行くから問題ないだろ」


「分かったわ。それじゃあ、また」


 幽香が去ったあと、小町は腕を上げて大きく伸びをしてからつぶやいた。


「さて……それじゃ今回は先に手を打っておこうかね」



     **********



 境内の掃除が終わって縁側で一服している霊夢のそばに近寄ってみる。こういうときの彼女はわりと柔らかな表情で、ゆったりとしたお嬢さん育ちの女の子のようにも見える。


『霊夢、ひとつ訊きたいんだが』


「ん、なに」


 霊夢は私の身体を持ち上げて膝の上に載せる。


『このあいだ妹紅が言っていた、まるごと大きな出来事を忘れてる、なんてことは本当に起き得ることなんだろうか』


「ああ、あの話? うーん……そうねえ」


 わずかに眉根が寄せられる。


「まあ、まったくあり得ないことではないかもしれないわね」


『というと?』


「あなたが里で一戦交えた例の慧音っていう人はワーハクタクっていう半人半獣なのよ。そのために彼女は歴史を隠したり生み出したりすることができるの」


『……それはかなり凄い能力じゃないか? そうなると人の記憶を消したりもできるってことか』


「使いようによってはできるのかもしれない。でも人の記憶をどうこうなんて、軽々しくやるべきじゃないわよね。そういうことをやる人じゃないような気がする」


『そうか……』


 たしかに他者の記憶をいじるなどということは倫理的にも問題がある。少なくとも、教育者としての役目を果たしている人にふさわしい行為ではない。


「ただ、慧音は妹紅のことをいろいろと面倒を見てるみたいだし……妹紅を助けるためになにかした、ということはあるかもしれないわね」


 霊夢は腕を回して私の胸に両手を重ねる。


「例えば、何か相手にとって辛いことがあって、それがいつまでも尾を引いて苦しんでたりしたら……自分に何かできることはないだろうかって考えるかもね。でも、難しいわね。それが本当に相手のためになるかどうかは分からないから」


『そうだな』


 いくら辛い思い出であっても、それを失うことは自分の一部を失うということでもある。


『霊夢なら、そういう手助けはしないか?』


「普通ならしないわね。それって、相手を救うためっていうよりは、辛い思いをしている相手を見ている自分が辛いってことだと思うから」


 正論だ。実際、そういう理由で動いてしまう人々は多いだろう。


「でも、相手によるかもしれない」


『…………』


 霊夢は、軽く息を吐いて苦笑した。


「まあ、さすが自分が辛くなるほど気になる相手なんていないけどね」


 私の場合、どうだろう。例えば、もし霊夢が悲しみにくれているときにそれを黙って見ていられるだろうか。


『正直、私は耐えられるかどうか自信がないな』


「え?」


『大事な人が苦しんでいるときに、何もできないままで耐えるというのは難しいかもしれない。ただ、いまの私では結局何もできるわけではないけどな』


「そこまで卑屈にならなくてもいいんじゃない? 『相手に何かしてあげる』ということだけが救いじゃないと思う」


『……?』


 じゃあ、何もしなくても相手を救える場合もあるということだろうか?


「ま、それはそれとして、慧音のところに行って話を訊いてみるのもいいかもしれないわね。妹紅とはいちばん親しいわけだし、何か知っていることがあるかもしれない。それに、このあいだの一件についても挨拶しとかないとね」


『そういえばそうだな』


 だいぶ時間が経ってしまったが、いちおうけじめのようなものをつけておかないとすっきりしないのは確かだ。


「寺子屋はお昼までのはずだから、昼過ぎに行ってみましょう」


『分かった』



その18につづく

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