その16
16
結局、アリスを送る「ついでに」魔理沙がもってきたという食材を使って、鍋をすることになった。
昼食にしてはちょっと重いのではないかという気もしたが、夜にやると妖怪が寄ってくるからいいんだという。
障子を閉めた茶の間で四人が堀り炬燵に入って鍋を囲む。
「しかし……それ、こんなものに使っていいのか?」
妹紅が当惑したように言う。
「こんなものだろうとどんなものだろうと使えるものは使う。そのおかげで炬燵の上で鍋ができる。幻想郷広しと言えどもこんなことはわたしにしかできないぜ」
魔理沙は具の煮え加減を確かめながら涼しい顔で応える。湯気をたてている土鍋の下には魔理沙のミニ八卦炉が淡い光を放っている。
なるほど、カセットコンロなどという器具のない幻想郷では、こんな情景は八卦炉だからこそ成り立つことなのだろう。
「あら、妹紅なら簡単にできるんじゃない、火なんかいくらでも出せるんだし」
身体全体を炬燵布団の中に突っ込むようにして顔だけ出している霊夢が言う。
「パチュリーもやれるかもね。属性魔法得意だから」
と向かい側のアリス。
「もっとも、そんなの魔力の無駄遣いだって言うでしょうけど」
「そういえばチビ、幽香はあのあとちょっかい出してこないのか?」
魔理沙は二人のコメントを無視して妹紅の膝の上の私に話を振る。
『いや、何もないな。諦めてくれたのかもしれない』
「幽香って、風見幽香のことか」
妹紅が言うと、霊夢が顔を上げる。
「あら、知ってるの?」
「たまに里で見かける。人間にしては異様な雰囲気だったから、知り合いに訊いたら、山の奥の花畑に棲んでいる妖怪だと教えられた」
「ふだんは静かにしてるんだけどね。なんだかチビに興味を持ったらしくて……このあいだチビが里に行ったのも、幽香に追いかけられたからなのよ」
「追いかけられたというのは?」
「幽香に勝負しろって言われて、チビが逃げ出したのよ。ただ断ればいいのに」
『霊夢はその場にいなかったからそんなことが言えるんだ』
私は反論した。
『あのときの幽香さんはどうあっても相手をしてもらうっていう態度だった。ほとんど脅迫に近かった』
「すると、いまチビが頑張っているのは、その風見幽香に対する備えということなのか」
妹紅がすこし眉をひそめる。
『いやいや、そこまでは考えてない。ただ、あれぐらいの相手と戦うこともあり得るというぐらいには思っている』
「もうそろそろ煮えてきたかな」
魔理沙は小皿にキノコの切れ端を乗せ、腕を伸ばして妹紅の前に突き出す。
「ちょっと味見してくれ」
「いっ」
妹紅はひるんだように背をそらす。
「それ……その、大丈夫なのか?」
「死にはしないわよ」
と霊夢が目を細めて言う。
「ま、わたしはこれまで数々の試練に出会ったけど死ななかった」
「それは言い方としてはちょっとキツ過ぎるんじゃない?」
アリスが苦笑する。
「せめて病気にはならなかった、ぐらいにしておけば……」
「…………」
妹紅の口元がひきつる。
魔理沙が憤慨したように口を尖らせる。
「馬鹿、今回のは魔法の森じゃない普通のとこから採って来たキノコだよ。だいたい、同じ鍋から食うものが毒だったら、わたしも含めて全滅だぜ」
「まあそれはそうだが」
妹紅はおそるおそる口に入れる。
「……どうだ?」
魔理沙はなぜかすこし緊張気味に問う。
「ああ、まあ普通に美味いと思うが」
「そうか」
ほっとしたような顔をする魔理沙に、霊夢がすかさず突っ込む。
「やっぱり自信がなかったんじゃないの」
「違う。雑な味つけになってないかどうか、確かめたかっただけだ」
「味にうるさい奴だと思われたか? ふだんそんなに上等なものを食べてるわけじゃないから、大丈夫だ」
妹紅は微笑んだ。
「気を使ってもらってすまなかったな」
「いや、まあ……別にそんなんじゃないんだ」
考えてみれば、それまであまり親しく接していなかった人に自分の料理を食べさせるというのはそれなりに緊張する状況なのかもしれない。
「それじゃあ、わたしお燗つけてくるわ」
霊夢が元気よく立ち上がる。
「昼間から酒か」
妹紅がびっくりしたように霊夢の顔を見る。
「だって今日は寒いもの。身体を温める程度ならいいんじゃない?」
そう言って台所へと姿を消す。魔理沙が鼻を鳴らす。
「手のひらを返すってのはこういうことをいうんだな……あいつ絶対食えないもの持ってきたと思ってたな」
「それはふだんの行いのせいじゃない? でもまあ、今日はちょっと違うみたいだけど」
アリスはくすくす笑い、それから私のほうを一瞥する。それは、さあ、どうするの? という問いかけのようにも感じられた。
『……なあ、魔理沙』
「なんだ? お前もコレを試食してみたいのか」
『私は構造上食べられないよ。それより、今日来たのは何か私に話があったんじゃないか? あるいは私と妹紅、両方にかもしれないが』
「…………」
『遠慮なんてする間柄だったのか、私たちは?』
「分かったよ。霊夢が戻ってきたら、ちゃんと話すよ」
アリスが口の端をかすかに緩める。思惑通り、といったところなのだろうか。
☆★
「最近、妖怪の間ではチビのことがけっこう話題になってるらしいんだ」
魔理沙は片手で盃に燗酒を注いだ。
「慧音との一戦を見てた奴が何匹かいたらしくて、そこから話が拡がったんだ。身体が小さいのに恐ろしくど派手な弾幕で相手を倒したって……で、そいつの正体は神社の居候だという話がくっついた。まあそこまでは本当の話だけどな。そこで誰が言い出した。近々、そいつを使って神社の巫女が人里周辺の妖怪を狩って回ろうとしてるんじゃないかってな」
「考えが飛び過ぎね。なんでそんな面倒なことをわたしがやらなきゃならないのよ。一銭にもなりゃしないのに」
「お前のそんな性格をそこらへんの妖怪どもに想像できるわけがないだろ。ただ、話だけならまだ半信半疑ってところだったらしい。だが、裏付けになる情報が出てきた」
「わたしか……」
妹紅がかすかに眉根を寄せてつぶやく。
「ああ。お前のことはかなり昔からいろいろな話が出てたらしいが、その中でも、強力な妖術使いとして妖怪退治を長いこと生業にしていたという話は有名なんだそうだ」
魔理沙は盃に口をつけ、傾けて飲む。
「ただ、幻想郷に来てからはよほどのことがないかぎり自分から妖怪を攻撃することはない。だから、敬して遠ざけておけば問題ないということになっていた。ところが」
『派手な弾幕をご披露した神社の居候、つまり私をその妖術使いが鍛えている……ということは、まんざらあり得ない話でもなくなってきた。そんなところか』
妹紅が息を吐く。
「疑心暗鬼とはよく言ったものだ……しかし、そうなるとわたしがここに来るのはすこし遠慮したほうがいいのかな?」
「そんな必要はない」
魔理沙が少し力を込めて言う。
「チビの頼みを引き受けただけなんだから、気にすることはないぜ。ただ、ちょっとだけ訊きたいことがある」
「何だ?」
「お前、チビに何かその……」
魔理沙はすこし口ごもったが、顔を上げて言葉を継いだ。
「チビのことが引っかかるというか、気になることがあるのか?」
「…………」
妹紅が虚をつかれたという感じで口を開けたまま魔理沙の顔を凝視する。
霊夢とアリスもなぜか黙ったままだ。
私はとりあえずこの奇妙な沈黙を破ることにした。
『それはつまり……』
「チビ、お前は黙っとけ。妹紅に訊いてるんだ」
魔理沙の口調の鋭さにすこし驚いた。怒っているわけではないのだろうが、仕方なく黙る。
妹紅はすこし当惑した顔つきだったが、やがて苦笑を洩らした。
「そうだな。確かにわたしはチビに引っかかってるところはあるんだ。まあ、わたしのスペルを使ったということもあるが……それ以前に、いちばん初めにチビを見たときに感じたことがあった」
そこで、ふと妹紅が魔理沙の手にしている盃に眼をやる。
「わたしにも一杯貰えるか」
「いいぜ。これで良ければ」
魔理沙は袖の端で杯を拭いて妹紅に渡し、銚子から酒を注ぐ。
妹紅は盃を傾けて中身を干すと、言った。
「最初に思ったのは、何か忘れてることがある、ということだったんだ」
「忘れてる……?」
霊夢が私をちらりと見て問い返す。
「ああ。居心地の悪さというか、とにかく何か忘れているという感じだ。でも、その理由が分からない。その後で、チビが過去の記憶をなくしてしまっているという話を聞いて……それで、もしかするとこの『忘れている』という感じと何か関係があるんじゃないかという気がしてきたんだ」
「なるほどな……」
なぜか魔理沙がすこしほっとしたような顔つきになる。
「で、その忘れてるっていう感じについてはまだそのままなのか」
「ああ。もしかするとそのうちに思い出すんじゃないかと思っていたんだが……だから、ただの気のせいでしかないのかもしれない。それで言い出せなかったんだ。余計な心配をさせたくなかったからな」
「それはもっともな話ね」
とアリス。
「既視感というのもあるから。一度も見たことはないはずなんだけどなぜか見たことがあるような気がする、という感覚ね」
「チビを見たことがある、というのとは違う気がする。むしろ、何か大きな出来事をまるごと忘れてるような……そんな感じだ」
『だが、大きな出来事を忘れたら普通その前後のつじつまが合わなくなるだろう。すくなくともその直後はひどくおかしな感じがするはずだ』
私が言うと、妹紅が苦笑する。
「うーん、そうなんだが……いままでそういう風に思ったことはなかったんだ」
魔理沙が息を吐く。
「悪かったな、なんだか立ち入ったことを訊いて。ただ、前から気になってたんで、このままだと顔を合わせづらくなると思ってな」
「いや、むしろ訊いてもらって良かった」
妹紅は微笑んだ。
「わたしも本当はこのままだとまずいな、と思っていたんだ」
**********
山の端に近づき始めた太陽に向かう形で魔理沙とアリスを乗せた箒がゆるやかに飛んでゆく。魔理沙は両脚でまたがる形で、そしてその後ろのアリスは横座りの形で乗っている。
「すこし風が強いな……もうすこし高度を下げるか」
魔理沙が低くつぶやく。
すると、アリスがぽつりと言った。
「本当は違うんでしょ?」
「何がだ?」
「チビさんに言いたかったことよ」
「……べつに、あいつに言いたいことなんてないさ。もちろん妹紅に対してもな。正直、少しおせっかいが過ぎた」
「でも結果としては、チビさんがどうして妹紅さんと関わっていたのか、その理由がはっきりしたんじゃない? 彼女が『何かに引っ掛かっていた』ということをチビさんも感じ取っていたのよ」
魔理沙はため息をつく。
「あいつ、お前が身体を診てたとき何か言ってたか?」
「妹紅さんのこととか? それは特にはなかったわね。ただ、わたしのほうからはひとこと言っておいたけど」
「何て?」
「あなたたちのことを、もっと考えてあげたほうがいいって」
「なんだよ、それ……わたしと霊夢ってことか?」
「そう」
「こっちはチビに気を使ってもらいたいわけじゃないぜ。ただ、あいつはときどき何を考えてるか分かんない感じがすることがあるから困る」
「まあ、表情が変わらないからね。それに……魔理沙もそうだと思うんだけど、あの人はちょっと勝手が違うって感じなのよ。わたしたちみたいな、普通のヒトから見ればおかしな存在を初めからなんの抵抗もなく受け容れてくれてるから……本人はたぶん全然意識してないけどね」
「…………」
「ある意味では霊夢に似ているとも言えるけど……」
「わたしはさ」
魔理沙はアリスの言葉をさえぎるように声を出す。
「わたしは、チビがどこの誰かなんてことはどうでもいいんだ。ただ、あいつと霊夢がうまくやってくれてればそれでいい。このままでな」
「このまま……ね」
だが、『彼』はこのままでいようとはしないだろう、とアリスは思った。おそらく、そのような『在り方』ではいられない存在なのだ。でも、それをいまの魔理沙に理解してもらうのは難しい。
この先何が起きるかは分からない。ただ、それは誰にもおしとどめることもできないだろう。
すこし考え方が年寄り臭くなってるかな?
アリスは魔理沙の帽子からこぼれて波打つように揺れる金色の横髪に眼を向け、ひそやかな苦笑を浮かべたのだった。
その17につづく